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次元を超えて  作者: 松に麻
第二章 試練の旅
7/15

七、灼熱の泥


 難攻不落な陸の孤島を後にした一行は次なる行き先である山の国ルカへと向かった。

「ダハールカ••• これが次の私達の標的です」

 フェリペは三人にキースを見せた。

『ダハールカ•••標高世界一を誇る独立峰ルルカに存在する低粘性熔岩。海抜7・8ニュギ(24842m)地点のカルデラ内にある山の国ルカが『炎』と呼ばれる所以となった熔岩湖に行かなければ、採取できない』

 余りにも危なげな解説文にマシューはしかめっ面をして言った。

「お前、気は確かか?」

「かなり過酷な環境だね、ここは•••」

 アルベルティーヌは立体図説の極めて裾の広い山の頂の中にある紅く点滅する湖を指差した。

「霊峰富士より高き山の燃え盛る湖とな。果たして、命が持つかどうか•••」

 元宗は眉を顰めて呟いた。

「しっかりして下さいよ、お二人共。アルベルティーヌに『自分達に任せろ』と言ったのは、私達の方なんですよ?」

「そりゃ解ってるが、盆地に入っただけだってのにこの熱さじゃ、火の湖に着く前に焼け死んじまうぜ〜」

「某とて、さっきからどうもすぐに喉が渇き、一向に調子が上がらん」

 南に位置する赤と青の双子星が正午過ぎを告げる『炎』で、マシューはラビの外に出た瞬間から纏わり付く熱を帯びた空気を嫌気し、元宗は徐々に狂わされていく体調に早くも参っていた。 

(確かにここは、中米の気温よりもずっと高い。今後の事も考えて、しっかり対策しなければ•••)

 フェリペは防寒具を作った要領で断熱服を作り、近くに粒化に適した岩がなかったので、即席の試着室も設えて皆に呼び掛けた。

「皆さん、このスーツに着替えて下さい」

「冗談じゃねーぜ。こんな分厚いもん着て涼しい訳ねーだろ!」

 マシューは渡された厚さ2㎝程の黒い全身タイツを懐疑し、吐き捨てる様に言った。

「一見そう思えますが、この厚さこそが、気温と体温の熱伝導を断絶してくれんです」

「斯様な衣、忍にも見た事ない」

「着ろと言われりゃ、着るしかないさね」

 アルベルティーヌは一番乗りで試着室に入った。

 五分後、アルベルティーヌが試着室から出ると、外では男達がもう既に着替え終っていた。

「不思議じゃ〜。厚き召し物を着れば、より熱くなるが道理じゃと云うに•••」

「それも不思議だが、もっと不思議なのはあいつ等だぜ〜。何でこの変な服を着てねーのに、平然と闊歩してやがんだ?」

 カルデラ内部にある街の住民達にマシューは関心の目を向けていた。

「ここの人達は熱さを好む人種なんじゃないですか? もっと言うと、私達に丁度良い気温は、彼等には寒過ぎるのかも知れない」

「熱くなきゃ駄目って事かい?」

「その可能性があります」

「かてーの専門の次は、あちーの専門かよ•••」

「いよいよ以って、まともが居らぬわい•••」

 マシューと元宗は揃って首を横に振り、溜め息を漏らすのだった。

 目的地まではまだ30㎞以上あった。

 街でルパカンタを借りて、フェリペは一気に熔岩湖までワープしようと試みた。しかし、噴火口周辺は低重力異常域な為、重力子を利用した移動法は実行不能と乗り物に返答されると、残った手段は実走しかなかった。

 自動操縦で距離を縮める事凡そ十分、移り行く景色が新緑を帯びた愛らしい草木から、ゴロゴロと転がる無骨な黒岩に移ろう頃、連盟指定の危険地帯に達した四人は、もうそれ以上前に進む事が出来なくなった。

「ここから先は歩くしかありません」

「また、浮かぶ板を使えばよかろう?」

「それが、ここでは高温の地熱の為にあの道具が用を成さないんですよ」

「残りはどんなもんだ?」

「後、約6㎞です」

「まあ、距離はそんなに問題じゃないよ。それよりも空気の方が気になるね〜。あたしゃ、どうもここいらには毒々しいエネルギーを感じてならない•••」

 アルベルティーヌの言う通り、そこは、二酸化硫黄と硫化水素が蔓延する場所だった。

 大気の成分を調べた結果、フェリペは急遽、酸素を流入し、二酸化炭素を排出できるヘルメットを四つ作って、それを三人に配った。

「いいですか、皆さん。これより先は、何があってもこれだけは絶対に外さないで下さい!」

 いつもより強いフェリペの語気に、今回は二人の男達も文句を言わなかった。

 四人がルパカンタを降りると、どこ迄も続く荒涼とした黒い大地では、遥か上空まで立ち昇る噴煙が一行の終着地を告げていた。

「目指すは、あの大きな狼煙台です!」

「何が悲しくてあんな所へ•••」

「正に、地獄絵図也•••」

「ホントさね。師の言葉を思い出すよ•••」

 見るからに難所である土地に自ら挑まなければならないフェリペは、何とかして共に行く者達の士気を高め様と、気張って言う事で皆を奮起したつもりだったが、流石にアルベルティーヌも乗ってこないとなると、その意気軒昂な演技は虚しくも空振りに終るのだった。

 快活さとは無縁な熱気に軽快さを失った四人は、重苦しい雰囲気の中、言葉すらをも失ってしまったかの如く、只々無口に足を運んでいた。

(別に仲が悪くなった訳でもないのに、気分一つでこんなにもムードが一変するとは•••)

 フェリペは、無常と言われるこの世においても人の心理程多様な変化を見せるものは、そう多くはないだろうと沁々思った。

 暫くして、何の面白みもない土地に小さな違いが現れた。今まで真っ黒だった地面が幅20m程の川を境に焦げ茶に転じていたのだ。

「こりゃ〜、一体•••」

 アルベルティーヌは鋭い眼で対岸の茶色い大地を凝視した。

「おい、婆様•••」

「あんたも感じたかい? おそらくだが、あたし等はこの川より先には進めないよ」

「進めぬとは如何なものか? 我が目に然したる障りなし」

「そりゃ、目には見えないだろうよ。だがね、ここはあたしにだって経験した事のない、未知なるエネルギーに満ちてる」

 アルベルティーヌが訝るので、フェリペは安全なルートがないか調べた。しかし、どれだけキースと睨めっこを続けても、妥当なコースは見つからなかった。

「駄目です。どこから行っても火口に近付く程、ポポエラと言う、あの赤い物質の含有量は高まるみたいで•••」

「お前の便利道具で消せねーのかよ?」

「無理ですよ。地下何十㎞にも及び、分布している様ですから」

「参ったわい、頭打ちじゃ」

 元宗は腕を組み、顎髭をしごいた。

「どの道ポポエラを避けられないのなら、一思いに真っ直ぐ進んでみますか? 私達の目標はもっと奥地なんです。いつ迄もこんな所で拘束される訳にはいかない」

 フェリペはメアルと契約を交わした時に、この旅が生半可なものではない事を覚悟した以上、多少の危険は止むを得ないと、三人を説得し、上陸後の展開を見定めない事には解決策を見極める事も出来ないと、水を越す為の浮き進む板を作り出した。

「お前さっき、それはここじゃ役に立たねーって、言ってたじゃねーか?」

「試してみないと解りませんが、多分水の上なら話は別です」

 フェリペが川に板を落とすと、予想通りそれは、僅かに水面の上に浮かんでいた。

(よしっ!)

「一度は行動に出てみないと、どんな対処をすべきかも解りませんから」

「拙者は別に構わんが、二人がのう」

「お前に従うぜ。現状俺にゃあ代案がねー」

「確かに、坊やの言い分にも一理あるさね」

 アルベルティーヌとマシューが折れると、フェリペは晴れて渡河の許可を得るのだった。

 川を渡った四人は程無く畔に着いた。

 ゴクリッ••• 一度喉を鳴らし、フェリペは意を決して境界線の先に降り立った。

(うっ!)

 一歩目で感じた違和感は、二歩目にはより確かなものとして全身に行き渡っていた。

 フェリペは一瞬で体中の力が抜け、全ての活力が地中に吸い込まれていく気がした。

「いかんっ!」

「大丈夫か〜!?」

 膝から崩れ落ちていったフェリペを起こす為、元宗とマシューが慌てて焦げ茶色の領土に侵入すると、その瞬間、マシューにも同じ事が起こった。

 バタッ!

「ええいっ、お主もか!」

 マシューはフェリペの横に前のめりに倒れ込んだ。

 精気を奪う怪奇な土地にあって、不思議なのはむしろ元宗の方だった。男二人が相次ぎ転倒し、地に這い(つくば)る中、何故か元宗だけは何ともないのだ。

 首を傾げながら元宗は、眼は開いているものの、まるで動かなくなったフェリペとマシューを順次ボードに送り届けた。

 暫くの間二人は、気持ちが悪いと不調を訴えていたが、復調してくるにつれ、徐々に口にも活気が戻った。

「さっきは喋れもしませんでしたが、意識はしっかりとあったんです。私は即座に、子供の頃に体験した金縛りを思い起こしました」

「金縛りかい、そりゃ厄介だね〜」

「確かにあの苦しみは、あれに近かったかもなー。だが俺ぁ、違う事を思い出したぜ」

「何を思うたのじゃ?」

「コーンウォールの謎めいた石の事さ•••」

「! その話は私も聞いた事があります。イングランド南西部にあるボスコヮンヌーン遺跡のストーンサークルの中には、女性にのみ異常を来たす石柱が存在すると•••」

「そう、それだ。ど真ん中の石とサークル内のとある一つの石にだけ、女達は(こぞ)って脚を震わせ、立ってもいられなくなるらしい••• ストーンヘンジでは見られねー現象で、南じゃ有名な話だった」

「先刻のお主等と瓜二つではないか?」

「だが、もしここが男版のボスコヮンヌーンだとしたら、なんでお前だけ脱力しなかったんだ?」

「その答えは、アルベルティーヌに聞くしかありませんよ」

「?」

 元宗とマシューが戸惑う中、アルベルティーヌはひょいとボードから飛び降りた。

(あっ!)

 と、思った時には既に、アルベルティーヌは地に伏していた。

 予想通りの結果に、すぐにフェリペは元宗にアルベルティーヌの救出を依頼し、老婆は暫しの体調不良に陥った。

「•••解っててやるってのは、嫌なモンだね〜」

「大変、申し訳ありませんでした! しかし、おかげ様ではっきりしましたよ」

「ああ、そうだね」

「どうやらここは、性別ではなく人種の違いに敏感な場所の様です」

 地球外物質ポポエラはコーカソイドに決定的な影響を及ぼすと言う結論に至り、フェリペは、白人のDNAに原因があるからには自分を含めた三人の遺伝子を組み替えるのが最善策だと思った。が、例えこの星の遺伝子工学が地球のものよりも遥かに優れていたとしても、一度遺伝子を操作し、また後で操作し直して貰う、なんて恐ろしい事など、当然の事ながら考えたくもない事だった。

(これは非常に悪い状況だ。邪魔な物質も除去できずに、肉体改造はお断りなら、せめて反応を無効化できる物を探さないと•••)

 一旦黒い地に退き、フェリペはポポエラに対する特効薬の有無を一心不乱に調べ始めた。しかし、前例のない難問の答えはおいそれと出てくる程あまいものではなく、食事を挿んで六時間が経つと、痺れを切らした元宗が、とうとう一つの提案を寄せるのだった。

「難題が打開に心血を注ぎおるところ、水を差してすまぬが、かの茶が領地にて、お主等舶来人は動けずも、某は動ける。ならば、皆の者には手出し無用。拙者一人にて、けりを着けて来ては如何か? もう然して遠くもなくば、お主が必死になるより速かろうて」

 そんな元宗の考えに真っ先に反対したのはアルベルティーヌだった。

「お止しな、一人で行くなんて。あんたとこの子の違いは、二つの便利な道具を使いこなせるだけの幅広い知識があるかどうかだ。おそらくあんたじゃ、何かが起きても対応できない。便利なモンも使えず終いさね」

「然りとて、今や八方塞がり。これでは幾日待てど、誰一人として動けぬ」

「相手は本来避けるべき火山なんだ。仲間の命を救うどころか、下手すりゃあんたの身が危ない••• ミイラ取りがミイラになる事だってあるんだよ」

「それならそれで構わぬ。いっそその方が、死んだ彼奴に会えると云うもの」

「待って下さい。それでは本末転倒だ。そんな事は私達だけでなく、ご友人のセニョール十兵衛だって望まないでしょう?」

「縦しんば彼奴が望まぬとも、某自身の望みが為なら、拙者は他意に服さぬ。只、我が意にのみ従う迄よ! 

   死出(しで)が旅

    三度(みたび)(さいな)

     災難に

    心割れれば

     我はここ迄

(この冥土の様な星の旅路で、三回降り掛かって来た禍に、心が折れてしまう様であれば、俺はここ迄の漢でしかない)

 三途の川を渡りて、火を噴く死出山に向かうは一人で充分。儂が行く! やれ、エンリケ。黙って物を差し出せい!」

「いいえ、駄目です。危険過ぎます」

「もう一度云うぞ。物を寄越せい!」

「何かがあってからでは、遅いのですよ?」

「もう二度と云わぬぞ。物を寄越せい!」

 フェリペの懸命な宥めにも応じず、元宗は(かたくな)に道具を貸せと言って譲らなかった。

「一点張りになっちまった••• こうなったら梃子(てこ)でも動かせないよ。諦めな」

「そっ、そんな〜」

「この坊やは常に和を乱す事はしないが、こうと決めたら誰にも(はばか)らない。それ以上執拗に反論を続ければ、彼の心はみるみるあんたから離れていく。いや、もう既に離れ始めてるさね•••」

「流石じゃ。見抜きおるわ•••」

 初めは打診しただけだった元宗は、いつしか己の考えを唯一無二の絶対的なものとし、その強行策はアルベルティーヌが首を縦に振った瞬間から決定事項へと変わっていた。そして、老婆のイエローカードに白旗を振ったフェリペは、観念して元宗に必要と思われる道具を一式持たせ、断熱服の上に更に防火服を着せるのだった。

「まあ、正直俺も単独で行かせたくはねーが、状況が状況。お前と同じ立場だったら、同じ行動をとったろうからな•••」

 元宗の理解者であるマシューはその気持ちが手に取る様に解り、唯一人、元宗の肩を持った。

「案ずるな、エンリケ。元より某、無事にまたこの地を踏む所存故」

「絶対ですよ!」

「武士に二言は無し!」

 こうして、堅く帰参を約束した元宗は焦げ茶色の岸辺まで三人に送られ、リュックを背負う姿を見送られると、暫しの一人旅に出掛けるのだった。


(はや)、陽も暮れたか••• そろそろ火を擁さぬ提灯(ちょうちん)でも点けると致すかのう」

 力強く照らし導く光の珠を頼りに、元宗は一歩また一歩と、着実に前進して火の基を目指した。

 やがて、緩やかな上り坂の終わりに巨大な陥没が見えた。

「時も来たれり」

 元宗は大きな煙の柱を生み出す穴の縁に立った。その瞬間、眼に映るとてもこの世のものとは思えない光景に、思わず息を呑んだ。

「!」

 そこは、地面の亀裂から噴き出す大量の硫黄ガスが大気に触れて自然発火、更に液化し、何とも青白い炎を巻き上げながら山肌を流れ落ちる上に、星の潮汐力の影響を受けて海の様に波打つポポエラの粉粒が、噴火による熱と爆風に黄緑の花火みたいに打ち上げられ、絶え間なくグツグツと煮え滾る赤黒い熔岩が、常に虎視眈々と地表の書き換えを狙っている場所だった。

「何たる事ぞ•••」

 元宗は落差凡そ200mの大釜を見て、一首詠まずにはいられなかった。

「  蒼焰(あおほむら)

    (みどり)火の粉に

     臙脂(えんじ)

    黄泉比良坂(よもつひらさか)

     閻魔(えんま)釜かな

(青い炎と緑の火花に赤い湖。黄泉比良坂とは正に、冥府の王の血の池地獄の釜である)

 あれ程の啖呵を切りおいて、何も持たずに尻尾を巻いて蜻蛉帰りとあれば、誠に以て片腹痛し! 我が面目たるや丸潰れとなる••• 地獄の鬼共に業火へと引きずり込まれぬ様、褌を締めて掛かろうぞ!」

 元宗はその美しくも怖ろしい舞台に、改めて気を引き締め直すのだった。

 フェリペが用意した(くさび)を地面に打ち込み、二本の命綱を交互に斜面にくっつかせて、地中より起ち流れる青白い火柱を避けながら、元宗はワイヤー伝いに釜底へ降りて行った。

 風に吹き飛ばされる黄緑の火花は容赦なく降り注いだが、それを顧みずに進み続ける事三十分、ようやく元宗が焼ける湖を取り囲む平坦な地に辿り着くと、そこでは、激しい大気の揺らぎが極端な温度差を告げる中、高さ5m程の殆()ど垂直な崖の下で、ボコボコとおっかない音を立てて沸き立つ標的物が、中央から端まで休まずに流動していた。

(まるで、出陣の下知を今か今かと待ちおるかの如しじゃ•••)

 元宗はいつそれが崖を駆け上って進軍して来るかと、内心気が気でなかったが、暫く様子を見ていても、熱気だった兵士達が駐屯所を離れる事はなかった。

「心頭を滅却すれば、火自ずから涼し••• あと一歩のところで成せるを成さぬは、一生の不覚也!」

 元宗は腹を括った。

 タングステン製の重たい柄杓に50㎝の棒を八本繋ぎ合わせ、適度に垂らしたワイヤーを命綱と供に下って、釜の最も深い所に詰め寄ると、元宗は最後の難関に王手を掛けた。

「いと天高き地の底におわします冥府の王や! 願わくば、去りし日に露と落ちたる我が戦友の命、今一度蘇らせ給う!」

 元宗は大音声を放って、長さ4mの採取器具を、常に黄色いマグマが奔騰する箇所に恐る恐る埋め、引き上げた。

 元宗が覗き込むと、棒の先にある杓の中には、橙に燃焼する熔岩がしっかりと見えた。

「我ここに、得難きを得たり!」

 元宗は遂にダハールカを手に入れた。

 中身を零さない様に長物を背中に固定して、そーっとリュックまで引き返し、元宗は真空箱に熔岩を流し込んだ。

(良し良し、上々じゃ。これで、また一歩お主に近付けたかのう? 十兵衛••• ならば、我に応えられたし!)

 元宗は握り締めた右拳を肩に構え、

「えいっ、えいっ、おおーっ!」

 と、思いっ切り天へ突き上げた。

「我が事は成った。これ以上の長居は無用••• 引き上げじゃ」

 地獄の釜で独り極楽に向けて勝鬨を上げ、多少重くなった筈のリュックがむしろ軽くなった様に感じられると、後は来た道を戻るだけだった。

 熔岩湖を発った元宗は帰り道でも相変わらず大量に舞い散る火花に見舞われたが、もうそれを鬱陶(うっとう)しくは思わなかった。しかし、黄緑の雨の密集地帯を越えた後に、突如現れた酸を従える俄雨には少々手を焼かされた。

(ふう、次から次へと•••)

 元宗は厄介者を我慢しながら上へ登って行った。

 釜の口に到達する頃には、酸性雨は既にそこを去っていた。

 その場で一度振り返って、元宗はもう一度噴火口全体を一望した。

「見納めじゃ〜」

 正念場を凌ぎきった後に見る地獄は前迄とは全く違って見え、只々綺麗な天国だった。

 止む事なく躍動し続ける湖をいっとき眺め、元宗は帰路に就いた。

 なだらかな下りの勾配で光晶石を片手に歩を進めていた時だった。ふと、吸気に腐卵臭が混じるのを感じ取った元宗は、そこで足を止めた。

(•••はて? 白浜が湯でもこれ程きつう匂う事はない。然れど、こげな死地にて誰ぞ屁を扱く輩など居ようや?)

 元宗は半径10m以上に及ぶ光の円内を見回したが、当然そこには、人影など一つも見えなかった。

(異な事よ。先刻通った折には、これと云って何も覚ゆる物は無かったと云うに•••)

 元宗は首を傾げるばかりだった。

「いずれにしろ、早うここを去るべし!」

 元宗は足取りを速める事にした。

 不快な臭いの中に身を置く事三十分が過ぎた。徐々にいがらみ始めた喉が段々と咳を抑えきれなくなると、元宗もまた、痰を止める事が出来なくなった。

「かぁ〜っ、ぺっ!」

 元宗は痛みを伴う痰を思い切り口の外へ吐き出した。汚物は完全防備なヘルメットの内側にへばりついた。

(ぐへっ••• 心地悪き事、極まりなし!)

 そう思っていられるのも、今の内だった。

 姿形はおろか、音も無く忍び寄る魔の手にじわじわと肺を蝕まれていた元宗は、やがて、その耐え難い責め苦と厳しい頭痛に平静を保っていられなくなったのだ。

「ぐはぁ〜〜っ!!」

 喉と胸が灼ける異様な感覚に元宗は七転八倒した。

(なっ、何じゃこの痛みは!? 苦しゅう! 息がつけぬ••• たっ、(たれ)か、(たれ)かある•••)

 声も出せない程の激痛に烈しく顔を歪める元宗の体内では、やはり、ポポエラに端を発する疾患が巻き起こっていた。

 高度な文明の利器が編み出した高性能なヘルメットの顔に面する目にも映らないフィルターが、燃えるポポエラの屑に因って化学反応を起こし、その耐水性の弱体化を許してしまったところを、これ幸いと便乗してきた二酸化硫黄が産み出した酸の水が溶かすと、強烈な臭いを放つ濃厚な硫化水素の襲来を阻めなくなっていたのだ。

(も、もはやこれまで•••)

 鬼門の物質と二つの硫黄化合物からなる連合軍に完膚なきまでに叩きのめされた元宗は、強い痙攣(けいれん)を引き起こした末に、次第に鈍りゆく自らの心音を耳に、静かに(まぶた)を閉じてゆくのだった。


 その頃、川辺に居を構えていた者達の頭上を一際大きな彗星が飛び越えて行った。

「これは大きい! なんて煌びやかなんでしょう!」

 無邪気に喜ぶフェリペの(かたわ)らで、アルベルティーヌは渋い顔をしていた。

(何だろね? 何か胸騒ぎがする•••)

 一方、元宗送迎直後も早々に、

「何か動きがあったら、起こしてくれ」

 と、独りテントの中で就寝していたマシューは、今その身に起きている強烈な異変を認識していた。

(うっ! 何だこの音は!? 体の感覚もおかしい! 何故かシュワシュワしてやがる!?)

 長く聴けば頭痛を引き起こしそうな耳鳴りは、日頃のものより高い周波数の響きで脳内を駆け巡り、浸っているというより、まるで自らが放っているかの様な感覚を覚える、発泡入浴剤の様になった肉体は、幾ら動かそうとしても全くいう事をきかなかった。

(くっ、金縛りか!)

 声を出す事すら許されない状況に嫌悪感を抱いていると、やがてマシューの体は、仰向けを保った状態で垂直に上へ浮揚していった。

(おっ、音が消えたぞ! 体も変じゃなくなった••• うおおっ、ちけーよ! 何だこりゃ!?)

 今やヘルメットの僅か20㎝先に見えるテントの天井に、マシューは当惑した。

 それは、荒波に揉まれる船が水面を飛ぶ瞬間にだけ得る、えも言われぬ無重力状態が、ずっと継続している奇妙な世界だった。

(間違いねー。俺ぁ浮いてやがんだ!)

 あまりにも現実離れしている状況に、マシューは最初、夢だと思ったが、暫く待っても何の進展もなく、只々宙に留まっている様子に、少しずつ焦りを募らせていった。そして、心に落ち着かないものが溜まってくると、とうとう自暴自棄になった。

(糞っ垂れ〜っ! 何だってんだ、畜生っ!)

 憤懣(ふんまん)遣る方無く、マシューは遮二無二(しゃにむに)手足を動かそうとしたが、無駄だった。

(ああ〜っ、鬱陶しい! いい加減、むかついてきたぜ!)

 苛立ちが最高潮に達した時だった。マシューの脳裏にある言葉が過った。

(念じる事じゃ! その想いが重い程•••)

 それは、『心より魂、意志より意識』と説く、得体の知れない技を使う禅の行者の(おしえ)だった。

 マシューは少し冷静になり、コイン回しの要領を思い出して、懸命に想念し始めた。

(廻れ、廻れ•••)

 すると、暫くしてから体が徐に回り始めた。

(よしっ、やったぞ!)

 気を抜いて雑念が入った時は体はすぐに定位置に戻ったが、めげずに反復する事でマシューはようやく、浮かび上がる自身の体をコントロールする術を体得した。

 空中で反転する事に成功したマシューは、自身の真下に真の自分の体が横たわるのを見て、愕然とした。

(はあっ!? 夢でもこんなん、見た事ねーぜ!)

 マシューは上から鏡でも覗き込んでいる様な気分だった。そんな時、

「誰だい!?」

 と、外からアルベルティーヌの声がした。

(婆様!)

 その刹那、マシューの目にはテントフレーム内部の空洞がはっきりと見えていた。そして、薄皮一枚のテント生地が、まるで分厚い壁の様に感じられた直後に、アルベルティーヌとフェリペの姿が鮮明に映った。

 恐怖すら感じる暇もなかった一瞬の出来事に、マシューは自分がテントを擦り抜けた事を理解するのに少し時間が掛かった。

「どうしたんです? 怖い顔して」

 フェリペはじっとテントを見詰めるアルベルティーヌに訊ねた。

「そこに誰か居るよ。立ってる••• 今のあたしじゃ、もう視る事は出来ないがね」

「えっ!? 幽霊ですか?」

「厳密に言うと、霊魂さね。死霊か生霊かは解らないよ」

 フェリペはこの際それはどちらでもよく、単にその状況が怖いだけだった。他方マシューは、何とかしてアルベルティーヌにこの状態を解いてもらおうと、必死に訴えていた。

(おいっ、婆様! 助けてくれ! 気が付きゃ俺ぁ、こんな訳解んねー事になってて、自分で起きる事も儘ならなくなっちまった! 魔法を使えなんて言わねーから、せめて眠る俺の体を叩き起こしてくれ〜!)

 マシューは持てる最大の声を放つ感覚で訴えたが、その音は全く伝わっていなかった。

「んんっ? う〜む•••」

「まだ居ますか?」

「ああ。あたしに何かを伝え様としてる••• これは、人が訴える時の波調さね。だが、何が言いたいのか解らない。もどかしいよ。前なら顔すら解ったモンなのに•••」

 それはマシューにとっても同じ事で、現状に限って言えば、むしろマシューの方がもっと歯痒かった。

 マシューは悲痛な思いで何度も訴えた。が、結局その声は、只の一度もアルベルティーヌの耳には届かないのだった。


 一時間後、認知してもらう事を諦めたマシューは、元宗が帰って来る迄の辛抱と、開き直っていた。

「遅いですね。そろそろ戻って来てもいい頃だと思うんですが、何か梃子摺(てこず)ってるんでしょうか?」

「う〜む。あの大きな箒星があった時から、あたし等の近くにずっと居る霊があの坊やだとしたら、彼の身に何かあったのかも知れないね〜」

「えっ、彼は死んだんですか!?」

「それは解らないって、さっきも言ったろ。それに、あの坊やと決まった訳でもない」

(おいおい、何言ってやがる。ここに居るのはもう一人の方だぜ•••)

 そう思いながらも、マシューも元宗が気になった。

(あいつ、まさか•••)

 居ても立ってもいられなくなったマシューが、元宗の現状を把握したいと思った瞬間、マシューの浮かぶ体はグイグイと何かに引き寄せられ、あっと言う間に川を越えて、火口付近まで飛んでいた。

(ゴローザ!)

 マシューの目が捉えたのは、黄緑の火花の集中砲火と酸の雫の集中豪雨を浴びて悶絶した、元宗の姿だった。

(あのヤロー! 本当に死んだんじゃねーだろーな!?)

 傍まで降りていくと、呼吸困難に陥っていた元宗は、もう既に虫の息だった。

(おいっ、ゴローザ! お前、何こんなとこで、死にそうな面して寝てやがんだ! 早く起きて戻ってきやがれ!)

 マシューは怒鳴って、無理やり元宗の体を動かそうとした。しかし、魔法使いの様にはいかず、ポルターガイストを執行する事までは出来なかった。

 一方その頃、失われた元宗の意識は、美しい蓮の華々が果てしなく広がる処にあった。

「ほほ〜っ! これはまた何と麗しき水の園•••」

 何とも穏やかな気持ちで、水面に浮かぶ純白から艶やかなピンクの蓮華の中を、元宗は手漕ぎ舟の櫂を手に進んでいた。

 不思議にも蓮の華々は舟が行く時だけ都合良く水の中に消え、通った後にまた、水から顔を出していた。

 元宗は暫くその儘、その快い空間に遊んでいた。

(心地良き事、限りなし•••)

 寝転がった舟から見える空はどこまでも清々しい紺碧を呈していた。

 ふと気が付くと、いつしか舟は独り手に進んでいた。

(漕ぎ手も無しに、何処へ参らんや?)

 元宗が半身を起こすと、蓮の葉は少しずつ大きな物に移ろっていたが、じきに(まば)らになっていき、終いには全く無くなってしまった。

 大海に独り小舟を浮かべる様で寂しくなった元宗は、櫂を手にして、蓮華の園に引き返そうとした。しかし、どれ程漕いでも、舟はまるで舵が利かなかった。

「ええいっ、勝手な奴め!」

 元宗が悪戦苦闘している内に、やがて前方に何かが見え始めた。

(何じゃ?)

 目を凝らすとそれは、一際大きな蓮の葉の上に胡座をかく、人の輪郭に見えた。

 ゆっくりと近付いて行く舟から、元宗は声を大にして呼び掛けた。

「ほぉ〜い! そこな蓮葉の大皿に座す御方や〜、貴殿は何故、こげなとこに御座(おわ)す? 一体、何者ぞ〜?」

「•••」

 応答が無かったので、元宗はもう少し舟が詰め寄るのを待った。

 じきに、その者の着る物が和服である事が視認できた。

「その召物から和人と見受けたが、お主は何処(いづこ)の国より参られた、何某(なにがし)たるや? 拙者は、紀州は串本が舟木五郎左衛門元宗と申す者也」

「くくくっ、これは可笑しな事を申す。よもや我が顔、忘れた訳でもあるまいに•••」

「その声は!」

 元宗が急いで舳先に駆け寄ると、そこには、戦死した幼馴染の姿があった。

「十兵衛!」

「如何にも••• 久方振りよのう、五郎左」

 元宗は一気に涙腺が緩むのを辛くも抑え込んだ。

「何じゃお主、生きておったか!?」

(たわ)け。お主に抱えられ逝ったを憶えていよう」

「しかども、今はこうして此処に•••」

 元宗は顎髭をしごいた。

「! まさか、ここが世に云う三途の川か?」

「左様」

「ならば、某も(つい)(つい)えたか?」

「然に非ず••• お主はまだ、辛うじて息をしおる。じゃが、薄うなりおるもまた真也」

「成程のう。故にお主が迎えに参った次第か••• 本来なら、儂がお主の無念を帳消しに致しとうところじゃったが、どうやら閻魔に名を書き込まれてしもたらしい。お主に先手を打たれ、儂の方が後手に回ったとあらば、それもまた止む無し。悔いは無し••• どれ、十兵衛。この儘浄土の道案内でも頼もうぞ」

「愚か者め!」

 十兵衛は鬼の様な眼で怒気を放ち、真剣に元宗を見据えた。

「儂は、貴様の手を引きに来たのではない。追い返しに来たのじゃ! ちと口を慎めい!」

「何とっ!? •••ならば儂も、只では帰れぬ。ここで会ったは好機到来! 我が本懐を遂げんと欲す!」

「お主が口惜しさ、重々承知。然れど、一度死を賜った者は二度と生き返らぬが道理!」

「待ていっ、十兵衛! それが真なら、某は謀られた事になる••• 筋の通らぬ話を餌に、まんまと一杯喰わされた事になり申す」

「否! あの者はお主を騙してはおらぬ。お主が約したは刻を返す事」

「どう云う事じゃ? それが出来れば、お主が命とて戻ろうて?」

「そこが違うのじゃ••• よいか、よう聞けよ。過ぎ去りし刻は只一つしか御座らんが、未だ来ぬ刻は幾重にも御座るのじゃ。して、その(たもと)を分かつが、現れ在る刻たる今なのじゃ。これは木に(なぞら)えれよう。巨木はそれだけ多くの枝を持つが、その全ての梢がそれぞれの界を同刻に映す。それこそが即ち、現し世と呼ばるるものなのじゃ。これが如何なる意か解るか?」

「解せぬな!」

「然もありなん。この儀は某も、こっちへ来て初めて解うた故、無理からぬ事•••」

「もそっと云えば、お主の申すは相解うたが、それが何故、蘇りを断つ? 去りしは一つと申すなら、そこへ戻りて繕わば、それより後に枝分かるは、無論、戻る前と等しくはあるまいに?」

「尤もじゃが、それは戻りた界にて過ごせばの事。繕うた後に、元々おった界に逆戻らば、やはりその界での去りしは一つ••• 殆()ど何も変わりは無し! これは神の定めし掟なのじゃ」

「何とっ!」

「元より、故人を浮き世に息還らせようなど、所詮は栓無き事なのじゃ」

「振り出しに戻らば、元の木阿弥(もくあみ)と申すか••• ならば、去りし界に留まるより他に、お主と共にある道はないのう•••」

「飽くまでもこの儂に固執致すか。遠き昔より情を尊ぶ者であった様じゃから、それもまた致し方なき事なんじゃろうが、では、一つだけ憶えおけ。去りし界にはかつての某がおると同様、かつてのお主もまたおる。故にお主は、名を変えて生きねばならぬ」

「! 思いも及ばなんだが、云われてみれば、確かにそれは道理•••」

「歳だけ違うて顔と名が同じでは、お主はその界に巧く解け込めぬ」

「成程のう。心得た」

 元宗の返答に安堵の表情を浮かべ、十兵衛は溜め息をついた。

「然れども、お主はまるで変わらぬのう••• もそっと執着を捨てよ。然もなくば、御仏が心には届かぬぞ。まあ、斯く云う儂も命あった頃はさして変わりなかったがのう•••」

「察するに、お主は死して、より見聞を広めた様じゃが、御仏はそっちで何を説く?」

「煩悩を捨て、末には本能をも捨てよ••• と申されたわい」

「何とっ、本能までもか? 然れど、それでは生きてゆかれぬ」

「その通り。人として生まるるは、それだけ天の摂理から遠のく事。然れど、然ればこそ、より多くを学べると仰せであった。御仏が曰く、『浄土が真であって、浮き世は仮初(かりそ)め、その顕れでしかない。故に、命の本意は偽りの世の、目に見え、手に取れるの物より解き放たれ、(ことわり)を紐解く事にある』との事之候(ことこれそうろう)

「真の理はこの世と相反すとな••• 難しゅう! 触れ得る物は全て嘘と云われども、この世にては寸分違(たが)わず皆本物。じゃが、その事一つ知りおれば、儂もちとは異なっておったろうに•••」

「そこよ! 先ずはその考えを改めい」

「?」

「解らんから変わらんのではなく、変わらんから解らんのじゃ••• 頭でのうて、心が先よ。お主の頭が理を解すには長き刻を必要とす。それよりも、変わりたいと願う心を持つが肝要と知れい!」

 十兵衛は繁々(しげしげ)と元宗を見詰め、満足げに微笑んだ。

『おいっ、ゴローザ! お前、何こんなとこで、死にそうな面して寝てやがんだ! 早く起きて戻ってきやがれ!』

 突然、後方からマシューの荒ぶる声が聞こえてきた。

「ワトソン!?」

 驚いた元宗は後ろを振り向いた。

「迎えが来たか••• これで儂も安心して帰れる。お主も早う()ね」

 元宗が前に向き直ると、十兵衛の体は蓮の葉ごと宙に浮かび上がり、まるでロケットかの様に、一瞬にして天空の彼方へと飛び去って行くのだった。

(いずれまた、会おうぞ•••)


 所変わって、メチョッテ波動学研究所では、二人の男達の異変を察知した研究者達が、それを等閑(とうかん)()す事、一時間が経過していた。

「学部長、いつになったら、危篤に陥った個体モの救命に向かわれるのですか!」

「気持ちは解るが、まあ待ちたまえ。この状態はピンチであると同時にチャンスでもあるのだから••• 生物が進化を遂げる時に相応の危機に瀕した事例は、君も幾つか知っていよう? 絶滅する種と存続する種の違いは、正にそこに顕れる。今こそ、その事象を研究する絶好の機会なんだよ」

 強制的な外的要因に生命が著しく変化する瞬間を期待し、メアルはギリギリまで元宗を助けないつもりだった。

「他の者達は彼の危急にまだ気付いてない様だが、一つ気になるのは個体マの反応だ」

「そうですね。個体モの意識が飛ぶと同時に個体マは、前に何度か見た個体アの状態に入った••• 昨日、個体アの波動値が急激に衰えた事と、何か関係があるんでしょうか?」

「エネルギーの譲渡か、はたまた技術の伝承か••• とにかく、引き続き今後の動きを注視しなくては」

 極めて貴重な状況に、メアルは夜を徹するのも(やぶさ)かではなかった。


 星の閃光が行き去ってから二時間、待てど暮らせど一向に姿を現さない元宗に、フェリペの心配もとうとう限界を迎えた。

「確実に、彼の身に何かありましたよ! 一度メアルに、現状確認をしてみます」

 フェリペはキースを手に取り、メアルに連絡を取った。

 シュピーン、シュピーン、シュ•••

「こちらはメチョッテ波動学研究所のメアルです」

 投影された学部長の顔の立体像にフェリペは詰め寄った。

「私です。実は困った事になりまして•••」

「存じ上げております。舟木五郎左衛門の事でしょう? 率直に言って彼は今、死に直面しています」

「何だって!? 何故それをもっと早く教えてくれなかったんです!」

「契約を交わした時に断っておいた筈です。我々は何時如何なる場合でも、あなた方を援護しないと」

「それは解ってますが、死にかけていると言う事さえ、通達してくれないんですか!」

「残念ですが、そこも含めて、あなた達自身の力での解決を望みます」

 実のところはメアルも、むざむざと元宗を見殺しにする気は毛頭なかったが、そこは敢えて口に出さなかった。

「彼の瀕死を聞かされた上で、あなたに救助の意志がない事を知った以上、私は連盟に救援を依頼します」

「お待ちなさい。それは、私には途轍もなく不都合な事ですが、あなた達にとっても、自ら希望を絶つ様なものなんですよ?」

「勿論、解ってます。ですが、いずれにしろ彼が戻らない事には、私達の夢も叶わない。それならば私は、三人でこの星に残るより、四人で残る道を選ぶ••• これは対岸の火事ではないのです!」

「あなたの決意はよく解りました。しかし私としては、尚、待つ事を強くお勧めします。何故なら、今でも予断を許さない状態にある彼の体内に、突如として新たなエネルギーが確認されたからです。呼吸は極めて弱く、意識も無いのに、失礼ですが、今のあなたより余程強い生命力を保持している••• 今後、快方に向かう可能性が非常に高いのです」

「どう言う事です!? 何故そんな事が?」

「それは私にも解りません」

 フェリペがアルベルティーヌに目をやると、アルベルティーヌも首を横に振っていた。

「そもそも、一体、彼に何が起きたんです?」

「生命反応の推移を考えると、あなた達地球人にとって有害である硫黄系のガスを吸引したと判断できます」

「そんなっ! ヘルメットはきちんと着用していた••• 道中で外れたんだろうか?」

「あなたが彼に何を授けたのかは知りませんが、今はもう風向きが変わって、彼の近辺に有毒ガスはありません」

 フェリペは暫くアルベルティーヌと相談し、やがて答えを出した。

「解りました。もう少しだけ待ってみますよ。但し、容態が悪化したら、すぐに彼の救助に向かう事を確約して下さい」

「承知しました」

 プツッ••• 

「とにかく、今知った事をマシューにも教えないと」

 フェリペは急ぎテントに入り、マシューを起こした。

「やっと戻れた!」

「!?」

 目覚めた瞬間、マシューは不可解な事を口走った。

 余りの反応の速さにフェリペは遅れを取ったが、一瞬で我に返ると、伝えたい事を打ちまけた。

「あなたが眠っている間に、大変な事態になりましたよ!」

「んな事より、あいつぁ今、死にそうだ!」

「へっ!? 何故その事を•••」

 フェリペはまた、先を越された。が、その大声に、今度はアルベルティーヌが素早い反応を見せた。

「あんた達二人とも、こっちへ出といで」

 表へ出た途端、マシューの口は開いた。

「婆様、俺ぁ•••」

 しかし、それをわざわざ手で遮って、アルベルティーヌが口を挿んだ。

「解ったよ。今、謎が解けた••• あんたは今迄ずっと、脱けてたんだね? 少し前にここに居て、必死に何かを言おうとしてたのは、あんただ。それでその後にサムライの坊やの事を見に行った」

「! •••そうだ。急いであいつを助けねーと、やべー事になる!」

「ちょっと待って下さいよ! 脱けてたって何です? あなた達は一体、何の話をしてるんですか?」

「脱けるってのはその儘の意味さ。霊魂が肉体から飛び出る事さね」

「つまり、体外離脱と言うやつですか!?」

「んな事ぁ知らないよ。あんたの時代じゃ、随分と回り諄い言い方をするんだね」

「それであなたは、五郎左を確認できたんですね?」

「そうだ。それが解ったなら、何を愚図つく必要がある? さっさと助けようぜ!」

「慌てんじゃないよ。あんたが見た事は概ね知ってる。今しがた、フェリペがメアルと話をし終えたばかりだからね」

「じゃあ、あいつが助けに行ったのか?」

「いいえ••• それが、もう少し待つ事にしたんです」

「何だと!?」

「メアルが言うには、五郎左は今、私よりも強い生命エネルギーを有してるらしいんです」

「はっ!? まさか、あれの事か?」

 マシューには思い当たる節がある様だった。

「俺ぁさっき、あいつのすぐ近くでオーブが天へ昇って行くのを見た。 そんときゃ死んだと思ったが、その後から急に、あいつの胸が光り始め、全身がオーラに包まれて見える様になった•••」

「成程ね。それで心の(つか)えが取れたんだ」

 アルベルティーヌもまた、何かに納得した様だった。

「だが、だからって、この儘放っといてもいいのかよ?」

「とりあえず、状況はちょっと好転したんだ。様子を見よう。それに、あたしに無くなった有益な力が、あんたに芽生え始めてる••• 今これをものにしない手はない」

「えっ!? 嫌だぜ俺ぁ、あの浮遊は不愉快以外の何もんでもねー!」

「そんなモンは慣れりゃすぐに無くなるし、あんたの高さに対する苦手意識だって、解消できんだよ?」

 短所の克服はマシューにも魅力的だった。

「全ての物質的な制約から解放される力を己でコントロールすると言う事は、この世に於いてのどんな環境にでも、常に有利で居られると言う事••• 今の様な条件下では、殊の外、役に立つんだ! あんただって一度体験したんなら、それがどれ程凄いモンか、よく解った筈だよ」

「あの鬱陶しい感覚に慣れて、弱点を治せたら、後に残るのはあの力だけか••• 確かに、自らあれが出来れば、時化や敵船の奇襲すらをも難無く避けられる様になる•••」

「そんなモンは朝飯前さ」

「少々気乗りしねーとこもあるが、何よりメリットがでけー」

 マシューは意を固めた。

 それよりフェリペは寝ずの番に、アルベルティーヌは弟子の鍛練に、そしてマシューは、特殊能力を体得する為の修行に入るのだった。


 夜が明けても元宗は帰って来なかった。

 フェリペは一時間置きにメアルと連絡を取り合っていたが、状況が変転した様子はなかった。

 一方、技の修得に打ち込んでいたマシューは、その頃には自分の意志で体外離脱できる迄になっていた。

「自分の体に戻るのをイメージするんじゃなくて、本来、魂と体は一つであるって事を、より強く認識するんだ。聴こえてんだろ?」

(あんたが言う程、楽じゃねーって!)

 アルベルティーヌは横たわるマシューをまじまじと見て、杖でみぞおちを圧した。

「一度、戻って来な」

「うっ! •••いてーぜ、婆様! もっと優しく起こしてくれよ」

「甘ったれんじゃないよ。防衛本能に訴えかけないと、あんたの心は一体化の認識を刻み込もうとしない。痛みを通じて知らしめるしかないのさ••• 出来る様になる迄、止めないよ」

「何だよ、畜生っ!」

 マシューは握り拳で空を切った。

「だけど、脱けるのは完璧になってきたね〜。今度は一回、あの坊やの事を見て来な」

「変わりねーって、フェリペが言ったろ?」

「正直、ここの奴等の霊性がどれだけ進んでるかはあたしにも解らないが、脱けてる状態で知覚するモンと通常の状態で知覚するモンは自ずと違う••• あんたはあの坊やの胸が光り出すのを視た様だが、肉眼だったら見えなかった筈。それと一緒で、メアルの言う波だけじゃ判断できないモンがあるかも知れないだろ?」

 そう言われると、マシューも頷けた。

「そんじゃま、ちょっくら行ってくら〜」

 軽い調子の言葉を残し、マシューの気配はテントから消え去った。

(とてもスムーズに脱けれる様になった。あの分だと、浮かんでる事にも、もう抵抗はないだろうね•••)

 多少苦労が報われたアルベルティーヌは、良い気分でテントを出るのだった。

(んんっ? 帰って来たね•••)

 アルベルティーヌはフェリペを連れてテントの中に入った。

(やっぱり自分で戻るのは、まだ難しいみたいだ•••)

 寝転がるマシューを暫く眺め、アルベルティーヌはフェリペに言った。

「起こしてやんな」

「はい」

 フェリペに肩を揺すられて、マシューはゆっくり瞼を開けた。

「•••こう言う風に起こしてもらえると、ありがてーんだがな〜」

「生意気言うんじゃないよ」

 マシューは半身を起こした。

「で、どうでした? 前と何か違った事はありましたか?」

「ああ、あった。さっきは白かったオーラが黄色になってた」

「それだけですか?」

「それだけだ」

「顔色が悪くなってたとか、汗をかいていた等の、身体的な変わりは?」

「何も•••」

 マシューはアルベルティーヌに目をやった。

「オーラの変色は状態の変化を意味する••• 胎動すると見て、まず間違いないよ。良い兆しさね」

 フェリペは顔を綻ばせて喜んだが、元宗が五体満足である事までは考えられないので、帰還後に備えて病院を調べる事にした。他方、マシューとアルベルティーヌは、今こそ重要になった技の完成に勤しむのだった。

 一時間後、訓練再開より11回目の体外離脱で、やっとマシューの危機を感知する力が開花し始めた。

(いてーっ!)

 何度も何度も繰り返し急所を突かれていたマシューは、アルベルティーヌが杖を構えた瞬間に、その後にくる寝覚めの悪さが先に来た気がして、カッと目を見開き、瞬時にみぞおちを両手で隠した。

「ほうっ!」

 アルベルティーヌはニヤリと笑った。

「あんた今、痛みを感覚したのかい?」

「ああ、浮いてる時にな••• だが、体に入るとやっぱ痛くねー。そりゃそうだよな。だってまだ、突かれてねーんだから••• 何だったんだ、一体?」

「予知能力が向上したのさ。元々あんたは予感が優れてたが、それがより確かで強いモンになったんだ」

「じゃあ、未来も視える様になったのか?」

「それとはまた違う力さね。う〜む、そうだね〜。例えて言うなら、熱いモンに触れた時、瞬間的に体がそれを避けるだろ? それとよく似てるんだが、肉体と霊魂の大きな違いは、それが後に来るか先に来るかだ••• さっきのあんたに起こったのは正にそれで、その力を鍛えりゃ、より早く先読み出来る様になる」

「すげーな、そりゃ! 戻ろうとするなって言われた意味が少し解った気がするぜ。今迄は心に思って、浮き進んで、体に近付いて終いだったが、さっきは感じた時にゃ手が動いてた••• こんな表現は可笑しいかも知んねーが、自分の体と一体感があったんだ!」

「可笑しなモンか。それは本来、生きてるモンなら皆、認識してなきゃいけない事だが、余りに当たり前すぎて、人間はそこを意識しないんだ」

「人間は?」

「動植物は違うのさ••• だから奴等は、霊感が人の数倍強い」

「成程な〜」

 マシューは子供の頃に飼っていた猫が部屋の壁の特定部分を見つめる時、常にそこに人の気配を感じた事を思い出していた。

「今度は体を視ずにやってみな。脱けたらテントの外に出るんだ」

「それで知覚できるのかよ?」

「そりゃ、あんた次第さね。な〜に、出来なきゃ、もう一発喰らうだけさ。

 イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」

「チェッ、これだよ〜」

 マシューは両眼を一回転させて、首を横に振るのだった。


 シュピーン、シュピーン、シュピーン••• 突然、メアルから急報が届いた。

「フェリペです! 何かありましたか!?」

「先程、五郎左衛門の意識波が正常値に戻りました。今はおそらく、覚醒状態にあると思われます」

「本当ですか!? で、他のデータは?」

「心拍数が加速しています。それに伴い、体温も異常な上昇を見せていますが、不思議と身体に負担はかかってない様です」

「そうですか! また何かありましたら、引き続きご連絡を!」

 プツッ•••

(よしっ!)

 フェリペは強く両手を握り締めた。

「アルベルティーヌ!」

 急いでテントに駆けつけると、丁度中からアルベルティーヌが外へ出てきた。

「聞こえたよ••• 今、マシューが視に行ったとこさ」

「五郎左は、自力でここ迄戻って来れると思いますか?」

「どうだろう、何とも言えないね。 あたしが魔法を使えたら、必要に応じた対処をしたんだがね〜。情けない限りだよ」

「そんな事言わないで下さい。貴女は今でも、大いに力になって下さっているのですから! 大口を叩いといて力不足なのは私の方です」

「とにかく今は、あの船長の坊やの才能に頼るしかないよ」

 アルベルティーヌは切なそうに噴火口に目を向けるのだった。

 マシューが元宗の所に着くと、元宗の目は開いていた。

(やっと起きやがったか〜、ゴローザめ! さあ、とっとと立ち上がりやがれ!)

 マシューは元宗が息を吹き返した事が心底嬉しかった。しかしその想いとは裏腹に、元宗はいつまで経っても立って歩こうとしなかった。

(焦れってーヤローだな、何してやがる?)

 よく視ると、元宗は起立を補佐する為に両手で地を踏ん張りながら、小刻みに脚を震わせていた。

「ぐっ、ぐぬっ••• かはっ!」

 元宗は脱力し、地に伸びきった。

「だっ、駄目じゃ〜。脚に力が入らぬ••• どうやら儂は、己で立つ事さえも、満足に出来んくなってしもうた様じゃ•••」

(何だとっ!)

 両脚の自由を奪われた元宗は、両眼に大粒の涙を浮かべて呟いた。

(命は拾えど、脚を失うたか••• これでは、もはや彼奴等と供に行く事は出来まい。じゃが、某にも意地がある••• 恩を仇で返す様な真似だけは絶対にしとうない! どうにかして、この燃ゆる泥を彼奴等に届けねば••• 彼奴等が無事に邦に還る、せめてもの手向(たむ)けとして•••)

(お前••• バカヤローめ!)

 決して口を開かなかった元宗の心の声が、何故かその時のマシューには、はっきりと聞こえた。

(ちょっと待ってろよ〜。今助けを呼んでやるからな!)

 マシューは強く自分の肉体を意識して、その場を去った。

「んっ? 戻ってきたね」

 アルベルティーヌがテントを見ると、十秒後にマシューが顔を見せた。

「おい、フェリペ。すぐにメアルを呼べ!」

「その様子では、何か悪い事があったんですか?」

「確かにあいつぁ目覚めてた。だが、脚が動かなくなってた!」

「そんな!」

「自分の力じゃ、もう立てねーんだ! これならメアルも救助してくれるだろ?」

 フェリペは即座にキースを取り出した。

 シュピーン、シュピーン、シュピ•••

「メアルです」

「大変です! 五郎左の脚が不自由になりました!」

「!? •••どうやってその様な情報を?」

「体外離脱ですよ。魂だけ体から脱け出る、離れ業です」

「!」

「そんな事は今はどうでもいいんです! とにかく、至急五郎左を救助しに行って下さい。その場を動けない彼をこの儘放っとけば、今度こそ本当に死んでしまう!」

「いいえ。彼は今、動いていますよ。もの凄く遅いペースではありますが•••」

「えっ?」

「仰る通り、脚の波動は極めて弱いですが、その代わりに腕の波動が極めて強い••• おそらく、這って進んでいるのではないかと推測されます」

「そんなんじゃ時間を食うし、半端じゃねー疲れを体中に溜め込んじまうだろ!」

「確かに、その通りです。ですが、生命の危機を回避したのなら、もう私は手を着けませんよ。元々、どんな状況でも手を下さない契約なんですから」

「てんめぇー!!」

 メアルの極めて冷酷な返答に、普段は至って冷静なマシューも、流石にこの時ばかりは激怒した。そして、瞬発的に抜いた短銃を謎の気体から成るメアルの顔に撃ち放った。

「!」

 改良により新開発された銃弾は、メアルの顔を突き抜け、キースの上を飛び越えて行った。

「お止め! ヤケになったって、真の目的を見失うだけだよ! それでゴローザが戻る訳じゃないんだ!」

「糞〜っ!」

 マシューは思いっきり短銃を地に投げ付け、テントの中に消えて行った。

「すみませんでした••• でも、正直私も、彼と同じ気持ちである事をご理解下さい」

 プツッ••• 通信を切ったフェリペは投げ捨てられた短銃を拾い、テントに入った。

 それからというものマシューは、横になったまま全く動かなくなった。例え何もしてやれなくても、一人奮戦している元宗を捨て置けなかったからだ。

 翻って渦中の男は、歯を喰い縛りながら両腕の力だけで精一杯前に進んでいた。

(嘗めるなよ••• これだけは命に換えても必ず、我が手で彼奴等に引き渡すんじゃ!)

 半身不随になっても決して弱る事のない気力を、元宗はその両瞳に宿していた。

(凄まじい迄の意気込み••• 今の俺じゃあ、お前を抱きかかえ、連れ戻してやる事ぁ出来ねーが、せめてずっと視守っててやるから、お前、ぜってー負けんじゃねーぞ!)

 視ていて辛くなる気持ちに堪え、マシューは元宗を応援し続ける事を心に誓った。

 ダハールカを詰めた真空箱以外の物を全て棄て、元宗が防火服の前面を汚し始めてから一時間半が過ぎた頃、その苦難もようやく終わりを迎え様としていた。

 元宗が川まで残り500mを切る地点に漕ぎ着けるのを見届けたマシューは、直ちに肉体に戻ると、二人にそれを伝え、出迎えの準備を急がせた。

「フェリペ、すぐにロープと大砲を用意してくれ」

「ロープはともかく、大砲は無理です」

「ロープをあいつのとこ迄飛ばせる道具なら、何でも良い!」

 フェリペは言われた通り、すぐに操縦可能な飛行機具を調べた。しかし、どれも粒子機で作れるものではなかったので、非機械的で物理法則を応用した簡易ロケットを作り出し、それにロープを巻き付けた。

「出来ました!」

「急ぐぞ!」

 二人はすぐに川を渡った。

 岸辺に着くなりマシューは、元宗の居る方向を見定めた。

「あそこだ! 火口の少し窪んで見える所の右を狙え。その線上にあいつぁ居る!」

「見えるんですか!?」

「いや、伏せられると流石に俺でも見えねーが、感じるんだ。今は特に強くな!」

 フェリペは指示された方角に向けて、ロケットを発射した。

 ボッ! 爆音と共に熱い水蒸気を撒き散らしながら、綺麗な放物線を描いて飛んで行ったロケットは、400m強離れた地点に落下すると、轟音の許に砕け散った。

 パァーン! ァーン、ァー•••

(!? •••エンリケじゃな?)

 突如空より現れた物体が余韻を残して散在する様に、元宗は悟った。

 約20mの距離を詰め、爆心地まで来ると、そこには、何とも書き慣れない稚拙な字で、『つかめ』と書かれた紙がロープに括り付けられていた。

「有難や! これでようやっと、お役御免よ•••」

 元宗はしっかりロープを握った。

 川岸でロープを持って待っていたマシューは、元宗がロープを掴んだ瞬間にそれが解った。

「来たぞ!」

 マシューの合図にフェリペもロープを手に取った。

 二人は力の限りロープを手繰り寄せ、元宗はロープに引き擦られる格好で茶色の地面を滑って行った。

「見えた!」

 マシューが視認してから暫くすると、フェリペの眼にも伏せる元宗の姿が捉えられた。

「あと少しだ〜! 頑張れ〜!」

「こんなやり方で申し訳ない! ですが、もう暫くのご辛抱を!」

 マシューとフェリペは声を張り上げて、体の前面を傷める元宗を励ました。

 二分後、板に引き上げられた元宗は(しゃが)れた声で懸命に訴えた。

(かたじけな)い。助うたわい••• こんな見窄(みすぼ)らしい形になってしもうたが、燃える泥だけはしかと手にした故、お主等の還り賃の足しにしてくれい」

「バカ言ってんじゃねー。すぐに医者に行くぞ!」

「ええ。段取りはもう済んでるんですから!」

 二人は元宗を連れて、アルベルティーヌの所に戻るのだった。

 病院到着後は手術の結果を待つ以外に何も出来なかったが、元宗を搬送してから一時間も過ぎると、担当医が説明をしに三人の許を訪れた。

「君達は連盟に医療データの無い、とても珍しい種の智生物だから、どう施術をしようか迷ったが、とりあえず、やれるだけの事はしたよ」

「お手間を取らせてすみません。それで容態の方は?」

「うむ。軽度なものから説明しよう。先ずは、体の正面全体に見られた腫れだが、衣服が破れない物だった為裂傷はなく、冷波治療の結果、すぐに完治した。もう熱を帯びる事も無いだろう。次に、両腕の酷使による極度な疲労だが、これも振動治癒で回復した。但し、筋肉痛は筋繊維が繋がる迄は残る。続いて、鼻、喉、肺に至る炎症だが、これ等には粒化薬を直接患部に付着させたから、じきに痛みも引くだろう。そして最後に、脳細胞の破壊による重度な後遺症だが、これについては、機能しなくなった脳細胞に音波を当て、再活性化させた。但し、再生できなかった部分は切除して、活発な脳細胞から培養したクローンを補填した。彼自身の遺伝子なのですぐに馴染むだろうが、歩行能力まで取り戻せるかは不明だ」 

「そうですか•••」

 フェリペは深刻な表情で頷いた。

「彼と面会できますか?」

「いや、今はぐっすり眠っている。安静を保つ為に脳への刺激を避ける必要がある。だから、明日まで待ちなさい。急変する様な事があれば、こちらから連絡するから」

 そう言うと担当医は、三人の許を後にするのだった。

 病院を出た三人はルパカンタを返却し、街の外れを流れる川の岸に、新たにテントを設えた。

「とりあえず今は、安心できるとこで安眠してるんだ。そう気に病まなくても良いさね」

「そうだぜ。そんなに気を揉んでたら、お前の方がイカレちまうぜ〜」

 元宗の脚を気に掛け過ぎるフェリペに、アルベルティーヌとマシューは肩の力を抜く様、勧告した。

「やるべき事ぁ全部やったんだ。後は運に任せるしかねーだろ」

「駄目だとしたら、気の毒だが、それもまたあの坊やの天命さね••• だけどあたしゃ、十中八九治ると見てる」

「何故そう思うのです?」

「マシューの視たオーラ••• つまり、ゴローザの宿す『気』ってやつが、前迄の倍以上になってたからさ」

「そりゃ俺も、体に戻ってから感じたな。何だかあいつ、前よりも強くなったって•••」

「あんたはあたし等よりもその手の力が薄い。だから、気が付かなかっただけさね。多分、あの坊やの脚は心配要らないよ」

「だよな••• 婆様が言うんだから大丈夫だ。そうと決まりゃ、俺達もちょっと寝よーぜ」

(確かに、考えても仕様がない事に時間を割くくらいなら、自身の体力を回復させる事の方がよっぽど有意義だ•••)

 フェリペはマシューの提案に乗るのだった。


 たっぷり八時間の睡眠をとった後に、フェリペは自然と目を覚ました。

「おはよう」

 振り向くと、アルベルティーヌはとっくに起きていた。

「おはようございます」

「疲れは充分にとれたかい?」

「そうですね。少なからず、首に張りは感じません」

 フェリペは首筋に手をやって答えた。

「セニョールマシューは?」

「外に居るさね」

 フェリペがテントを出ると、マシューは川辺に座っていた。

「おはようございます」

「おおっ、起きたか? おはよう」

 フェリペは川で顔を洗い、涼しい全身タイツの袖で水を拭った。

「この川は魚が多く、種類も豊富だ。釣り竿と生け簀を出してくれ。毒がねーなら飯に出来る」

「へぇ〜、一泳ぎしたんですか?」

「バカ言え。俺にゃもう、それよりも効率の良い技がある」

 ほぼ完璧に体脱をマスターしたマシューは、既にそれを恣意的に行える迄に成長していた。

 マシューの要望に加え、フェリペはリールと疑似餌を製造した。

「生け簀にはこの大網を直接川に入れて使って下さい。水槽と違い、水を換えなくてすみますから。餌にはこれを•••」

「こりゃ〜すげー! とんでもなく凝ったルアーだ!」

 マシューは幾節ものパーツが連結する、小魚そっくりの疑似餌に見入っていた。

「これは私が居た時代のセニョール五郎左の国の物です。普段私は釣りをしないのですが、私の友人は日本のルアーは世界一だと言ってました。日本人は精巧な物を造るのに長けた民族なんです。緻密さにおいては他民族の追随を許さず、精密機器は何でも常にトップクラス••• 当然、世界中からの信頼も厚く、メイドインジャパンは良品の代名詞なんです」

 フェリペは東の果てにある島国の事が好きだった。

 フェリペから糸を放す手解(てほど)きを受けて、川に疑似餌を投げ込んだマシューは、水中で命を吹き込まれた様に左右交互に捩れるそれに、目を剥いた。

「なんて滑らかな動きをしやがるんだ! まるで本物だぜ〜」

 マシューの不慣れなリール捌きは作り物の小魚の動作にむしろ緩急を与え、立ち所に入れ食いになった。

「おっ、早くもかかったぜ!」

「リールを巻いて下さい」

 マシューが指示に従うと、竿の先には紫と白のチェック柄の魚が喰いついていた。

「こんなの初めて見たぜ〜」

「私もです」

 二人は時間も忘れて、釣りにのめり込むのだった。


 シュピーン、シュピーン、シュピーン••• 突然キースが鳴り出した。

「こんにちは。ルカ第7病院のダンタスです」

 発信者は元宗の担当医だった。

「何かあったんですか!?」

 不躾にもフェリペは名乗る事さえ忘れ、興奮しきって訊ねた。

「実は先程、患者の脚が動いてね」

「! それは良かった!」

 フェリペはマシューと顔を見合わせた。

「今では立って歩ける様になったんだが、そうなると患者が、すぐにでも退院したいと言ってね」

「そうですか。私としては構いませんが、先生はどう思います? もう少し様子を見た方が良いなら、彼を説得しますが」

「いや、その必要はないよ。もう少しすれば、走れる様にもなるだろうから」

「では、今すぐ迎えに上がります」

「そうしてくれると助かるよ。どうも彼は、病室を出ると言って聞かなくてね〜」

「ご迷惑をお掛けしてすみません。それでは後程•••」

 プツッ•••

「ケッ、元気そうじゃねーか。頑固さまで戻っちまいやがって〜」

 マシューは本当の気持ちとは反対に、悪態を吐いた。

「すぐに準備を」

「いや、俺ぁここで待ってるぜ••• 不要なもんを全部消すにゃ時間が掛かるし、お宝抱えて行くのも面倒だろ?」

「確かに、そうですね」

「魚もいっぱい釣れた事だし、留守中に飯でも作っといてやるから、婆様と二人で行ってきな」

 そう言うとマシューは、粒子機で釣り具を片付け始めるのだった。

 

 夕暮れになると、消えた二人の姿が一人増えて街の方からやって来るのが、マシューには見えた。

(あのヤロー、ちゃんと歩いてんじゃねーか•••)

 元宗が実際に歩行する姿は何よりもマシューに安心感を与えた。

 やがて三人は、拠点に着いた。

「舟木五郎左衛門元宗、只今帰りましてに御座候!」

 元宗は大きな声で朗々と帰陣を伝えた。

「すまなんだのう。お主には特に世話になった様じゃ」

「ちょっと行って戻るのに、丸一日も掛かるとは••• 変な進み方は蛇みてーだが、おせーのは亀みてーってか? ワ〜ハッハッ!」

「たはっ••• こげなとこで我が言葉が還って来ようなぞ、正に因果応報の世也」

 そんな二人の遣り取りも、今のフェリペには微笑ましかった。

「まっ、お前との話はまた後でだ。今はディナーが待っている」

 マシューが広げた両手を左に流すと、そこには、数種の魚をメインとする豪勢な夕飯が用意されていた。

「ワァオ!」

「へぇ〜、やるじゃないか。坊や」

「なかなかどうして、見事なお膳立て••• お主、船では膳部を務めおったのか?」

「まさかっ、俺ぁ船長だ••• たまにコックを手伝ってただけよ」

 四人は車座に焚き火を囲んで座った。

「フェリペが生でもいけるって言った魚は、お前の好きな刺身ってのにしといたぜ」

 マシューは炊いた米の様な穀物を元宗に手渡して言った。

「おお、気が利くのう。何から何まで忝い。然れど、酒は無いのか?」

「お前のは名前を憶えてねーから出せなかった。フェリペに言え」

 元宗はフェリペに、好物の酒と醤油と山葵を出す様に頼んだ。

 焚き火で串焼きにされた魚から香ばしい匂いが立ち籠め始めると、元宗は立って、御猪口を片手に口上を述べた。

「本日は某が不覚の為に、皆々様に迷惑千万を相御掛け申した事、深く御詫び致すと共に、こうして生き長らえ、且つまた、歩ける次第となり申した事を、更に厚く御礼申し上げ候!」

 元宗は深く頭を垂れた。

「皆々様に感謝! 乾杯!」

「乾杯!」

 元宗が音頭をとると、三人も杯を掲げた。

 『嶮』での祝賀会みたいな盛大さこそなかったが、気の許せる仲間達との晩餐には心安らぐ居心地の良さがあった。

「何っ!? 蚊帳の中で寝たつもりが、己が身に、蚊帳の外にされた心持ちじゃったとな?」

「ああ。あれにゃびっくりしたぜ〜! どんだけ戻ろうとしても体がちっとも動きゃしねーんだ。だが、そん時俺ぁふと、お前がフェリペに言ったを思い出したんだ。そんでそのだいぶ後に倒れてたお前を視て、もっとびっくりした••• 一応そん時呼び掛けたんだが、なんせ体がねーんだ。肉声は全く出なかった」

「あいや暫く、儂はこの世とあの世の狭間にて、確かにお主の声を聞いたぞい! 『戻って来い!』とな••• この歳にもなって人に叱らるるは後にも先にもあれだけ故、忘れ様もないわい」

フェリペは、余所では滅多にお目に掛かれない二人の体験談に、真剣に聞き入っていた。

「のう、婆殿や。あれこそ御前(ごぜん)の持つ、人の心を読むものに相違あるまいが、しかして、今の某にはもうそれは無い•••」

「一度生死の境から戻ったモンは、それ迄になかった力を得る事が多々あるんだが、あんたはあの力を得なかった。その代わり、元々持ってたモンがより強化された••• 只それだけの事さね」

「まっ、どっちにしろパワーアップしたんだ。良かったじゃねーか。何故か俺までグレードアップしちまったがな」

 マシューはみぞおちを(さす)った。

「それにしても、よくこっちに戻って来れましたね〜」

「本に••• 我が命、誠に風前の(ともしび)であった」

「だが、生き返ってからのお前の孤軍奮闘にゃ、目を見張るもんがあったぜ。あれが本当の火事場のバカ力ってやつだな」

「ふんっ、ほざけ!」

「ワ〜ハッハッ!」

 マシューは笑って冗談を言える環境が心から楽しかった。

 晩酌に興じる事早二時間、すっかり酔いが回った元宗は、そこで一首詠んだ。

「  朋が(とも)

    宵に寄るなり

     夜に酔い

    良い(よい)()

     (ともしび)がもと

(仲間の提供する夕食会に、初更に行ったら晩に酩酊(めいてい)した。ここは、目出(めで)たい出逢いが集まり束なる、明かりのもとなのである)」

 それは、コロコンタでの邂逅(かいこう)に深い喜びの念を表した詠だった。

「巧い事韻を踏むモンだね〜」

「いやいや、なんのこれしきよよいのよいよ。お粗末•••」

 こうして、四人の夜はひっそりと更け込んでいくのだった。


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