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屋上から飛び降りた幼馴染によく似た後輩が、僕の家の転がり込んできた〜自殺に至る、四つめの理由〜  作者: 秋夜紙魚


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第33話

side 東雲ユウカ


 その日、終わりじゃなかった。


 更衣室のロッカー。

 社内掲示板。

 コピー機の横。


 あらゆる場所に、同じ紙が貼られていった。


 小さな事務所で、防犯カメラもろくにない。

 結局、犯人は分からなかった。


 社長は「ごめんね」と謝ってきた。

 そして、興味本位みたいに聞いた。


「……これ、全部、本当のこと?」


 わたしは、頷いた。

 それだけで、十分だった。


 定時が近づいて、トイレに立った。


 手を洗っていると、主任が入ってきた。

 鏡越しに、いつもの冴えた目が刺さる。


「キミは、仕返しをしないのだな」


 仕事の敬語じゃない。

 どこか、冷たい言い方。


 わたしは蛇口を閉め、手を拭いた。

 ハンカチをポケットにしまって、主任と向き合う。


「別に」


 主任は――笑った。

 普段、絶対にしない笑い方。見下すみたいな笑顔。


「死んでいるみたいな目だ」


 なるほど。

 わたしは、思ったままを口にした。


「死んでますよ。とっくの昔に。今のわたしも、かつてのわたしも」

「なんて言い分だ」


 主任は背中を向けて、短く息を吐いた。

 そして、ぼやくみたいに落とす。


「報われないな、宮崎君も」


 ――はっとした。


 どうして、その名前を。

 問いかけようとした、その瞬間。


「ちょ、ちょっと! ユウカ!」


 トイレに入ってきたのは、隣席の同僚だった。

 彼女は、わたしと主任の間に割って入る。


「手、出したら駄目だよ!」


 違う。

 そうじゃない。


 でも、主任の一言が、胸の奥を削った。

 その上、同僚の声が――わたしの中の何かを、切った。


「……ふざけるな」

「え?」


 同僚が耳を寄せた。

 だから、わたしは今度ははっきり言った。


「ふざけるなっ」


 自分の声の大きさに、頭がくらくらした。

 喉が渇く。目が痛い。涙が出そうになる。


 止まらなかった。


「あんなことした分際で、よく……わたしの気持ちが分かる、なんて言えるよね」

「ユウカ、ちょ、待って――」

「知ってるよ。主任じゃない。あなたがやったんでしょ」


 同僚の顔が、一瞬固まる。

 次の瞬間、冷めた目になった。


「……なんだ。ばれてたの」


 開き直るみたいに、肩をすくめる。


「だって、あんたうざいし。地味なくせに仕事できるとかさ。男連中も、あんた褒めてばっか」


 わたしには落ち度がない。

 ただ、それが気に食わなかった。それだけの話。


 同僚は、さらに吐き捨てる。


「気持ち悪いくせに。ねえ? 主任も、そう思ってたんでしょ――」


 鈍く低い音が、トイレに響いた。


 同僚の言葉が、途中で途切れる。

 主任の拳が、同僚の頬を殴っていた。


「は……?」


 同僚は頬を押さえ、何が起きたか分からない顔をした。

 遅れて状況を飲み込んで、奇声を上げる。


「はああっ!? 何してんの!?」

「悪いな」


 主任は平然としていた。


「私は、案外行動派なんでね」

「部下殴って……っ! 後悔するわよ!」


 同僚は指を突きつける。

 主任は、鼻で笑った。


「それはどうだろう」

「どういうことよ!」


 主任は腰に手を当て、諭すように言う。


「いいか。東雲くんは、キミが犯人だと断定していた。証拠がある。逃げられない証拠が。――ね?」


 主任の視線が、わたしの瞳を捕まえる。

 そんな証拠は、ない。


 でも、ここは頷くべきだと思った。

 わたしは表情を変えず、頷いた。


 同僚は歯噛みして、トイレを出ていった。

 足音が遠ざかっていく。


 熱が引くみたいに、わたしの身体も静かになった。


 主任は、わたしの方へ向き直った。


「キミが入社してきた時、これはなんの因果だろうと思ったよ」


 意味が分からない。

 でも――今の主任は、軽口の顔じゃない。


 わたしは黙って、聞いた。


「キミは立派に社会復帰できていて。……ずっと囚われたままの私が、馬鹿みたいに思えた」


 主任は続ける。


「だったら、行動してみようと。連絡を取った」


 ポケットから、茶封筒が出てきた。

 受け取ると、中に厚みのある紙が入っているのが分かる。


「これは?」

「預かっていた。春先からずっと忍ばせててな。ついでに渡せたらいいと思っていたが、踏ん切りがつかなかった」


 自嘲気味に、短く笑う。


「行動派が聞いて呆れるな」


 そして、背を向けたまま言った。


「作家、宮崎ハジメが――高校二年の冬に書いた、最後の作品だ」


 心当たりが、刺さる。


 思い出すのは、病室で。

 泣きながら、小説を燃やしていた『彼女』の顔。


「私がUSBメモリに保存するよう伝え、彼は守った。……その結果、生き残った代物だ」


 主任は、トイレの出口へ向かう。


 わたしは頭を下げた。

 主任は、片手をひらりと振って、何も言わずに去っていった。


「……ありがとうございます」


 聞こえたかは分からない。

 でも、言わずにいられなかった。


 気づけば、頬を涙が伝っていた。


***


 翌日。

 待ち合わせの喫茶店に、十五分前に着いた。


 店に入り、きょろきょろと探す。

 主任から聞いた特徴の人。


「東雲さんですか?」


 声をかけられた。

 振り向くと、そこにいた。


 かっこいい系の美人。

 スタイルも良くて、雑誌のモデルみたいな人だった。


 彼女は視線だけで「こっち」と示す。

 わたしは席へ行って、頭を下げた。


「すみません、お待たせしました」

「いえ。まだ約束の時間じゃないですし。――東雲さんも、珈琲でいいですか?」

「あ、はい」


 女性は店員に珈琲を一つ頼み、鞄から財布を出す。


「まったく。部長はいつも突然、連絡してくるんです」

「……ぶちょう?」


 わたしが戸惑うと、彼女はすぐに苦笑した。


「あ、ごめんなさい。癖で。高校時代、部活が一緒で。その時の呼び方が残ってるだけです」


 納得して、頷く。


 女性は財布から名刺を一枚抜き、裏返して机に置いた。

 手書きの住所が一つ。


「――『彼女』の、ねぐらだそうです」


 わたしは、その住所を見つめた。

 見つめたところで、地図が浮かぶわけじゃない。


 でも、そうしていないと、呼吸が乱れそうだった。


「……ふふ」

「え?」


 突然、女性が静かに笑った。

 すぐに「すみません」と頭を下げる。


「部長から聞いてた人と、印象が違って。だって東雲さん、昨日『明日一緒に有給を取ってください』って言ったんですよね?」

「……あ、はは」


 昨晩。

 わたしは主任に電話して、無茶を言った。


 主任は『彼女』の居場所を知っている――そう感じたから。

 相手の都合なんて考えられなかった。


「とても、そんな図太く見えなくって」


 女性は、穏やかに笑う。

 でも次の言葉は、ちゃんと刺した。


「部長――怒ってませんでしたよ。むしろ、東雲さんみたいな人は好ましい、って」


 そこで、珈琲が運ばれてきた。


 わたしはカップを持ち上げ、香りに目を細める。

 そして、名刺の住所を見る。


「……少し落ち着いたら、すぐ訪ねます」

「はい」


 わたしは名刺を手に取って、頷いた。


「黒澤サチ。数年前、病院で小火騒ぎを起こして以来、高校を自主退学。……宮崎先輩の訪問も、全部断ってるそうです」

「……そう、みたいですね」


 昨晩、封筒の中身を読んだ。

 ハジメ君が最後に書いた小説も。わたし宛の手紙も。


 そこに、今の話があった。


 女性が、わたしをまっすぐ見つめる。

 鋭いのに、どこか哀れむみたいな瞳。


「――それで、いいんですか?」

「……」

「だって東雲さん、まだ……先輩のこと……」


 わたしは笑顔を作った。

 返す言葉は、いらないと思った。


 残りの珈琲を喉へ流し込む。

 立ち上がる。


「行きましょう」


 彼女も、静かに頷いた。


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