11.専属の料理人
情報が次から次へとインストールされて整理が追いつかない俺を見かねてか、ギブは話をまとめる。
「考え方は、こうだ。てめぇは、世にも珍しい、とんでもなく価値のある植木だ。そして、この領土は『てめぇ専用の植木鉢』ってわけよ」
「植木鉢…?」
「てめぇの魂が、この土地に根を張ることで、枯れた植木鉢の土壌に花が咲く。だがな、根っこは鉢から出られねぇだろ? お前を阻むその壁こそが、植木鉢の縁。お前をこの土地に縛り付ける、魂の鎖というわけだ」
ギブは、「つまりだ」と再生されて縁取られた扉の向こう――建物の外の世界を指しながら話を続ける。
「もしお前が、そこまで歩いて行きたいと願うのなら、やることは一つ。その植木鉢――領土の影響下を、てめぇ自身の力で、もっとデカくするしかねぇ」
「てめぇの料理の力で、この死んだ土地を、もっと潤し、もっと満たして、領土の境界線そのものを外側へ押し広げていくんだよ。行動範囲を広げたきゃ、まずてめぇの力でその『他の土地を自分の領土』だと神に認めさせるしかねぇのさ」
全てを理解した。
ここは、神から授けられた俺の「領土」。
この聖痕は、その契約の証。
そして、この身体は、この領地から一歩も出られないように、地縛されている。
それが、今の俺に突きつけられた、絶対的な現実だった。
「おい、小娘」
ギブは、呆然と立ち尽くす俺の目の前にしゃがみ込むと、にやりと、まるで極上の獲物を見つけたかのように笑った。
「面白い状況になったな。お前は世界でも数えるほどしかいねぇ希少な『味の領地』持ちの正真正銘の『料理人』だ。とんでもねぇ宝物だぜ」
ギブは、俺を阻む見えない壁を指差す。
「だが、その宝物は、この鳥カゴから一歩も出ることができねぇ。いずれ腹が減って、野垂れ死ぬ。違うか?」
その通りだった。
どれほどの価値があろうと、食うものがなければ、俺はここで朽ち果てるだけの囚人だ。
ギブは、俺が何も言い返せないのを見て、満足げに続けた。
「そこで、取引だ」
「取引…?」
「ああ。俺は、この芥溜でもそこそこ幅を効かせられて、腕っぷしにも多少の自信がある…つまり、自由に食材を調達できる。そして、俺は美味いものが好きだ」
ギブは、不敵な笑みを浮かべた。
「俺が、てめぇに最高の食材を運んで来てやる。その代わり、てめぇは、俺の専属料理人になれ。どうだ? 悪くねぇ話だろう」
(専属料理人…か)
その瞳の奥に、俺を利用して何かを成し遂げようとする、ギラついた野心が透けて見えた。いや、この状況でそれを隠すことの方が不自然だろうか。
今の俺に、選択肢はない。
…いや、一つだけあった。
こいつは、俺の「料理」を求めている。
それが、この絶望的な状況における、俺の唯一の交渉材料だ。
俺は、意を決して口を開いた。
「…分かった。その取引、受けよう。ただし、条件がある」
「ほう、この状況で、俺に条件を?」
ギブは、心底面白そうに、喉を鳴らした。
「一つ。俺は、最高の料理を作る。だから、あんたも、最高の食材を用意しろ。ゴミみたいな食材で、俺の料理を汚すことは許さない」
「…へえ」
「二つ。俺は、記憶がなくてこの世界のことを何も知らない。あんたが知る全てを、少しずつでいいから俺に教えろ。この世界の歴史、文化、生活様式に至るまで…あんたが当たり前だと思っていることも含めて全てだ」
俺は、一呼吸置いて、最後の条件を告げた。
「そして、三つ目。食事は、必ずあんたも一緒に取ること。その食卓で、情報のやり取りをする。それを、俺たちの日課にしてもらう」
その予想外な言葉に、ギブは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で眉をひそめた。
「…は? なんだそりゃ。てめぇと飯を食うのが、なんで条件になる」
「食卓を共にすることで食事をしながら話もできる。最も合理的だろう?」
俺は、前世で叶わなかった、たった一つの夢を、合理性というオブラートに包んで提示した。
ギブは、そんな俺の目をじっと見ていたが、やがて、腹を抱えて笑い出した。
「ククク…ハッハッハ! 面白い! 最高の食材に、情報、おまけに俺との食事ときたか! 死にかけのゴキブリが、随分とデケェ口を叩くじゃねぇか!」
ひとしきり笑った後、ギブはすっと真顔に戻り、俺の目を真っ直ぐに見据えた。
「いいだろう。気に入った。その条件、全て呑んでやる」
そして、彼はゆっくりと立ち上がり、俺に向かって、ごつごつとした大きな手を差し出した。
「改めて名乗ろう。俺はノーブル・ゴブリンのギブ。よろしくな」
「……ああ。俺はテラだ。よろしくな、ギブ」
俺は、その無骨な手を、この華奢な身体の手で、力強く握り返した。
ギブは満足げに頷くと、握っていた俺の手を放す。
そして、床に散らばったスープの欠片を名残惜しそうに見つめた。
腹の虫が、ぐぅ、と盛大に鳴る。
「じゃあ、まずは――スープ、おかわりを頼む」