伴奏パート
「ねぇねぇ、亜紀」
「ん~?」
東京では珍しい、雪を観察した日の昼下がり。
大学時代からの親友同士である、小豆と亜紀は、ここ、秋葉原にいた。
「なんでまた、今日は秋葉原なんかに来たの?」
「あぁ、ゴメン、理由言うのすっかりわすれちった!」
アハハと、別に大した事がない。
そう取れるようなサバサバとした亜紀の態度は、いつもの事だった。
小豆にとっても、亜紀のこういった日常のサクッとしたやり取りが好きで、今の付き合いがあった。
表向きにはサバサバとしていても、ちゃんと考えてくれる、優しい一面も持ち合わせているからだ。
「秋葉原に来たのはさ、とあるサイン会の会場視察、って感じかな」
「サイン会?」
「あぁ、サイン会。とある作家さんのね」
「へぇ……サイン会かぁ……」
自分には縁のない言葉。
そんな表情で思案に更ける小豆の顔を、長身の彼女は、屈み格好で見つめた。
身長は170cmはあるだろう、女性としてはそれなりに高い方になるだろう、亜紀は、見た目からもわかるように、活発そのもの。
ボブカットの髪型に、綺麗という言葉が当に適当だろうといえる、整った顔立ち。
隣に並ぶ小豆とは、対照的な女性像だった。
「あんただよ、あ~ず~きっ」
「あずきって作家さんのサイン会かあ……ふーん…………えっ?」
「ちょっとちょっと、小豆なんて名前の作家、あんたくらいしかいないっしょっ!」
「えっ? 何っ? ちょ、ちょっとまって!?」
背丈は150cm位だろう。
亜紀より遥かに小さな体を、ワタワタキョロキョロと慌てふためかせ、明らかに挙動不審な小豆。
腰まである、長く綺麗なストレートの髪が、キョロキョロとする度に、ふわりと風になびく。
身長から想像できてしまうような、その童顔は、未だに高校生にでも間違われてしまうのではないか。
そんな、あどけなさを残す自分に、三十路という言葉を重ねながら、亜紀に愚痴をこぼすことも、しばしばあったりした。
そんな可愛げのある小豆の様子を、わが子を見る母親のような表情で、微笑ながら、亜紀は言葉を続けた。
「前回、あんたがウチの出版社から出した絵本、ちょっとクチコミで話題になってるのよ」
「ぜ、前回のって……あの、えと、『闇と光の輪舞曲』?」
「そっ。あれさぁ、今までの方向とはちょっとちがって、大人もターゲットに入れた絵本だったじゃん?」
「うん……ちょっと、違う方向も模索してもいいかなっておもって……」
本の名前を出されて、今まで慌てふためいていた小豆の動きが、ピタリとやんだ。
自分に舞い降りた、初めてのサイン会という言葉も、この絵本名で、小豆の表情に陰りを落とした。
「アタシだってさ、あんたが子供に向けて絵本を描きたいって気持ちはさ、わかるんだよ」
「うん……」
「でもさ、何時までも同じ場所に立ってるワケにはいかないじゃん」
若干だが、表情を曇らせる小豆の頭に、ぽんと手を添え、優しくなでる亜紀。
大学時代からの付き合いだからこそ、わかる友人の心境変化に、しっかりと対応していた。
「実際さ、今回、子供意外の部分でウケてくれてさ、いい宣伝になったと思うんだ」
「うん……」
「小豆、いい方向に考えてみなよ。絵本作家ってさ、結構いっぱいいるってこと、わかるよね?」
「それは……わかってるよ」
「それがわかってるなら、本がなんで売れるかって事も、しっかり理解してるよね?」
「うん……」
「今回の『闇と光の輪舞曲』。これが売れてくれたおかげでさ、新たな販売チャンネルを開拓出来たんだよ?」
「………………」
「絵本作家としての名前も売れれば、誰かがさ、気がついてくれるじゃん」
更に表情の暗くなる小豆の、腰まである長いストレートの髪をゆっくりと撫でながら、そっと亜紀は、胸を貸した。
「亜紀……」
「アタシは、編集担当になったときに、小豆に言ったよね? 一緒に夢に向かおうって」
「うん……ちゃんと覚えてる」
「今回、アンタの本意じゃなかったのは、よくわかってる。でもね、もう一つ。先に一緒に行きたかったんだ」
胸を貸す、小豆の小さな体を、包み込むように抱擁する。
「だから、今回の絵本で、世の中の人に、小豆の名前が浸透したって事、とってもうれしく思ってるんだ」
優しい声で、諭すように、無理に言いくるめずに、亜紀は続ける。
「今回のサイン会、アンタにとって、とっても重要なステップアップの一つになるよう、アタシが取り付けてきたんだからさっ」
「ごめんね、亜紀が頑張ってくれてるの、よくわかってるのに……」
「いいんだよ、小豆。ちょっと今回はアタシも、無理を押し通させてもらったしね……でもね、ちゃんと朗報もあるんだから!」
「へっ……?」
しょぼんと、まるで怯えた小動物のような表情をした小豆が、『朗報』という言葉に反応したのか、ゆっくりと亜紀の顔をのぞき込んだ。
「アンタの絵本がね、ウチの会社に広告を出してくれる、某会社の営業さんの目にとまってねぇ」
覗き込む小豆に、ニヤリと不敵に微笑する亜紀は、さらに続けた。
「その会社で出す製品のイメージキャラ、描いてみない? って、話があったのさ!」
「えっ……!」
「しぃ~か~も~」
人差し指をたて、言葉にリンクさせ、ゆっくりと言葉を放つ亜紀を、じっと見つめる小豆。
そこには、さっきまでの落胆した表情はなく、自分とは縁の内容な言葉のオンパレードに、若干混乱気味といった感じだ。
「子供向けの商品ブランドなんだよっ!」
「!!!」
「アンタが悩んで、悩んで、悩みまくっても、作品を仕上げたご褒美だよっ!」
「あ、亜紀ちゃん!」
「本当はサイン会場まで行ってから、事の経緯を話そうと思ったんだけどさ……ごめんな」
「あ、謝らないでっ!」
「ほんと、頑張ったよ小豆~っ!」
「亜紀ちゃん、あ、ありがとう……っ」
道端で一体何をしてるんだ?
そんな奇異な目で見られる光景なのはたしかだが、ここは秋葉原。
皆、自分の目的へと向かってまっしぐら。
そんな中では、対して注目を集める事もなく、中のいい友達同士と、思われているだろう。
「で、今回のサイン会ってのは、ウチの会社でお世話になってる書店サンでさ、小豆のファンだって人がいてさ、
お店で販促サイン会、もしよかったら開けないかって、お話があったんだよ」
「そ、それで秋葉原に?」
「そういうことっ。小豆に相談もなしに、サイン会なんて話、進めちゃって悪いかなって、思ってたからさ……一度、お店みてもらって……」
「悪いなんて、ないっ! 全然ないからっ! ありがとう、亜紀ちゃん!!」
「ちゃんと、アンタの事考えて、先に進めるようにって、後押しするのがアタシの役目だかんねぇ」
「そういう、亜紀のポジティブなところ、ちゃんとわかってるよ」
一度落ちかけた気持ちを持ち上げられ、想像し得なかった状況の津波に、小豆の瞳はうるっと来ている。
こういう、気持ちの持ち上げ方も、亜紀はしっかりと心得ているのだろう。
しかし、この屈託のない笑みを浮かべる小豆の表情には、免疫が出来るわけもなく、もらい泣きをしかけている亜紀いた。
「ま、まあ、あれだっ……と、とりあえずゴハン食べに行こうよ」
「あー、亜紀ったらなんかはぐらかしてない~?」
「ち、ちがうったらっ!」
ずびっと鼻をすすった亜紀は、思わず空へと視線をうつした。
彼女なりの、照れ隠しだ。
「そ、そうだ。この間、書店さんとの打ち合わせの時に、美味しいお店みつけたんだよ」
「亜紀が見つけてきたお店なら、間違いないっ! そこにいこっ?」
「よっし、了解っ! 先にゴハン食べちゃってから、書店さんの下見にいこっか」
「うん♪」
すっかり、機嫌のよくなった小豆と、ちょっと照れ気味の亜紀は、その足取りを、お昼のランチへと向かわせていたのだった。
その行先で、小豆と晴史の、青春歌の前奏が始まると、その時はまだわからずに。
添削など、まだ全然していません…