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対地艦砲は人体をばらばらにする

 おじいさんは恐怖の表情を浮かべていた。それは、頭の中にいきなり恐ろしい記憶がばちばちと暴力的によみがえって来たような、ひどく乱暴な衝撃を心にくらわされたような、そんな表情だった。おじいさんは暫くそんな様子だったんだけど、ふと我に返ったようにいつもの顔に戻った。そしてびっくりしている僕を見て、恐縮したように言った。「ごめんごめん、驚かしてまって、勘弁して頂戴」おじいさんはそうやって謝りながらも笑顔を見せた。「けどなあ、漸く分かったわ。智ちゃんの質問の答え。葉っぱはな、落葉して地面に転がっとっても生きとる。何でか?その形を保っとるからだわさ。ほいで仰山の時間がたってな、ほとんど土に還ってまったぐらいでご臨終っつうわけだわ。その理由?わしの直観だわなあ。わしの昔の体験から感じたことだて。だがこの体験な、智ちゃんにはあんまり話したないで、回答だけしとく」僕はその体験というのを話してほしいとねだった。「うん、お前さんは来年は中学生だでね、話してもいいかも知れん。ただ言っとくけど、愉快な話じゃあ、あれせんよ」僕は、構わない、是非おしえて欲しいと言った。こうしておじいさんは僕にその話をしてくれた。それがこんな話、若い頃のおじいさんの一人称語りで。


      *      *    *    *    *    *    *    *


 大東亜戦争が始まってからのことだ。俺は三男坊だったんで、ごく若かったんだが軍隊に入った。陸軍だよ。歩兵としてね。特別な勉強とかしていない奴はそうなる。俺が入ったころはまだ戦局もいい具合だった。ただ訓練は大変だった、がこれはどうでもいい。兎に角一通りの訓練期間が終わり、立派な新兵になれました、とここですぐさま南方の戦地へ行くことになった。というのも、早くも遠い戦線の方から戦局が悪くなってきていたんだよ。輸送船に乗せられて、行先も聞いたことのないようなとある島だった、港から出航し船団を組んで南方行きさ。ところが赤道を越えたあたりから敵の潜水艦の活動が始まる。仲間の船が一つ減り二つ減り、魚雷でやられるんだ、乗船していた兵隊たちは多分船底あたりにあったんだろう武器・弾薬なんかと一緒に海底へ、俺達も気が気じゃなかったよ。いつ自分達がやられるか、今度こそ自分達の番か、あの不気味な白い航跡が今度こそこの船目がけて走って来るんじゃないか、仕舞いには諦めに似たような気分にもなっていたっけか。

 しかし何とか俺達の船は目的地まで行くことが出来た。そこはひどく暑く、むやみに激しいスコールがあり、鬱蒼としたジャングルで覆われた大きな島だった。着いて直ぐに陣地の拡大や守備の訓練があり大変だったが、それでも海で魚のえさになるよりは、はるかにましだとその時には思われた。それも実際の戦闘をやる時までだったがね。

 俺にとっての最初の戦争は空襲だった。ただ敵さんの攻撃は港に対するものだった。一連の攻撃で港湾設備や船は大きな被害を受けた。俺たちは、厳しいことは厳しいが、これぐらいで済むんならまあよしだな、なんて呑気に構えていた。しかしそこは副次的な攻撃目標だったんだ。程なくして、島のある地点が海空から凄まじい攻撃を受け敵さんが大々的に上陸作戦を開始した、という話を聞かされた。

 そこで俺たちの部隊は敵さん友軍支援のため移動を開始した。だがこれはなかなか難しかった。すでにこの頃俺の中隊の三分の一はマラリアとかの病気でほとんど動けなかった。死んだ奴も沢山いた。奴らは何のためにこんな遠くまで来たのだろう。連中は死ぬ直前熱にうなされ頭もぼんやりとしていたんだろうが、その目はどこか遠くの方を見ているようだった。そんな有様だから仕方がない、何とか動ける三分の二が出発した。この三分の二だって勿論万全なわけではない。補給船が攻撃を受け十分な物資もなく、連日連夜の重労働が続いたんだ。それも無理からぬことだろう。

 移動手段も一応初めはトラックだった。兵隊は荷物のように荷台に詰め込まれたが、それでも歩かされるよりははるかにましだ。長時間そうやって運ばれて行き、これ以上は車だと敵機の攻撃の心配があるからと降ろされ、そこからは徒歩ということになった。武器の方も大砲などは運べない。味方の対戦車攻撃で敵の戦車も少なくなっているはずだ、擲弾筒で大丈夫だろうと、これははたして理屈に合っているのか否か。いずれにしてもあと三時間も歩けば他の方面からの増援部隊と合流できるだろうということで再び出発した。

 ところが三時間も歩く必要はなかった。敵の進撃速度が予想以上に速かったのだ。直に敵の部隊と出くわしてしまった。少ないはずの敵戦車は数多く、様々な重火器類の装備も充実しているようだった。それでも部隊は善戦したと思う。俺自身二三人の敵兵は殺したし、敵の急ごしらえの重機銃座を戦友と協力して擲弾筒で破壊したりもした。しかし結果は負けだ。中隊は撃破されたと言ってもいいだろう。やがて退却の命令が各自に伝えられる。一応指揮命令系統は息絶え絶えになりながらも存在していたわけだ。そして撤退、形式的には敗走ではない。俺たちはジャングルの深いところまで逃げ込んだ。ここまでは適の装甲車両も入ってはこれまい、ということで一休みをする。中隊は戦闘前の半分になっていた。生き残った者も全員実に悲惨な有様だった。つまりは事実上の敗残兵だ。

 しかし有難いことに砲声はかなり遠のいていた。俺たちへの追撃はないようだ。敵さんは新手を見つけてそっちの方へ行ったのか。勿論敵さんの部隊だっていくつもあるだろう。だから別の部隊がやってくるかも知れない。だが当分は大丈夫だと思われる。

 暫く休息をとっていたが、そのうちに遠くの方から響いてくる聞きなれた砲声や銃声、爆発音などに妙な音が交じり始めた。重砲弾のシュルシュルという空気を裂くような音よりも重い、どちらかというと高高度から落とされた爆弾の落下音のような音、それからその一発々々が大地を揺るがすような炸裂音で爆発する。『艦砲だ』中隊長が言った。『重巡クラスのやつだろう。しかも対地戦闘用のやつだ。榴弾と思ってもらえばいい。二十センチから二十五センチくらいだと思う。戦艦だったら四十センチだ。そこまではいかない。いずれにしても艦砲というのは実にえげつない。あんなものは徹甲弾を使って軍艦同士で撃ち合ってりゃあいいんだ。それを榴弾なんかこさえて陸に向けて撃つなんて―――まああれも要するに大砲なんだが砲弾の大きさが全然違う。一升瓶よりはるかにでかいぞ。しかもこれが鉄製で内部にたっぷりと火薬が詰め込まれているんだ。これが爆発してみろ。この鉄の塊が一度に砕け散ってその破片が四方八方に飛び散ることになる。しかも凄い速度でね。ぎざぎざの文庫本大の鉄片が高速回転しながら飛んでくるんだぜ。近くでこんなものが炸裂してみろ、その結果たるや、まあ推して知るべしというところだ。』

 いずれにせよそろそろ出発した方がいい。後方の急ごしらえの拠点へ向けて。俺達はまた隊列を組んで蒸し暑いジャングルの中を歩き始めた。ただでさえ重い個人の装備に小銃まで担いで。部隊としての火器等は先程の戦闘でほぼ使い切ってしまった。残りは死んだ戦友の傍らにあるんだろう。生きている俺達だって小さな傷は体中にあるし、何よりも体力的な消耗が激しい。長期になったら糧食だって怪しい。水筒も空っぽ、ジャングルだから水場はあるが、こんなものを飲むのは自殺行為だ。空腹よりも乾きの方がきつい。やはり急ぐべきではある。

 隊で一番若かった俺はそこそこ体力はあったが流石に神経が参っていたんだろう。初めての実戦をしたんだし、確かに敵兵も殺したしそれ以上に多くの仲間が目の前で無残に死んでいったのだ。次第に足取りも覚束なくなってくる。前を歩くやつの姿も二重に見えて来る。おまけに周りの樹木の数も倍くらいの数になってきたように思われた。ぜいぜいと喉が鳴り時折空を見上げる。とは言え、ジャングル内は樹々が密生しており頭上でも枝や葉が幾重にも重なり合って陽が届いていないから空も見えない。けれど何度目かにまた空を見上げた時、視界の一部に青空が見えた。そのうち周囲も明るくなってくる。ああ、少し開けたところに出たんだ、気付かなかった、こう思ったその瞬間、青空の一角にきらりと光るものが見えた。それが何であるかは分からなかったが、俺には何か不吉で邪悪なものであるように感じられた。それで何故だか急にふらふらっとして、そのまま転倒してしまった。目は見開いたまま、口は開いたまま、俺はそうやって仰向けに伸びてしまったんだ。

 しかしそんなことは珍しいことではなかった。これまで何度かあったことだから。他の兵隊達はそのまま進む。その時別の隊の分隊長が――俺の分隊のは先の戦闘で頭を吹っ飛ばされ戦死していた――俺の傍にやって来て、大丈夫かと声をかけてくれた。俺も意識はあったから、申し訳ありません、直ぐに立ちますとこたえることが出来た。その分隊長は、貴様、新米のくせによく戦ったからなと言いながら微笑んだ。と、その途端、隊の恐らく進行方向の前と後で凄まじい光が生じて分隊長の姿を包んだ。えっ?と思った瞬間、ドドンという大音響とともに目の前の空気が滅茶苦茶に切り裂かれた――そういう風に言うしかない。光は直ぐに消え、何か巨大な真黒なものが辺りを覆い小さな無数の赤い光がその中で点滅する。分隊長の体はあっという間に消え去った。その時生暖かい霧雨のようなものが俺の顔に降りかかり、ずたずたにされたはずの空気が今度は重く熱い塊になって、上からぶわっと襲い掛かって来た。それから、小石だか砂だか泥だか、そんなようなものがばらばらと降って来た。

 全ては一瞬間の出来事で、俺は何が何だか分からず始めに倒れた格好のまま凍り付いたように動けなかった。辺りは静寂に包まれ、目の前をほこりやら小さなごみやらを含んだ禍々しい黒煙が広がった。それは渦を巻きながら生きているようにうねうねとのたうっている。その重そうな煙が俺の身体を押さえつけているようだった。身体にまとわりつき麻痺させているかのようだったのだ。それでも暫くすると身体も多少言うことを聞くようになった。直ぐに立ち上がろうとしたのだが、今度は別の恐怖が襲ってきた。周囲があんまり静かすぎる。今までなら、いくら静かでも何十人かの人間がいるわけだ、多少はざわざわしていた。人間がいるんなら無音であることは有り得ない。こんな状況でも息遣い、ため息、何なら悲鳴でもすすり泣きでも泣き叫ぶ声でも無ければならないはずなんだ。しかしそういったものが何もない。一時にひっそりと静まり返ってしまったのだ。

 俺は意を決して恐る恐る立ち上がった。周囲を見渡す。薄く硝煙がたなびき、何かが焦げたような臭い、そして視界は妙に開けていた。周りの樹木がきれいになぎ倒されていた。あんなに沢山の樹を、決して小さくはない熱帯の樹木群、そのとんでもない暴力は当然のことながら樹木に対してだけ働いたわけではない―――当然のことながら人間に対しても働いた。そうしてその人間達によって構成されていた中隊は、俺を除いて全滅していた。

 俺以外全員死んでいた、いや消え去っていた。死体なんて一体もなかった。さっきまで黙々と行進していた兵士達の身体は無雑作に切り裂かれ、その各部分々々がばらばらに飛び散っていたのだ。ゲートルを巻いたままの脚、紐のようなものが絡みついている腕、多分手足をなくした胴体、の上半分などがそこいらに転がっている。身体のどの部分かが分かるものはまだましな方で、大部分はもう原形をとどめていない。潰れた臓物か筋肉片か骨か頭皮か、よく分からないぐちゃぐちゃしたものがそこかしこに散乱している。

 『艦砲だ』という中隊長の言葉が頭に浮かんだ。まさしくそいつの仕業だ、と俺は思った。恐らく転倒前に見た空で光ったもの、あれは偵察機だったんだろう。あいつが遠い洋上の軍艦に俺達の居場所を連絡したに違いない。それから正確に照準を合わせ連装砲の一撃で俺の中隊を吹っ飛ばしたってわけだ。となるとこれで終わりじゃないだろう。第二弾、第三弾が直に―――俺はあらためて恐怖にかられ走り出した、その時だった。

 二三歩目くらいだったかぐにゃりと嫌な感覚が右足に感じられた。勿論立ち止まることなくそのまま一気に走って行ったんだが、その時自分の足元に落とした視線の先にあったものが、黄色っぽい柔らかなかたまりの上に一つ落ちていた手だった。血で真赤に染まって力なく開いている切断された手だったのだ。黄色いものはぐちゃぐちゃになったはらわたか何かだったろう、その黄色っぽいものの上の真赤な五本指の手――――


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