<第一楽章・第一節 - Bパート>
AM11:21
ー 秋葉原・昭和通り口 ー
先程、山崎から届いたメールは、混乱した俺に、一つの道標をつけてくれた。
そう、休日の予定、だ。
普段であれば、休みの日は昼までゆっくりと惰眠を貪り、午後に起床。
不健康な食事、不健康な生活環境のまま、さらに不健康のスパイラルへと導かれるだろう、
TV
ゲーム
漫画
ごろ寝
この欲求だけを追い求めるような、不健康極まりない休日の過ごし方こそ、自分らしく、自分を保つための行動なのだ。
それがどうしてか。
俺は珍しく、お天道様の下で、ほんわかポカポカと、日向ぼっこをしてしまっているではないか。
……これは、とても健康的な行動をしているのではないか?
……そして、とてもまともな、一般人らしい、お出かけをしているのではないか?
山崎よ、俺の為に気を使ってくれて、外へと導いてくれたんだな!
ありがとう、山崎よ!
「……なんて、言うわけがないってぇの!」
「え? 何がですか? 先輩」
まずいまずい、思わず心の中の言葉が、脳から肺へ空気を送る指令をだし、気管を通って、声帯へと働きかけてしまっていた。
口は災いの元、なんて言葉がある通り、考え事をしているときは、無意識にでも、口を手で押さえておいて欲しいものだ。
「いやぁ、先輩なら、何か安いお店でも知ってるんじゃないかなって、ふと思っちゃいまして~」
「……まあ、知ってると言えば知っているし、知らないと言えば知らないわけだが……」
「まぁたまた、ご謙遜ご謙遜。先輩の事、頼りにしてるんですからねっ! 特に、こういう事に関しては!」
「頼りにされるのはありがたいが……この場に関する情報と、俺の存在というのが即・リンクしている、というのは、いかがなものか……」
一昔前の秋葉原では、あまりお見かけしなかっただろう"今風"の若者。
昨今の秋葉原では、特に珍しくもない、彼らのような"非・オタ"な人間。
そんな、だれが見ても"イケメン"という言葉で、とりあえずは全体図を理解出来るといった感じの風貌の彼。
"山崎 天明"は、自分が働く会社に出向している、派遣社員だった。
同じ営業部に配属され、俺の下で部下として働いてくれている彼は、今年24歳の若者だ。
24歳でも、若者と思ってしまった俺は、明らかに年齢を意識し始めている、そんな現実が、少し心を締め付ける感じがしないでもなかった。
「で、今日は何をご所望なんだい? 山崎クン」
「ちょうど、ウチのTVが壊れちゃったんで、2011年を目前に控えた今っ! 液晶TVを買っちゃおうかなぁ~って」
「ほほぉう。随分と気前の良い事いっちゃって……さては、大型の買うつもりか?」
「いえぇ~っす! ここは、ドドーンと40インチ位を狙おうかと!」
自分の手を大きく広げて、このサイズだと言わんばかりに、体を動かす山崎。
俺よりも背丈のある、細身だが、しっかりと筋肉の着いた腕を多うジャケットとインナーは、黒で統一されている。
ぴったりと、体系にあった皮のジャケットは、山崎の顔も引き立たせる。
無造作ヘアー、というものなのだろうか。
顎に生やした薄髭と、黒に染められ、セットした髪型だけを見ていれば、まさに今風の若い子に違いはない。
ごく平凡な自分の格好と並んで歩かれると、ちょっと気が引けてしまうのは、小心者故の気苦労なのだろうか。
ニコニコと笑を浮かべ、楽しそうに話す山崎とは反面に、すこしテンションが下がりつつある俺が、今そこにいた。
「今はまだ、液晶を購入するには、時期尚早、といった感じなんだけど、構わないのか?」
まだまだ、家電製品の開発・販売ラッシュの続く今、俺の本音としては、山崎にはもう少し待った方がいい。
そう、言いたい気持ちで一杯なのだが、その意見は、どうにも口に出せない、そんなイケイケなオーラが、山崎から溢れているのがわかる。
「いいんですよ! 今だから"買い"なんです!」
「うーん……山崎が、何をもってそういう考えに至ったかはわからんけど」
考える時、思わずしてしまう癖。
顎に右手を添ながらも、山崎の意見を汲み取らなきゃなと、本音と気持ちをぶつけ合う。
「うーん……」
「だめっすかねえ?」
「いや、わかった。山崎がそのつもりなら、俺も出来る限りのアドバイスをしようじゃないか!」
「さぁっすが先輩っ! 頼りになりまっす!」
「そうと決まったら、何軒か回って、市場捜査からだな」
「りょうっかい~♪」
「あ、この手伝いの分は、明日の昼飯、奢ってもらうからな」
ゲッ、と、言わんばかりの顔で、俺を見る山崎に、俺は悪意を持った笑みで応戦する。
悪意といっても、あくまでも冗談のつもりなのは、お互い承知の上だ。
意思疎通の図りやすい、山崎となら、多少キツイ会話でも、上手くキャッチボールをすることが出来るのだ。
ーー 約2時間後・PM13:25 ーー
「……ぜーんばぁーい……」
「どーしたー、やぁまぁざぁきぃ~?」
明らかに"疲れた"と言わんばかりの表情をした山崎に、ニンマリの微笑みかける。
こちとら、伊達に秋葉原に詳しくなったわけではないのだ、と言わんばかりに、えっへんと胸をはりながら、山崎の相手をする。
「そろ……そろ、飯にしましょうよぉ、メシぃ」
「っとに、最近の若いもんと来たら……」
「先輩、それ、すっごいオヤジ臭いです」
「そこだけ真顔で、元気につっこむな!」
山崎、それはだめだぞ、禁句だ。
仮にも"三十路"という、一つの称号を手に入れてしまった俺としては、その類の洒落は、洒落にならん。
もう少しで、心の一部を、削ぎ落とされてしまう処だった。
「んまあ、確かに昼飯のピークも過ぎた頃だし、ここいらで一服入れようか」
「ぜひっ! ぜひそうしましょう!」
「わーったわーった、そう急かすなって」
メシという言葉に反応し、犬なら尻尾を勢いよく振っているだろう、山崎の表情を見ていると、なんとも言えない笑いがこみ上げてくる。
若いってのは、素直でいいもんだね。
「んじゃあ、俺のおすすめのカレーなんてどうだい?」
「俺、秋葉原の事さっぱりわからないんで、先輩におまかせしますよ~」
「おーけー、なら話は早い。早速向かうぞ、山崎!」
「ら~じゃっ!」
そして俺たちは、空腹感で支配され、徐々に重さを感じるようになった体を懸命に動かし、目的地へと進路をとった。
ーー 10分後・PM13:35 ーー
「お店はーっと……よーし、やってるやってる」
「このお店っすか?」
「ん、この店だ」
ここのベトナム風チキンカレー、これがまた絶品なんだよなあ。
……って、想像しただけで、ヨダレが出てきちまったい。
「いいか山崎、この店で頼むメニューは一択だ」
「はいっ?」
『ベトナム風チキンカレー』
「え?」
「えっ?」
俺がメニューを口にしたとき、ちょうど向かい合う方向から来た人たちと、声が被ったみたいだ。
思わず、被った事に驚き、声をだしてしまった。
じっと見た訳ではないが、明らかに女性二人。
身長の高い方と、低い方。
その低い、ちょっと可愛気のある女性が、ぽかーんとした表情で、俺を見ている。
……たぶん、この人とかぶっちゃったんだろうな、メニューの言葉。
「いやぁ、あはは……すみません」
思わず頭をポリポリとしながら、笑って誤魔化してる俺、とっても気まずい。
山崎と、背の高い女性は、何? といった表情で、お互いの連れを見ている。
……もしかして、気まずいのって、俺だけだったのかな。
「お、お先にどうぞー」
「えっ……」
あまり大きくない、店の前で同じお客として鉢合わせたなら、女性に譲るのが、男として当然の行為かと。
そう思って、発した言葉は、どうにもぎこちないものだったが……
ちゃんと伝わってくれているのだろうか、コレ。
「晴史くん?」
「はい、どうしました…………ん??」
俺、今なんで答えたんだ?
この背の低い女性、もしかして、俺の名前を呼んだ?
それとも、読んだ?
この一言二言、会話しただけで読まれちゃった?
いやいやいや、ないないない。
ちょっと冷静に考えてみようや、自分さんよ。
そもそも、世の中にはどれだけの名前が存在している?
日本国内だけでも、一体どれだけの名前が存在しているっていうんだ。
その中から、ピンポイントで、山勘で当てられるほど、俺の名前は多いはずはない。
じゃあ……なんで俺の名前を?
「やっぱり、晴史くんだったんだぁっ!」
「えっと……どちら、様だっけ?」
あの……俺の頭脳に、該当される方が、検索されないのですが。
UNKNOWN
ERROR
該当者は発見出来ませんでした。
ほら、俺の脳内検索がエラー履いちゃってるよ。
「あ、そっか……じゃあ……亜紀、ちょっとメガネ貸してっ」
「へっ? アタシのメガネどうすんのさ?」
「いいからいいから、ちょっとだけだからぁ~」
「貸すのはいいんだけどさ……っと、ほら」
「へへへっ、ありがとっ!」
のほほんと進む会話。
手渡されるメガネ。
背の低い方の女性が、徐に長い髪をかき分け、メガネをゆっくりとかける。
!!!APPLICABLE!!!
ちょっとまて、俺の脳内検索が、何かを見つけたぞ!
そうだな、情報を遡ること……今からかれこれ15年前位。
ってことは、俺がまだ中学の……
「小豆?」
「へへっ、せいか~い♪」
メガネの縁をつかんだ、小豆と肯定した彼女は、悪戯気な表情に、にっこりと微笑んだ。