表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
次元を超えて  作者: 松に麻
第二章 試練の旅
6/15

六、筺石


 明くる日、『平』での目的を遂げた四人は次の目標である封緘石を手に入れる為、隣の国を目指していた。

「どうしたってんだい、冴えない顔して?」

「体でも優れぬのか?」

 フェリペの暗い表情にアルベルティーヌと元宗が訊ねた。

「いえ、そう言う事ではないんですが、今向かっている所に棲む人達に関して、ちょっと不安がありまして•••」

 封緘石とは、セグン平野北限に位置するインコッヘ山脈を跨いだ、ラカワトーレ高原に聳え立つリムディムの岩壁で生活するヅヅァ族だけが生産できる、世界一の硬度を誇る超希少価値の石の事だが、集落のある場所には必ずと言って良い程存在するラビがそこには一つもない事と、ルパカンタを代表とする全ての乗り物の乗り入れが禁止されている事に、フェリペは疑問を抱いていたのだ。

「確かに、私の居た時代の我等が星でも、文明を隔絶して生きてる人達は少なからず居ました。しかし、そういう人達はその性格上、外部との交流を好まない傾向にある。私がこの衛星の人達と接する事で学んだ、とても意義深い事柄は、どんな人種のテクノロジーがどれだけ進歩し、発展し様とも、人の性までは変わらないと言う事。それに(かんが)みるに、彼等は我々を一顧だにしない可能性も考えられる」

 三人はその意見を軽んじはしなかったが、それに対する答えを出せるものでもなかった。

「まっ、相手にするかどうかは向こうが決めるこった。俺達ぁ、その後の対策でも考えながら、とりあえずそこまで向かおうぜ」

 マシューの考えは尤もだった。

 川沿いの道を進み、四人はひたすら山の奥へ奥へと移動していたが、道の終点に到着すると、そこから先は崖の国フンジリッテだった。

「何だい、あれは?」

 アルベルティーヌは国境を示す光晶石から、不吉な波動を感じ取っていた。

 フェリペがキースで照射し、確認すると、そこには、『これより『嶮』始まる。立ち入を禁ず!』という内容の警告文が書かれていた。

「お前の憶測通り、友好的なもんをまるで感じねー文面だな」

「如何にも。全くもって良い覚えがせぬ」

「嫌な予感がするね。追い返されるだけじゃ、済まないかも知れないよ」

 アルベルティーヌの眼は遠い山の奥に向けられていた。

 岸辺に大岩が現れる様になってからは、フェリペ考案の浮遊推進式楕円盤が全く役に立たなくなった。

「弱りましたね。これでは思う様に先へ進めない••• どうでしょう、いっその事川の上を行ってみますか?」

 フェリペは海の男達に訊ねたが、その答えは意外なところから返って来た。

「それは止めといた方が良いね」

 一瞬の静寂の後に、元宗が訊いた。

「•••それは、何故(なにゆえ)かのう?」

「この川は何か獰猛な生きモンから発される、荒々しいエネルギーに満ちている」

「何とっ!」

「俺達を喰いもん出来る程か?」

「そうさね。大きくはないが多い。それに、この波動の強さ••• 相当に飢えてるよ」

 ゴクリッと喉を鳴らし、フェリペは水路を行くのを止めにした。

 そこから先は徒歩による山登りが始まった。が、少しも経たない内に元宗が休息を求めた。

「のう、エンリケや。ちと休ませい。拙者、足が痛うてのう」

 元宗の履物を見るに、それも無理もない事だった。岩場に草履では、どんなに屈強な者でも長くは歩けないからだ。そしてそれは、自分を含めた全員に言える事だった。同時代の二人の物も元宗の物よりは幾分かましでも、その性能は所詮、中世の靴の域を出る物ではないし、自身の靴もまた、登山靴と呼ぶには程遠かった。

(この先、もっと劣悪な環境を進まなければならなくなるのなら、今の内に手を打っておく必要がある•••)

 これを機にフェリペは、装備を強化する事にし、手始めにトレッキングシューズを作ろうと考えた。が、連盟の科学技術力を考慮し直し、もっと有益な物の有無を確認してみた。すると、保護膜という物が存在する事が解った。

『保護膜•••異なる強さで加圧した気体をそれぞれ1層ずつに隔て、密度順に4つ重ね合わせた、衝撃を吸収する薄いフィルム』

「これだっ!」

 フェリペは即決し、粒子機で保護膜を作り出して、皆の履物の底に貼付けた。

「こんなんくっ付けて、一体何がおもしれーってんだ?」

 マシューはフェリペの奇行にはついていけないという顔をして、首を横に振った。

「別に楽しくはありませんよ。只、これで足は楽になる筈です」

 元宗も疑っていたが、試しに歩くと、その効果は覿面(てきめん)だった。

「本当じゃな! 鋭き石を踏みども、誠に痛うないわい」

「へぇ〜、こりゃ驚きだね〜。ここの奴等の魔法は、時にあたしの上を行くよ」

「これは魔法じゃありませんよ。科学です」

「定義なんざどうだっていいさね。実の力さえあれば、結果は変わりゃしないからね〜」

 その言葉にフェリペは、引化靴なしで石筍を2、3歩昇って見せた、アルベルティーヌの姿を思い出した。

 足下(もと)における課題を解決すると、次は、いずれ頭上に及ぶであろう問題を克服しなければならなかった。引化靴を使った崖の昇歩による著しい体力消耗は、極力避けたい事だったからだ。

 登壁に良い方法はないものかと、フェリペはキースに(かじ)り付いた。しかし、技術の発達したこの星ではそもそも登山の必要がなく、レジャー目的のクライミングは地球での技法と大差なかった。

 そこでフェリペは、壁面に階段を設える策を採る事にし、実践の前に試験をすべきと考えた。が、生憎(あいにく)近くに良い対象物は見当たらなかった。

(まあいいか。それは、来るべくして来るのだから•••)

 そう考えると、何も焦る必要はなかった。


 その頃、メチョッテ波動学研究所では、四人の『嶮』入りの早さが議論されていた。

「学部長。僕にはどうも不可解です。彼等の中にグルデンの光反応を知る者が居たのでしょうか?」

「いや、それはないと思うよ。第一、地球にグルデンは存在しない。それに、キースの特定情報の隠蔽工作は、私が自ら施した。だから、キースでは調べられない••• 原因は他のところにあるんだよ」

「だとしたら、一昨日の気象条件で運良くグリーンフラッシュにヒントを得たとしか考えられませんが、それでも、たったの一回で規定量を集められるとは到底思えない。密集地を探し当てる方法など、彼等は知らない筈ですし•••」

「いや。私は案外、彼等がその手段を持っていたんじゃないかと、睨んでるんだがね」

「道具もないのに••• ですか?」

「彼等は、既に我々には無くなってしまった能力を宿しているのかも知れない••• 動物の感覚が智生物のそれより遥かに優れているのは、君も知っていよう?」

「はい。五感の差は顕著ですし、第六感に至っても違いが如実に現れます。しかし彼等は、非加盟星出身とは言え、一応の知能が認められた生命体。本当にその手の力を残しているのでしょうか?」

「そこが微妙なとこなんだ。だから私は、技術力の進化と種の退化の転換期を見極める為に、古い時代から二人の地球人を連れ帰った。しかしだ、余りに大きな知識レベルの差に、二人を教育する事が出来なかった。そこへ突如現れたのが、今の時代のあの男•••」

「確かに個体フェは、連盟のテクノロジーに理解を示し、対応している」

「でも、だからこそ、彼の仕業ではない様に思えるんだよ」

「するとやはり、個体アですかね?」

「それはまだ解らないが、彼女は特別視した方が良さそうだ•••」

 メアルの地球人研究の真の目的は、元来全生物が持つとされる、失われた能力の復活にあるのだった。


 平地と山地がぶつかり合う広域な山麓帯では、ペペモという大型犬サイズの、青い毛に赤い斑点をつけた、九つの尻尾を持つ(てん)に似た動物が棲息していた。

「おのれ〜、九尾め〜っ!」

 一目ペペモを見てからというもの元宗は、まるで親の仇かの様にそれを追い回していた。

「お止め! 何だってそんなにあいつの事を嫌うんだい、あんたは?」

「初対面の物にも比較的寛容なあなたらしくないですね」

「間違いねー。一体どうしたってんだ?」

「日の本にては、『久しく齢を重ねた狐は、やがて尾が九つに割れ分かれ、妖怪と成る』たる(いわ)れが御座る」

「ちょっと待て! じゃあ、お前んとこにはあんな生き物が沢山いんのかよ!?」

「おってたまるかっ! あの様な化け狐、一匹たりとも生きおれば、それこそ世に禍を招く由々しき事態。見よ、あの不吉な色を••• あれぞ正に、妖怪の証也!」

「んな事ぁどうだっていい! とにかく無益な殺しはお止め。(いたずら)に命を奪えば、後々強く黒い因果が巡って来る」

「然りとて、婆殿•••」

「いいかい、坊や。ここはそもそも、あんたの居た国とは違うんだ。それなのに、あんたの俗識で獣を裁こうだなんて、暴挙としか言い様が無い。あたしゃ理不尽な事が何よりも許せない。されるのは勿論の事、する方なんざ(もっ)ての(ほか)だ。たったの一度でもそれをすれば、あの横暴なクズ共と一緒になっちまうんだ!」

 厳しい目付きで訴えるアルベルティーヌは、多くの涙と哀しみを生んだ魔女裁判の事を強烈に憎んでいた。

「ここは、黙って大人しく退き下がれ••• お前があの狐の事を毛嫌いしてるのぁよく解ったが、それ以上に婆様は、自国の(くそ)共の事を恨んでるみてーだからな〜」

「あなたは、あなたの言う化け狐に何かをされた訳ではない。しかしアルベルティーヌは、過去に実害を受けている••• 残念ながら今のあなたは、実に偏見に充ちた人にしか見えません」

 皆からそうまで言われると、元宗はよくよく考え直すのだった。


 七時間程が過ぎた。

 山の中腹に達したフェリペ率いる四人組は、そこで岐路に立たされていた。今まで北東から流れてきていた谷川が巨崖を境に大きく湾曲し、北西へとその方向を転じていたのだ。それは、岩壁地帯に入った事を告げると同時に、そのまま川沿いを行けば、目的地から遠ざかる事も意味していた。

 フェリペは北東に見えるスペペ連峰のクシュゼル岳をこの日の野営地に決めていたが、安全な谷川ルートでそこまで進むには、上流を経て、源泉あたりから山の稜線を東へ向かう事、丸一日はかかる行程で、とても今日中の到達は無理だった。それに対し、先程の案を用いるなら、およそ半日で到達できるという試算が出ていた。

(今こそ、実験を試みる好機!)

 フェリペは、目の前に聳える100m級の黒い崖に挑む為の準備を始めた。

 先ず必要なのは、落下防止用の命綱だ。この星のクライミング用の紐は自動で任意の点に接着し、自らを固定する優れ物で、スイッチでその状態を解除できるのだが、その高等さ故に複雑な機械に該当し、粒子機では製造できなかった。

 直ちに販売店に問い合わせると、手間賃こそかかるものの、ラビがあるなら、そこへ移送してくれると言うので、フェリペは人数分を注文し、ラビを用意して待っていた。

 暫くしてラビの色が変わると、中には八本の紐が入っていた。

 フェリペは一人二本ずつ紐を配り、それを自身に括り付ける様に指示した後に、崖に近寄り、腰元のスイッチを押した。すると紐は、早速崖に引っ付き、フェリペが脚を曲げても引き千切れる事なく、崖にくっ付いた儘だった。

 三人にもテストを促し、八本全てに問題がない事を確認したフェリペは、いよいよ引化階段の強度と耐久性のテストに取り掛かるのだった。


「せ〜のっ、ほいっ!」

 威勢の良い掛け声と共に三人の男達から引き剥がされた引化板は、元あった壁面から1m上に引き上げられると、今度はそこの壁面に押し当てられ、再度くっ付けられた。

 持てるガネルトンを全て使い、二枚の引化板を作ったフェリペの戦略は、それを上下に50㎝ずつ離して、左右交互に引き上げながら、自分達も上に昇っていくものだった。

「おい! 本当にこのジグザグ階段作戦は、成功すんのかよ? 途中まで行って崩壊••• なんてオチはやめてくれよ?」

「大丈夫ですよ。さっき皆で一斉にジャンプしても、壊れなかったじゃないですか。それに、もしもの時には命綱がありますから」

「あんたの気持ちも解らんでもないが、一見ひ弱に見えるこれは、以外に丈夫だよ」

 そう言うとアルベルティーヌは、手に持つ杖で自分達が乗っている薄氷の様な板をコツンッ、コツンッと、小突いた。

「備えあれば憂いなし••• お主は、何が左程に不安なんじゃ?」

「俺ぁ、余りにたけーとこは苦手なんだ〜」

 マシューは高所恐怖症だった。海賊に成りたての頃、メインマストから転落し、奇跡的に一命は取り留めたものの、全身に重度の骨折と打撲を負った経験があるのだ。以来、その強烈なトラウマを払拭できずにいた。

「まっ、その気持ちは解るがね•••」

 アルベルティーヌはもう一度、(なだ)める様に言うのだった。

 下の紐の接着を解除し、下の引化板を剥がして上にくっ付けてから、自身がその板に昇り、そこでまた、暇になっている紐を崖に接着させる。この要領を淡々と繰り返しながら、四人は着実に岩壁を登っていった。

 傍目(はため)には異常に映るであろうこの登壁法は、通常のクライミングよりも速く上に行く事ができ、尚且つ、引化靴による昇歩よりも無駄なエネルギーの浪費を避けられた。しかし、初めの内は順調でも、上に行くにつれ徐々に強まる弊害を無視し続ける事までは出来なかった。

「おい、フェリペ! 頼むから、この風を何とかしてくれ〜!」

 悲痛な声を上げ、マシューは登頂を妨害する難敵の一掃を懇願した。

 下から突き上げる突風が随時引化板を震え上がらせていたところへ、新たに横から疾風が加わると、吹き荒れる多方面の強風に、マシューは身も凍る思いだったのだ。

「そんな事言われても、今すぐに打開策なんて浮かびませんよ」

「そうじゃ。そうじゃ。考える暇など儂等にはないわい」

 二人はマシューを冷たくあしらう気はなかったが、そこに時間を使う位なら、先へ進む方が速いと考えていた。

「全く、仕様がないね〜。ホントに•••」

 アルベルティーヌは溜め息をついてそう呟くと、何やらゴニョゴニョと唱え始め、最後に、

「•••ズベ、リャテャウィャーシャ〜」

 と、言い放ちながら、杖をマシューに振り下した。

 暫くマシューは、意識が飛んだ様に呆然とした儘、ピクリとも動かなかった。しかし、その眼に精気が戻ると、何事もなかった様に次の階段を設え様とするのだった。

「おい、お前等。何をサボってやがる? 風も強くなってきたし、さっさと上に行くぞ!」

 一連の流れに元宗は、激しく眉を吊り上げ、毟るかの如く顎髭をしごいて、刺す様にフェリペの顔を覗いていた。

「彼女が何をしたのかは私にも解りませんが、多分、一種の催眠術か何かでしょう」

「そうさね。一時的に彼の恐怖の根源を忘却させたまでだよ」

(う〜む、聞きしに勝る妙技也!)

「百聞は一見に如かずと云うが、まさかこれ程とは••• 聞くと見るでは大違いじゃ」

 先日、マシューと二人でつくしを探した折りに、元宗は少々魔法について聞き及んでいたが、推察を軽く超える魔術を目の当たりにし、只々舌を巻くのだった。

 マシューのトラウマが復帰する前に何とか崖を昇りきった四人は、夕陽を背にして、また歩み始めた。朝には小さかった目標の山も、今では大きくなっていた。

「皆さん、もう一息ですよ。あの山の頂が今晩の宿所ですから」

「山頂に良い小屋でもあんのかい?」

「いいえ。恐らく無いと思います」

「じゃあ、今夜は野宿か?」

「どうでしょうね。何と言っても今日は、あなた達が何度も目にしてきた小道具が大技を披露してくれますから」

「何とっ! 詰所まで出せるのか?」

「いえ、そう言う訳ではありませんが••• まあ、楽しみにしといて下さいよ」

「ちいっ、勿体つけおって。女々しき奴よ」

「この上ねー生殺しだぜ。スッキリしねー」

 粒子機が持つ最高技術を伏せられて、興味津々だった男達は嘆息も一入(ひとしお)だった。

 休憩を挿んで、クシュゼル岳登頂を成す頃には、四人とも既にくたくただった。

 フェリペは窪みに差し掛かる大岩に目星を付けると、即座に粒子機で照射して、造室に適するか判定した。

 ピピーピピッという音に発表された合否は、

『幅、奥行き、高さ共に指定条件を確保でき、居室における危険性は特に無し。粒化法の適正基準範囲内』

 というものだった。

 ニヤリと笑い、普段は出さない弾んだ声を出して、フェリペは言った。

「さあさあ皆さん、お待ちかね。これより、先程の発言を実行したいと思いま〜す」

 軽快な口調に釣られ、夕焼けを眺めて一服を嗜んでいた男達と、四方を見回して安全を見定めていた老婆が集まって来ると、フェリペは粒化室作りに着手した。

 マシューと元宗は大岩に付着して橙の光を点滅させる粒子機が、窪地に即席の宿舎を出現させるのを期待を込めて見ていた。しかし、二、三分しても事が始まらず、まるで変化がない状態が続くと、ガッカリした表情を見せた。

「何じゃ、何じゃ? 大仰に云うた割には、何も起こらんではないか?」

「まあ、今すぐにとはいきませんよ。もう少し様子を見ましょう」

 その言葉に元宗も渋々口を閉じたが、その儘五分程が過ぎると、今度はマシューが沈黙を破った。

「お前、こりゃ〜詐欺だぜ!」

「全くじゃ〜。いつまで待たせるつもりか? じきに呆けてしまうぞ」

 気の早い男達の不満の声が噴出し始めた。

「もう少し待って下さいよ。私だって初めて試すんですから、どんな推移で部屋が出来るのかは知らないんです」

「つってもよ、明らかに何も出来てねーじゃねーか!」

「いえ、多分、内部では•••」

 フェリペが自信なさ気に答え様とした時、橙の点滅が消え、粒子機はピーッピッという合図で造室の完了を告げた。

「どうやら、終わったみたいさね」

 フェリペが道具を取り外した瞬間、大岩は口を開け、中には長方形の空洞が出来ていた。

「何じゃ、この穴は!?」

「掘削したのか!?」

 元宗とマシューは初めて認知する粒化室に唖然としていた。

「いいえ、掘削はしてませんよ。こう見えても空間部分の岩は実際には存在しており、また元通りに戻せますから」

「どう云う事じゃ? 絡繰(からく)りを説明せい」

 その要望にフェリペは、自分が知る限りの知識を教えた。すると三人は、意外にもすんなり、岩が不過視レベルの粒子になった事に理解を示したが、それを再結合させられる事には難色を示した。

「解せぬな。覆水盆に返らずじゃ」

「その通り。一度木っ端微塵に砕け散った物が、どうして無かった事にできる?」

「その技術に関しては、既に貴方達も見た事があるじゃないですか」

「何も無いところから、突然フッと物を出す、あれかい?」

「そうです。それと同じ要領ですよ」

「じゃああれは、召喚してるんじゃなかったんだね〜。いつもあんたが土地を変える時に使う、色の変わる大きな箱みたいに」

「ラビとは全く違う技術ですよ。ラビは飽くまでも移動や輸送に使う物ですが、粒子機は物を作り出したり、消し去ったりする機械。その材料に当たる物が、空気中に漂う、目に見えない粒なんですよ」

「左様な事であったか〜。それで合点がいったわい••• 何処ぞより取り寄せし物ではない故に、常に異形を成す」

 元宗は口にする物の姿形の不出来に、初めて納得できた。

「じゃあよ。今、実在する岩の粒を全て外に搔き出して、ここに新たな岩を造って、穴を埋める事も可能な訳だ?」

「勿論ですよ。但しその場合は、前と全く同じ物とはいかないでしょうね。例えば、色が違ったりとか、内部にあった傷は再現できなかったりとか、ありとあらゆる面で一緒じゃないと考えられます」

「成程な〜。大したもんだぜ〜」

 マシューは今更ながら沁々と感服するのだった。

「それにしても、こんな事が出来るんなら、なんでさっき、崖の内部に階段をつくらなかったんだい?」

「そう言われりゃそうだ」

「うむ。何故じゃ?」

「勿論それは、私も一番に考えました。しかし、この国の玄武岩、つまり黒岩は粒化が堅く禁じられている物で、実際に粒子機が作用しなかったんです」

「そうかい、一回は試したんだね」

 黒い崖は特別指定禁止物に該当するという理由に、三人は納得した。

 質疑応答が済むと、フェリペは光晶石を手に粒化室の中へ入って行った。

「ここはリビングです。共有スペースですから、皆さん、ご自由にお使い下さい。寝室は奥になります」

 フェリペが手を翳した後の消えた壁の先には、8畳間程の空間があった。

「こちらは個室になります。プライベートに使って下さい。トイレも完備してありますので、お気兼ねなく。尚、お尻に付着した汚物や排泄物等は、自動でさっき言った粒にされて、室外へ放出され、臭いすら残りませんので、ご安心を」

「お風呂は無いのかい?」

 アルベルティーヌは気になるところを問いた。

「それなんですが、実は入浴と洗濯を兼ねる、非常に便利なベッドがあるんですよ」

「何だい、そりゃ?」

「それに関しては、私も使用した経験がないので、今から実際にやってみましょう」

 そう言うとフェリペは、デラペッタを起動させ、そこから出て来た気体の上に自らの体を投じて見せた。

「どうだ?」

 フワフワと宙に浮かぶフェリペにマシューは訊ねた。

「ええ。何やらぼーっとしてきて、何とも良い気分です〜。多分、睡眠を促す様に作られているんだと思います。頭がじ〜んと熱くなる感じがあります」

「そりゃ〜寝入る直前の状態だね〜」

 段々、とろとろしてきたフェリペの眼を見て、マシューは(はや)し立てる様に言った。

「おいっ! 次は俺に替われ〜」

 半ば強引に横入りし、マシューは浮かぶ寝床を乗っ取った。

「どうじゃ?」

「へぇ〜、こりゃ〜気持ち良いや。温度も勝手に調整されやがる••• 若い頃愛用したハンモックを思い出すぜ〜」

「左様か。では、次は儂の番じゃ」

 ドンッと、一突きの突っ張りの許に、続く元宗が取って替わった。

「どうですか?」

「善き(かな)〜。 •••布団要らずとは恐れ入る」

「で、お風呂はどこに付いてんだい?」

 アルベルティーヌの関心はやはりそこだった。

「この道具、こうやって浮かんで眠るだけで、知らず知らずの内に入浴と洗濯を自動的に遂行してるんですよ」

「寝るだけで? •••また、粒の原理かい?」

「そうです。汚れの素や臭い分子を勝手に分解してくれるんです。凄いでしょ?」

「そいつぁ良いぜ! 着替えもしねーでバッタリなのに、起きたら臭くねーなんて、長い航海にはもってこいだ〜」

「そうですね。至って航海者向けですよ」

「面倒臭がりなお主には、打ってつけよの。しかし何じゃな。風呂となれば、熱き湯をバサッと、一浴びしたいとこじゃがのう」

「あたしもその方が良いよ」

「確かに、この星の人達にも、温泉の文化は根強く残っているみたいですよ。前に調べたところに拠ると、数万もの温泉地が存在する様ですから」

「サッパリするには、直に水に触れるのが一番だからね〜」

「アナログを好む。これは食文化にも共通して言える事の様ですね」

 フェリペは現代の地球でも様々な分野で見られる現象を改めて考えた。

「まっ、はえー話、良いもんは良い! って事だろう?」

「おうおう、一体どの口が左様に物申すのやら•••」

 元宗は首を横に振って、突っ込むのだった。

 光晶石とデラペッタを配って、フェリペは皆に言った。

「体と服の浄化は数分で済みますので、それが終わり次第、ディナーにしましょう」

「ちょっとゆっくりしたいし、もう少し後にしようぜ。一時間後ってのはどうだ?」

「賛成さね」

「じゃあ、そうしましょう」

「半刻の後か••• 左様ならば、拙者はこれにて、御免」

 一足先に元宗が部屋を去ると、マシューとアルベルティーヌも個室から出て行った。

 夕食は外の窪みで採る事になった。

 殺風景な岩の室内で食べるよりも、開放感溢れる屋外で食す方が美味に決まっていると、盛んにアルベルティーヌが言うからだ。

 四人が大岩から出ると、すっかり夜に包み込まれたクシュゼル岳の頂きが、満天の星空を冠していた。

「素敵だね〜! 今宵はやけに強く感じると思ったんだよ〜」

「素晴らしい! こんなに美しい夜空は滅多に見られませんよ」

「天晴れ! 見事也!」

「確かに綺麗だな。カリブの海以上だぜ!」

 北東から南西に貫く光の線は、地球から見えるものよりも星の密度が濃く、雄々しくて強大に映った。

「何とも神々しい、一筋の道さね〜」

「我等が故郷も、あの光の道の中にあるんですよ」

「何とっ! 左様か〜。あれは一体、何なのじゃ?」

「かの有名な、天の川ですよ」

「へっ? 天の川ってのは、ここからでも見えるのかよ?」

「当然ですよ。この星も我等が星も天の川銀河と言う、数多の星々の集合体の一部なのですから」

「そうなのか••• まっ、どっちみち、俺の知ってる星座はここにゃあ一つもねーが、さっきまで太陽だった星が今では月になってやがるのが、よく解らねー」

「それは某も気になっとった。昼の日と夜の月を兼任致す星など、あるのか?」

「いいえ。あれはパラコンと言って、夜でも歴とした太陽です。月は南南東に見える、地球の物の倍位の大きさのあの星と、西に見える、急激に皓々と輝き出した、更に倍程のあの星、それに、今我々が居るこここそが、月に当たるんです」

「何じゃと!? では、拙者達はずっと月に?」

「ええ。こっちの世界で言うところの、ですけどね•••」

「待て待て。じゃあ、こっち側の俺達の故郷に当たる星は、どこにあんだ?」

「残念ながら、今日は見れません。ですが、後二日すれば、夜に見える様になりますよ。ズゴルフという名の星です」

「然れども、月も三つあろうとは」

「いいえ、それだけではありませんよ。更に一つの合計四つ。それがズゴルフに於ける衛星の全てです」

「三つの太陽に四つの月••• 道理で複雑なエネルギーになる訳さね〜」

 フェリペの話に、腕利きの占星術師でもあるアルベルティーヌでさえ、呆れ顔を隠せなかった。

「もういいからよ。頭が痛くなる前に、飯にしようぜ〜」

「異議なしじゃ」

 男達の脱落は一種の防衛本能と言えた。

 星降る夜の晩餐会を思う存分堪能した四人は、ほろ酔いが醒めやらぬ儘、デラペッタに身を預けると、あっという間に熟睡するのだった。

 

 翌朝、眠気の残る眼を擦ってフェリペが外へ出ると、他の三人は既に窪みの端の盛り上がった所で、一堂に会していた。

「ふぁ〜あ••• おはようございます」

「起きたかい? これを見な」

 アルベルティーヌが振り向き様にそう言うので、フェリペも膨らみに上ってみた。するとそこには、谷間という谷間を覆っても飽き足らない朝靄が、突出した峻嶮な岩山に触手を伸ばそうとする光景が広がっていた。

「雲海だ!」

 その衝撃はどんなびっくり箱よりも強く、如何なる目覚まし時計よりも効き目があった。

「此れなん、泰山が境地也!」

 まるで山水画の様な世界に、元宗は明の商人から得た掛け軸の事を思い出していた。

「俺の船さえあったら、遠くのあの山脈も一気にチェックメイトなんだがな〜」

 マシューもまた異色の水に、自らの帆船の事を思い浮かべている様だった。

 少し肌寒い位の気温が粛とした早朝の爽やかさを伝える中、流れ行くピンクの雲を眺めながら、四人は朝食を摂った。

「本日の予定はインコッヘ山脈到達です」

「予定と言うより目標だろ、そりゃ?」

「いいえ。私は、何とか今日中にあそこ迄着いておきたいんです」

(あたか)逍遥(しょうよう)でもするかの如く楽に云うが、あの隔たりはあまくなし」

「解ってますよ。でも、決して行けない距離ではない•••」

 強い意志の漲るフェリペの顔に、マシューと元宗の顔は(ひしゃ)げた。

「まっ、諦めるこったね。彼の心は本物だよ。

 イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」

 アルベルティーヌの特徴的な笑い声が出ると、もう二人とも異論を唱えなかった。

 クシュゼル岳の峰に別れを告げ、スペペ連峰の尾根伝いにインコッヘ山脈を目指して、四人は立ち籠める濃霧の中へ足を踏み入れた。

 初めの内は5m程あった視界も、高度を下げるごとにどんどん狭まり、終には自分の脚すら視認できなくなると、フェリペに警告の声が寄せられた。

「完全に取り囲まれたね••• 坊や、これ以上進むのは危ないよ」

「うむ。一寸先すら見えぬ儘、一歩踏み外したが為に、あれよあれよと谷の底では、死して尚、浮かばれぬて」

「そりゃそうだ。退却と迄は言わねーが、せめて対策は要りそうだぜ」

 声だけが不気味に行き交う状況に、フェリペは粒子機を使用して、半径3・185mの半球範囲内の(かすみ)を分解、拡散した。

「おっ! やるじゃねーか〜」

 突然消えた浮かぶ(つゆ)の後に四人の姿が(あらわ)になると、マシューは反射的に口を開いた。

「皆さん、今の内に進めるだけ進みましょう」

 フェリペが急かす様に言っている間にも、周りの霞は消えた浮かぶ露の埋め合わせをしていた。

「侵入を防げたら、文句ないんじゃがのう」

「そこまでは望めませんよ。でも、これで一応、前を向ける」

 優れた文明の利器にはこんな使い方もあった。

 幾度かの昇り降りを繰り返す内に、視界を遮る白い水は次第に消えていったが、今度はその後を受け継ぐ様に、行く手を阻む白い氷が現れていた。

「雪山さね。皆、気を抜くんじゃないよ」

 一定の寒さと一貫した登り坂の到来は、一種の勧告だった。

 フェリペは登山用の防寒具と保温、防水加工が施された履物を粒子機から作り出し、皆に着替える様に言った。

 同じ服装をした四人が出揃うと、何か一体感が増した気分だった。

「統一の衣も、なかなか良いもんじゃな」

「ああ。何となくだが、チームって意識が強くなった感じがするぜ〜」

「それはそうでしょう。何と言っても、我々にして初めてのユニフォームですから」

「それで、これはどうするんだい?」

 アルベルティーヌは持っていたローブを軽く上げながら、訊ねた。

「皆さんの独特の衣装は、暫く私がお預かりしますよ」

 そう言ってフェリペは、全員の服を個別に粒子機にかけ、ビー玉の様な小さな球体を四つ作った。

「こりゃ、エンリケ! 某の着流しを何故滅した?」

「滅してはいませんよ。形状記憶球に封しただけです。こうしておけば、同じ重さでもこの大きさで済みますから、持ち運びに最適なんですよ」

「形状記憶? まっ、後から返ってくるんなら、何でも良いぜ」

「勿論ですよ。積雪地帯を抜ければ、防寒具とはお別れですから」

 それを聞いて、元宗も安心した様だった。

 踏めば埋まる柔らかさの白い粉を掻き分け、延々と続く道なき道を進んで、その眺望が剥き出しの山肌と銀世界だけになる頃、登山隊は早めの昼休みをとった。連峰と山脈の分岐点までは、残り半分の距離をきっていた。

「非常に良いペースですよ、皆さん。後半もこの調子を維持して行きましょう!」

 フェリペは故意に鼓舞する様に言ったが、それに呼応したのはアルベルティーヌだけだった。

 南中を経て、四人が行軍を再開する事、三時間が過ぎた時だった。今まで遠巻きに見えていた、一際切り立つ険しい岩山が、一行の目の前に立ちはだかった。

(くっそ)〜、ここへ来て邪魔が入ったか」

「完璧な迄に要所をおさえよる。まるで砦よのう••• して、如何致す?」

「トンネルを掘るってのはどうだ?」

「穴を開けるのは余りお勧め出来ませんよ。消せない傷を造っては、後々面倒を生みそうですから。かと言って、再形化しようにも、一度の粒化で向こう側まで行き着けなければ、我々は岩に潰される事になりますし•••」

「分割しながら進めないのかい?」

「それは無理ですよ。再形化する場合は、一度記憶された対象物の粒子配列を完全に再現してからでないと、粒子機を再使用できないんです」

「さっきみたいに、球に込めば良いじゃねーか?」

「岩だと重過ぎて扱えません。仮に、運搬できる重さずつ粒化しても、それでは余りに時間が掛かり過ぎてしまう」

「成程のう。しかして要するに、息継ぎが出来れば、何も障りはないんじゃろ?」

 そう言うと元宗は、左脇に露出した岩肌を指差した。

「あっ! こちら側は雪を被ってないんですね!」

 積雪のない堅固な岩面さえあれば、そこに引化板をくっつけ、粒化を区切る事が可能だった。

「良い具合じゃないか〜。これならトンネルも造れそうさね」

「おいおい、左は極めて崖だ。ぜってー落ちちまうよ!」

「大丈夫ですよ。今回は板も一枚で済みますから、引化力••• つまり、ひっつくパワーは前の倍に出来ますし、また命綱も使いますから」

「お主とて、前は行けたではないか。覚えていよう?」

「あん時は何故か、怖くなかった••• だが、今は駄目だぜ。下見ると、脚が(すく)む!」

 崖側の経由を執拗に躊躇うマシューには、やはり魔法を使うしかなかった。

(ここは一つ、お願いします)

 フェリペの無言の依頼にアルベルティーヌは頷いた。

「•••ズベ、リャテャウィャーシャ〜」

 施術さえしてしまえば、臆病もこっちのもので、マシューは戸惑う事なく紐を装備し、四人はひけらかされた岩の横腹を中継しながら、トンネルの中を通って行った。

 難所の関門を潜り抜けると、その先は吹雪だった。

「まっ、こうなる事ぁ解ってたんだがな•••」

「無論じゃ。先程よりあちら側から、鈍き黒雲が見えておったからのう」

「このまま進むのは危険ですかね?」

 フェリペはアルベルティーヌの顔を覗き込んだ。

 暫くアルベルティーヌは、鋭い目付きで視界の悪い空を見上げていた。

「この雲は長くここに居座りそうだね〜。それでも強行できない事はないだろうが、何せあたし等は道も知らない•••」

 アルベルティーヌは案じる様に言った。

「俺なら過酷な路は選ばねー。こりゃあ船長としての意見だ」

「同感じゃ。悪天の上に、見知らぬ土地••• 大軍とて失う条件よ。儂もまた、将としての了見よ」

 他の二人の見解も同じだと、もはや採決の必要はなかった。フェリペは止む無く予定を断念し、たった今再形化したばかりの関所を、すぐに寝所に作り変えるのだった。


 翌日は朝から晴れていた。

 外は雪深く、相変わらず起伏に富んだ地形の繰り返しだったが、もう関所と呼べそうな岩は見られず、これと言って危険そうな箇所も見当たらなかった。

「皆さん、我々の目的地は、もうそう遠くはありません。今日こそリムディムの岩壁を眼中に収めようではありませんか」

「ようやく、あの山脈を北へ下るんだね?」

「大一番は峠越えかのう?」

「だな。見たとこ、残りの登りは少ない。はえー段階で山場を迎えるだろうよ」

 横断すべき山並みが近くに見える事は四人の士気を大いに高めていた。

 少々の下りが続いた後は、その上をいく登りが待っており、四人はじわじわと高度を上げながら、昨日登りそびれた連山を一つずつ着実に制覇していった。そして、二度の休憩の末に、遂にスペペ連峰とインコッヘ山脈の合流地点に辿り着いた。

「やっと此処まで来おったわ〜」

 両腕を上げて喜びを露にし、元宗は二日前の晴天に見た山脈を踏み締めた。

「問題は、どこから下るかだ」

「そうですね。ここら辺は比較的険いので、もう少し東に向かいましょう。この映像を見る限りだと、ここが良さそうです」

 フェリペはキースを指差し、山脈の稜線から緩やかに落ちていく谷間を皆に見せた。

「確かにそこは、なだらかじゃのう」

「賛成だ!」

 雪が覆う事すら許さない岩壁を行くのだけはどうしても避けたかったマシューは、その案に大いに頷いた。

 障害に成り得る雪を粒子機で消去しつつ、東へおよそ一時間歩いた時、四人は垂直に天へ伸びる、高さ10m位の紺の柱が、人がすり抜けられる隙間もない程密集する場所に行き着いた。

「何なんでしょうね、これは?」

「解らねー」

「うむ。日の本にても、見た事御座らん」

 フェリペがキースで調べてみると、それは一種の植物の様だった。

「どうやらこれは『ジュダ』という、この星特有の、所謂木みたいな物らしいです••• しかし、弱りましたね。これでは粒化できない」

 ジュダの隣は約30mの落差はある崖だったが、幸い、その間には幅30㎝程の狭小な足場があった。

「こいつはちと、厄介かものう•••」

 崖を見てから、一度マシューに当てた視線をフェリペに落ち着かせて、元宗は言った。

 フェリペはすぐに命綱を用意したが、今回は無言で老婆に依頼する事はなかった。

「おい、ここを行くのは止めようぜ〜。明らかに妥当じゃねー」

 マシューはやはり反対の様だった。

「何も気にする事ぁないよ。こんな時は蟹にでもなればいい」

「あぁ? 何言ってやがる。そんな事できる訳ねーだろ」

「いいや、誰にだって出来る。簡単さね〜。この鮮やかなダークブルーだけを見ていれば、その瞬間のあんたは蟹とさして変わらない。

 イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」

「チェッ、気楽に言いやがって」

 アルベルティーヌの助言は余り有効ではなかった。

 マシューは何としても、ジュダを迂回する別ルートを提案したかった。しかし、延々と連なる紺樹の端を視認する事すら儘ならないとなると、黙って皆に付き従うしかなかった。

 二つの命綱を交互にジュダにくっ付かせて、樹々の脇にある細道を横歩きに通過し、一行は長さ200mを超すジュダの林を横切って行った。

 十数分も経つと、先頭を行くフェリペは林の終わりを見た。

「セニョールマシュー、もう少しで林を抜けれますよ〜。その先はまた、少しの登りがありますが、それさえ越えてしまえば、目標の谷はすぐそこで〜す」

「もうちょっとだってさ〜。頑張んな〜」

「•••」

 フェリペとアルベルティーヌは遅れをとってやや離れた所から後を追うマシューを大声で激励した。が、マシューには二人に応答できるだけの余裕はなく、ガクガクと顎と膝を震わせながら、只々一生懸命に横向き歩行に徹していた。

奇進(きしん)する事蟹の如しじゃが、のろき事は亀の如し、か? ぶははははっ! さてもさてもお主、誠に海のものよのう」

 他人の苦心など全く気にせず、下らない冗談を言ってついて来る元宗を、マシューは心底、崖底に突き落としてやりたいと思った。が、先行する二人と大きく隔たってしまった今、いざと言う時に頼れるのは最後尾のこの男しかおらず、おいそれとそう出来ない事が悔しかった。

 決して気温に拠るものではない、背を伝う汗をひしひしと感じながら、やっとの思いでジュダの林を越えたマシューは、ゲレンデの様な斜面が22㎞強、標高差にして4000m以上も続く、巨大な坂を見下ろして、喜びの声を上げた。

「こいつぁ〜、ありがてー!」

 マシューは超特大滑り台に感謝した。

「下りなら、またあれが使えますからね〜」

 フェリペは、今回は四人乗りの板の製造に取り掛かった。

「然れども、世にも美しき所よのう••• 某が見た雪は優雅に京を舞うものじゃったが、かくの如き凄みはなかった。これが世に云う、雪原か〜」

 元宗は初めて目にする雪渓に感激し、顎髭をしごいて呟いた。

 大きめの進むボードが完成し、フェリペは宣言した。

「さあ、皆さん。準備が整いました。これより我々は、これで一気に下山します!」

 フェリペの号令に、皆も板の上に乗った。

 一番の巨体であるマシューの背に押され続け、重ね合わされた四つの動力源がフル稼働で動き始めると、久々に登板した便利道具は快適で順調な山下りを演出してみせた。

「あんなに苦労した山々も、これさえありゃ、まるで遊戯だね〜」

「うむ。前よりも、うんと速うなりおる」

「重力が加わったからですよ。全ての物体は上から下に落ちるでしょ? それです。その法則は、例えこの板が浮いていても同じなんですよ」

「だから登りん時ゃ、進まなかったのか〜」

「そう言う事です」

 スイスイと山を下る未来版魔法の絨毯の数分間は登山隊の数時間に匹敵し、四人はわずか十分足らずで、斜面の半分を駆け下りていた。

「見よ、ワトソン。先刻の頂きも、今やあれ程に遠くなりおるわい!」

「だろうな。なんてったってこのスピード•••」

 馬を超える速度での疾走に、一人は奮い、一人は呆れていたが、そんな中アルベルティーヌだけは独り静かに、常人では聞こえない程微かな物音に聞き耳を立てていた。

 グッ、グググッ••• プチッ、プチッ、プチッ、プチッ•••

(んんっ? 何だろうね、一体•••)

 それはまるで、何かの重大発表を受けた直後の集団のざわめきみたいに聞こえるのだが、一瞬で消えたかと思うと、すぐにまた聞こえ出す事を断続的に繰り返していた。

 段々とより近くから聞こえる様になっていく音に、アルベルティーヌは注意深く多方面に目を配った。しかし、周囲の山々は閑かで特に異変は見られなかった。

(おかしいね〜、確かに聴こえるんだが•••)

 アルベルティーヌはその未経験の音が何に起因しての事か解らなかったが、体験済みの募りゆく不安感に、何か不運が起こる気がしてならなかった。

 谷間にくねりが見られ始める頃、突然マシューが、

「何だっ!? すげー嫌な予感がする!」

 と、大きな眼をして、大きな声を放った。

「あんた、気付いたかい?」

「!? 何だよ、婆様。知ってたんなら先に言えよ。で、何なんだこりゃ?」

「それが、あたしにも解らないんだ」

「はっきり言って、相当やべー気がするぜ。俺ぁ•••」

 不安げな顔を見せるマシューの眼差しに、元宗は訊ねた。

「お主等一体、何の話をしおるのじゃ?」

「そうですよ。二人だけで話して。 一体、何が起きてるんですか?」

「起きてるんじゃないよ。起きようとしてるのさね」

「何が?」

「それが解ったら苦労はないさね。只、一つ言える事は、生き物の声じゃないって事さね•••」

 そう言われたところで、三人は全く解らなかった。

「一度、止まった方が良いですかね?」

 フェリペは改めてアルベルティーヌに訊ねた。

「解らない••• だが正直、ここら辺一体に危ない感じがするよ。だから、場合によっては留まるのとはむしろ逆に、早くここを去った方が利口かも知れない」

「成程。危険の確認は何を置いても常套とされる事ですが、危険な区域からの脱出は、そもそも被害自体を無きものにできますからね」

「如何にも。招かざる客を座して待つは、誠にもって愚かの極み。善は急げじゃ。早う山を下ろうぞ!」

「ああ、それが良い。つーより俺ぁ、あんま長くここに居たくねー。俺の勘はよく当たるんだ。特にこういう時ゃ、決まって嫌な事が起こる」

 誰よりも円滑な進行を望むフェリペに異議はなく、満場一致で下山の継続を決定した四人は、可及的速やかに谷を抜ける事にした。

 大きなカーブを曲がり、脇の山襞(やまひだ)にある、広い口の谷と接する地点に来た時だった。 

「あれを見ろ〜っ!」

 ゴゴ〜〜ッ! という(とどろき)に警告を発したマシューの指先には、たった今口火を切ったばかり雪崩が、上空およそ20mまで白い粉塵を巻き上げながら、怒濤の勢いで山を滑り落ちて来る様子が見えた。

「ぬう〜っ!!」

 瞬時に固く拳を握り締め、元宗は普段は決して見せる事のない程に力んだ鬼の様な眼で、迫り来る危機を睨み返していた。一方、悲痛な表情でフェリペがアルベルティーヌに目をやると、

「駄目さね。あのエネルギーは強過ぎる! とても止められないよ!」

 と、アルベルティーヌは言い、いつもより早口で呪文を唱え始めた。

「おいっ、どうする? 進むも戻るも、あの速さじゃ間に合わねーぞ!」

 マシューの言う通り、今更ボードから降りて深い雪の上を走り登っても、雪崩を回避するのは難しく、このまま突っ切るにしても、その規模を振り切る事までは出来そうになかった。

 フェリペは逆側の山間に高台を求めた。しかし、そんな都合良く急を凌げそうな物がある筈も無く、代わりに、少し下に見えるたった一本単独で立っている木を目掛けて、大きく舵を切った。

「アルベルティーヌ、五郎左! 一列に並んで、出来るだけ身を(かが)めていて下さい! あの木は運良く、枝の部分まで雪が積もっている! 何としてもあそこまで行って、木の上に登りましょう!」

 焦りの余りとても速く発せられた言葉は、ビュービューと音を鳴らして四人の間を駆け抜けていく風に掻き消され、耳に入る頃には既に文章ではなかったが、切れ切れになった単語を拾った二人が指示を全うすると、凹凸が消えて空気抵抗が薄らいだボードは、より速さを高めていた。

 今や弾丸の様に一丸となった一行のスピードは時速80㎞を超えていた。しかし、それにも関わらずフェリペにはそう感じられず、むしろ遅くなっている様にすら思えた。

(もっと速く! もっと急いでくれ!)

 フェリペが心の中で強く念じるも虚しく、凄まじい速さで押し寄せて来る白壁は、刻一刻と着実に距離を詰めて来ていた。

 坂の下りと登りが交わる点に着くと同時に、フェリペは言った。

「皆さん、ここからは降りて走りましょう!」

 そう言われるよりも先に、三人は板から飛び出していた。

 最寄りの木までは、まだ後15mはある。

「急げー!」

 マシューは力の限り叫んだ。

「目一杯、走るのじゃ〜!」

 元宗もまた、怒号の様な檄を飛ばしていた。そんな中アルベルティーヌだけは、

「*#&$%※◎☆•••」

 と、未だに、よく聞き取れない呪文を続けていた。

 四人が走りづらい雪の上を死に物狂いで狂奔している間にも、全てを飲み込みながら我が道を行く白い粉の波は、既に自らが居た山を下り終え、ついさっき迄一行がいた谷間を越え様としていた。

「もう少しです!」

 木まで残り5mをきった所でフェリペが皆を奮起すると、アルベルティーヌがそれを消し去るかと思える程の大声を発した。

「•••ズンババ、ダダンズッ、リェッチェヨ〜ニャ〜!」

 その刹那、フェリペは心臓がカッと熱くなるのを感じたが、次の瞬間、自身が漆黒に包まれていく感覚を得た。

「!?」

 疾くも一行の真後ろにまで差し迫っていた白い悪魔が、無情にもフェリペを丸ごと、その流動的な胃袋の中に納めてしまっていたのだ。

 一瞬にして雪下1mの所に埋められたフェリペは、自分の身に何が起きたのか全く解らなかった。己の瞼が閉じているのか、開いているのかさえも。只、自己の意識が物音一つしない真っ暗な闇の中にあって、妙に心地よい事だけは解った。

(何だろう、頭がぼーっとする••• やけに体が温かい•••)

 そこには、ほんの一秒前迄の緊張感や焦燥感は微塵も無く、嘘の様な安堵感があった。

 雪崩に襲われる間際、アルベルティーヌに心をリセットされていたフェリペは、重く冷たく伸し掛かる邪魔物に取り囲まれ様とも、絶望に駆られて冷静な判断力を欠く事が無い様、事前処理されていたのだ。

(そうだっ! 皆は!?)

 本来の状況を思い出した瞬間に現在の状況を悟ったフェリペは、背にあるリュックから両肩を外して何とか半転すると、中から取り出された粒子機が粒化の完了を告げるのをじっと待った。

 一分後、空の紫がパッと視界に広がった。

 起き上がったフェリペは、除雪された空間の端に少しだけ出ている大柄な足を確かめた。

「セニョールマシュー!」

 急いで足に駆け寄ったフェリペがそれを軽く蹴ると、足は細かくではあるが確かに動いた。そして、その先に連なる方からは微かながら声が漏れて来ていた。

 フェリペはすぐに雪の除去に取り掛かった。

 二分が過ぎ、フッと消えて無くなった雪の中から、俯せのマシューが現れた。

「いや〜っ、助かったぜ〜! 本当にありがとよ! 雪に覆われた瞬間、俺ぁまた、死を覚悟した。どれだけ体を動かそうにも、手も足も動かせなかったからな。実際、お前が脱出できてなきゃ、俺ぁ救出されてなかった」

「私も運が良かったんです。もし、もっと多くの雪を被って、もっと深い所に閉じ込められてたら、身動き一つもろくにとれずに、あんなに簡単な粒化作業すら、自分の力で出来なかった筈•••」

 フェリペは手を引っ張って、マシューを立たせた。

「それにしてもお前、案外力あんだな。俺でも何も出来なかったのに、自力で抜け出るとは」

「それなんですが、何故かさっきは体中に力が漲ってたんです」

「じゃ、婆様の仕業だ」

「えっ、彼女が何を?」

「何だお前、見てなかったのか? 俺達が雪を喰らう直前、婆様がお前にだけ、何か奇声を発してたのを」

 フェリペは、ものの五分前にあった一瞬の出来事を全く思い出せなかった。

「ところで、そんな婆様とあのヤローの姿が見えねーが?」

「ええ。ですから、急いで探しましょう!」

 フェリペの真剣そのものの顔にマシューの気も引き締まった。

 暫く二人は、雪崩が進んだ方へ粒化を展開しながら、自身の手も休める事無く、雪掻きに専念していた。しかし、四度目の粒化も空振りに終わり、部分的にさえ仲間を視認できない状態が続くと、膨れ上がっていく焦りが苛立ちに変わるのを抑えきれず、互いに不満をぶちまけ合う様になっていった。

「おいっ! 一体どう言うこった? そんな便利な道具を持ってて、なんであいつ等を見つけれねー?」

「そんな事、私に言わないで下さいよ! どれだけ便利でも、場所までは解らないんですから」

「速くしねーとあいつ等、動かなくなっちまうぜ!」

「そんな事は解ってますよ! ですから、今こうして急いでるじゃないですか。あなたは勘が良いんでしょ? でしたら、彼等がどこに居るのか解らないんですか?」

「おいおい、俺の直感に頼るなよ! 確かに俺ぁ、昔から人一倍鋭ぇ方だが、それも所詮は凡人と比べての話。中途半端な俺の力じゃ、婆様の代わりは務まらねーよ!」

「ですから今、アルベルティーヌを探してるんじゃないですか」

「婆様とゴロ〜ザは俺の眼の前を走ってたが、俺とお前の近くに埋まってねーって事ぁ、もっと遠くまで流されたんじゃねーのか?」

「それは多分に有り得ます。ですが、広範囲な捜索には、それだけリスクが伴う。時間を掛ければ掛ける程、生存の可能性が著しく低下するからです」

「そりゃそうだが、それに関しちゃ、どこを探しても同じだろ?」

「ええ。だからこそ、より見込みのある所を特定して、捜索すべきなんです」

 雪崩による遭難の場合、埋没から三十分程で生存率は激減すると言われているが、アルベルティーヌと元宗が飲み込まれてからは既に十五分の時が経過していた。

 何度粒化を試みても一向に埒が明かないので、思い切って近場の捜索を打ち切った二人は、雪崩の及んだ範囲を確認する為に、自ら作った穴から出た。

 穴の上では新たに上乗せされた雪面に、幾つかの盛り上がった瘤が見られた。

 フェリペは特に目立つものに目星を付け、その周辺を重点的に粒化する事にした。他方マシューは、今となっては後方に位置する木に、今頃になって攀じ登ると、恐怖心と闘いながら、高い所で持ち前の能力を活かそうとしていた。

「何してるんですか? 上から見たところで、雪の中を覗く事なんて出来ませんよ!」

 フェリペは怒った顔で言ったが、マシューはそれを受け流し、穴から出た時より感じる、『何か自分に訴え掛けて来るもの』の出所を探る事に集中していた。

(どこだ? どこに居やがる? この感じは、一体どこから来てやがるんだ?)

 それは、弱くはあるが確かなものだった。

 誰かに見詰められている時特有の、視線の様な感じでもなければ、ちょくちょく起こる虫の知らせみたいなものでもなかった。

 それは明らかに、知人に呼び止められる時と同じ感覚だった。

(居る! どっちかは解らんが、こいつぁ確実に生きてる!)

 マシューは強く確信すると、広く散らばった白い悪魔の残骸にひたすら眼を凝らすのだった。

 白銀の中で一際反射する一条の光を見逃さなかったマシューは、すぐにその所在をフェリペに伝えた。

「おいっ、フェリペ。もっと上だ! 今お前が居る位置から少し右へ登った所に、何かがある! ここからだと、それが時々光って見えんだ!」

 マシューが大声で指差すので、フェリペが指示に従うと、指定の場所には元宗所有の黒い数珠が雪の中から半分出ていた。

「これは間違いなく、セニョール五郎左のロザリオ!」

 十字架こそ付いてないものの、宗教上の道具である事に類似点を感じていたフェリペは、それを片手に元宗が、毎朝、旭に向かって拝んでいるのを知っていた。

「もう少しの辛抱です。すぐに助け出してあげますからね!」

 フェリペは数珠を拾い上げ、元宗が埋まっているであろう雪に向かって激励した。

 マシューは数珠発見の報告を可しとしたが、それで木から降りる事はなかった。今でも続く無音の呼び掛けが、どうも違う方向から届いて来る様な気がしてならなかったからだ。

(変だ••• あん時俺達が居た位置よりも、後ろに埋もれる道理なんてねー筈だが、何故かこの感覚は、もっと遠く、もっと後ろの方から送られて来る感じがする•••)

マシューは自身が指図した方向から翻って、四人が雪崩と接触した地点を凝視した。しかし、やはりそこには何も感じ入るものは無かったので、目を閉じて、更に感受性を研ぎ澄ます事に集中していた。

 一方、粒化後、新たに開いた穴には、斜めに傾いた状態で頭から胸までを出す、元宗の姿があった。

「セニョール!」

「!? あな有難や〜。どうやら儂にも、神仏の御加護があった様じゃ」

 フェリペは元宗を雪から引っ張り出した。

「怪我はありませんか?」

「身に傷みはないが、心に痛みを負うたわい。あろう事か某、亡き戦友との(つなぎ)をすっかり失うてしもた•••」

 遠くへ運ばれた元宗は、少々積み上がった雪庇に乗り上げた際、宙へ投げ出され、空に舞う数珠を眼で追う中、そのまま雪へ叩きつけられた。そして、後続する新手の雪の中深くに沈んでいたのだった。

「あなたが言ってるのは、このロザリオの事ですか?」

「おおっ! よくぞ見つけてくれおった! 嬉や、あな有難や〜」

 元宗は合掌して数珠を受け取った。

「お礼なら、あの人に言ってあげて下さい」

 フェリペの視線の先に照準を合わせると、元宗の目には背を向けるマシューの姿が映った。

「高きを恐るる彼奴が、あの様な処で、一体何をしおるのか?」

 フェリペはその質問に答えかねたが、実際に元宗救出の緒を得たのがマシューであった事を告げた。すると、元宗はいつもの癖を披露しながら、深く考え込むのだった。

(亡き戦友との絆を今の朋が見当て、恩人が掬うて、儂を救うた••• のう、十兵衛や。お主がワトソンに働き掛け、彼奴を動かしたのか?)

 元宗は心の中で問いたが、その答えもまた、返って来る事はなかった。

 

 時を遡る事二十一分前、メチョッテ波動学研究所では、四人の心拍数が同時に急上昇する異常事態に助手が慌てふためいていた。

「学部長! 只今彼等は、何らかの異変を迎え入れている様に思われます!」

「何っ!? ヅヅァ族と対面するにはもう少し時間が要る筈••• 場所は?」

「インコッヘ山脈北面です」

「そんな所で何が起きていると言うのだ!?」

「解りませんが、皆一斉に正常な興奮域を逸脱し、強い恐怖と不安の念を抱いた模様です」

「座標を記録しておいてくれ」

「はい••• あっ! たった今、個体アの脳波が大きく弾けました! しかも個体フェの方は逆に、瞬時に落ち着きを取り戻しています」

「二人の間に何かあったな。個体マと個体モは、焦りの色を濃くした様だ。出来れば、今すぐにでもそこへ行きたいところだが、『嶮』だけはな」

 崖の国フンジリッテが持つ特別法に、メアルは視察を諦めざるを得なかった。


 元宗の情報から、アルベルティーヌも雪庇まで到達していた事を知ったフェリペは、すぐに付近の雪の粒化を考えたが、雪庇の一部が崩落している事に気が付くと、白い悪魔に触発されて起きた、第二の雪崩の流れた跡に注目した。

「セニョール五郎左。あなたはアルベルティーヌが次なる雪崩に連れて行かれるのを、その眼で見ましたか?」

「すまぬが、そこ迄は••• 某、飛び行く数珠を気に掛けた故」

「そうですか」

「じゃが、婆殿は某とは反し、雪塊に止められおったぞ」

「それはこの辺りでしたか?」

 フェリペが更なる雪崩の発生地点を指すと、元宗は気まずそうな顔をして頷いた。

(多分彼女は、ここには居ない•••)

 短時間で救助する為には無駄な事をしている暇はなかった。

 新たな雪崩の走路を追い、フェリペは元宗と共に斜面を下りた。

 二人が木の(そば)まで来ると、マシューは長らく時を費やして高めた精神統一を解放し、遂に開眼した。

「何だお前、生きてやがったのか?」

 開口一番にマシューは言った。

「ふんっ、相変わらず口の悪い奴よ。じゃが、お主のおかげで、こうして此処へ戻れた••• 礼を云うぞ」

 元宗は軽く頭を下げた。

「で、どうです? あなたの勘はアルベルティーヌの居場所を突き止めましたか?」

「俺ぁ、この線が怪しいと思うんだ」

 そう言うとマシューは、四人乗りの板を乗り捨てた、坂の下りと登りが交わる点の延線上をなぞる様に示した。

「成程。確かにここは、疑わしいですね」

 マシューの指摘した範囲には第二波の雪崩が注ぎ込んだ跡が見られた。

 捜索箇所を決定し、三人は速やかに、緩やかなV字を成す、山と谷の接合部分の粒化と除雪に入った。


 時同じく、メチョッテ波動学研究所では、研究者達がアルベルティーヌの生命反応に激変を見ていた。

「学部長、個体アの呼吸が途切れ途切れになり、無呼吸の時間帯が確認される様になりました! 周期と間隔の変化に、脳波も急激に低数域へと推移しています。彼女は今、昏睡しているのでしょうか?」

「どうだろう。あの時と同様、意識は明瞭な儘だ」

「仮に、彼女が起きているとしても、これは平生とは言えませんよね? だったら、彼女は一体何をしているのでしょうか? 動機や意図が全く見えてこない」

「地球人が自発的にこの状態になる事象を、私は一つだけ知っている••• それはヨガと呼ばれるものだ」

「何ですか、それは?」

「地球に於いて、インドと呼ばれる地発祥の、全宇宙の集合意識と繋がる業だよ」

「そんなっ! 完全意識との融合は、私達のテクノロジーを持ってしても未だに到達し得ない領域••• 彼等にそんな知識や道具があるとは、とても思えませんが?」

「しかし、少数の者に限り、その技法を体得してるのではないかと、私は推測している。かつて我等の星で文明を開いた、あの偉人の様に•••」

「ドゥファサー・コロコンタックスですか•••」

「もし彼女が、『次元を超越する力を宿す者』だとしたら、我々の分析次第で、波動学は飛躍的な進歩を遂げられるかも知れない」

 アルベルティーヌの重要性に気付いたメアルは、得られた結果を詳細に精査する必要があると、強く思うのだった。


 作業開始から三十分が過ぎていた。

 既に絶望的な雰囲気に支配されていた男達は、互いに口を利く事をやめて久しかったが、二十六回目の粒化完了の合図に、ようやくわずかな希望の兆しを見出す事ができた。

「二人とも、こっちに来て下さい!」

 突然のフェリペの声に、マシューと元宗は手にしていた除雪道具をほっぽり出して、今延長されたばかりの真新しい穴の先端部に駆け寄った。

「遂に、婆殿が出おったか?」

「命はあんだろうな?」

 二人は口早に喋ったが、返された遅い口調の言葉は二人の期待に副うものではかった。

「残念ながら、私が見つけたのは彼女の杖だけです」

「杖じゃ駄目じゃ〜。それなぞ、後々如何程にでも暇を掛けれ様が、婆殿は•••」

 口をへの字にして渋面をつくる元宗に対し、マシューは違う反応を見せた。

「よくやったとは言えねーが、それでもねーよりかはましだ。運が良けりゃ、それで婆様を見つけれるかも知れんからな」

 その意味深長な発言に、フェリペと元宗は顔を見合わせた。

「それは如何なる意か? 解る様、致せ」

 怪訝な表情に変わった元宗の質問に、マシューは答えた。

「こりゃ〜俺の調子に拠る所が大きいんだが、俺ぁ物に触ると、そいつが持ってる記憶に触れる事があるんだ••• 持ち主の愛着が強かったり、物と持ち主が長い間共にあったりすると、より強く、鮮明に感じたりする」

「馬鹿を申せ。憶える能を持つは、少なくとも犬畜生より上の物。自ら動く能も持たぬ物が、どうして偲ぶ事が出来ようや?」

「さーな。だが、出来るもんは出来るんだ」

 首を捻って髭に手をやる元宗に、フェリペが補足して答えた。

「その異才については、私も聞いた事があります。私の居た時代でも、未だその事由は解明されていませんでしたが、サイコメトリーと呼ばれるその能力は、広く世間に知られていましたから」

「ほう。では、後の時代にては、当たり前の事と申すか?」

「勿論、皆が皆持っている力ではありません。ですが、一部の特殊な人物は、確かにその技能を有しているみたいでした」

「左様か••• 進んだ時代の知恵者がそう云うからには、どうやらはったりではなさそうじゃのう」

 信頼の置ける情報源に元宗の疑いは晴れた。

 フェリペから杖を受け取ったマシューは集中を邪魔されない様に、二人から遠ざかった所に腰を下ろし、杖の柄を額に近づけた儘、目を閉じて、再び精神統一に入った。

 暫くすると、マシューの脳裏に雪に流されるアルベルティーヌの手が浮かんできた。そして、時々顔を出す空と山がぶつ切りに描写された直後、ドスンッと、段差による衝撃を思わせる映像が頭の中に飛び込んで来て、それを最後に真っ暗になった画はそれっきり何も視えなくなった。

(婆様はおそらく、窪みの様な所に落ち、その拍子に杖を手放した••• て事ぁ、この杖より先にゃ進んでねー訳だ。じゃあ、今迄に除雪した場所の更に深い地点に埋もれてるって事か!)

「ピュ〜ゥイ!」

 口笛を鳴らして、穴掘りを再開していたフェリペと元宗を呼び寄せ、マシューは自身が視た、時間にして僅か四秒程の極短い動画の内容を、正確に二人に伝えた。

「婆様はぜってー、この穴の下に居る!」

「こんなに探しても見つからないので、もしや••• とは思っていたのですが」

「して、随分と大きゅうなったこの穴の何処に隠れ居ろうか、解うておるのか?」

「大凡の見当はついてる。雪崩の流れた方向と杖のあった位置から、そこら辺だろう」

 マシューは自分達が立っている場から少し登った所を指差した。

「妥当ですね。早速除雪に取り掛かりましょう!」

 フェリペは即座に粒化を始めた。

 程無く、消え去った雪の跡に仰向けに寝転がるアルベルティーヌの姿が現れた。

「アルベルティーヌ!」

「居たぞ!」

「お出ましじゃ!」

 三人は一瞬、歓呼の声を上げたが、喜びが長続きする事はなかった。老婆が見た目も明らかに息をしていなかったからだ。

「アルベルティーーーヌ!!」

 フェリペは激しく動揺し、老体を強く揺り動かした。すると、カッと見開かれた両眼がギロリと動いた後に、ようやく男達は久し振りな声を聞く事が出来た。

「結構、遅かったじゃないか〜。あんまり長く女を待たせるもんじゃないよ。でも、あんた等なら絶対に、来てくれると信じてたさね。

 イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」

「アルベルティーヌ!」

 フェリペは思わず、アルベルティーヌに抱きついた。

「ふぅ〜っ。どうやら、まだ息の根は止まっとらんかった様じゃ〜」

「ああ。何はともあれ、無事で良かったぜ。完全におっ死んじまったと思ったからな〜」

 元宗とマシューにも笑顔が戻っていた。

 一時間以上も雪中に在ったにも関わらず、神秘的な呼吸法により、アルベルティーヌは酸欠にならずに済んでいた。

 フェリペは一度バラバラに離散した四人が再び無事に生還できた事に、肩の力がスッと抜けて、遅めの疲れがドッと来ると、一つ大きく溜め息をついた。

「はぁ〜〜〜っ•••」

(まだ昼前だというのに、もう既にヘトヘトだ〜。まるで、一日中動き回っていたみたいに••• 暫くここで、休んでいこう)

 わざわざ訊くまでもなく、他の三人も同じ気持ちだった。


「何だ、この汁? にげーじゃねーか!」

 振る舞われたコーヒーを一口飲み、マシューは言った。

「これはコーヒーと言い、私の居た時代では世界中で好まれている飲料です。あなた達の居た頃よりもう少し時代が下れば、ヨーロッパでも見られる様になりますよ」

「まあ、飲めない事はないよ。何より、体が温まるのが良いね」

「苦茶が習わしは日の本にも御座るが、色が違うのう」

「へぇ〜、どんな色なんだ?」

「緑じゃ。濃茶となばれ彩りはより深い•••」

「それはお抹茶の事ですね?」

「ほう。流石にお主は知りおるか。某とて、一度しか口にした事は御座らんのに」

「えっ? サムライは抹茶好きと、文献に書いてありましたが?」

「如何にもそうじゃが、何分(なにぶん)高価な代物故、高貴な御方か銭を遊ばせる豪商しか、易々と手に入る事は出来んのじゃ〜」

「成程。そうだったんですね•••」

 以前フェリペは、旅先の京都で手軽に抹茶を喫する機会を得たが、千利休によって侘茶が大成される少し前の時代には、数限られた武士しか茶の湯を嗜む事が許されなかった事実までは、知るところではなかった。

(後世に生まれる者は、より豊かな社会を生きる事が出来る)

 それは、今しがたフェリペが話した、ヨーロッパに於けるコーヒーの普及にも見られる事だった。

「時に、お主等舶来人には、茶請けは無いのか?」

 元宗は口寂しく、手頃なおやつを望んで訊ねた。

「勿論ありますとも。あなたのお国の様に和菓子を出す事はしませんが、私の居た時代でも、ケーキなどのスウィーツは各国の女の子達に大人気でしたから」

「なればそれを作らんか。某は甘きに目がないのじゃ。前に堺で喰うた『かすていら』なるを欲するぞ」

「それは私の国のお菓子ですよ!」

「誠か?」

「ええ」

「なれば話は早い。すぐに出してくれい」

「解りました。糖分は疲れをとると言いますからね」

 フェリペは時と所を越えた人物から祖国の文化を求められた事が喜ばしく、得意気になって擬似カステラを形化するのだった。

 手にした擬似カステラを喉に通した後に、元宗は言った。

「然れども、よくよく強き御仁よのう、婆殿は••• 五体満足じゃった事も然る事乍(なが)ら、誰にも聞けぬ音を拾うは、最早人の所業ではあるまいに」

「あん時のあたしにゃあ、鳥や獣も鳴りを潜める静寂の中に、微かな雪の声だけが聴こえてた」

「雪は喋らないでしょう?」

「いいや、あんたの耳には入らないだけさね。この世の全ての物は只そこに在るだけで、常に音を奏でている•••」

「!」

 それは、衝撃の事実だった。

 先日フェリペは、量子論が説く、物質の粒子性と波動性の内、粒の方の解釈はしたものの、波の方は割愛していた。しかしアルベルティーヌは、かねてよりそれを、理解ではなく感悟していたのだ。

「雪すらからも以心伝心した、と申されるか••• (さなが)ら、観世音菩提薩埵(かんぜおんぼだいさった)が如しじゃ」

「何だ、そりゃ?」

「うむ。某が故国では那智山の本尊が特に有名じゃったが、観世音とは世の音を観ると云う意で、菩提薩埵とは悟りの道を往く者の意じゃ」

「平たく言えば、『物質が帯びる波動を捉える求道者』と言う事ですか?」

「全然解り易くなってねーよ! メアルが言ってた頭の波や心の波といい、物が持つ波ってのは、一体何の事なんだ?」

「左様な事まで儂が知るか。じゃが、此度の事でよ〜う解うたわ。どうやら婆殿は、観音様の化身の様じゃ」

「それこそ、あたしの知ったこっちゃないね。あたしゃ魔法の使い手であって、天使じゃない••• 確かにあたしゃ万物のエネルギーを感じ取れるが、求道者なんて貴い身分と同一視するのはお門違いさ。只、いつでも自分が信じる道を生きてるだけの事さね」

(魔法の使い手は、魔の使い? 解せぬな。婆殿から邪気を感じた事は微塵も無い•••)

 元宗は、何故欧州で魔女が虐待されるのか、理解に苦しむのだった。

 一休みを終えた一行は下山に復帰する為に、雪に眠る四人乗りの板を見つけ出した。

「出発できそうですかね?」

 雪崩の再来を心配して、フェリペがアルベルティーヌに確認をとると、

「大丈夫さね。もう雪達は騒いじゃいない」

 と、良好な答えが返ってきた。

 約二時間振りに出番を得た未来版魔法の絨毯は相変わらず快調な進みっぷりで、数分の内に積雪区間を抜けて、あっと言う間に四人を山麓まで送り届けた。

「我々は今、インコッヘ山脈を越えました。ここから先はラカワトーレ高原です」

「だいぶ減速しちまったが、このスピードでも今日中に着けるのか?」

「残りの距離は40㎞弱です。さっきみたいな事がなければ、余裕ですよ」

 進行速度は時速20㎞程度に落ちていたが、それでも二時間もあれば、充分に目的地まで到達できそうだった。

 防寒具と靴を自前の物に替え直した四人が高原内部へと進んで行くと、先に向かうにつれて、周りは見た事もない花々で溢れる様になっていった。

「珍しい花がいっぱい咲いてやがるな」

「確かにのう、何故あの様な形をしおるのじゃ?」

 元宗は黒いスプリング状の茎に所々白い葉を付け、頭部に真っ赤な花を頂く植物を指して訊ねた。

「容姿と色の所以は解りませんが、あれは、環境が違えば生態にも著しい差が顕れる事を如実に物語る、好例と言えますね」

「あたしゃ、あっちの方が好きさね」

 アルベルティーヌはクランク型で橙の茎に茶色の葉と青の花を持つ植物を指して言った。

「我々の星では、極彩色によって有毒である事を誇示する種の生物が多いのですが、もしかするとそれは、この星でも同じなのかも知れません」

「じゃあ、下手に手を出さねー方がいいな」

「そうですね。ここでは何でも調べる事が先決です。ですが•••」

 フェリペは会話を区切って、チラッとアルベルティーヌを見た。

「あたしにゃそれ等の知識は無いが、良い線行ってると思うよ。珍しい美しさとは対照的に、彼等にはどぎついエネルギーがある」

「成程のう。観音様のお墨付きよ。触らぬ神に祟りなしじゃ」

「その呼び方はお止め」

「然りとて、婆殿。この敬称のには、前にお留めされた様な邪な意は御座らんぞ?」

「言った筈だよ、あたしゃ貴くなんかないってね」

「悪く云わるるが好かんのは解るが、何故に善く云わるるも拒むのか? 左様に卓抜した力を持ちおるのに?」

「異常なモン程、普通を望むモンなんだよ。凡庸なモンが傑出したがる様にね」

(他より抜きん出る事の、一体何が不服なのか•••?)

「はあ〜っ、まだまだ青いね〜。今のあんたに言っても、何も解りゃしないよ。言うだけ無駄さね」

 そう言うとアルベルティーヌは、ピシャリと口を塞いでしまい、置き去られた元宗は、ポカンと口を開けた儘、もうそれ以上何も聞けなくなるのだった。

 花園が終わる所からは乾いた大地が広がっていた。

「おいっ、そろそろ見えて来たんじゃねーのか?」

 いまだ遠くにありながら、徐々に姿を膨らませてゆく物影に、マシューは逸った。

「凄いですね。私の眼にはまだ、その像は結ばれてませんが、真正面にある黒い崖なら、まず間違いない筈です」

「確かに黒いのう。前に苦労して登った崖によう似よる」

「んっ? て事ぁ、またあれをやらなきゃいけねーのかよ?」

「だろうね。おそらく、こっちが本命さね」

「御名答です。残念ですが、前の物は今回の序章にすぎません」

 前回の崖登りは只の練習だった、と聞かされ、マシューは早くも滅入(めい)りそうになった。

 二時間後、『嶮』入りより三日目にして、四人は遂にリムディムの岩壁に辿り着いた。

「何だい、こりゃ〜!」

 目の前に堂々と聳え立つ、夥しい数の六角柱から成る巨崖に、アルベルティーヌは唖然としていた。

「これは見事な柱状節理ですね〜」

「某かつて、熊野灘が楯ヶ崎にて、これを見かけた事が御座る」

「ジャイアンツ・コーズウェイとそっくじゃねーか! 巨人伝説は本当だったのか?」

「何っ、巨人じゃと?」

「ああ。北アイルランドにある海岸線にも、これと全く同じ物が存在する。そこでは、巨人がこれを作った、と言われてるんだ」

「では、我等が崖を登った先で相見(あいまみ)えるは、巨人じゃと申すか?」

「元々俺ぁ信じちゃいなかったが、如何せんここでは、何でも有りだからな〜」

 腕を組んで真剣に話す二人に、フェリペは付け加えた。

「上に巨人が住むかどうかはともかくとして、これは巨人が作った物ではありませんよ。歴とした科学的根拠に基づき、この様な形状をしているのですから、不必要に怖れる事はありません」

「左様か。お主がそう云うのであれば•••」

 二人の中で揺らいだ逸話は伝説に戻って行った。

「それにしても、これを上まで登るとなると、それはそれは一苦労だよ〜」

 決して確かめる事の出来ない天辺に、アルベルティーヌは首を横に振って溜息混じりに呟いた。

 一行は高さ484m、周囲4㎞にも及ぶ難攻不落な陸の孤島に、その飽くなき挑戦心を嘲笑われた気分だった。

「登壁の途中で夜を迎えるのは得策ではありませんので、今日はここにテントでも設えて体の疲れを癒し、明日、日を改めて、ヅヅァ族に会いに行く事にしましょう」

 中途半端な事はしたくなかったフェリペは、この日の進行はここ迄とし、リムディムの崖壁の麓で一夜を明かす事に決めるのだった。


 翌朝、改めて見上げる終わりの見えない大きな壁に、マシュー以外の男達も流石に怖じ気づいていた。

「婆殿、此度は某にも怖れを除く術を掛けて頂きたいんじゃが」

「ええ。私にも是非!」

 詰め寄って来る男達にアルベルティーヌは前よりも強力な催眠術の必要性を感じた。

「確かにあの高さは、並の人間じゃ経験できない。宙でも浮かない限りね•••」

「何とっ! その申し様、婆殿は天翔る事適うのか?」

「まさかっ! 箒一つで空を飛ぶってのは、嘘じゃなかったのか!」

「落ち着きな。慌てるんじゃないよ、みっともない••• あんたは今迄に、掃除の道具なんかで移動する奴を見た事があんのかい?」

 返事を待つ迄もなく、その答えは明確だった。

 老婆に冷や水を浴びせられ、船乗り達は熱くなった心を常温に戻したが、一人若き学者だけは心に何かが引っ掛かった儘だった。

(普段、無意味な事を言わない彼女が、何故あんな発言を•••?)

 フェリペはアルベルティーヌの真意を知りたかった。

「人は飛べない。そう出来る様には、体が創られてないからね。但しそれは、体に限っての話•••」

 フェリペは老婆の独り言の先を待ち望んだ。しかし、それに続く言葉が出て来る事はなかった。

 アルベルティーヌはフェリペに、三本の紐との真ん中に穴の開いたコインを三つ用意させ、コインに結んだ紐を親指と人差し指で摘んで持つ様、三人に指示した。

「いいかい、坊や達。指に意識を集中させて、コインを回転させるんだ」

「廻らせろったって、勝手にコインが動く訳ねーだろ?」

「いいから、黙ってやんな」

 マシューは懐疑的になり反論したが、その横で早くも元宗がコインを廻し始めると、目を見張ってそれに見入った。

「どう言うこった?」

「簡単な事よ。気を扱える者なら皆出来る」

 眉間に皺を寄せて、その光景を見ていたフェリペも、自分なりに果敢にトライしていたつもりだったが、コインはおいそれとは動かなかった。

 少し経って、今度はマシューのコインに動きの兆候が見られる様になった。

 初めの内は小さく横方向に振れているだけだったが、そこから輪を描く様に廻り始めると、それがどんどん広がっていき、最終的には勢い良く大きな円を作って動く様になっていった。

「捉えたぜ、この感覚!」

「ほうっ。ようやくお主も、気を使える様になりおったか」

「だから何なんです、その気ってのは?」

「エネルギーの事さね••• 生きモンはおろか、命無いモンでも皆持ってる根源的なモンさ」

「存ぜぬなら、見せて進ぜよう」

 そう言って元宗は、近くにあった石を手に取ると、かつて積み木崩しの際に見せた素早い手刀を思いっきり石に叩きつけた。

「!」

 フェリペはその様子を痛々しい表情で見詰め、マシューは覚悟を帯びた眼で見届けていたが、何故かアルベルティーヌだけは、喜ばしい顔をして何かを見定めている様だった。

 元宗の手から転がり落ちた、一刀両断の許に真っ二つに割かれた石の断面は、本当に刃物で切ったかの様に綺麗だった。

「空手チョップってやつですか?  あなたは武道にも精通してるんですね」

「空手•••? 何じゃな、それは?」

「えっ、違うんですか?」

「某、左様なものなぞ、聞いた事御座らん」

 その返答にフェリペは、むしろ謎が深まった。

「お前が凄腕の剣士なのは前に聞いたが、それは剣技によるもんじゃねーよな? どうやって、そんな技を身につけた?」

「禅じゃ」

「ゼン?」

「うむ••• 日の本には座禅と云うがあってのう。脚を組んで、只管に座るのじゃ」

「そんな事をして何になる? それだけの事で、あんな超人的なパワーが得られるのか?」

「力ではない、気じゃ! 体を使うのではなく、何かこう、己の内なる処から来る『何か』を、一気に炸裂させるのじゃ。然すれば自ずとああなる」

「座禅なら私もした事があります。しかし、あなたの言う『何か』を感じ取る事はありませんでした。何がいけなかったのでしょう? その違いは?」

(ひとえ)に只座ると云うても、その奥深さが違うのじゃろう」

「奥深さ? どう言うこった?」

「熟達せぬ者では、己が魂はそこに在れども、体はそこに無いと感ずる事迄は出来ぬ。その覚えを心得てこそ、実は己の外に有る『何か』を、己の中から引き出せる様になるのじゃ。おそらくエンリケは、そこ迄至らなんだ•••」

「確かに私には、そんな感覚は訪れませんでした」

「これを世に無の境地と云い、世と己が垣根を無くす法なんじゃが、そこに達するは真にもって難儀至極。毎日座る事数年もすれば、ちとは形になるやも知れぬが、こればかりは持って生まれた才も要る故、ほとほと容易くはないのじゃ〜」

 やはりそれは、一朝一夕で得られる技ではなかった。

(内包されるエネルギーにはとても強いモンを感じてたが、まさかここまで洗練されてたとはね••• 良いモンを見せてもらったよ)

 アルベルティーヌは二つになった石を拾い上げ、納得の表情をした。

「意志に気を足して意識と成せ••• 意志は心の表れじゃが、意識は魂そのもの。より純なるもの故に、より濃い力を帯びておる」

「具体的には、どうすれば良いんですか?」

「念じる事じゃ。その想いが重い程、その心、否、魂が紐を伝う」

 元宗の助言に、フェリペは挑戦を再開するのだった。

 二十分後、最後のコインが丸を描いた。

「来ました! 出来ましたよ、アルベルティーヌ!」

「待ち草臥(くたび)れたぜ。やっとかよ〜」

「機、ここに熟したり! 婆殿、早う」

「解ってるさね。二人共、すぐにコインを廻しな。皆一気にいくよ!」

 アルベルティーヌは男達に廻るコインを見つめ続ける様に言った。そして、例の如く呪文を唱え始めると、最後に、

「•••ズベ、リャテャウィャーシャ〜」

 と、杖を振り翳して締め括るのだった。

 登壁に入った男達は不思議な事に下方の景色が全く目に映らなくなっていた。

 見えるのは常に二枚の板だけで、それ以外は霞が掛かって視界を遮るのだ。

「何ともおかしな所よのう。上には雲や霧は一切無いのに、我等が通った後はいつも靄が出よる」

「ああ。それに、何故か下を向く時だけ夢心地になって、全く恐怖心が涌かねー」

「私もお二人と同意見です。何でも有りのこの星では、こんな場所もあるんですね」

 術を受けた三人は、その記憶がなくなっていた。

「あなたもそうですか、アルベルティーヌ?」

「何だっていいさね。登るのに問題が無けりゃ、それに越した事ぁ無いからね」

「ちげーねー」

 マシューは誰よりも共感できた。

 六時間後、長きに渡る崖登りの末に頂上に至る最後の一手を掛けた四人は、いよいよ天辺に躍り出た。

「ふ〜っ、長かった〜! ようやく着きましたよ、皆さん!」

 フェリペは両腕を思いっ切り伸ばして、苦痛からの解放を喜んだ。

「そんなに浮かれんじゃないよ。忘れちゃいないだろ? まだ、もっと大きい山があるかも知れないって事を•••」

「そうでしたね。難関を一つゴールしても、私達は未だスタート地点にすら立ててない」

 アルベルティーヌに釘を刺され、フェリペは我に返った。

 最上部は存外広く、スパッと切られた様な形状をしている平らな足場は案外歩き易かった。

「誰も居ねーぜ? 本当にここで合ってんのかよ?」

 集落一つない高台に一抹の不安を覚えたマシューは、不満げな顔をしていた。

「でも、人の気配は在るよ」

「在るって、どこに?」

「この岩山の中さね。どうやら彼等は、下に居るみたいだ」

「あの辺りに、穴が見えるぞい?」

 四人が中央部へ進むと、そこには、ポッカリと開いた穴に下へ下へと続いていく螺旋階段があった。

「おい、ほんとにこん中に入んのかよ?」

「虎穴に入らずんば虎児を得ず、じゃ。いざ、参らん!」

「チェッ、どうも良い気がしねーんだよな。まるで魔界の入口だぜ•••」

「間違いないね。その読みは遠からずと言ったとこだ」

「やはり、そうですか」

 フェリペの表情は一気に曇った。

「いいかい、坊や達。この先はくれぐれも心して進む様に! ここに住まうモンの波動は特に排他的な嫌いが強く、閉鎖的な雰囲気が色濃い。軽率な行動はあたし達の未来を左右しかねないって事を、しっかりと肝に銘じておくんだ」

 アルベルティーヌは注意事項を二、三挙げ、交渉に入ったら万事を自分に任せる様、強く三人に言い含めた。そして、

「こっから先は、あたしが先頭に立つ!」

 と、言い残すと、我先に暗い闇の中へ消えて行くのだった。

 男達が老婆の後を追ったら、階下では壁面や階段の至る所に張り付く碧い光が、ある種の恍惚を覚えさせる程美しく瞬いていた。

「綺麗だね〜。キラキラと輝いてるよ」

「照明要らずで助かります」

「踏めども消え入る事は無し、か••• 善き哉」

「全体的にずっと光ってやがるが、局部的に見れば、消えて光ってを繰り返してるのがよく解るな。何なんだ、こりゃ?」

「多分、バクテリアの一種だと思います」

「ばくてりあ? かすていら国の友好国か?」

「いいえ、違います。早い話、不過視な程小さい生物ですよ」

「何だそりゃ? また粒のあれか?」

「まあ、似た様な物です」

「いずれにせよ、これで生きおるというが、何とも奇怪よのう」

「そうだね〜。例え目には見えなくても、確かに生き物特有の音さね。この波調は•••」

 光の正体はギリコと言う、地球には存在しない微生物の群れだった。

 四人が薄明るい階段を更に下って行くと、前方に、より明るい光が漏れ出ている所が見えた。

「おい、あの先は明らかに広くなってるぜ」

「そうさね。いよいよ対面の時が来たのさ」

「果たして、上手くいくであろうか?」

「何としても、手に入れなければなりません」

「そうだよ。その為には皆、解ってるね?」

 四人はそれぞれ無言で頷き、一呼吸置いて、明るみの中へ入って行った。

「こりゃ〜、凄いね〜!」

「素晴らしい!」

「ほ〜う!」

「おお〜っ!」

 溢れる光の先は、とても広い空間に数多の生物の彫刻がびっしりと施された、超巨大巌窟になっていた。

「ペトラや敦煌の比ではありませんよ! これ程大規模な岩屋なんて見た事ない!」

 考古学者の性を剥き出しにして、フェリペは興奮しきった声を出した。

「だが、手摺付きの階段とは言え、やっぱ下を見るのはこえーな」

 魔法の解けたマシューが怖れるのも無理はなかった。複雑に入り組んだ迷路の様な洞穴は、高さにして優に100m以上はあったからだ。

「見よ、皆の衆。こんな小さき虫の細部とて、忠実に表しおる」

 元宗はわずか1㎝程の昆虫の彫り物の、羽根や毛に至るまでの仕事振りに驚いていた。

「どれもこれも、今にも動き出しそうさね」

「そうですね。こちらの植物は薄い花弁が風に揺られる様子まで、巧みに表現されています••• 描写力は文化度を示す一つの指標になります。これらの作品とこの石窟全体から、ヅヅァ族が決して低俗な民族ではない事が伺い知れます」

 そう説明しながらフェリペは、それが自分達にとって良い方に出る事を願った。

 造形物の間にはそれぞれ扉が見られた。

「して、何処の何奴に話を持ちかければ、良いのかのう?」

「集落には必ず、長が居るものです。先ずはその人物を探しましょう」

「探すっつっても、こんな迷宮の全てを歩いて回る気か?」

「どこが怪しいと思います?」

「う〜ん••• 人口が多過ぎて解らないよ。一番下に見える床の下にも、一枚挟んでそれを天井とする、更に下の階層がある。それが三つか四つ続くんだ。断定なんて、とても出来ない」

「何ともはや、困ったのう。斯くなる上は、初めて出会う者に訊ねるか?」

「通り掛かりのモンと接触するのは余り勧めないよ。目が合った瞬間に••• 何て事も有り得るからね〜」

 想定外の状況に四人はあれこれと最善策を講じていたが、そこへ、幸か不幸か開かれた扉から、まるで黒曜石の様に黒光りした、頭に極めて枝分かれしている角を持ち、左右に二本ずつの四つの腕を持つ、身の丈2m程の生物が姿を表した。

「!」

 一瞬、五人の時間は止まった。が、いち早く状況を察知した黒く光る者が一行に先んじて怒号を放った。

「お前等、どうやってここへ来た!?ここは我等ヅヅァの聖地、処刑してやる!」

 その声の大きさに異常を感じた仲間達が奥から駆けつけると、四人はあっという間に、黒く光る集団に取り囲まれた。

「待ってくれ! 我々はあなた方を脅かしに来たのではない。あなた方の持つ物を譲渡して頂きたく、遥々ここまでやって来たのだ」

 フェリペは必死になって訪問の理由を述べたが、黒く光る集団は全く聞く耳を持たなかった。

「待たれ〜い! 我等の望みをお聞き願いたく候!」

「何をゴチャゴチャ言っている! 今更弁明しようが、お前等の末路は既に決まっているのだ!」

 そう言うとその者は、フェリペに鉄槌の様な拳を喰らわせ、フェリペは一撃の許に失神を余儀なくされた。

「こいつ等、手加減無しだぜ!」

「おのれ〜っ! 問答無用か!」

 ついカッとなった元宗は、刀の柄に手を掛けたが、アルベルティーヌがそれを制した。

「待ちな! 守るのは構わないが、攻めちゃいけない。今手を出せば、取り返しのつかない事になるよ!」

「じゃ、どうしろってんだ? このまま処刑を待つ気か!」

「今は黙って言う事を聞くしかないよ。処刑の前に必ず拷問がある筈だ。言葉を交わすチャンスはそこしかない•••」

 最も秀でた実力を持つ、信頼できる者の発言に、二人は渋々抵抗を諦めた。

 牢獄に入れられた四人には、当然明るい微生物の恩恵などなかった。

「畜生〜、真っ暗だぜ〜!」

「煩い子だね〜、静かにしてな」

「•••」

「おい、ゴローザ! お前さっきから、何黙ってんだ?」

「一度婆殿に下駄を預けたんじゃ。今更騒ぐ様な見苦しい真似、某には出来ぬ。お主も無駄な足掻きなどしよらんで、座禅でも組んでおれ」

「座して死を待てっつーのかよ!」

「うっ、ううっ•••」

 周囲の喧騒にフェリペが目を覚ました。

「起きたかい、坊や? ここは光一つ射さない牢屋さね••• 頭はまだ痛むかい?」

 フェリペは殴られた箇所に手をやったが、不思議と痛みはなかった。

「いいえ、全く•••」

「そうかい、そりゃ良かった。一応、魔法を掛けといたんだ。あんたの頭は何よりも貴重だからね」

「ありがとうございます••• 他のお二人は!?」

「俺ならここに居るぜー」

「儂もじゃ」

「お二人共、ご無事でしたか」

「それも時間の問題だろ」

「お主がど突かるるを見て思うたんじゃが、彼奴等は強いのう。何と申すか、硬いのじゃ。拳だけでなく体中がああであった。あれではまるで、鍬形(くわがた)付きの(かぶと)首が黒備えの具足(ぐそく)(まと)っておるが如しじゃ••• 拙者は阿修羅(あしゅら)の化身かと思うた程じゃ」

「それもその筈です。なんせ彼等は、『鉱食人種』ですから」

「何じゃと!? 石喰いの民とな!」

「ええ。鉱物を主食とするから、体が極度に硬くなるらしいんです」

「! それはまずいのう•••」

「何でだ?」

「某は昔、『(いん)(いん)されし(いん)を知れ』と説く詠の師から、『硬き石には、固き意志が宿る』と聞いた事が御座る。ならば、彼奴等の心を打つは易くなき事。余程魂を込めて陳情せねば•••」

「全身全霊で当たるしかないさね」

「となると、お目当ての石を只で貰おうってのぁ難しいんじゃねーか? 商取引は必ず、物品に見合う対価を支払うもんだが、持ち物を全部没収されちまった今、希少な石に釣り合う物なんて、俺達ぁ何も持ってねー。これじゃあ、どんだけ懸命に請い願っても、焼け石に水だぜ?」

「確かにそうかものう••• 元々お主は、どういう腹積もりじゃったんじゃ、エンリケや?」

「私としては、私物のエメラルドの指輪と交換して欲しかったのですが•••」

「おい、そんなんでくれる訳ねーだろ!」

「それは解りませんよ。この星にもエメラルドが存在するとは限りませんし、もし仮に、この国で産出できたとしても、地球の物を手にするのは初めての事でしょうから••• 私は非加盟星出身な事を逆手にとり、そこの石である事こそを売りにするつもりだったのです。組成構造が少しでも違えば、彼等にとっても非常に珍しい物になる訳ですから」

「成程ね。だが、そんな頼みの綱も既に没収されちまったんだろ?」

 フェリペの右手の人差し指には、もう指輪の感覚はなかった。

「残念ながら、そうみたいです」

 フェリペは申し訳なさそうに答えるのだった。


 四時間が過ぎた。

 ドゴッ、ガガガッ、ギィー••• 突然大きな石の扉が開かれ、外から光が入って来た。

「全員、外へ出ろ! 大王様がお待ちだ」

 意地の悪い笑みを零して、獄卒達は四人を一つの縄の様な物で数珠繋ぎにし、別の場所へ引っ張って行った。

 新たな扉の奥では、床から四段上がった所にある玉座の一段下に、補佐役らしき者が立っていた。

「ここは本来、お前達の様な罪人など入れぬ場だが、お前達が連盟外来種の智生物であるが為に、王自らが御見物を望まれた。無礼を働けば、命は無いものと思え!」

 補佐役は不機嫌そうに言い、四人を祭壇の前に横一列に並べ座らせた。

 そこは、王の大広間というには余りにも小ぢんまりとしていて、何より殺風景だった。

(多分、非公式な面会の場なんだろう•••)

 フェリペはその部屋をそんな風に予想していた。

 程無く、部屋の側面にあった扉が開かれると、四人は伏せろとばかりに衛兵から棒で床に押し付けられ、誰かがスタスタと歩く気配が、ドカッと椅子に腰掛ける様子を、黙ってじっと拝聴させられた。

「侵入者達よ、顔を上げよ」

 四人は言われた通りにした。するとそこには、何の個体にも縁取られない、パープルメタリックをした水銀の様な液体質の衣を着る、身長160㎝位の比較的小振りな者が、ポツンと玉座に座していた。

(何とっ! 紫銀(しぎん)の水を羽織ろうとは•••)

「お前達は世にも珍しい生き物だな。どこから来た?」

 小さな王は興味津々に訊ねた。

「我々は太陽系第三惑星である、地球より参りました」

 フェリペが代表して答えると、フェリペは後ろから衛兵に棒で突かれた。

(くっ!)

 ドンッという鈍い音に、フェリペは苦悶の表情を浮かべた。

「我々は多くの他民族の様にリグルは受けない。説明は我等に解る言葉でせよ!」

「!」

 補佐のこの発言にフェリペは瞬時に青ざめた。キースも持たずに言葉の通じない相手では、流石に為す術が無いからだ。

(予想以上にやりづらい人達だ! どうしよう、この儘では•••)

 困惑したフェリペはアルベルティーヌに救いを求めたが、アルベルティーヌは王の真横をじっと視据えたまま動かず、それには反応を示さなかった。

「絵を描いて伝えたらどうだ?」

「名案じゃ! 紙なら拙者が持ちおる」

 マシューの助言に元宗が懐から懐紙を出したので、フェリペはペンに相当する物を貸してくれる様、ジェスチャーで補佐に頼んだ。

「んんっ? 書く物が欲しいだと? 何故、こちらがそんな物まで用意せねばならん? ヅヅァ族の言語で説明すれば済む事だ!」

 フェリペが盛んに手を動かすも虚しく、補佐はまるで取り合ってくれなかった。

「チェッ、仕方ねー。こうなりゃ、俺のとっておきをくれてやるしかねーな」

 突然マシューは、縛られた不自由な手を器用に使って胸元のボタンを外し、シャツの中から金製のネックレスを取り出した。

「へぇ〜、それは金か? 旨そうな色だな」

 ネックレスは王の心を掴んだ。

 マシューは懇切丁寧にネックレスを献上する旨を身振り手振りで伝え、その代わりに封緘石を与えてくれる様、懇願した。しかし、王は全く理解できずに下段にいる補佐に訊ねた。

「あいつは、何が言いたいのだ?」

「はあ、察するに、この期に及んで取引がしたい様です」

「あれと何かをか?」

「はい」

「あんな物を何と交換したいのだ?」

「さあ、そこ迄は••• いずれにせよ、許可なく入国し、勝手にこの聖域に足を踏み入れておきながら、取引を持ち掛けるなど、とても許された行為ではありません!」

「だけど予は、あれが欲しい」

「欲しくば、召し上げる迄です••• 大王様、今やこの者達は全て貴方様の手中にあるのです。どの様に御処分なされても、それは銀河の許しがあっての事。それが、かつてこの国と連盟が交わした約定なのです」

 補佐は振り返って、衛兵に命令を出した。

「あの者の金を奪い取れ!」

 詰め寄って来た衛兵にネックレスを渡すまいと、マシューは身を捩って抗ったが、棒できつく殴られて床を這う間に、強引に分捕られてしまった。

 王の手に渡った金の首飾りはその儘口に運ばれ、鮫を彷彿させる程鋭く尖った前歯に、思い切り噛み付かれた。そして、無惨にも更に奥歯で噛み砕かれた。

「ガブッ! ゴリゴリゴリ•••」

「!」

 綺麗な装飾品が只の金塊に成り下がる様に、元宗はまたしても怒り心頭に発した。

「貴様〜!」

「お止め!」

「然れど婆殿、ワトソンは真心を無碍(むげ)にされ、挙げ句の果てにこの仕打ちでは、取り付く島も御座らんではないか!」

「んな事ぁ解ってるよ! 取り付く島もないってんなら、取り憑かれてしまやいい!」

 そう言ってアルベルティーヌは目を閉じ、ブツブツと呪文を唱え始めた。すると、その体は小刻みに揺れ出した。

「•••タムガン、ミレ、ダンブルタン!」

 二度、首を横に捻った瞬間、アルベルティーヌはその場に倒れ込んだ。

「? •••何をしてるんだ、あいつは?」

「さあ••• 食物を首に巻いていたと思えば、今度は自ら気絶しました。全く持って不愉快な連中です。これだから野蛮な人種は•••」

 補佐は王に未知なる星の者達を生かし、留まらせるのは危険であると具申(ぐしん)し、一行の処刑を進言した。だがその時、気を失っていたアルベルティーヌが目を覚まして、すっと立ち上がった。

「メヴェヴィートップ••• バシャゼル・カエミリ・メヴェヴィートップ・アンソ!」

「!」

 一瞬の間の後、場は騒然と沸き立った。

「何故、予の名を知っている!? 何者だ、お前は!」

 激昂した王は烈しく煮えくり返った眼で、アルベルティーヌを睨んだ。

「私は其方(そなた)の母、ジャンディン・カエミリ・ズンデン・アンソ•••」

 完璧且つ、美しく発音された紛れもないヅヅァ語に、その場にいた全員が度肝を抜かれた。

「母様!?」

 自分の名に加え、母の名までも母国語で言い当てられた事と、その伸びのある話し方が幼い時に死に別れた母そのものだった事に、王は激怒を越えて当惑していた。

「ぬううっ、大王様を(たぶら)かす気か!」

 補佐は戸惑う衛兵達を(けしか)けた。しかしそこに、王からの勅令が下された。

「待てっ! そいつが母と偽って、予を(そそのか)そうとしているかは、これから吟味すればすぐに解る事だ!」

 王は侍女を呼び、適当に見繕った宮廷内の物品と一つの母の遺品を急いで持って来る様に命じた。

 品々が出揃うと、王は言った。

「真の母様なら、馴染みの物もある事でしょう?」

 縄を解かれたアルベルティーヌは、目の前に並べられた物から一つを選び、手に取った。

「!」

「こうして手で持ってみると、本当に懐かしいわ。私は、よくここが角に引っ掛かってしまい、そんな時はいつも最初からやり直してた•••」

 三人の男達はそれが何の為の道具か全く解らなかったが、アルベルティーヌは何も無いフードの上で頻りにそれを動かしていた。

 一切の迷いも見せず母の遺品を手に取った事と、その道具の用途を完全に認知していた事に、王の顔も確信めいた表情に変わっていた。

「どれもこれも親しみはあるけれど、今一番触りたい物はここには無い」

「それは一体、何なのですか?」

「それは、其方が昔、私に贈ってくれた、其方が彫った蛙の彫り物です」

「母様っ!」

 王は滑る様に祭壇の階段を駆け下り、強くアルベルティーヌを抱き締めた。

「其方が今でも、大切に宝箱にしまっている事を私は知っていますよ」

「ううっ•••」

 王は感極まって、()せいだ。

「相変わらず、苦い物が好きな様ですね〜。金の摂り過ぎには注意しろと、あれ程言って聞かせたのに•••」

「言い付けに背いた事、お許し下さい」 

「健康の管理は絶対ですよ。あなたの双肩には、この国の未来が掛かっているのですから。それと、近々地下水に有毒物が混じりそうな気配があります。お気を付けなさい」

 故女王は補佐にも助言を出した。

「シューゼ、お久し振りですね。其方は東の国境に調査団を派遣しなさい。原因はおそらく、タンビーリの森に異常発生している、突然変異のドルグラートル菌です」

「母様! (まつりごと)の話はそこ迄にしておいて下さい。積もる話もありますから」

 王は場を改めて晩餐会を開く事を提案したが、故女王からは悲しい返答が寄せられた。

「嬉しい申し出ですが、残念ながら私は、それには参加できません。この人種と我々の体は余りにも違い過ぎている為、私の魂はこの者の体から、もうあとほんの少しの時間で解き放たれてしまうでしょう。初めからそれを承知した上で、私とこの者は互いの合意の許に、降霊の術を執行したのです。私は疫の兆しを知らせる為に、そして、この者は私によって言葉の壁を越える為に••• 確かにこの者達は国の禁を破りましたが、決して害意を持つ者達ではありません。この者達に力を貸して上げなさい。私は其方以上に、この者に感謝しているのですよ」

「解りました、母様。今、ほんのひと時でも母様と話せた事に報います。それで、この者達の望みとは、一体何なのですか?」

「それは簡単な事ですよ。この者達は封緘石を求めて、遥か南の国境からここまで歩いて来たのです」

「封緘石ですか••• 身の危険を冒して迄、古代ヅヅァの人々の『糞の化石』を欲する者が、いまだに居ようとは•••」

「この者達が石に何を詰めたいのかは知りませんが、たったそれだけの事で国の危機を防げるのですから、力になってあげるのですよ」

「承知しました。母様、御警告ありがとうございました」

「私はいつでも其方の傍にいて、其方の事を見守っていますからね•••」

 その言葉を最後に、アルベルティーヌはまた、その場に倒れ込んだ。

 王以外の者達は人種の枠を越えて皆、今起きたばかりの束の間の出来事に呆然としていたが、眼の色を変えた王が手際よく指示を送り始めると、ようやく今後の動向を理解する事が出来た。

「シューゼ! 直ちに異星人達を解放し、彼等に封緘石と九味を持たせよ。そして、あの者には個別にジッタを与えるだ」

「はっ、只今」

 四人はすぐに縄を解かれた。

「アルベルティーヌ!」

 フェリペは即刻、横たわる老体の半身を起こした。

「う〜ん•••」

 指先をピクリと動かして、アルベルティーヌはゆっくりと眼を開けた。

「大丈夫ですか?」

 フェリペは安否を確認したが、アルベルティーヌはそれに答えず、その瞳は虚ろだった。

「こりゃ〜やべーぜ!」

「憑いた魂が抜け出る折りに、婆殿の気まで脱けたんじゃろか?」

「何とかして、彼女を元に戻さなくては」

 それは男達にとって急務と言えたが、三人は何をどうすれば良いのか皆目見当もつかず、只々手を(こまね)いていた。

 その様子を見かねたシューゼが、秘薬を持ってやって来た。

「これを飲ませてみろ」

 それは赤茶色をした粉だった。

「これは昔から我等ヅヅァ族が心を癒す時に飲む薬。お前達にも同じ効果があるかは解らないが、試すだけの価値はあるだろう」

 効能はともかく、どんな副作用が起こるのかも解らない代物に手を出すのは正直不安だったが、現状を以て打つ手のない男達には、選択肢など存在しなかった。

 フェリペは水に溶かした秘薬をアルベルティーヌの口に流し込み、暫く待った。すると、アルベルティーヌの瞳にみるみる精気が宿っていった。

「おやっ? 見た顔だね〜。どうやら彼女は上手くやってくれた様だ。

 イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」

「アルベルティーヌ!」

 秘薬は功を奏した。

「して婆殿、体に変わりは御座らんか?」

「体に問題はないよ。だがね、魔力が(すこぶ)る落ちてる••• これは今迄の霊媒ではなかった事さね。あんたの言ってた『固い意志』ってのがよく解ったよ。彼女の波調に合わせるのはとても難しかった。その後遺症だろうね。おそらく、もう魔法は使えないよ•••」

 言う迄もなくそれは、チーム全体の痛手だった。

「そりゃねーぜ、って言いたいところだが、仕方ねー。これからのこたー俺達に任せておきな。ありがとよ、婆様」

「うむ。こればかりは致し方なし。願わくば、体を労わりて、一刻も早う力を取り戻して頂きとう存ずる。それ迄は万事我等にお任せあれ」

「貴女が居たから私達はここ迄来れたんです。今後は我等三人が貴女に恩を返す番だ」

(やれやれ、あたしがお荷物になる日が来るとはね•••)

 アルベルティーヌの特殊能力はいつ回復するか解らず、永久に復活しない可能性もあった。

 暫くして、場を外していたシューゼが三つの品の乗る盆を持って帰って来た。

「大王様の命令だ。受け取れ、勇者達よ」

 シューゼは一つを除き、残りの二つをフェリペに手渡した。そして、

「これはお前に授けよ、との命だ」

 と言うと、王の服と同じ加工が施された黄金の円環体の液体をマシューに手渡した。

「おお〜っ!」

 マシューはその世にも珍しい金色のドーナツに、思わず喜びの声を漏らした。

「それはジッタという、この国の伝統品だ。内側に八芒星が見えるだろう? そこに触れれば、輪が開いて線になる。別れた二つの四芒星を繋ぎ合わせれば、また輪になる。首でも腕でも脚でも、どこにでも好きなところに巻くといい」

 早速マシューが右手首に巻きつけると、ジッタは勝手に手頃な大きさになるのだった。

「どちらが封緘石なんです?」

 フェリペは手に入れた、一辺が10㎝程の無色透明な正六面体の石と、赤、橙、黄、緑、青、紫、ピンク、水色の、正四面体の石達で構成されるマカバをシューゼに翳した。

「お前の言葉は理解できないが、聞きたい事は推測できる。封緘石はこっちだ」

 シューゼは無色透明な方を指し、その後にカラフルな宝石の集合体の説明を加えた。

「これは九味といって、この国最高の菓子だ。尤もお前達では食べられないかも知れないが、大王様はお前達に深く感謝しておられる。そのお気持ちとして、最高級品を贈られたのだ。例え食せずとも、友好の証として持って行ってくれ」

 それは、食の可、不可というよりも、食物にする事自体が勿体ない程の至極の逸品だった。

「これは、あなたが持つべきです」

 フェリペは八色に光る贈り物をアルベルティーヌに渡した。

「綺麗だね〜。一個一個が強いエネルギーを放ってるよ••• これなら、食べずとも只持ってるだけで充分に力を受け取れるさね。個々が主張し過ぎて喧嘩にならない様、一番大きな真ん中の石が、巧みに調和を保ってる」

 マカバの中心では、一際大きな正八面体のダイヤモンドが核を成していた。

「一粒一粒のサイズがでけーな〜。そんなの、うちの女王の冠にも付いてねーぜ!」

 マシューは外へ張り出る、一辺が約3㎝の正三角錐に、目を丸くしていた。

「何と大きく、色多き金平糖か! 周りの明かりを集め、自らを輝かせる石達とは•••」

 生まれてこの方、宝石など一度も目にした事のない元宗も、既にその威力に魅せられていた。

「お前達から取り上げた物を全て返そう」

 王はシューゼに四人の所有物を返還する様に命じ、それにより晴れて自由の身となったフェリペは、言葉が通じないなりに頭を下げて、王に礼を述べた。

「不法侵入の事、誠に申し訳ありませんでした。その上に、私共の要望をお聞き入れ下さいまして、本当にありがとうございました」

「何を言っているのか知らんが、礼には及ばんぞ。礼をしたいのは予の方なのだから••• お前達は罪人ではなく恩人だ。心ゆく迄、ここでゆっくりしていくが良い」

 そう言って王は金ネックレスを嬉しそうに頬張ると、宴席の支度を急がせるのだった。


 少々時を遡り、メチョッテ波動学研究所では、通常では到底有り得ない情報に助手が大声をあげていた。

「学部長! 個体アの右脳と左脳が、同時に最大覚醒域に達しました!」

「これは、今迄の地球人のデータには無いものだ! 明らかに共振している! 遂にヅヅァ族と接したのだろうか?」

「どうするんです? 保守的な彼等は独自の法に則って、処刑を断行しかねませんよ?」

「執行日が決定、公開されたら、それより先に緊急取引に赴くしかないよ」

「そうですか••• それはそうと、これ迄の彼女の意識波とは違う波長になったのは何故なんでしょうか?」

「もしかすると、彼女は多重人格者なのかも知れん。だがそうだとしても、どうも地球人のものとはかけ離れている•••」

 メアルは予想もしなかった結果に、首を傾げる事しか出来なかった。


 ドドンッ!

「そろそろです。表へ」

 来賓室へ通されていた一行が案内人に付き従って宴会場に着くと、そこには既に、何万と言う数の黒光り大集団が席に座していた。

「なんと広き室に御座ろうか! 斯くの如き間は、如何なる千畳敷でも及ぶまいに〜」

「ああ。女王の宮殿にすら、こんな部屋はなかったぜ!」

 そこは、野球場やサッカースタジアムに匹敵する程の面積を持つ、大広間だった。

 四人は群衆より一段高い、来賓席へ招待され、その上の段には見た事もない様な動物から設えられた玉座があった。

 ブブボォーーー! 重低音の石笛が吹かれ、黒光り集団は立った状態で四本の腕を交差させ、眼を瞑って、頭を垂れた。

「王君の御成か•••」

 元宗がスッと立ち、頭を下げると、他の三人もそれに続いた。

 暫くして、最上段に瑠璃色の液体を着た王が現れ、スピーチが始まった。

「皆の者、待たせたな。急に呼び出してすまなかったが、今日は遥か遠い星から珍貴な客人達が、この国に非常に重大な『お告げ』を持って来てくれた。その恩義に応えずして、予はこのヅヅァの王たり得るだろうか?」

「ダヤー!」

「お前達は、この国の民たり得るだろうか?」

「ダヤー!」

「ならば我等のすべき事は一つ。皆で来訪者達を大いに持て成そうではないか!」

「ドイヤー!」

「これより、国賓の歓迎会を開催する!」

 ブッ、ブブッ、ボォ〜、ポボポボ〜〜ッ!

 王の宣言に豪華な夕食会が幕を開いた。

 次々とテーブルに運ばれて来る様々な鉱物と岩石に四人は戸惑いの色を隠せなかったが、そこにシューゼがやって来た。

「お前達が普段、石を喰わんのは知っているが、我々ヅヅァの者は形式張った事が大好きでな。一応お前達にも決められた、皆と同じ物を配膳する。但し、無理に食べる事はない。注文があれば、何なりと言ってくれ。用意できる物なら全て用意しよう」

「では一つ、魚は御座るか?」

 元宗は手をクネクネ動かして、魚が泳ぐ様を表現したが、上手く伝わらなかった。

「こういう生き物ですよ」

 フェリペはキースを見せた。

「おおっ、それならあるぞ! だが、薬の素材だ。本当に良いのか?」

 元宗は黙って頷いた。

「あたしゃ、野菜が食べたいね」

「俺ぁ、久し振りに肉がいい」

 キースの図説にシューゼは、食用ではないが両方とも有るには有ると答え、侍女に至急、持って来る様に命じるのだった。

 卓上に品が揃うと、先ずフェリペが食中毒の可能性の有無を入念に調べ上げた。

「口にする物の成分チェックは、絶対に怠れませんからね」

 ピピッというキースの音の許に出された判定結果は、全て良好なものだった。

「どうやら、ここにある物の中には、我々の体に悪影響を及ぼす食品はなさそうです」

 待ち望んでいた言葉に三人の顔も(ほころ)んだ。

 元宗は鞘から脇差を抜き、調理するには不向きな刀身の切先を巧みに使って、酷く牙を剥き出す真っ赤な目玉をした魚を、ささっと切り身に仕立て上げた。

「エンリケや、某、醤油(しょうゆ)山葵(わさび)を所望致す」

「こんな所で刺身が頂けるなんて!」

「やれるだけの事は致した。旨いか否かは、各々の舌と魚に聞かれたし」

 元宗は懐紙でさっと刃を拭き、鞘に収めた。

「それで、次はどうすんだ? 焼くのか? 煮るのか?」

「いいえ、火を通す様な事はしませんよ。刺身は生で食べるものですから」

 マシューの表情は引き()った。

「正気かよ!? ぜってー腹痛(はらいた)になるぜ!」

「なるか馬鹿っ! お主は海に生きるのに、魚を喰うた事もないのか?」

「何度もあるが、生はねー!」

「ごちゃごちゃ煩い奴だね〜。一切れ食べて向かないと思ったら、止めれば済む話じゃないか」

「そうじゃ、そうじゃ。魚が口に合わぬのなら、石でも口に詰めておれ」

「ケッ、減らず口を」

 フェリペは席順を改めて、隣り合わせな二人を両端にすべきと考えたが、アルベルティーヌが首を横に振るので思い留まった。

「そんな事する必要はないよ。彼等が(いさか)いを始める時は、うちのチームが安泰だって証拠だからね〜」

 そう言われると、確かに二人の船乗り達は危機に瀕してまで口喧嘩をする事はなかったが、それは何ともおかしな尺度だった。

 オーダーした肉に手をつけ、マシューは言った。

「肉の焼け具合は良いが、味気ねーな••• おい、フェリペ。塩を出してくれよ」

「塩なら、あなたの目の前にあるじゃないですか」

 フェリペはマシューの前にある、白濁とした岩を指した。

「何っ、こいつぁ岩塩だったのか?」

 マシューが岩の窪みに溜まる白い粉を指で掬って舐めると、確かにそれは塩っぱかった。

「よしよし、まずまずの味だ。後はどうやってこれを砕くかだ」

 マシューは短銃の銃身を握って、柄の尻の部分で岩塩を殴った。

 ガンッ! という衝撃が食卓の全域に響き渡り、最も被害を受けた元宗は帯から鞘ごと脇差を引き抜いた。

「これを使え! 然すれば、皆迷惑せんで済む」

 元宗は(つば)から20㎝程露出させた刃で岩塩を撫で、刃の上に乗る削られた塩の粉粒をマシューの肉の上に振りかけた。

「おっ、良いじゃねーか!」

 脇差を受け取ったマシューは、暫し塩屋になった。

 ザザッ、ザザッ••• 岩と金属が擦れる独特の音に、下の段の者達が近寄って来た。

「お前が持っている物は鉄か? なかなかの切れ味だな」

「時々引っ掛かる『ギギッ!』って音が堪らねー」

「本当に硬そうだな。見れば見る程旨そうだ」

「!」

 不吉な雰囲気を感じ取った元宗は、マシューから素早く脇差を奪い取った。

「これは刀、即ち武士の魂。断じて貴様等の食い物などではない!」

 元宗の剣幕に、最後に来た者は詫びた。

「気を悪くしたんなら謝る。すまなかった。俺はすぐに本心を口にするが、何も本当に国賓の所持品を食べる気まではない。すれば、ここでは生きていけなくなるからな」

「そう。俺達が知りたいのはその金属の強度だ。もし良ければ、それを見せてはくれないだろうか?」

 唐突な申し出に元宗は少々渋ったが、

「こいつ等に他意はないよ。信用していいさね」

 と、アルベルティーヌが言うので、黙って脇差を手渡した。

「ほ〜う、なかなかの光沢だな•••」

 刀を受け取った者は鞘から出された刃の艶に暫く見惚れていたが、じきに二つの赤い突起物が付いた道具で刀身を挟むと、脇差の検査に入った。

「結果が出たぞ。強度は2407ジギットだ」

「成程。やはり鉄だったか」

「それで、これが食材じゃないんなら、何の為に使う物なんだ?」

「ふんっ、変わった奴等じゃて。堺で目にした黒き肌が者とて、語らずともこれの使い道位は(わきま)えておったというに••• 刀の用途は言わずもがな、敵を斬る事にあり」

 そう言って元宗は、黒光る三人に抜いた刀を振り下ろす真似をして見せた。しかし、それでもヅヅァ人達には上手く伝わっていなかった。

「?」

「いいでしょう。私がこれで説明しますよ」

 一部始終を見ていたフェリペはキースで武士を検索し、それを黒光る三人に披露した。すると、ワー! と言う声と供に怒濤の如く疾走する鎧武者達の映像に、黒光る三人は刀が戦いで使われる道具である事を初めて理解するのだった。

「要するにこれは、武器だったんだな。だが、それならば余りにも脆弱過ぎる」

「そうだな。この程度の硬度と靭性では、この星に生きる堅固な動物達には効くまい」

「何じゃと!?」

 元宗の眉間に稲妻が走った。

(日本刀の鋭さは、現代でも高く評価されていると言うのに•••)

 それは、時代を越えても尚通用する刃の事を頼もしく思っていたフェリペにとっても、憂慮すべき事だった。

 バババ〜ン! 流れ続けていた動画は鉄砲隊の描写に移っていた。

「ほう、遠隔攻撃の道具もあるのか」

「成程。あの武器なら、そこそこ善戦できるかもな」

「問題は威力だ。現物があれば、弾の衝撃力を割り出せるんだが•••」

 それを聞いて今度はマシューが、腰に戻していた短銃と弾丸を卓上に出した。

「あれに比べりゃ命中の精度は落ちるが、威力に関しちゃそう変わりはねー筈だ」

 黒光る三人はキースでヅヅァ語に翻訳されたマシューの言葉に、計測に入った。

「弾の強度は210ジギットだ」

「軟らかいな。何で出来てる?」

「鉛だ」

「こっちの構造物の出力も算出できたぞ。どうやらこの道具は硝石を火薬とし、その爆発力で弾を飛ばしてる様だ。で、出力は僅かに8ゼノット」

「弱いな〜。掛け合わせても1680ジギットか〜。火器の時点で限界があるんだ」

「これじゃあ、25級以上の強度の動物に出くわしたら、薄皮一枚傷つけれずに、簡単にやられてしまうぞ」

「確かに•••」

 黒光る三人はそこで話すのを止め、そこからは頻りに眼だけを動かし始めた。

(どうする? 武器の贈与が国外でばれれば、連盟が黙ってないぞ?)

(だが、王が認めた国の恩人達が獣共に殺されるのは、俺達だって黙ってられない)

(確かにな•••)

(俺達は国の恩人達に報いれずして、この国の民たり得るだろうか?)

(ダヤー!)

(彼等を助けよう!)

(ああ。だが、贈与はなしだ。飽くまでも彼等の武器に手を加える迄にしとこう)

(それが良い。見た目に違いが出ない様に細工するなら、連盟にだって解るまい)

 黒光る三人の意見は纏まった。

「明日、一度俺達の所に来い。お前達の武器を改良してやるから。割番は3−12−287。室番は340965だ」

 そう言い残すと黒光る三人は、脇差を元宗へ、短銃と弾丸をマシューへそれぞれ返却し、来賓席から去って行くのだった。

「何だったんだ、あいつ等?」

「はて••• 鍛冶屋か何かかのう?」

「鍛冶屋じゃないよ、菓子屋さね」

「えっ、パティシエですか?」

「そうさね。あたしが貰った宝石だって、ここではお菓子だって事を考えりゃ、そんなに可笑しくもない話さね」

「いや、どう考えたって変だろ!」

「うむ。職が異なるも甚だし!」

「食べるモンが違って、体も違うんだ。文化だけ同じな訳ないだろ? 理解できなくたって構やしないが、有りの儘を受け入れなよ」

 アルベルティーヌには誰よりも柔軟な順応性があったが、そこへくると三人の男達はまだまだ精神的に未熟だった。

「あっ! 今気付いたんですが、あなたは魔法の類は全く使えなくなったのではなかったのですか? 何故今でも読心術が使えるんです?」

「それは、この能力が修行や鍛練で体得した技じゃないからさね••• これは生まれつきあたしに備わってたモンなのさ。驚いたかい? 

 イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」

「人の心が読めるは生まれながらとは••• 婆殿は天性の異人じゃったのじゃな」

「普通じゃねーよ。ついてけねーぜ」

 どちらかと言うとフェリペは、元宗とマシューに同感だったが、アルベルティーヌの先天的な実力までは失われてなかった事に少し救われた気分だった。


 次の日、武器の改善を求め、男達は職人達を訪ねるべく、朝から王宮を出た。

 フェリペの調べに拠ると、割番とは層と階と区域を示す数値で、室番とは各部屋に宛てがわれた数字の事だった。

「私達は今、最上層の第1層に居ます。そして、私達が向かいたいのは上から数えて3層目の、上から数えて12階にある、287番地区内の、340965番という部屋になります」

「これ、あまり儂等に堅苦しきを申すでない。どうせ場所までは解らんのじゃから」

「そうそう。お前が居ねーんなら話も聞くが、居るんなら後についてくだけだからな〜」

 フェリペに絶対の信を置く元宗とマシューは、この上なく呑気をさらけ出して答えるのだった。

 ヅヅァ語で『縦』という意味を持つ、リシェという名の気圧の変化を動力源とする『嶮』独自のエレベーターで階層を移動した後、同じく『横』という意味を持つ、シェリという名の交通機関で対象の区域に到着した三人は、目的の部屋の前に立った。

「おっ、来たか。早かったな」

 男達に気付いた黒光る者が手招きをして迎え入れるので、フェリペはキースを用いて挨拶をした。

「おはようございます。昨日はどうも」

「準備はもう整ってる。早速始めよう」

 三人が中に入ると、六段造りの棚の上には色んな種類の光る石が並べられていた。

「菓子屋っつーか、宝石商だぜ」

「じゃが、我等には武器職人なんじゃろ?」

「まーな〜」

「いよいよもって、解り難し•••」

 マシューと元宗は相変わらず、理解に苦しんでいた。

 奥の部屋は石を加工する為の場所だった。

「おうっ、お前達か。待ってたぞ」

「昨日の武器は持って来たか?」

 ヅヅァの菓子職人達は刀と銃を視認し、微笑んだ。

「先ずはこれを見ろ。これは石切りの道具に使われる素材で、この国の菓子作りには欠かせない物だ」

 菓子職人はとても薄くてグニャグニャ曲がる長方形の白い物体を三人に見せ、それをピンッとまっすぐに引っ張った状態で両端を固定すると、(あお)る様に言った。

「さてと、お前達の自慢の武器なら、こんな物に疵を付ける事ぐらい訳はあるまい?」

()めおって••• 無銘なれど業物たる我が名刀を虚仮(こけ)にするとは、笑止千万!」

 元宗は顳顬(こめかみ)がピクつくのを我慢しながら、懐紙をさっと頭上に放り、それが地に落ちきってしまう前に、居合斬りにて一閃を放った。

 キンッ! 脇差が鞘に収まる音と同時に、懐紙は二手に別れてヒラヒラと宙を舞った。

「凄いな! だが、その磨き上げられた美技は、これにも通用するだろうか?」

 二度目の挑発は、流石に元宗も許すところではなかった。

「よかろう••• では、望み通りその末を、しかと見届けるがよい!」

 言うが速いか斬るが速いか、脇差の刃は既に白い物体の上にあった。しかしそれでいて、その下へ抜けて行く事はなかった。

(小癪!)

 誰もが目を見張る光景にマシューが一言発した。

「おいっ!」

 元宗は黙って頷いて脇差を仕舞い、より大きな本差を抜いた。そして、頭の上に刀を構えると、今度は気を込めた格別の一撃を白い物体に振り下ろした。

 ギキンッ!

「何とっ!」

(甲冑すらをも断ち切る我が刃を、こうも易々と遮るとは!)

 元宗は、何とも頼りなくひ弱に見える白い物体に、(したた)か打ちのめされた。

「どけっ、次は俺がやる!」

 歯切れの悪い顛末に青筋を立てて、マシューは左手で抜いたレイピアで、左脚の踏み込みの基に白い物体を刺突した。が、剣の貫通が失敗に終ると、すかさず短銃を発砲した。

 バーンッ! 轟音と共に生まれた焼けた硝石の匂いは見事に皆の鼻を衝いていた。しかし、弾き出された鉛の弾が白い物体を突き抜けて行く事はなかった。

「糞〜っ!」

「残念だが見ての通り、今のお前達の武器ではこれを切る事も、これに穴を開ける事も出来ない。そして、知っておいて欲しいのは、外界にはこれよりも強い肢体を持つ獣達がうようよいるという事」

「そんな獣共から身を守れるだけの攻撃力がなければ、お前達はいとも簡単に獲物にされちまう」

「そうならない為にも、せめてこれ位は破壊できる様、今からお前達の武器を強化してやるから、その四つを俺達に預けるんだ」

 マシューは一度元宗の顔を見た後に、銃と剣を菓子職人達に託した。

「刀を預けるは、命を預けると同義也。何卒、(ねんご)ろにお頼み申す•••」

 元宗も二本の刀を菓子職人達に託した。

「昼過ぎには仕上げておくから、飯が済んだらまた取りに来い」

「解りました。後は宜しくお願いします」

 どれ程便利な道具を扱え様とも、自身は何の防御力も持たない学者は、持てる物をチームの切り札へと変貌させるべく、畑違いの技師達に深く頭を下げるのだった。

 石のおやつ工房を離れた男三人が独自の文化を発展させる黒い堅城内を逍遙する頃、王宮の客室では、長い眠りから目覚めた老女が深刻な表情で俯いていた。

(こんなに寝入ったのは久し振りなのに、只の一度も脱け出る事が出来なかった。この分だと、今そこに居る魂を視る事すら出来ない。今のあたしに残されたモンは、せいぜい危険を察する力ぐらいだ•••)

 そう思うとアルベルティーヌは、複雑な気分だった。


「只今戻りました」

 フェリペは王宮の客室に入るなり、アルベルティーヌに訊ねた。

「調子の方はどうですか?」

「いいよ。だが、体力は帰って来たものの、魔力の方は去って行った儘さね」

「我が軍最大の戦力は、流石に一晩寝た位じゃ治らねーか」

「せめて、治し方が解れば良いんじゃが」

「そうですね。ですがそれは、連盟の最先端のテクノロジーを持ってしても、解明できない事でしょう」

 フェリペの予想は間違ってなかった。

「それで、外はどうだった?」

「ええ。街は活気に溢れてましたよ。ここは特区故の特例で、他国と違って貨幣が流通してるんです。ここの人達が言うには、現物のお金があるのはこの『嶮』だけだそうで、それを持たない私がどうやって買い物しようかと思ってると、国の恩人達から金は取れないって、全ての店が無料で品をくれたんですよ〜」

「そりゃ〜良かったじゃないかい」

「ええ」

「婆殿、拙者はあの者達の小粋さに、何やら堺の風を感じたんじゃが•••」

「あんたの言う湊街がどんなんかは知らないけど、あんたとここの奴等の、民族としての質が似てるのは確かさね。頑固で閉鎖的だが、一度心を開けば情に厚く、一貫して義理堅いところとかがね」

「某••• 否、日の本が民は左程に他を寄せ付けぬかのう?」

「歴史的に見ても、あなたの居た時代を少し下れば•••」

 そこまで言った時、フェリペはアルベルティーヌに服を引っ張られた。

「? •••まっ、こいつの頭の堅さは置いといて、俺もここの奴等の方が親しみ易いと思ったぜ。俺とこいつが初めて出会った所に居た、色んな顔と体をした、どんな奴等よりも」

「その昔、ここの人達は連盟のテクノロジーの受け入れを拒否し、自分達で技術開発を進める道を選んだそうです。その分、地球人の我々と文化や感覚が近いのかも知れませんね」

 男達の体験からも、黒い堅城内にある社会は『嶮』以外のものと比べて、地球寄りと言えた。

 フェリペは皆と協力して、光屋と呼ばれるギリコの餌を製造販売している店から貰った餌の原料で、米に類似する穀物を炊飯し、顔料を製造販売している店から貰った、赤い色をした芋の様な根菜と茶色の豆を茹で、薬局で貰ったレタスみたいな葉菜を千切って、昼食の準備をした。

「さあ、皆さん。頂きましょう」

 それは質素ではあったが、何故か充実感を覚えるお昼ご飯だった。

「私は昨日の晩餐会で思ったんですが、粒子機で作った物を食べるより、素材を調理して作った物を食べる方が、我々地球人には向いてる気がするんです」

「同感だぜ〜」

「儂もじゃ」

「一体、何が違うのでしょう?」

 フェリペはアルベルティーヌに問いた。

「波動が違うのさね••• 前にあんたが言った通り、あんたが使う便利道具から出来たモンは、確かに味と体に対する栄養に於いては本モンと変わりないだろうが、魂に対する振動が、材料を料理して作ったモンとは格段に違う」

「つまり••• どう云う事じゃ?」

「つまり、あんたの得意技である、瞬発的にエネルギーを発する時なんかに、その影響が出るって事さね。 あんたはここに来て、自分の持つ最大の力であの技を試した事はあるかい? やってみたら解る事さね」

「おいっ!」

 マシューは鋭い眼で元宗を見た。

「つい先刻の事に御座る。某がそれを試し申したは•••」

「ほうっ。それでどう思ったね?」

「言い訳をするは好きではないが、確かに普段とはちと違い申した。しかしそれは、その日その時の調子に拠る故•••」

「そうさね。その調子が狂っちまうのさ。魂の波動がね」

 それはアルベルティーヌにしか解らないレベルの事だった。

「そう言えば、あなた達二人は私達と出会う前、どんな物を食べてたんですか?」

「拙者は、これとよく似た米と味噌汁、それに焼き魚じゃ」

「俺ぁ、パンと塩漬け肉、それにオレンジみたいな果実だ」

「結構良い内容ですね」

「メアルとか言う奴ぁ、あたし等のエネルギーを知りたがってた。だから、二人に合ったソウルフードを欠かさなかったんだろう」

 フェリペはこれを機に、食の在り方を改めるべきと思った。

「しかし婆様よ。そんな事知ってたんなら、もっと早く教えてくれりゃ良かったのに〜」

「だけど、ここで食材を集めるのは手間だよ。あたしゃ、この子にそこ迄させたくなかった。あたし等じゃ、代理は務まらないしね」

「ご尤もじゃ」

 アルベルティーヌのフェリペへの配慮に、マシューと元宗は納得するのだった。


 昼食後、男達はまた製菓店へ出向いた。

「こんにちは。お頼みしていた道具を引き取りに参りました」

「おうっ、あれならもう出来てるぞ」

 三人が奥の部屋へ通されると、四つの武器は机の上に置かれていた。

「想像以上に難しい仕事だったが、予想以上に上手くいった」

「見たとこ全然変わっちゃねーが、何がどうなったんだ?」

「刀剣の強度は元来の倍から三倍になってる。但し、重さもそれに比例して変わったから、そう覚えておいてくれ。と言っても、常にその重さじゃ持ち運びに不便なので、一定の圧力を越えた時にだけ、その威力を出せる様にしてある。刃の鋭さは変わってない。銃の方は内部を少々改造した。もう、硝石と鉛弾を必要とする事はない」

「話を聞くより、使った方が早いだろう」

 菓子職人から試し斬りを勧められ、元宗は手にした本差を頭上より白い物体に振り下ろした。

 スパッ! 

「!」

 刃と白い物体が接触した瞬間、元宗は確かに、刀がグッと重くなるのを感じた。

(物に当てねば、どうなるのか?)

 元宗が試しに素振りをしてみると、やはり重さが変化する事はなかった。

「成程のう。お主の云うが、よう解うたわ」

「だろう? 多分、そんなに振りかぶらなくとも、もっと簡単に切れる」

 菓子職人に従って、今度は脇差を白い物体の上にした状態から、小手を打つ様に素早く上下させると、スッと斬り落とされた白い物体の断片は一瞬で元宗の足下に転がっていた。

(気を込めずも、その上を行く重み••• これでは、某の方が刀に振り回されるぞい)

 元宗は刀が強力になった分、二刀目である返しの刀の速度が落ちる欠点に気付き、自らの腕力でそれを補う必要がある事に勘付いた。

「早く俺のもテストさせろよ!」

 マシューは待ちきれない様に言った。

「少し待て。あいつが切ったやつはもう使えない。別のを用意するから」

 菓子職人が新たに白い物体を用意すると、マシューはそれにレイピアを突き立てた。

 スプッ、スプッ、スプッ、スプッ••• 四回刺された白い物体には四つの細い切れ目が入っていた。

「本当だな。インパクトのタイミングだけウェイトが増す」

 マシューも違いを実感した様だった。

「銃はどうだ?」

 マシューがホイールロック式の短銃に手を伸ばすと、菓子職人は、

「それの能力を知るには、もう一つ用意しなければならない物がある」

 と言って、白い物体の少し後ろに赤い物体を設置し、

「それに火薬は要らない。新しい弾はこれだ」

 と、現代の弾丸の様に先細りになっている、銃口よりもだいぶ口径が細い弾を差し出した。

(火薬なしで、どう弾を飛ばすってんだ?)

 マシューは不本意ながらも短銃に弾を装填し、別の問題点を指摘した。

「こんなに太さに差があったら、射つ前に下に落ちちまうぜ〜」

「そう思うんなら、試してみろ」

 その返事にマシューは銃口を下へ向けた。が、弾は落下しなかった。

(妙だ。何かに止められる感じがしねー•••)

 マシューは不思議でならなかったが、とりあえず引き金を引いてみた。

 カツンッ••• 引き金がゼンマイを回しても短銃は前とは違って音を響かせず、焦げた匂いのする煙も出さなかった。しかし、見事に穴の開いた白い物体の先には、いつの間にか灰色に変色してしまった、元赤い物体の姿があった。

「何だ、こりゃ〜!?」

「この銃はもはや火器ではない。磁力を用いて弾を固定、発射し、発砲の際に弾に込められた電流が着弾の瞬間に標的の中で炸裂して、その物体を構成する分子内の電子に強烈な刺激を与えるのだ」

「凄いだろ? 弱い動物ならイチコロだし、強い獣共でも暫くの間は麻痺する」

「動物の平均的な電子量と同等の電数値を持つ物質を標的とした結果が、あれだ」

「恐ろしい•••」

(それではまるで、リニアモーターカーの要領で、攻撃力を帯びた超小型の電子レンジを放つ様なものだ!)

 マシューと元宗が全く話を理解できない中、一人フェリペは首を横に振って呟いていた。

「まあ、お前達の武器は圧倒的に強くなった訳だが、それでも尚、通用しない動物がいるという事も覚えておくがいい」

 菓子職人は最後に、念を押すのだった。

「それにしても、お前達の星では未だに紛争があるんだな」

「ややっ、それは何とも異な物云い。お主等の土地には戦が御座らんのか?」

「ああ、無い。連盟に加わる際、銀河全域での戦争の永久放棄を誓約するからな」

「では何故、ここでは貨幣が存在するのです? 特区に指定された理由は?」

「それはな•••」

 その後も色々と話を聞くにつれ、この衛星が銀河連盟に加盟する時にあった複雑な情勢により、『嶮』が極めて異例な地域となった歴史を、フェリペは知るのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ