八、固形の水
薄暗い紫紺の空は、どれ程時が流れても決して移ろい変わる事は無かった。
「何だ、ここは? ず〜っと朝と晩の間にいるじゃねーか!?」
「ホントさね。これじゃあ、暁なのか宵なのかも解りゃしない」
「いいえ。この土地には時間は存在しても、時間帯と言うもの存在しないのです」
「明けも暮れも無いとな。それはまた如何なる了見か?」
三人の視線が一斉に注がれると、フェリペはキースを持ち出して、現在地を指し示した。
「皆さん、よく見て下さい。我々は今、この衛星の下方に位置するこの場所に来ています。そして、この系での太陽である青い星はこの星に対して真横からではなく、ほんの少しだけ斜め上方向から光を当てている為、幾らこの星が独楽の様にクルクルと回転しても、全く陽が注がれない土地が出現するんです」
「それが、ここって訳かい?」
「そう言う事です。因みに、反対の上方の土地では逆に、常に影が覆う事がありません。まあ、私達も旅の最後に立ち寄る事になりますが•••」
「石を箱にしてもらう為にか?」
「そうです」
「常しえの昼、夜たる地か〜。正に、両の極みよのう」
元宗の言う事は尤もだった。
「それにしても、何にも無いとこだね〜。ここは•••」
「ああ。いつもの様に街がねー。また石みてーな奴等に会いに行くのか?」
マシューは不安げに訊ねた。
「いいえ、その心配は要りません。何故なら、こんな所に住む者など誰一人として居ないからです」
「何とっ! とうとう人も居らん地に参ったか」
元宗は何か嫌な気がし始めていた。
「実はここは、多重リングクレーターの中なんです」
「何だい?」
アルベルティーヌは他の二人の代弁も兼ねて聞き返した。
「その昔、ここに衝突した巨大隕石はその衝撃で地殻を捲り上げ、三つの円環状の山脈を形成しました。 直径848㎞にも及ぶ、世界一の隕石孔であるこの土地の名は、孔の国パケリド。通称は『氷』です」
途中から能書きを聞くのが馬鹿らしくなっていたマシューは、フェリペが言い終える前に被せる様に訊ねた。
「•••で、今回はこんなとこで、何を入手すりゃ良いんだ?」
「これですよ」
フェリペは三人にキースを見せた。
『パケープ•••パケリドの永久氷床で採れる、純粋な真水の過冷却水から出来たアモルファス氷』
「アモルファス氷? 何だそりゃ?」
「凍っていない氷の事ですよ」
「凍ってねー氷だと!?」
「尋常では御座らん。お主が意、全く解せぬ」
「•••」
フェリペの不可解な発言にマシューは激しく眉を吊り上げ、元宗は首を横に振り、アルベルティーヌは只々押し黙っていた。
「実は氷は、水の中にある目に見えない不純物を核にして凍り始めるんですが、本当の純水にはそれがない為、例え氷点下まで冷えても氷結しないんです。尤も、刺激を与えれば、すぐに固化するんですけどね」
「左様な事も、あるものなのか」
「この氷点下の水の事を過冷却水と呼ぶんですが、これに高い圧力を加えると、いずれ固まるんです。但し、結晶化はしていないので、厳密に言うと氷ではない•••」
「それが、凍ってねー氷か?」
「そう言う事です。アモルファス氷は、ガラス状の水と考えられるみたいです」
「其れ即ち、そんじょそこらのまともな氷ではない訳じゃ?」
「そう言う事です」
そこまで言及されると、三人はもうそれ以上の詳細な説明を必要としなかった。
フェリペの演説を聞きがてら歩を進めている内に、次第に点々と輝いて見える地面が一行の目に映り始めた。
「何だい、あれは?」
逸早く反応を示したアルベルティーヌにフェリペは答えた。
「もうお気付きになりましたか。あそこが今回の私達の仕事場ですよ」
「嫌という程、お初にお目に掛かるものに逢わせられるわい」
「間違いねー」
元宗とマシューは驚き呆れる事に段々と慣れてきたつもりでいたが、一分後、現場に到着するなり、またしても仰天を抑えられなかった。
「う〜む、何とも果てしなき氷の大地!」
「船に乗る人生を選んで以来、色んな土地を目にして来たが、こんな所も存在するとはな〜。参ったぜ〜」
「こりゃまた素敵だね〜」
「圧巻です•••」
そこは、終わりを視認できない程の巨大な氷の塊が、天空に瞬く星々の光を、まるで鏡の様に永遠に映し出す土地だった。
フェリペはプラネタリウム以上のスクリーンを指差して言った。
「皆さん。これから私達は、この氷床の中に入ります」
すると、意外なところから反対意見が出た。
「氷の中じゃと!? 上ではないのか? 自ら奈落の底へ向かうは狂気の沙汰! すまぬが拙者、今度ばかりはお主に同道できぬ!」
「おい、お前何をそんなにムキになってる? 死神の釜を攻略した割にゃ、えらくびびってんじゃねーか?」
「黙れっ! 時折お主が申すではないか、何か嫌な気が致すと••• 今の某は正にそれ!」
そう言うと元宗は、口をへの字にして氷の上に胡座をかき、そこから一歩も動かない、という強い気概を三人に明示するのだった。
「ケッ、断固拒否かよ••• こうなったら最後。婆様が言うにゃあ梃子でも動かせねー」
「無理もないよ。この坊やは水に潜る事に耐えきれないのさ。もう二度と日の目を見る事が出来ない様な気がしてね•••」
聞き覚えのある内容と元宗の反応に整合性をみて、ようやくフェリペも事情を飲み込んだ。
「解りました。あなたには昨日、一昨日と、目覚ましい活躍をしてもらいましたので、今日はゆっくりと体を癒していて下さい」
「許せ、エンリケ。かつてのワトソンが高きを怖れた様、儂にも苦手はある」
「いえいえ。どうか、お気になさらずに」
三人は元宗の待機を容認するのだった。
フェリペが調べたところ、パケープは氷床の最下層にあり、そこ迄降りる事を嫌悪したマシューは、当然の疑問を投げかけた。
「なあ、思ったんだが、そこまで理屈が解ってんなら、自分で作れば良いじゃねーか?」
「それは私も考えたんですが、その為には高価な機械が必要でして•••」
「チェッ、他に方法はねーのかよ?」
「色々調べた結果、手間暇掛けて採りに行く以外にないんですよ」
「どうやら、労は惜しめそうにないみたいさね。諦めな」
アルベルティーヌにそう言われ、マシューは正攻法を受け入れざるを得なかった。
標的の正確な位置を把握する為、四人はそれぞれ行動に出た。
加盟星で最もポピュラーな超音波探査装置を買い求めたフェリペは、元宗を助手に、氷を通過して地から跳ね返って来るエコーの微妙な違いを調べ、九つの宝石から成るマカバに紐を括り付けたアルベルティーヌは、自作のペンデュラムでダウジングをし、一人静かに氷の上に身を横たえたマシューは、ゆっくりとその目を閉じた。
「どうじゃ、何ぞ解うたか?」
「いいえ、駄目です。今のところ、密度に変化は見られません」
「左様か」
元宗は遠くにいるアルベルティーヌにも呼び掛けた。
「ほ〜い、婆殿や〜。御仁の方は如何かの〜?」
アルベルティーヌは声には出さず、首を横に振って答えた。
「あっちも駄目か••• 流石にそう易々とはいかぬ様じゃ」
アルベルティーヌのあまり芳しくない報告に、元宗のマシューに賭ける想いはより一層強まった。
調査開始より四時間が過ぎようとしていた。
「此奴め、眠ってよりかれこれ二刻が経とうと云うに、未だ何の音沙汰も無しとは」
「まさか、魂が体に戻れなくなったとか?」
「いや、それはないよ。体から発される波動に何も変わりが無いからね」
「そうですか。それなら良いんですが•••」
心配事が杞憂に終り、フェリペは安堵した。
一方その頃、己の意識だけを暗く深い氷の中に沈めるマシューは、氷床と地表が接する境目をいつまでもうろうろと彷徨い続けていた。
(おかしいぜ••• あいつの話じゃ、地面の近くに必ずあるって事だったのに、どれだけ探しても特別な感じのする氷なんてちっとも出て来やしねー。あのヤロー、ひょっとしてガセネタじゃねーだろーな?)
マシューは体脱時特有の固体の内部を透視する能力で、氷の内側の違いを注視していたが、全く代わり映えのしない世界に、いい加減嫌気がさしてきていた。
(これ以上は時間の無駄だぜ。何か対策を練るべきだ)
一度三人の許へ帰ろうと、自分の肉体に意識を集中し始めた矢先だった。誰も居ない筈の氷の底でマシューは、極最近耳にしたどうも聞き覚えのある奇妙な音が、どこからとも無く聞こえて来るのを感じとった。
(何だ? この感じはどっかで•••)
気になったマシューは音のする方へ意識の集中を切り替えた。
(こっちだな)
マシューが氷の中をスイスイと進んで行くと、音はどんどん大きくなっていった。
(近付いてるぜ〜)
更に進むとその先では、これまでとは異なる構造の氷が奇妙な音の音源となっていた。
(やった! 遂に見つけたぜ。こいつぁ明らかに、今迄のヤツとは違う中身をしてやがる)
それがパケープである事を確信し、マシューは大いに喜んだ。そして、仲間達にその事を報告する為、早急に自身に還っていくのだった。
三人を呼び寄せたマシューは、皆に標的の発見を伝えた。
「間違いねーぜ! あの瘤山の方向に凍ってねー氷はあった!」
「でかしたぞ、ワトソン」
「本当です」
「思ってたより早かったじゃないか。何か強く心に感じるモンでもあったのかい?」
「ああ。実を言うと、聴こえたんだ」
「聞こえた?」
「ああ。パチパチッっつー様な、何とも言い表しがてー音がな•••」
マシューの要領を得ない形容に、フェリペと元宗は理解しかねた。
「非常に抽象的ですね。何かもっと明瞭な例えはないのですか?」
「そうだ! 今はっきりと思い出したぜ。あの音はたまにお前が飲む、何っつったか、カリ•••」
「カリモーチョですか?」
「そうっ、それだ!」
カッと目を見開き、マシューはフェリペを指差した。
「ありゃ〜確かに、カリモーチョってのにそっくりな音してやがった」
「そうでしたか〜。まさか炭酸の音が何かの役に立つ時が来るとは思いもしませんでしたが、何はともあれ、目的物の特徴を知れて良かったですよ〜」
フェリペは感慨深げに言うのだった。
マシューの指示に従い、標的があると思しき地点の上に着いた一行は、早速準備に取り掛かった。が、早々に問題に打ち当たった。
パケープ採取に必要な道具は粒子機と定圧機、それに真空箱で充分だったが、氷の底に到達する為に入用な装備は、実はそう簡単に作り出せる代物ではなかったのだ。
「困りましたよ、皆さん。どうやら防寒具の耐圧化が、人数分できそうにないんです!」
戸惑いを隠さないフェリペの表情に、元宗が諭す様に言った。
「こりゃ、エンリケや。そう取り乱すでない。物事は順序立てて進めねば、上手くは行かぬ。話一つもまた然りじゃ」
「ごめんなさい。つい、焦ってしまって•••」
「耐圧化ってのは何だ? これじゃ間に合わねーのかよ?」
マシューは今自分が着ている、前に『嶮』で使用した防寒具を引っ張りながら訊ねた。
「ええ。実はこの服、今の儘では氷の道中で増していく気圧に圧し潰されて、防寒機能を損なってしまう様なんですよ。だから我々は、この服を気圧の変化に強い物に加工しなければならない。それが耐圧化です」
「もそっと解り易う説け」
「要するに、こう言う事ですよ。皆さんも山に登ったり、地下に降りたりした時に、鼓膜が変になった経験はあるでしょう? それと同じ事がこの服にも起き、そのせいで寒さを凌げなくなってしまうんです。前回みたいに、標高の高い所で減圧する分には別に問題ないんですが•••」
「成程な。その処理が三着分できねー訳か?」
「そうなんです」
「で、あるか••• して、幾つ作れる?」
「一つです」
「それじゃ、採りに行けるモンは一人だけって事だね?」
フェリペは無言で頷いた。
必然的に氷を選りすぐれる人間が適任だったが、それは存外フェリペではなかった。
「儂は、お主以外にこれと云える者は居らぬと見ておるが、何故にそうも躊躇うのか?」
「それは、私の持つ物調べの道具が、氷中ではその寒さの為に一切稼働しなくなってしまうからですよ」
マイナス200度を下回る最下層域では謎の気体が凍結する為、キースを持ち込む事自体が現実的とは言えなかった。
「ならば、婆殿かワトソンに頼み入るしかないのう」
「本来なら、あたしでも充分に事足りたんだろうが、今じゃ船長の坊やを頼るしかないよ」
アルベルティーヌは少しだけ哀しげな眼をして答えるのだった。
「お前等だけに良いとこ全部持っていかれりゃ、俺だけ武勇伝が無くなっちまう。そうなりゃお前、俺は一体、どの面下げて一船を率いりゃ良い? クルーに顔向けも出来ねー船長なら、船にゃ居ねー方がましだ」
「よう云うた。責の一翼を担ってこそ、真の漢也〜」
マシューにも長としてのプライドがあった。
耐圧化された防寒具に着替え終えたマシューが、諸々の道具の入ったリュックを背負うと、フェリペは一つ勧告をした。
「粒化は絶対にクラックのない場所を選んで下さい。ひび割れしている箇所は不安定な可能性が高く、元から崩落の危険性を孕んでいますので」
フェリペの気掛かりはマシューの粒子機の使い方にではなく、その使い所にあった。
「大丈夫。あんたなら上手くやれるさね」
「例え塵芥とて、決して見縊る勿れ。侮れば後々仇となる故••• くれぐれも、往きは良い良い帰りは怖い。などと云う憂き目には遭わぬ様、心掛けい」
「お前じゃねーんだ、そんなヘマするかよ」
実体験に基づいて念を押す元宗の忠告を、マシューはよくよく理解していた。
「そんじゃ皆、ちょっくら行って来るぜ」
マシューは右手を振って、粒子機が設えた階段を下へ下へと降りて行くのだった。
フェリペの言い付けを守り、体脱して氷に裂け目がない事を前もって確認してから、3mずつ粒化、下降、方向転換を繰り返して、マシューはパケープの眠る氷床の底を目指していた。勿論、道中であっても、炭酸水の泡が弾けるものに酷似する音を捕捉できたら、即ちにその場で作業に入るつもりではいたが、やはりそれは有り得ない事だった。
深さ915m地点でマシューが凍土に触れる頃には、出発から既に三時間が経過していた。
「ふ〜っ、ようやくここ迄来たか〜。長かったぜ••• 後は、あの変な音の出処を探すだけだ」
早速マシューは体脱し、精神を集中して耳を澄ませた。しかし、そこでは怪音が聞こえなかったので、周りにも探りを入れてみた。すると、標的の音はやや離れた所から流れ出ていた。
(そこかっ!)
遂にマシューはパケープに辿り着いた。
肉体に戻ったマシューは、只の氷もろとも特別な氷まで無き物にしてしまわぬ様、少しずつ粒化をしながら慎重に距離を詰め、丁度良い所で標的の採取に取り掛かった。
マシューはリュックの中から取り出した定圧機を粒子機に装着し、その儘パケープを粒化した。そして、フェリペに教わった通り、高い圧力を加えた状態で、真空箱のサイズに見合った分だけを再形化しようと試みた。
「よ〜し、順調じゃねーか。終いにこの光ってるボタンを押せば、いつもあいつがやってる様に、フッと氷が出て来るんだよな」
マシューは最後の一手を踏襲した。が、その瞬間に粒子機は、ピーピーピーッピピッ、ピーピーピーッピピッと、今迄に聞いた事のない音で鳴り、バラバラに砕け散った普通の氷の塊を産み出した。
「失敗だと!?」
粒子機に表示された告知を見て、マシューは語気を強めた。
「ふざけやがって〜、リトライだ!」
マシューは再三、付近のパケープの粒化、再形化を試みたが、どれだけやってみても結果は変わらず、気が付くと、周辺にあった奇音を放つ特別な氷を枯渇させていた。
「糞〜っ、全部無くなっちまいやがった〜!」
巨大な氷の底で貴重な氷が底をついたマシューには、もはや打つ手は無かった。
(一から出直すしかねーのかよ、畜生〜っ•••)
最初からやり直す事は流石にマシューも辛い事だった。
とぼとぼと歩いて階段を昇り、マシューが氷上の三人に合流する頃には、更に二時間の時が流れていた。
大男の頭が見え始めた時から期待に胸を踊らせるフェリペは、いの一番にマシューを出迎えた。
「お帰りなさい! あなたが戻ってくるのを首を長くして待ってましたよ〜。それで、パケープの採取は成功しましたか?」
マシューはフェリペの質問には答えず、只々首を横に振るのだった。
翌日、心機一転した一行は懲りる事無く各々の任務に打ち込んでいた。
同じ時代の三人組は新たなパケープの在処を突き止めるべく、昨日と同じ作業に専念し、フェリペは先の蹉跌を踏まぬ様、パケープを再形化するに当たって何が必要なのかを、独りキースで模索していた。
(やはり、圧力に関しては問題ないみたいだ。自然に出来たものと同等の数値を定圧機の規定値に設定したから、再結合させても同等の状態を維持できる••• だとしたら、温度に変化があったのだろうか? いや、それも考えにくい。再結合は物体の相を変える事とは相反している。その処理をしたければ、別の操作が必要になる。それでは一体•••)
フェリペはアモルファス氷の事を徹底的に調べた。しかし、幾ら再形化に於ける条件を求めても、メアルによって規制されたキースでその答えを見出す事は不可能な事だった。
新しいパケープを発見したのは、またもやマシューだった。
「フェリペよ。とりあえず、行くだけ行って粒にして、それをこっちに持って帰ってから、機械の中に残る物をここで形にするってのはどうだ?」
マシューは再形化時の課題は後回しにして、採取を優先する事を提案したが、それに対するフェリペの回答は微妙だった。
「それはどうでしょうね〜。時間をおけば、状態変化のきっかけを与える事にもなり得ますから」
「そうか〜。やっぱ、現場の事は現場でやるのが一番か。けど、今の儘じゃあ、例の氷を見つけ出す事は簡単でも、持ち出す事までは容易じゃねー」
「確かに。じゃが、道を造るとこ迄は何も障りはあるまい?」
「ええ。それなら別に問題ありませんが、二往復するのは手間ですよ」
「へっ、それこそ目じゃねーぜ。どうせ俺達ぁ、お前が解決策を見つけるまで暇なんだ。それなら、先に場所だけでも確定しといた方が後々確実だな」
「あたしも、今の内に階段を造っといた方が良いと思うね」
「何故です? 何か確たる理由でも?」
「んなモンはないよ。只の勘さね」
例え力が落ちたとしても、アルベルティーヌの第六感は信用できた。
侍の戒めを心に、魔女の秘技を駆使し、学者の利器を活用して、海軍大尉は今一度、標的への道を築いて行くのだった。
マシューがテントに戻ってから二時間が経っていた。
「そう言や〜お前、腕の方はどうだ?」
「うむ。昨日辺りから痛みが和らぎおる。今はもう随分と良いのう。この分じゃと、明日には完治できそうじゃ」
「そうか。そりゃ良かったな」
元宗の筋肉は快調な超回復をしていた。
「腕が治れば某の膂力はより強うなる。其れ即ち儂は、刀、気、剛の全てに於いて、前より一段と上達する事と相成る。邦許にあっては常日頃より、剣を極めんと欲しておったが、何の因果か、黄泉にて己が心技体を高める機会を得ようなど。これもまた定なのかと思う、今日この頃也」
「だってよ、婆様。ちげーねーのか?」
「そうさね。この世に偶然なんてモンは無い。全ては必然なのさ。あたし等がここへ来たのにはそれぞれ訳があるが、何故ここだったのかは別のところに真意がある。あたし等は皆招かれたのさ。ここで自らを鍛え上げる為に••• 人生とは常に、起こるべくして起こる事象の連続だ。だからこそ、酸いも甘いも全て受け止め、受け入れるべきなのさ」
(流石は観音様よ。並の者とは逸し、真の理を説く•••)
(自分にとって良い事はありがたく頂戴できるが、悪い事まで喜んで吸収できる人間なんて、なかなか居ねーもんだぜ•••)
元宗は文化や宗教を超えるものをアルベルティーヌに感じ、マシューは飽くなき向上心と成長性をアルベルティーヌに見るのだった。
独りでテントの外に居たフェリペは、相も変わらぬ永久陰で、相も変わらず永遠に見えない敵の影を追っていた。
(駄目だ〜。もうこれ以上はアプローチ出来ない•••)
フェリペは色々と検索ワードを替え、多角的に終着点に迫ろうとしたが、それ等はいずれも不要な情報に至るだけで、結局のところ、満足のいく結果を齎さなかった。
「はあ〜っ•••」
長時間の作業に疲れた切ったフェリペは、一つ大きな溜め息をついて、空を見上げた。
空には瞬く星々がこの日も綺麗に輝いていた。
「んんっ?」
一瞬、空の一点に何か色が差した様に感じ、暫くフェリペはその近辺を仰視していた。が、静謐を保った儘の空は、何も変わった様子はなかった。
(気のせいか••• きっと、疲れ目のせいで幻覚でも見たのだろう•••)
そう思ったフェリペが、キースに向き直ろうとした時だった。
突如として天に現れた一筋のピンクの光の靄が、徐々に紫を帯びながら、じわじわと空全体を覆い尽くす大きさに広がっていった。
「こっ、これは!」
それは恒星風と衛星の磁気、それに酸素や窒素が揃う事で初めて生み出される独特の発光現象、オーロラだった。
その頃、テントの中に居る三人は瞬時に、しかも同時に、段々と膨らんでいく得体の知れないエネルギーの事をはっきりと感じ取っていた。
「! •••あんた等も感じたかい?」
「うむ。何じゃ、これは? 邪気ではなさそうじゃが•••」
「解らん」
外の様子を確かめる為に元宗が立ち上がると、外から三人を呼ぶフェリペの声がした。
「皆さん、すぐに出て来て下さい! 今なら非常に珍しい物が観られますよ!」
「何事じゃ? 何ぞ起こっ••• ! 何たる事ぞ〜っ! 天が、天が燃えおる〜っ!」
テントを出るや否や元宗は、その何とも麗しき事象に感嘆せずにはいられなかった。
「ほ〜う、こりゃ美しいね〜! でも、ありゃ火じゃないね。おそらく光だろう」
「どうなってやがる!? 全く意味が解らん! 空一面に光の河が流れてやがる!」
「あれはオーロラという現象で、この場所の様な極地でしか見られない物なんです」
「極光とな•••」
「それじゃあ、俺達の星じゃ見れねーのか?」
「いいえ。我等が地球でも、極めて上方か下方の土地なら観られますよ」
「正に、両の極み也〜」
「それにしても何だろね。あの光を観てると、妙に力が涌いて来る•••」
アルベルティーヌは、ピンクと紫に、青、緑、赤が加わった、留まる事無く代わる代わる移ろいゆく光から、何か強い力が注がれて来るのを感じとっていた。
「婆殿が申す儀、拙者もよう解る。何を隠そう某も、先刻よりどんどん気が充ちゆく覚え有り」
「だよな••• あれを眺め始めてから何だか俺も、絶好調の時の感じに近付いてってる気がするぜ〜」
マシューは腕を組み、不思議そうに小首を傾げた。
「いつも思うんですが、あなた達はやはり超人ですね。私の様な凡人は、この様な驚異的な自然現象を目の当たりにしたところで、興奮と感動ぐらいしか出来ません。そこから何かを受け取る事なんて••• 良く言っても癒されるという程度でしょう」
「あんたはこの手の力が薄い。だけど、癒されてると思うんなら、あんたにだって充分に影響が及んでるって事さね」
自分で喋っている最中に、アルベルティーヌは思った。
(あんたにだって•••?)
「!」
その瞬間、四人は一斉に気が付いた。
「気が合うとは、機が合う事と覚えたり! ワトソン!」
「ああ! フェリペ、こいつぁいつ頃まで出続ける?」
「解りません。オーロラは気まぐれな物なので、短ければ数分、長ければ数時間といったところです」
「火急を要すか••• すぐに参れ」
元宗の言葉に先んじて、マシューはテントに入っていた。
「先手を打っといたのが役に立ったね」
アルベルティーヌは消え行くマシューの後ろ姿に、そう呟くのだった。
猛ダッシュで氷の階段を駆け降りたマシューは、僅か三十分で氷の底に着いた。
(何だ? ずっと走り続けたのに、殆ど疲れを感じねー)
マシューは自分の身に起きている異変に気付いていたが、今はそれどころではなかったので、それを気に留めなかった。
マシューが体外離脱すると、パケープからは前よりも激しく音が漏れ出ていた。
(えらく強い音になってやがる! 明らかにさっきとは違う状態だ。期待できるぜ!)
マシューはすぐに肉体に還り、定圧機を備え付けた粒子機でパケープを粒化した。
「さ〜てと、こっからだ」
(頼むぞ! もう失敗はお断りだぜ)
マシューは一度心を落ち着かせてから、ゆっくりと最後のボタンを押した。すると粒子機はその願いを受理したのか、マシューの嫌うエラー音を鳴らさず、代わりに、整った長方形をした淡い水色の氷を産み出していた。
「やったぜ〜!」
マシューは力一杯両手を握り締めた。そして、サイズ通りに再形化されたパケープを丁重に真空箱に収めると、気持ち良く氷の底を後にするのだった。
「大丈夫ですか、お二人共!?」
長らくオーロラを目にした事で体の震えが止まらなくなったアルベルティーヌと元宗に、フェリペの不安は尽きなかった。
「問題ないよ」
「うむ。これはとりわけ悪しきものではない。むしろ良きものぞ」
「良いもの? 私には、とてもそんな風には見えませんが•••」
「これは武者震いじゃ。己が内より溢れ出る気を、身が抑え切れんくなりおるのよ••• こうなったからには体を動かすが一番」
そう言うと元宗は、立って刀の柄に手を掛けてそれを抜き、頭の真上に構えた思うと、そこから早素振りを始めた。
「とりゃ〜〜〜っ!」
最後の一振りに渾身の気合いを込めた後、元宗は静かに目を閉じて、そっと刀を鞘に収めた。
(未だかつて無き程に、刀と心が通いおる•••)
何度も両手を開け閉めして、改めて違いを実感し、元宗は、その状態で剣術の稽古をしたいとフェリペに申し出ると、危ないから絶対に近寄らない様に断り置き、テントから距離を置くのだった。
一方、マカバを氷の上に置いたアルベルティーヌは、手を触れずにそれを動かせるか試していた。
(•••トンッ!)
アルベルティーヌが杖をマカバに向けて念じると、マカバは杖に吸い寄せられた様に、ほんの少しだけアルベルティーヌに近付いた。
(やっぱりさね。魔力が戻りつつある•••)
特殊能力の回復を確信したアルベルティーヌもまた、マシューが帰るまで呼び戻さない様にフェリペに言い置いて、テントから離れた所に身を置き、独りひっそりと瞑想に入るのだった。
さっき迄の単一で直線的な動きとは打って変わって、前後左右に上下を足して流動的な動きを見せる元宗の、まるで舞っているかの様な剣技と、引き続き天に揺蕩う光の幕をフェリペが静観している間に、階段を昇り終えてマシューが帰って来た。
「よう!」
「お早いお帰りで。今回はどうでした?」
「ああ。バッチリだぜ〜」
「それは良かった!」
フェリペは手を叩いて喜んだ。
マシューはすぐに他の二人を呼び寄せ、皆に成果を報告した。
「ようやった! 誠に大儀」
真空箱に詰められた淡い水色の氷を見て、元宗は二度大きく頷いた。
「それにしても、外見では全く見分けがつきませんね、普通の氷と•••」
「そうだね〜。けど、濃さが違うよ。今ならはっきり解るさね」
「確かに、アモルファス氷は一般的な氷より密度が高いみたいです」
「そこ迄は解んねーが、俺の視た限り二つの氷は、明らかに中が違ってたぜ」
「だね。あたしにゃ、その辺の氷は中の粒がきちんと並んで視えるが、あんたが採って来たモンは、バラバラで不規則に視える•••」
「視えるって、婆様。まさかっ!」
驚いた顔をする男達に、アルベルティーヌはニヤリと笑みを零して言った。
「良い機会だ。あんた等にも、あたしの力ってモンを見せてやるよ」
アルベルティーヌはマカバを氷の上に置き、
「ラポーラ、ポンッ!」
と、呪文を唱えた。するとマカバは、コロコロと転がって2m程先まで独り手に進み、
「コッヘナ、トンッ!」
という次の号令に、スーッと、アルベルティーヌの許に還って来るのだった。
「アルベルティーヌ!」
「有難や〜。婆殿の秘術は百人力を超え、一騎当千に値す!」
「運が良いぜ。あの光は奇瑞だったんだな!」
フェリペと元宗とマシューは、それぞれ切った十字と合掌と福音を天に捧げていた。
美麗に揺らめくオーロラの下、老婆の魔力は遂に復調の兆しを見せ始めるのだった。
大きく土地を隔てた、メチョッテ波動学研究所では、ここへ来て大きな変貌を遂げた三人の地球人に、より大きな関心が寄せられていた。
「学部長、固体モの生命力が今迄の最高点を更新しています! 俗に言う、レベルアップが完了したのでしょうか?」
「その様だね。彼は『炎』で生死を経験して以来、潜在エネルギーが飛躍していたが、どうやらそれが全体に行き渡ったみたいだ••• そしてもう一人、急激な復調を見せたのが、個体アだ。『嶮』以来ずっと脆弱になっていた彼女の放出性のエネルギーが、極めて小規模で瞬発的にではあるが、確かに爆発した」
「それに比べ個体マは、彼等とは別領域が伸びていってますね。彼の感覚的な反応の速さは、以前の固体アの速度に似通ってきました。特に、意識を遊離させている状態でのそれが、『氷』に入ってから、格段に速まってます。何故そんなに鋭敏になったのでしょう?」
「それはまだ解らないが、三人同時に個々の能力が高まっているのが気になる」
「固体フェに関しましては、特別変わった事は•••」
「そうだね。しかし、彼のデータこそ最も貴重だ。何故なら彼は、一番我々に近い••• 進化した智生物が失う、大変重要な動物的潜在能力。 彼は、丁度それを失う過程に位置する唯一の存在だ」
期せずして手にした最も興味を引く人物に、今更ながらメアルは、強く運命を感じるのだった。
独り瞑想に戻ったアルベルティーヌをちらりと見て、フェリペは二人に提言した。
「暫くこの地に留まりましょう」
「婆様の力が最大限になるのを待ちてーんだな?」
「異論無しじゃ。儂も己が力をより高めとう御座る」
「まーな。俺もまだ伸び代があんなら、願ってもねー話だ」
「そうでしょう。但し、四日後には去ります」
「何でだ? リミットを設ける必要なんてねーだろ?」
「それがあるんですよ。先程調べ物をしていた時、余りにも有効な情報を引き出せなかったので、気晴らしにちょっとだけ次の標的の事を調べたら、日時に条件がある事が解ったんです。それに拠ると、次の標的は春分の日とその前後日に当たる、全三日間にしか採取できないみたいなんですよ」
「その春分の前日が、四日後なのか?」
「そうです」
「成程のう。ならば婆殿には、出来ればその間に平癒して頂きたいところじゃが•••」
老婆の魔力の全快は全員の悲願だったが、たかだか三日間程度で回復できるかどうかは、大いに疑わしいところだった。