32 転機5
「ごちそうさまでした」
「うん」
食器は盆ごと下げてもらう。瀧はベッドから降りないまま、まるで介護されているかのよう。
(何から何まで世話になってて……このまま何も出来なくなったらどうしよう)
危惧していると、キッチンから戻ってきた梓玥がまたベッドの側に来る。今気付いたが、小さな椅子を置いていて、そこに座っているらしかった。
看病されていたみたいで照れるが、三日も目を覚まさなかったのだから、心配されて当然か。
「で……梓玥さんはオレに、何か聞きたいことがあるんじゃないか?」
以前言っていた『会いたかった瀧』には、狐神だった『瀧耀』も含まれているはずだ。梓玥が真っ直ぐ見つめてくる。視線は逸らさなかった。
「……訊いてもいい、だろうか」
「いいよ」
「君の、狐神だった時の名前は」
「瀧耀」
「最初に小さな竜が贈った花の色は」
「あれは……色合いは少しずつ違うけど、白い花のセットだなって思ったことは覚えてる」
「何度も君のところへ来る小さな竜のことを、どう思った?」
「オレは理由があって閉じ込められてるから来ないほうがいいのに、この子は結界の中にいるオレの影響を受けてるのかなって心配した。結界の外にはオレの魅了も蠱惑も効かないはずだから。それから、……何度も来てくれるのは、本当は嬉しかった。実はちょっと楽しみにしてたから」
これは事実だ。小さな家の中で、変化があるのは四季の移ろいや天気の変化だけ。だからきれいでかわいい小竜が訪れるという大きな『変化』に退屈だった日々の潤いや癒しを見出していた。
(あんなきれいでかわいい子に慕われて、嬉しくない奴なんているわけない)
自分のほうが魅了にかかっていたのでは、と内心で笑う。
「あなたが住んでいた家から出たのはどうして」
「かわいい小竜が、どうしてもオレと一緒にいたいってゴネて……力を暴走させて壊しちゃったんだ。まぁ止めなかったオレのせいだから、追っ手が来たのも無理はない。あの子のせいじゃないよ」
やろうと思えば術で小さな竜の暴走を無理矢理にでも止めることはできた。本当は、その気になれば自分の力で結界を破ることもできるくらいの力は持っていたから。その意味では、母や父より能力は高かったのだろう。
それをしなかったのは自分の意志だし、父母の言いつけを守っていたためでもある。
「……あなたが最期に小さな竜へ贈ったのは」
「オレの両親が作った指輪。はめ込まれた石は灰簾石。……まだ大事にしてくれてるといいんだけど」
こればかりは強制できることではないから、完全に希望の話になってしまうが。
梓玥は俯き気味になっていた顔を、とうとう完全に俯かせてしまった。
「……君は、最期に言った言葉を、覚えているだろうか」
「最期? 狐のオレが死ぬ時の?」
「そう」
「ええと……ありがとう?」
「違う」
「オレはまたどこかで生まれる?」
「違う」
「いつかまた会えた時、おまえのこと、たくさん教えて」
「そう」
「っん!?」
急に、力強く抱きしめられてしまった。
「あ、あの……梓玥さん?」
「梓玥でいい」
呼び捨てはさすがに気が引ける。前世ならともかく、今の瀧はただのヒトだ。
「構わない。……呼んで」
苦しげに請われて断るのは難しい。結局、思い切って彼の名だけを口にした。
「……梓玥」
言葉の代わりに、腕の力が強くなる。緩めてくれと言うのもきっと今は無理だろう。変に冷静な頭がそう分析した。
この腕は、千年もの間、瀧を――瀧耀を探して求めてくれていた腕。自分に同じことができるのかと問えば、大人しく抱きしめられていることしかできそうにない。
「…………」
梓玥の広い背を、子どもをあやすように撫でた。
今ヒトである瀧には、千年は気が遠くなるほどの長い年月。神族にもヒトにも一年の長さは同じだろうか。
(あれ……でも竜の寿命って平均で三百年から五百年じゃなかったっけ……?)
疑問はすぐに口から出た。
「梓玥さ、……梓玥は、普通の竜より長生きなのか?」
瀧の疑問は、一度綺麗に流された。
「……もしかしたら、次にあなたが生まれた時はすぐ殺されてしまうかもしれない。だから倭国や本国の狐神、竜神に手を回した」
「そ、そんなことできるのか?」
「そうさせないための地位を手に入れている」
「竜王じゃないし後継関係でもない、んだったよな……?」
それならどうやって。梓玥は体を起こすと、間近で瀧の顔を見つめる。この美しい顔に、瞳に見つめられるのは慣れない。照れが勝る。




