05 怪異と出会いと4
「あっ、シロ。おかえり。……あれっ? 誰かを連れてきたわけじゃないのか?」
藪から出てきたシロが瀧の足許にまとわりつく。シロに怪異を祓うような能力はなかったと思うが、と思いつつ、求められるまま頭を撫でてやる。
そうしてシロは瀧の足許を何周かしたところで、二十メートル先の藪のほうへ向かって一声鳴いた。
「…………わ……」
そこから出てきた人物は、遠目のぱっと見でも言葉を失わせるには充分な、長身長髪の美形だ。瀧も一八〇センチはあるのに、彼はそれよりずっと高く見える。
シロが一度離れ、その人物を見上げてまた一声鳴き、頭を下げてから戻ってきた。
「何? どういうこと?」
真岡が瀧へ囁く。瀧も声をひそめたのは、なんとなくそう話さなければいけないような空気を感じたせいだ。
「さあ……オレもこんなの初めてでよくわかんないけど……ヒトじゃないのかも」
「えっ……」
真岡の表情が引きつる。ヒトではないとなれば、獣人か神族に決まっていた。だから真岡の驚きと動揺はよくわかる。だが、ヒトがこんな美貌を持ち合わせていることは考えられないから、やはり獣人――どちらかといえば神族のような気がする。纏う空気も静謐で、大声で乱すのは憚られた。
「なんで俺らを助けてくれたわけ……」
「いやオレに訊かれても」
獣人や神族は基本的に人間を下に見ているから、人間が怪我をしようと死のうと関心を持たない。だから困っている人間を助けるなんてことはまったくありえないのだが。
(気まぐれ……としか言いようがないよなあ)
五メートルほどの場所までやってきたその人は、間近に見ればいっそうその美貌がよくわかった。
肌の色は白くて皮膚の下から光り輝いているようにも見える。右耳の下へ流した髪は緩い三つ編みにされていて、膝あたりまである。ひと房ずつ前髪が額を分けていてずいぶんと嫋やかな印象を受けるのに、長身であることと、なよなよとしたところのない、どちらかといえば地から天までを貫くような真っ直ぐとした靱さのある双眸を持った青年だ。
瀧などもよく男女問わず口説かれることはあるが、この男の美しさはきっと、誰も近寄らせない、近付くことを躊躇わせる神聖さともいえる孤高の美しさだろう。
年齢はよくわからないが、もしかしたら同じくらいか、少し上か。ただしそれも外見だけのことだ。
「あの……もしかして、今俺たちを助けてくれたのは、あなたですか」
メンバーのうち一名はまだ喋るどころではないしもうひとりは介抱中、残るは部長とヒラとくれば、代表して喋るのは部長の真岡になる。
「……狐がやってきた。怪異に襲われているから助けて欲しいと」
「シロの言葉がわかるんですか?」
思わず言うと、彼は瀧を見た。
「その狐は君の狐か」
「あ……はい」
「何故、黒い狐を?」
真っ正面から美形に見つめられると逃げたくなるんだな、とわかりたくもなかったことを理解しつつ、瀧は答える。
「式神を呼び出す儀式で呼び出せたのがシロだけだったから、です」
「式神……? 君は陰陽師か?」
「いえ、家はそうですけど、オレは才能がなくて……ただの大学生です」
「そうか」
何かを納得したのか、絶世の美形はひとつ頷くと瀧や真岡、西山、嶋田を順に一瞥した。
「……すぐに下山して家へ帰りなさい。無事でいたいのであれば」
「ええ?」
「忠告はした。行きなさい。あのふたつの木を過ぎれば車がある」
「あ……は、はい」
静かに威圧する空気に圧され、四人は今度こそ真岡の車まで戻ってくる。
「な、なんだったんだ……」
「あの雰囲気、けっこう上位神族なんじゃ……」
西山の呟きに、真岡が頭を振る。
「やめろやめろ、考えたくない。……だいたい、上位神族だったら人間なんか助けるわけないだろ。それに神族の特徴も出てなかったし……」
「まあ、それもそうだけど……気まぐれとかあるじゃん」
「助けてくれたわけだから感謝はするけど……特に嶋田、めちゃくちゃ深く感謝しておけよ」
「もちろんです……」
はぁ、と溜息を吐いた嶋田は、まだすっかりいつも通りというわけではなさそうだ。
「なんだったんすかね、アレ」
「怪異だろうけど……なんの怪異だろう」
「山で定番なのは、声を返したら攫うとか、吊すとか、引き込むとかが定番だけど」
「山姥も定番ですね」
「追いかけてくる系の定番だな、山姥。前回は追いかけてくる系だったけど……」
「今回は……引き込む系?」
「かもな」
すっかり囲まれて、追い込まれた感があった。あのままだと逃げられなかった可能性が高い。奥の手としてシロに攻撃を委ねる方法があったからだ。
「とりあえず、記録して移動するか……皆、迂闊な行動はするなよ」
「スマホにメモっときます」
早速メモアプリで今の出来事のメモを忘れないように取っていく。後でそれぞれがレポートを書くための材料だ。
「次は魚釣りでしたね!」
嶋田の声が明るくなる。入会の時にアウトドアが好きだと言っていたから、魚釣りや山登りも好きなのだろう。
(そこでどうしてオカルトまで混ざってくるのかわかんないけど……)
明るく元気な後輩は、三人に可愛がられていた。西山も似たようなタイプだが、こちらはもう少し無謀なところがある。
そうそう、と嶋田の言葉に瀧が頷いた。
「魚釣り、ちょっと楽しみだったんだよな」
「今日は宿どこに取ったんですか? たくさん釣れたら宿で捌いてもらいましょうよ」
瀧の提案に「いいな!」と盛り上がるのは西山と嶋田で、真岡はにやりと笑った。
「キャンプ」
「え?」
笑顔で答えた真岡に、思わず聞き返した。
「キャンプ」
このフィールドワークが決まった当初、到着した日の夜は近隣の安宿に宿泊すると決まっていた気がするのだが、気のせいだろうか。
(……真岡先輩がこういう顔する時って、あんまり良くない時なんだよな……)
去年一年付き合ってきたのだから、それくらいのことはわかる。
「……どちらのキャンプ場で?」
「ここから三十分ほど走ったとこにある、かつてキャンプ場だったキャンプ場」
「それは宿泊施設とは言わないんですよ……!」
このあたりのキャンプ場といえば、瀧が知っているのはひとつしかない。『いわくつき』という形容が付く場所だ。
(どーりで……トランクの中が大荷物だったわけだよ……!)
四人の荷物を詰め込む時にやけに邪魔な大きな荷物があったことを思い出し、がっくりと肩を落とした。
「仕方ないだろ、あんなことがあるなんて思わなかったから、度胸試しのつもりだったし。ま、大人しくしてればそんなに立て続いてあれこれ起こるわけがないから、かえって安全だと思って」
真岡は悪びれず言い放つと車に乗り込む。その後を追って車に乗り込みながら、三人は口々に罵倒した。
「雑!!」
「無鉄砲!!」
「向こう見ず!!」
心の底からの三人の罵倒に、真岡はにっこりと笑む。
「おまえら、置いて行くぞ」
「くっ……自分の立場が優位だと思って……」
「西山さん、諦めるしかないですよ」
「そうっすよ……こんな時の真岡先輩って最強じゃないですか……」
嶋田は一年だから圧倒的に真岡との付き合いが短いはずなのに、数ヶ月の中でも彼のことを把握できているようだ。賢い後輩、と単純に評していいのかどうか。
三者三様に吐いた溜息は、エンジンがかかった音に消されていった。
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