表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

短編集

「短編」婚約破棄されて辺境に追放された悪役令嬢ですが、のんびりカフェを開いたら無愛想辺境伯様に溺愛されています

作者: 夢見叶

連載版は下記リンクから

 あの日、私は盛大に捨てられた。


 煌びやかな大広間。天井から下がる巨大なシャンデリア。着飾った貴族たちが、興味津々といった顔で私たちを取り囲んでいる。


 その真ん中で、私の婚約者であるはずの王太子アルバート殿下が、冷たい目で私を見下ろしていた。


「公爵令嬢リリアナ・フォン・グランツ。お前との婚約を、ここで破棄する」


 どよめきが広がる。


 リリアナ。それが今世の私の名前だ。前世では社畜OLだったけれど、過労死して目が覚めたら、この異世界の公爵令嬢になっていた。


 そして今、その公爵令嬢人生が、派手に終わろうとしている。


「……理由を、うかがってもよろしいでしょうか、殿下」


 私は形式だけ、そう尋ねる。内心はわりと落ち着いていた。


 だって、予想していたから。


 このゲームみたいな世界。前世で遊んだ乙女ゲームそっくりの国。悪役令嬢ポジションの私は、王太子と聖女の恋を邪魔する役で、最後は婚約破棄からの追放コース。


 それを覚えている以上、こうなる未来は知っていた。


 ただ、問題はそのあとの生き方だ。


 私が問い返すと、アルバートは隣に立つ少女の肩を抱き寄せる。


「理由など明白だ。お前が、真の聖女クラリスをいじめ続けていたからだ!」


 きゃっ、と小さく声を上げて胸に飛び込むクラリス。計算された可愛さ。相変わらずだな、と私は内心ため息をつく。


「リリアナ様は、いつも私を睨んで……怖くて……」


 クラリスは潤んだ瞳で私を見上げる。


 いや、それは単純に、あなたが仕事サボりすぎてたから注意しようと様子を見てただけなんだけど。


 とはいえ、ここで言い訳したところで、シナリオは変わらない。


 私は肩をすくめ、小さく息を吐いた。


「……それが、殿下のご決定なのですね?」


「ああ。今この瞬間をもって、お前との婚約を破棄する。また、お前は聖女クラリスを虐げた罪により、王都から遠く離れた北の辺境に追放とする!」


 おお、と周囲が盛り上がる。これだから宮廷劇は嫌いだ。


「……承知しました」


 私はスカートの裾をつまんで一礼した。


 ざまぁ、というなら、今はまだ私の方がくらっているように見えるだろう。


 でも、私は知っている。


 この先、王都は聖女を使い潰し、魔物の氾濫でボロボロになる。クラリスは癒やしの力を最後まで制御できず、殿下は責任を取らされ、国中から責められる。


 そして、そのころ私は――。


(辺境で、のんびりスローライフしてる予定なんだよね)


 内心で軽くガッツポーズをする。


 社畜OLだった前世の私は、休日のカフェでぼーっとする時間が一番好きだった。だから今世での目標は決めていたのだ。


 静かな土地で、のんびりカフェを開くこと。


 婚約破棄も追放も、そのためのきっかけにしかすぎない。


「それでは殿下。どうか末永く、お幸せに」


 私はにこりと笑って頭を下げる。


 アルバートは一瞬、言葉を詰まらせたように見えた。でもすぐに、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「最後まで芝居がかった女だな。護衛たち、こいつを連れて行け!」


 私は兵士たちに囲まれ、大広間を後にした。


 背後で、クラリスの甘ったるい声が聞こえる。


「アルバート様……私、怖かったです……」


「もう大丈夫だ、クラリス。これで誰も、お前を傷つけられない」


 ――いやいや。


 これからあなたたち、シナリオどおりなら地獄を見るんだけどね。


 心の中でそっと合掌してあげた。


 合掌だけはするあたり、私もまだ優しいと思う。


      ◇


 そして、ガタゴトと揺れる馬車に揺られること数日。


「……着いた、のかな?」


 窓の外には、雪をかぶった山々と、広がる森。遠くに煙が見えて、小さな街が見える。


 王都とは比べものにならないけれど、どこか温かい雰囲気だ。


 馬車が止まり、扉が開く。


「リリアナ様ですね。お疲れさまでした」


 そう声をかけてきたのは、黒髪の青年だった。


 年齢は、たぶん20代半ばくらい。鋭い目つきで、身長も高い。無愛想という言葉が似合いそうだけれど、瞳の奥は静かに優しい。


「……あなたは?」


「北辺境を治める辺境伯、ディルク・ノルドハイムだ」


「へ、辺境伯様……!」


 王太子よりも、よっぽど存在感がある。


 思わず姿勢を正すと、ディルク様はわずかに眉をひそめた。


「そんなに緊張しなくていい。ここでは、お前は罪人ではない」


「……」


「確かに、王都からはそういう形で送られてきたが、俺は、あの場の事情を少しだけ聞いている。無理に話さなくていい。ただ、ここでは自由にしていいということだ」


 自由に、という言葉に、胸がどくんと跳ねる。


「自由……」


「ああ。暮らしに必要な家と最低限の使用人は用意している。不自由があれば、遠慮なく言え」


 そう言ってディルク様は、少しだけ視線をそらした。


「それと……その。これからは、殿下ではなく、俺の領民になるわけだからな。あまり、昔のことは気にするな」


 不器用な気遣いが、胸に染みる。


(なにこの人、優しい)


 前世のブラック企業の上司に、爪の垢を煎じて飲ませたい。


「ありがとうございます、ディルク様」


「ディルクでいい」


「では……ディルク様」


「様は外せないのか」


「いきなり呼び捨ては、ちょっと……」


「……そうか」


 ほんの少しだけ、口元が緩んだように見えた。


 こうして私は、辺境での新しい生活を始めることになった。


      ◇


 ディルク様に案内された家は、こじんまりとして温かみのある木造の家だった。


 暖炉があり、厚手のカーテン。小さな庭もついていて、畑も作れそうだ。


「わあ……素敵です」


「粗末な家で悪いな」


「いえ。王都の屋敷より、ずっと落ち着きます」


 本音だった。


 きらびやかな宮廷より、こういう素朴な家の方がずっと好きだ。


「使用人は、最低限だがな。メイドが1人と、買い出しなどをする少年が1人。困ったことがあれば、すぐに領主館に来い」


「はい。ありがとうございます」


 ディルク様はそれだけ言うと、踵を返しかけて、ちらりとこちらを振り返る。


「……リリアナ」


「はい?」


「無理は、するな」


 短くそう言って、ディルク様は出て行った。


 不器用に投げられた言葉なのに、どうしようもなく胸があたたかくなる。


「……いい人だなあ」


 私は小さくつぶやいた。


      ◇


 数日後。


 私は台所で頭を抱えていた。


「小麦粉が……高い」


 そう、この世界では小麦が貴重だ。王都ならまだしも、辺境ではなおさらだ。


 スローライフといえば、カフェ。カフェといえば、ふわふわのパンケーキとか、焼き菓子とか、ホットコーヒーとか。そう思っていたのだけれど。


 現実はなかなか厳しい。


「でも、諦めたくない……!」


 私は前世から持ち越したスキルを、そっと起動する。


 ステータスとか、そういう派手なものではない。私の固有スキルは、とても地味だ。


 ――生活鑑定。


 食材や日用品を手に取ると、その状態や向いている調理法、保存方法などがふわっと頭に浮かぶ。


 前世で言うなら、主婦歴30年みたいな知識と勘が、スキルとして乗っかっている感じだ。


 私は倉庫から、安価で大量にあった雑穀や豆類を取り出していく。


「これとこれを、こう混ぜて……ローストして……挽いて……」


 鑑定スキルが教えてくれるレシピを、頭の中で組み立てる。


 目指すのは、疑似コーヒー。大麦や穀物を炒って挽いた、香ばしい飲み物だ。


「本物のコーヒー豆は高いけど、これなら庶民にも届く値段で出せるはず……!」


 メイドのマリアが、不安そうに私を見る。


「お嬢様、本当にこんなものが、飲み物に……?」


「大丈夫。ちゃんとおいしくなるよ」


「ですが、辺境伯様のお屋敷にお出しするものならともかく、街の人たちに売るなんて、貴族のお嬢様がなさらなくても……」


「いいの。貴族とかそういうの、ここでは気にしなくていいってディルク様も言ってたし」


 それに、私はカフェがやりたいのだ。


 のんびりと、あたたかい飲み物を出して、ほっとしてもらう。そんなお店を。


「ねえマリア。ちょっと試飲してみてくれる?」


「は、はい」


 私は即席の小さな焙煎器で炒った穀物を、挽いてお湯を注ぐ。


 ふわっと、香ばしい香りが台所いっぱいに広がる。


「……いい匂い」


「お嬢様、これ……」


「熱いから気をつけてね」


 マリアが、おそるおそるカップを口に運ぶ。


 数秒後、目を見開いた。


「おいしい……!」


「よかったあ」


 ほっと胸をなでおろす。


「ちょっと苦いけど、砂糖を少し入れたら飲みやすくなると思う」


「さっぱりしているのに、体があたたまります……」


「でしょ?」


 私はにっと笑った。


「これを中心に、簡単なお菓子を出すお店をやりたいの。どうかな?」


「素敵だと思います! きっと街の人たちも、喜ばれます!」


 マリアの目が輝く。


 こうして私は、辺境で小さなカフェを始めることにした。


      ◇


 最初のお客さんは、近所のおばさまだった。


「まあまあ、公爵令嬢様が本当に店を開くなんてねえ」


「今はただのリリアナです。どうぞ、ゆっくりしていってください」


「じゃあ、その穀物の飲み物を1つと……そのクッキー? っていうのも」


「はい、ありがとうございます」


 穀物コーヒーと、安い素材で作った素朴なクッキー。それでも、スキルのおかげで味には自信がある。


 おばさまが一口飲んで、目を丸くする。


「まあ……おいしい」


「本当?」


「うそなんかつかないよ。これ、寒い日には最高じゃないかい」


 そのあとも、噂を聞きつけた人たちが、ぽつぽつと店にやってくる。


「リリアナ様、今日もその香り高い飲み物を」


「リリアナお嬢さん、昨日の甘いパンみたいなの、またあるかい?」


「リリアナ様のスープ、体がポカポカするねえ」


 みんな笑って、お金を払ってくれた。


 私はそのたびに、胸の奥があたたかくなった。


(ああ……これが、やりたかったんだ)


 前世では、忙しすぎて、カフェを開くなんて夢のまた夢だった。


 だけど今、私は本当に自分の手で、カフェをやっている。


 のんびりと。けれど、確かに。


「お嬢様、今日も完売です!」


「よかったね、マリア」


 閉店後、私はカウンターに肘をついて、ほっと息をつく。


 そんな私を、じっと見ている視線に気づいた。


「……ディルク様?」


 店の一番奥の席。いつのまにか、ディルク様が座っていた。


「来ていたのなら、声をかけてくださいよ」


「邪魔にならないよう、静かにしていた」


「全然邪魔じゃないです」


「そうか」


 私が笑うと、ディルク様は、少しだけ視線を落とした。


「穀物の飲み物をもらえないか」


「はい。いつものですね」


 領主様割引で、ディルク様からはお金をもらっていない。


 その代わりに、店の改装費用や看板を出してくれたのがディルク様だ。


 気づけば、普通の木の家だったのが、かわいらしいカフェ風に生まれ変わっていた。


「この店は、領の誇りだ」


 あのとき、ディルク様は照れくさそうに言った。


 私はそれが嬉しくて、何度も頭を下げた。


 今も、カップを置いた私を見上げて、ディルク様は穏やかに言う。


「今日も、よく働いたな」


「いえ、楽しくてやってるだけです」


「楽しそうに働いている顔だ」


「そんなに、じろじろ見ないでください」


「悪い」


 口では謝っているのに、視線は逸らさない。不器用なくせに、たまにずるい。


 私は頬が熱くなるのを感じながら、話題を変えようとした。


「え、えっと……ディルク様は、その……こういうお店ってどうですか?」


「こういう?」


「その。辺境でカフェなんて、迷惑じゃないかなって」


「迷惑どころか、ありがたい」


 ディルク様は、きっぱりと言った。


「元々この街には、みんなが集まれる場所が少なかった。寒さも厳しいし、家にこもりがちになる。だが、この店ができてから、人が笑って話しているのをよく見るようになった」


「……本当ですか」


「ああ。俺も、ここで温かい飲み物を飲みながら、お前が笑っているのを見るのが、悪くない」


「……」


 さらっと、すごいことを言わないでほしい。


 心臓がドクドクとうるさくなる。


「その……ありがとうございます」


「こちらこそだ」


 静かな時間が流れる。


 パチパチと、薪ストーブの音だけが響いていた。


      ◇


 そんな穏やかな日々が、数ヶ月続いたある日。


 領主館に呼ばれた私は、応接室で、とんでもない顔ぶれを見た。


「リリアナ!」


 血相を変えて飛び込んできたのは、元婚約者のアルバート殿下。少しやつれたような顔をしている。


 その隣には、泣きそうな顔をした聖女クラリス。そして、父であるはずの公爵もいた。


「……これは、どういうことでしょうか」


 私は冷静に問いかける。


 ディルク様は静かに私の隣に座り、アルバートたちを鋭い目で見据えていた。


「お前たちからの正式な書状では、『聖女の力の補佐を頼みたい』とだけあったが。まさか、リリアナに関わる話だとはな」


 ディルク様の声は低く、怒りがにじんでいる。


 アルバートは一瞬たじろいだが、すぐに私を見て叫んだ。


「リリアナ、戻ってきてくれ!」


「……………………は?」


 思わず素で聞き返してしまった。


 クラリスが袖をつかむ。


「リリアナ様。あの……ごめんなさい。私、本当は、いじめられてなんてなくて……」


 おっと。


 今さら、それを言うのか。


「王都は今、魔物の氾濫で大変なんだ!」 


 アルバートが続ける。


「クラリスの聖女の力だけでは足りない。だが、最近になって分かった。お前も、癒やしの系統の力を持っていると!」


 なるほど。


 私の生活鑑定スキルは、副次的に、食材以外のものにも少しだけ影響を与える。触れた人の体調や、簡単な怪我なら、料理を通して回復できるのだ。


 辺境では単に「よく効くご飯」として喜ばれていたけれど、王都にも噂が届いたらしい。


 アルバートは、必死の顔で続ける。


「すまなかった、リリアナ。あのときは、クラリスの言葉を信じてしまった。今からでも遅くない。俺の婚約者として戻ってきてくれ。共に国を救おう!」


「アルバート様……」 


 クラリスが不安そうにつぶやく。


 アルバートは一瞬だけクラリスを見て、そして私に視線を戻した。


「もちろん、今後クラリスは責めないと約束する。だが、聖女としての正式な地位は、お前に与えよう」


 ふんわりとしたクラリスの肩が、びくりと震えた。


 公爵である父は、難しい顔で口を開く。


「リリアナ。国のためだ。お前の力を貸してやってくれないか」


「父上まで……」


「お前があの日、あっさりと受け入れたのが、どうにも引っかかっていた。辺境での噂を聞いて、ようやく理解したのだ。お前には、こうなる未来が見えていたのだな?」


 バレていた。


 でも、もう隠すつもりもない。


 私は静かに首を傾げた。


「それで……私に、何をしてほしいんですか?」


「王都に戻り、聖女として、国を救え」


 アルバートが即答する。


「そうすれば……お前にした非礼は全て詫びる。婚約もやり直そう。何もかも、元通りに――」


「嫌です」


 私ははっきりと言った。


 部屋の空気が、一気に凍りつく。


「リ、リリアナ?」


「嫌です、と申し上げました。戻るつもりはありません」


「だが……!」


「アルバート殿下」


 私は、彼の名を静かに呼ぶ。


 かつて婚約者だったときのような、甘さを乗せずに。


「私はあの場で、殿下の決定を受け入れました。婚約破棄も、追放も。あれは、殿下がお決めになったことです」


「そ、それは……」


「私が悪役だと信じ、聖女様の涙を信じ、私を切り捨てた。あの日、殿下は私を守らなかった。違いますか?」


 アルバートは、ぐっと言葉を詰まらせる。


 クラリスが、泣きそうな顔で言った。


「リリアナ様……ごめんなさい。全部、私が悪いんです。どうしても、アルバート様に見てほしくて……」


「謝罪は受け取ります」


 私は短く答えた。


「ですが、それとこれとは別問題です」


「……どういう意味だ?」


「私は今、とても幸せなんです」


 私は、隣に座るディルク様を見る。


「この街で、カフェを開いて。みんなと笑って、ご飯を食べて。穏やかで、あたたかくて。前世でも今世でも、こんなに心が落ち着いたことはありませんでした」


「……前世?」


「あ、いえ。独り言です」


 ややこしくなるから、そこは流す。


 私は続けた。


「ここでの生活を捨てて、またあの宮廷に戻るなんて、まっぴらごめんです」


「しかし国が――」


「国が大事なのは分かります。ですが、それを理由に、私の人生をまた勝手に振り回さないでください」


 アルバートは、苦しそうに口を開く。


「俺は……間違っていた。お前を信じていなかった。だから今度こそ――」


「今度こそ、があると思っているところが甘いんです」


 私は微笑んだ。


「殿下にとっては、やり直しがきくことかもしれません。でも、私にとっては違います。あの日のことは、私の人生において、もう二度と御免こうむりたい出来事でした」


 自分でもびっくりするくらい、すらすらと言葉が出てくる。


 だけど、不思議と涙は出なかった。


 多分、もう泣き終わっていたのだ。前世も、今世も。


「それに、聖女として国を救うのは、クラリス様のお役目でしょう?」


 クラリスが震える。


「わ、私は……」


「あなたは、あの日、私を悪役に仕立て上げて、殿下の隣の座を手に入れた。だったら、その責任も一緒に受け取るべきです」


「そ、それは……」


「私の力は、あくまで料理に乗せた、ささやかな癒やしです。大それたものではありません。それなのに、私1人に国の命運を押しつけるなんて、間違っています」


 ディルク様が、そこで口を開いた。


「リリアナの言うとおりだな」


 低く、よく通る声だった。


「そもそも、あの場で1人の令嬢を公衆の面前で断罪し、追放したのは、お前たちだ。それを今さら『戻ってこい』とは、虫がよすぎる」


 アルバートが、悔しそうに歯を食いしばる。


「だが、国が……!」


「国のためだと言うなら、なおのこと。1人に負担を押しつけるのではなく、王族として、民を率いる者として、できることをしろ」


 ディルク様の目が、鋭く光る。


「それに」


 彼は、私の肩を、すっと引き寄せた。


 驚いて顔を上げると、真剣な瞳がそこにあった。


「リリアナは、俺の婚約者だ」


「……え?」


 思わず変な声が出た。


 アルバートも、クラリスも、公爵も、目を見開いている。


「先日、正式に王都に婚約の届けを出した。まだ返答は届いていないようだがな」


 ディルク様は、さらっととんでもないことを言う。


「おまっ……」


 聞いてない。そんなの聞いてない。


 私が真っ赤になると、ディルク様は少しだけ目線をそらした。


「……お前がこの地を好きだと言った。ここでの生活を守りたいと言った。その言葉が、嬉しかった」


「ディルク様……」


「だから俺は、この地を守るためにも、お前を守る。二度と、あの日のような真似はさせない」


 胸がいっぱいになって、言葉が出ない。


 ディルク様は、それでも続けた。


「リリアナ」


「は、はい」


「お前は、ここにいてくれ」


 その言葉は、とてもシンプルで。


 でも、どんな甘い言葉より、心に響いた。


 私は、自然と笑っていた。


「……はい」


 ディルク様の腕の中で、こくりとうなずく。


「ここが、私の居場所ですから」


 アルバートは、両手を握りしめて、俯いていた。


 やがて、絞り出すように言う。


「そうか……俺は……お前を、失ったんだな」


「最初に捨てたのは、殿下ですよ」


 私は淡々と告げた。


「これは、ざまぁと言うんでしょうね」


 自分で言っておいて、ちょっとだけスッキリする。


 アルバートは、悔しそうに、でもどこか納得したように目を閉じた。


 クラリスが泣きながら頭を下げる。


「ごめんなさい、本当にごめんなさい……!」


「謝罪は、もう結構です。あとは、行動でお示しください」


 私は静かに言う。


「どうか、あなたたちの力で、この国を守ってください。私は、この辺境と、この街の人たちを守りますから」


 ディルク様が、満足そうにうなずいた。


「話は終わりだな。これ以上、リリアナを困らせるつもりなら、北の山に放り込むが」


「そ、それは勘弁してくれ」


 公爵が慌てて口を挟む。


「リリアナ……幸せそうで、安心した」


 父のその言葉には、少しだけ本音が混じっている気がした。


 私は、ほんの少しだけ微笑む。


「お心遣い、感謝いたします。どうかお元気で」


 こうして、元婚約者と家族に対する、私なりのざまぁは幕を閉じた。


      ◇


 その日の夜。


 カフェのカウンターで、私はため息をついた。


「……すごい1日だった」


「ああ」


 カップを片手に、ディルク様が隣に座っている。


「というか、婚約の件、本当に出してたんですか?」


「出した」


「一言くらい、相談してください」


「断られると思った」


「少なくとも、心の準備はしたかったです」


「……悪い」


 謝るときだけ素直なの、ずるい。


 私はカップを両手で包みながら、ふと尋ねた。


「どうして、私なんですか?」


「どうして、とは」


「辺境伯様なら、もっと素敵な人、たくさんいるじゃないですか。貴族の娘とか、聖女様とか」


「聖女は遠慮する」


 即答だった。ちょっと笑ってしまう。


「お前は、この土地を見て『素敵ですね』と言った」


「はい」


「雪が多くて寒くて不便だと。多くの者がそう言う。この地を馬鹿にした者もいる」


 ディルク様の目が、少しだけ険しくなる。


「だが、お前は最初から、この街のいいところを見てくれていた」


「だって、本当に素敵ですよ。空気も澄んでるし、夜空もきれいだし。みんな優しいし」


「ああ。そうだな」


 ディルク様の声が、少し柔らかくなる。


「だから、嬉しかった。俺が守ってきたものを、褒めてもらえた気がした」


「……」


「そして、ここで店を始めて、人を笑顔にしてくれた。俺はそれが、誇らしい」


 私は視線を落とす。


 頬が、カップよりも熱くなっている気がする。


「俺は不器用だし、お前を楽しませるようなことは、あまりできないかもしれないが」


「そんなことないです」


「だが、これだけは約束する」


 ディルク様は、真剣な目で私を見る。


「お前が望むスローライフとやらを、全力で守る」


「スローライフ、知ってたんですか」


「マリアから聞いた」


「マリア……!」


 あとでちょっとだけ説教だ。


 でも、笑いがこぼれる。


「だから、俺の傍で、のんびり生きてくれないか」


 静かな告白だった。


 大げさな言葉は、ひとつもない。


 でも、心にすとんと落ちてくる。


 前世では、仕事に追われるばかりで、こんなふうに誰かに必要とされたことはなかった。


 今世の王都でも、私はただの飾りだった。


 だけど、ここでは違う。


 この街での私の毎日は、確かに誰かの役に立っている。


 そして、そのことを、ちゃんと見てくれている人がいる。


「……はい」


 私は、笑顔でうなずいた。


「こちらこそ、よろしくお願いします、ディルク様」


 その瞬間、ディルク様の表情が、ほんの少しだけ崩れた。


 いつもの無愛想が、消えて。


 子どものように、安心したような笑顔だった。


「リリアナ」


「はい?」


「今度、雪がやんだら、山の上に連れていく」


「山の上?」


「ああ。そこから見る星空は、格別だ」


 その言葉に、胸が高鳴る。


「楽しみにしてます」


 薪の燃える音。外は冷たい風が吹いているはずなのに、店の中は暖かい。


 カウンターの上には、穀物コーヒーと、焼きたてのクッキー。


 目の前には、不器用で優しい辺境伯様。


 背後には、笑い声が絶えない昼のカフェの光景が、確かに思い浮かぶ。


(ああ……)


 私はしみじみと思う。


(本当に、こっちを選んでよかった)


 王都のきらびやかな日々ではなく、辺境ののんびりとした毎日を。


 王太子の婚約者ではなく、辺境伯の婚約者を。


 ざまぁ、なんて言葉は、もしかしたら意地悪なのかもしれない。


 それでも。


 あの日私を捨てた人たちが、今になって私の価値に気づいても、もう遅い。


 だって私はもう、ここで。


 穏やかで、甘くて、ちょっとだけ苦い、スローライフという名の幸せを、たっぷり味わっているのだから。


 これからも、ディルク様と一緒に。


 辺境の小さなカフェで、のんびりと。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

リリアナとディルク様の、のんびりスローライフ&ざまぁ&溺愛を書きたくて一気に仕上げました。


少しでも

・ざまぁスッキリした

・スローライフいいな

・ディルク様、思ったより甘い

などなど、どれかひとつでも感じていただけたなら、とても嬉しいです。


この作品は短編として完結ですが、

「2人の新婚スローライフがもっと見たい」

「カフェの日常やその後の王都が気になる」

という方が多ければ、番外編やゆるっとした続編も考えたいなと思っています。


作者のやる気は、

・ブックマーク

・☆評価(できれば高めを……!)

・感想や一言コメント

このあたりで爆発的に上がります。


「読んだよ」の足跡代わりに、

ブックマークと評価☆をポチッとしていただけると、とても励みになります。

感想も全部読ませていただいています。


ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。


もし良ければ


婚約破棄された伯爵令嬢ですが、森でパン屋を開いたら辺境伯に溺愛されました 〜悪女呼ばわりした元婚約者よ、助けを求められてももう遅い〜

https://ncode.syosetu.com/n3446lj/

こちらもお読み頂ければと思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ