第20話
side 黒澤サチ
気づけば、公園のベンチに座っていた。
日差しを遮る屋根の下。懐かしい景色だ。
隣では、男の子が静かに本を読んでいる。
少し離れた遊具のそばに、女の子がいて――わたしたちを見守っていた。
辛くて苦しい毎日の中の、ほんの短い逃げ場。
二時間にも満たないその時間を、わたしは大事にしていた。
名前は知らない。
でも、わたしにとっては「お兄ちゃん」と「お姉ちゃん」だった。
それ以上でも、それ以下でもない。だから、名前なんてどうでもよかった。
出会って、そして別れた。
あの人たちは今、どこで何をしているのだろう。
調べようと思えば、会おうと思えば、きっと難しくない。
でも――やめておこう。
夢の中で、わたしはそっと瞼を落とした。
あの人には、こんな時間さえなかったのだ。
わたしだけが幸せな記憶に溺れるのは、許されない気がした。
意識が覚醒へ近づいていく。
闇の中で最後に見えたのは、父に静かな怒りを向ける、兄の無表情な顔だった。
***
「黒澤さん、起きて」
「ん……」
昼休みの終わりを告げるチャイムが、校舎に鳴り響いていた。
それにも反応しないわたしを引き上げたのは、隣の席の沢田さんだった。
寝ぼけたまま起き上がり、伸びをする。
沢田さんは呆れた顔で言う。
「昼休み三十分で、そこまで熟睡できる人、他に知らないわ」
「えへへ。ちょっと寝不足で」
確かに、ここ数日は眠りが浅かった。
授業中もうとうとしがちで、気をつけないと――と思っていた矢先だ。
「えっと……」
「次は算数よ」
「えへへ、ありがと」
机の中を漁っていた手を止めて、教科書とノートを出す。
広げたところで、沢田さんの視線がまだ外れないことに気づいた。
「……?」
「沢田さん、どうかしたの?」
沢田さんは小さく溜息をついて、ポケットに手を入れた。
「……はい」
差し出されたのは、兎の刺繍が入ったハンカチ。
受け取りながら首をかしげる。
「えと、どうしたの?」
「涙」
それだけ言って、沢田さんは黒板へ顔を向けた。
頬に当てた指先が濡れている。
大粒の涙が、床に落ちて弾けた。
先生が入ってくる。
ざわめきが引いて、教室は一気に静かになった。
日直の号令。起立。礼。着席。
その音に紛れるように、沢田さんが小さな声で言う。
「怖い夢でも見たの?」
わたしは、静かに首を横に振った。
「とても、楽しい夢を見たの」
笑って答えると、沢田さんは不服そうな顔をした。
けれど授業が始まり、それ以上は何も言わなかった。
――本当だ。楽しい夢だった。
夢というより、確かにあった記憶。今も色褪せない、大事な時間。
チョークの音。先生の淡々とした声。
鉛筆がノートを走る音。
その規則正しさに引かれるように、わたしの意識はまた沈んでいく。
次に見たのは、もっと昔の夢。
一人でいる方が幸せだと思い込んでいた、あの頃。
人生でいちばん苦しくて、いちばん幸せだった日々が同居していた、幼いわたしの物語。
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