第12話
side 黒澤ユキ
夏休みの教室棟は、グラウンドの熱気と別世界みたいに静かだった。
本来なら、息が詰まるほど。
「正直に言え!」
月島が机を叩いた。
今日だけで何度目だよ、って思うくらい。
机の上の写真に目がいく。
駅前のラブホテルに入っていく男女の後ろ姿。
女子は他校の制服。
男子は夏の学生服で、後ろだけじゃ学校は分からない。
「人違いですよ」
自分でも呆れる声が出た。
それが癇に障ったのか、月島の眉間がさらに寄る。
「お前には前科がある!」
反論できずに黙る。
撮ったのは、去年のタレコミと同じ奴らしい。
ラブホ前で張ってんのかよ、と喉まで出かかった。
飲み込む。口は災いの元だ。
「去年は校長が家庭環境を顧みて、寛大な処置を取ってくださったが、今回はそうはいかない」
そりゃそうだ。
その校長は去年で定年退職した。
「とにかく今日は帰れ。処分は追って連絡する」
月島はそう言い捨てて出ていった。
ドカドカと足音が遠ざかる。
俺は天井を見上げた。
「月島教諭、機嫌が悪かったな。ほかにも気に障ることがあったのではないか」
後ろから声。
振り返ると、西川が分厚いプリントの束をめくっていた。
眼鏡の奥の目は鋭い。
髪が風に揺れても、表情は崩れない。
「毎度思うけど、あいつ先生としてどうなのよ。当事者以外がいるところで、あんな話するか?」
「月島教諭は周りが見えなくなる悪癖がある。それに、彼は君を執拗に嫌っている。意趣返しだろう」
西川は俺を見ない。
紙に視線を落としたまま、時々ボールペンで何かを書き込む。
「それ、何してんの」
「仮部誌を読んでいる」
そういえば、前も聞いたな。
去年の冬休み明け頃だったか。
西川と俺は一年から同じクラスだ。
俺は問題で呼び出される。西川は家より集中できるから休日に学校を使う。
だから、妙に顔を合わせる。
「夏休み明けに合評だ。集まっている分は先に読んでおかないとな」
「へえ。頑張ってくれ」
俺は立ち上がった。
今日は寝起きに電話で呼び出されて、バイトもずらした。のんびりしてられない。
出口まで行ったところで、呼び止められる。
「待て」
振り向くと、西川が顔を上げていた。
今日初めて、まともに目が合った気がした。
「君はいつまで、あんなことをしているつもりだ」
さっきの写真の件だろう。
咄嗟に「違う」と言いかけて、言葉が詰まる。
西川の目が、真剣すぎた。
「あの写真は君じゃないのかもしれない。だが君は、似たようなことを普段からしているじゃないか」
黙るしかない。
去年、他校の女子とホテルに入ったのは事実だ。
処分は自宅謹慎で済んだ。
でも噂は残った。今も、白い目が残っている。
「成績不良。素行不良。学内での君の評価は概ね最悪だ」
分かってる。
それでも「気をつけます」で済む話じゃない。
西川が本気で心配してるのも、分かる。
だからこそ、俺は答えずに背を向けた。
「じゃあな」
背中の視線に、心の中だけで「ありがとう」と返して廊下へ出た。
この廊下は、三組と四組の間に中央階段がある。
一組から外へ出るなら、そこを通る。
階段に差しかかったとき、上へ登っていく人影が見えた。
スリッパの色と制服。二年の女子だ。
夏休み。しかも教室棟。
来るだけならまだしも、「上」へ行く理由がない。
三階の上は屋上しかない。
屋上は鍵がかかっていて、普通は入れない。
無視すべきだった。バイトもある。
でも、横顔に覚えがあった。
俺は、追った。
どうせ行き止まりだ。顔を見て思い出せなきゃ、それで終わりにする。
屋上前の廊下に出ても、姿はない。
埃をかぶった机と椅子の山だけ。
掃除用具のロッカーも空。
残りは一つしかない。
屋上へ繋がるドアの小窓。
そこから外を覗くと、いた。屋上に。
どうやって出たのかは分からない。
鍵を持ってるか、たまたま開いてたか。
俺はドアノブをひねった。
あっさり回る。
勢いよく押し開けた瞬間、突風が顔を殴った。
反射で目を閉じる。
風が落ち着いて、目を開ける。
金網に手をかけて校庭を見下ろす、ひとりの生徒がいた。
長い黒髪。風で揺れている。
顔立ちは地味で、派手さはない。
それでも既視感があった。
俺はどこかで、この子と会ってる。
音で気づいたはずなのに、彼女はすぐには振り向かなかった。
やがて、ゆっくりこちらを見る。
驚かない。表情も動かない。
西川でもここまで無表情じゃない。
しばらく見つめ合っても、思い出せない。
俺が先に口を開いた。
「追いかけてたの、バレてた?」
「……ううん。今、気づいた」
声まで薄い。消えそうだ。
俺は水たまりを避けて一歩近づく。
「……危ないよ、そこ」
意味が分からず首を傾げた、その瞬間――。
頭に衝撃。
「って!」
落ちてきたのは野球ボールだった。硬球。
庇の上に乗ってたのが、タイミング悪く落ちたらしい。
濡れたボールを拾って、俺は聞いた。
「見えてたの?」
彼女は首を振る。
「……ううん。『知ってた』」
よく分からない返事。
俺は水気を払って、縫い目に指をかけた。
「で、何してんの。こんなとこで」
彼女は少しだけ黙って、蚊の鳴くように言った。
「……精一杯の、距離だから」
「あ?」
「……なんでもない」
彼女の視線は、校門のほうへ伸びていた。
下ではランニングの列が動いている。
ふと、彼女がこっちを見た。
「すみませんが……もう、ここには来ないでくれますか?」
拒絶が直球すぎて、笑ってしまう。
「ここはお前の私有地じゃないぞ」
「……そっか」
彼女は妙に納得して、手を打った。
「じゃあ、午後六時までは来ないでください。それ以降なら、何時でも大丈夫」
面倒くさい。反射でそう思う。
でも、俺は屋上の鍵なんて持ってない。
そもそも、この子に興味があるわけでもない。
思い出せなくても困らない。
「……分かったよ。そうする」
彼女は頷かない。
また校門を見ていた。
無表情で、声も平らで。
なのに、横顔の瞳だけが、やけに寂しそうに見えた。
**************************************
応援コメント、レビューが励みになりますので、お時間があれば是非。
☆評価もお待ちしております!




