第10話
side 宮崎ハジメ
駅から歩いて十五分。
学校を出てすぐ、メモの住所を頼りに来た。
目の前にあるのは、家賃が高そうなマンションだ。
地図の端の「506」。エントランスのポストを見ると、確かに「沢田」があった。
オートロックの案内通り、井桁を押して部屋番号を打つ。
呼び出し音のあと、気だるい幼い声。
『新聞なら間に合ってます』
ノイズが途切れ、切られた。
僕はもう一度、同じ操作をする。
『……はい』
「すみません。宮崎ハジメと言います。沢田マリさんは、ご在宅でしょうか?」
ガチャリ。オートロックが外れた。
通話は切れる。――上がれ、ということだ。
エントランスに入り、エレベーターで五階へ。
六号室の前で、部屋のインターホンを押す。
反応はない。もう一度押しても、同じ。
居ないはずはない。部屋番号を確認して、ドアノブに手をかけた。
回す。引く。
あっさり開いた。
「……失礼します」
室内は暗い。廊下の途中、ドアの窓から漏れる光だけが目につく。
後ろ手に閉めると、暗さが増した。
僕はその灯りに引かれるように歩き、リビングへ入った。
複数のモニタの前に、小さな背中。
キィボードの音が、途切れず鳴っている。
「黒澤サチについて?」
少女は振り返らずに言った。
「僕は――」
「知っているわ。唯一の目撃者さん」
心臓が跳ねた。
その呼び方には、覚えがある。
少女が椅子を回し、僕と向き合う。薄暗い部屋で、モニタの光が後ろから差して顔が見えない。
見えないこと自体が、あのメールの送り主を思わせた。
「お初にお目にかかるわ。……と言っても、私は何度もコンタクトを取ろうとしてたけど」
僕はポケットの携帯を握りしめる。
「キミが、『探偵』か」
「ええ、そうよ」
童顔で小柄。髪は寝ぐせだらけで、着古したTシャツ。部屋も散らかっている。
なのに、態度だけは妙に不遜で、想像していた探偵の像が塗り替えられていく。
僕は顔を伏せた。
「……黒澤サチは、僕を調べるスパイだったわけか」
「いいえ。違うわ」
少女はきっぱり否定し、舌打ちする。
「あの子には、私が名前を貸してあげてるだけ。本名を知ったところで、貴方は気づかなかったみたいだし。無意味だったけど」
「何を言ってる」
「こっちの話」
少女は吐き捨てるように続けた。
「メールは私の独断よ。あの子は何も知らない」
ますます分からない。
黒澤サチと沢田マリ。二人が僕に近づいた理由も、名前を貸した理由も、答えが見えない。
ただ一つだけ、確信がある。
この少女も、黒澤サチも――あの自殺と関係している。だから僕に接触した。そう考えるのが自然だ。
「あきれた。まだ思い出さないのね。……いや、そもそも知らない可能性もあるか」
ぶつぶつ呟く声は、途中から聞き取れない。
もう回り道はやめた。
「全部、教えてくれないか。キミたちは何者で、どうして、あの日のことを調べてる」
少女の動きが止まる。
鋭い視線が刺さった。
やがて大きく息を吐き、目が少しだけ柔らぐ。
「その前に質問。貴方は、黒澤サチについてどう思っている」
昼に聞かれたのと同じだ。
考える前に答えが出た。
「なんとも思っていないよ」
「そう。悲しいわね。あの子は貴方に特別な感情を抱いているのに」
さらりと言われて、僕は固まった。
少女は椅子を回し、モニタへ向き直る。
そのまま語り出した。
「あの日、自殺を試みた生徒は『二人』いた。一人は二年四組、東雲ユウカ。成績は普通。母子家庭。要因はそのあたりが絡んでいると思う」
用意した文章を読んでいるみたいな口調だ。
僕は黙って聞いた。
「もう一人は三年一組。成績は振るわない。三年から無断欠席が増えた。家庭環境も複雑。他校の女子とラブホテルに入るところを見られたこともある。名前は――黒澤ユキ」
椅子がくるりと回り、視線が交わる。
「黒澤サチは妹よ。死んだ生徒のね」
真っ先に浮かんだのは、あの呼び方だった。
――お兄ちゃん。
「……そうか」
悲しみが押し寄せ、声が漏れた。
つまり、そういうことだ。
黒澤サチが僕に近づいた理由も、沢田マリが毎朝メールを送ってきた理由も、一本に収束する。
真実が知りたい。だから目撃者の僕に触れた。
そして彼女たちは、僕をただの目撃者だと思っていない。
お兄ちゃん、という呼び方も。
早く気づけ、と急かす意趣返しだったのか。
特別な感情――それは、きっと憎しみだ。
「事件はお盆の夕暮れ。校内にいた人物は限られる。そんな状況で、通りすがりの貴方が目撃するのは、奇跡的な確率よ」
「……ただの偶然だ」
「偶然で、嘘をつく理由があるの?」
言葉が詰まった。
「嘘って、なんだよ」
声が荒くなる。訂正しない。
少女は息を吐き、椅子の上で身体を揺らした。接合部がキィキィ鳴る。
机の上の小さな物を手に取り、弄ぶ。
携帯電話。しかも僕と同じ機種だ。
慌ててポケットに手を突っ込む。僕の携帯は、そこにある。
「十四時十二分。十六時五十六分」
「は?」
「事件当日の着信と発信の履歴よ」
どうやって、と思ったが今はそこじゃない。
「前者は学校から貴方へ。進路で担当と揉めてたみたいね。ヒートアップした声が放課後に聞こえてた。だから、人のいないお盆に二者面談を入れられた」
――その通りだ。
「そして後者。貴方から救急隊員へ。これが、貴方が嘘をついてる理由」
少女は携帯を机に放った。ガシャン、と音がした。
「月島は言った。貴方が来ないから電話した、と。そのとき貴方は『もう下駄箱にいますよ』と答えたとも。でも、貴方は面談に現れなかった」
少女の声が、淡々と続く。
「自殺の目撃に隠れてるけど、貴方には空白の二時間半があるのよ」
喉が乾く。口の中がからからだ。
「当ててあげる。――貴方、もっと近くで見てたんじゃない? 屋上につながるドアの窓越し……とかね」
少女は冊子を持ち上げ、表紙をこちらへ向けた。
夏の文芸部誌。『オレンジ色の屋上』。
――全部、本当だ。
あの日、屋上へ向かうユウカを見た。
人のいない校舎で、僕はただ反射的に追った。話す言葉なんて持っていなかったのに。
屋上のドアの前。窓越しに見えるユウカの背中。
切ない顔が辛くて、でも目を逸らせなかった。
足音が聞こえた。誰かが階段を上がってくる。
僕は我に返って下へ降り、すれ違ったのは見知らぬ上級生の男子だった。
屋上のドアが開いて閉まる金属音。
僕は足を止め、またドアの前に戻った。
ユウカは笑っていた。
小さな、小さな微笑み。でも僕にとって久しぶりの本物だった。
その一瞬を引き出した男子に、嫉妬した。
それでも飛び出せず、二人が落ちるその瞬間まで、僕は動けなかった。
もし、もう少し勇気があったなら。
もし、『彼』がいなかったなら。
考えても仕方がない。
でも考えずにはいられない。
だから僕は、あの感情を小説にした。
書いていた作品を捨てて、『オレンジ色の屋上』を部誌に載せてもらった。
九州大会で優秀賞を取った。
けれど手に入れたのは表彰状じゃない。――忘れていた感情を思い出す、きっかけだった。
そして僕は、黒澤サチに出会った。
自然に僕の中へ入ってきて、惹かれている自分に気づいて、怖くなった。
だからまた書こうと決めた。
本当のユウカと過ごした時代を書いて、自分の気持ちを確かめたかった。
重ねようとした。
黒澤サチへの気持ちと、東雲ユウカへの気持ちを。
でも、小説を完成させて確かめたのは、結局いまの僕の背中を押すものだけだった。
そんなこと、ずっと分かっていたのに。
「黒澤サチは学校よ」
沢田マリが言った。
彼女はもう僕を見ていない。
「夏からずっと行ってないけどね。私みたいに諦められてないぶん、色々大変よ」
言いたいことは分かる。
でも僕は、その場から動けない。
「冗談抜きで、私には結末がある程度見えてる。とても不幸な終焉。それでも貴方の背中を押すのは、全部あの子のため」
その姿が、急に懐かしく見えた。
どこかで見た空気。
『行こうっ』
幻聴みたいに、耳元で声がした気がした。
「それじゃあね。もう貴方と会うことはないでしょう」
気づいたとき、僕はもう背を向けていた。
背中を押されたことだけは否定できない。
「――ハッピーエンドになり得ない未来。不幸になる人は多い」
「……だけどそれは、間違いなくあの子のためだけにあるのよ」
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