四、宿運
翌日、四人乗りのレンタルルパカンタを借りて、フェリペはゲニク川中流域を目指していた。
「ゲニク中流の北側の川岸を進み、域内の全ての川原に立ち寄ってくれ」
フェリペの指示にルパカンタは自動操縦に入った。
亜空間を使ってワープし、川の中域の最上流まで来るのは一瞬だったが、そこからは約30㎞もある蛇行の多い流域を地道に探索しなければならなかった。
「さあ〜て、長い一日が始まるぞ」
フェリペは長丁場も覚悟の上だった。
最初の川原に着いた。が、そこには誰も居なかった。ルパカンタを降りて、フェリペは何らかの痕跡が残ってないか調べてみたが、そこにあるのは角が削られて丸くなった石ばかりで、足跡も火をおこした跡も見つからず、川に沿っている森にも人影等は見当たらなかった。
「仕様がない。次に行くか」
フェリペは決して焦っている訳ではなかったが、やはり急いていた。
次の川原に着く迄の間、フェリペの注意は森の中に集中していた。
(そうかっ! 粒子機を持ってたら、外見では判断できない場所に身を隠す事も出来るんだ! もしそうなら、我が一日は徒労に終わってしまう事になる•••)
フェリペは今更ながら、重大な可能性に気付いた。しかし例えそうでも、ずっと中に居る訳ではないという事も考えられると、後はそれに賭けるしかなかった。
暫く何一つとして得る物のない時間が続いたが、九つ目の川原に着いた時、そこには三人の釣り人がいた。
「こんにちは」
釣り人達は不思議そうにフェリペを見た。
「やあ」
「珍しいな。こんな所をルパカンタで下るなんて••• なっ?」
「遊覧用じゃないって事は観光じゃないな••• 一体、どうしたよ?」
フェリペが目的を話すと、釣り人達は一斉に体験談を披瀝し始めた。
「ついさっきだ。なっ?」
「ああ。黒服って言うなら、あいつの事だ」
「あそこはよ、いつも俺達が愛用してる場所なんだがよ、風変わりな先客がいてよ•••」
「ああ。それで俺等がそこを明け渡す様に言ったら、こう返してきたんだ。『先を越されたんなら黙ってな』って」
「そうだ••• 確かに俺達の態度は悪かった。だが、あいつはその上をいってた。なっ?」
「それで短気を起こしたこいつがよ、飛び掛かっていったらよ、おかしな棒切れで触れもせずによ、あっさりとこいつの体を止めたんだよ〜」
「ああ。あれは保護膜なんかじゃなかった•••」
「その後、凄い形相で睨みつけられてよ〜。俺は生きた心地がしなかったよ〜」
「そうだ。なっ?」
「ああ•••」
遂にフェリペは有力な目撃情報を入手した。
「あいつのとこに行くんなら、せいぜい怒らせねえこった。なっ?」
「ああ•••」
「解りました。どうもありがとう!」
礼を言い、三人と別れたフェリペは話を基に更に川を下り、川原を隔てた先にある広い澱みに着いた。するとそこには、フード付きの黒く古めかしいローブを身に纏った、紛れもない白人の老婆が、大岩の上に鎮座していた。
「居たっ!」
「おや、まあっ! こりゃ〜驚いたね〜」
老婆もフェリペに気付いた様だった。
急いでルパカンタから降り、岩を攀じ登って、フェリペは声を張り上げて喜んだ。
「奇跡だ〜! こんな星で人間に出会えるなんて!」
フェリペは小躍りしたい気分だった。
「そうだね〜。あたしだって今、衝撃を受けてるとこさ〜」
「! その言葉訛りは••• あなたはフランス人ですか?」
「そうさね。あんたは聞いた感じ、スペインの出だね?」
「そうです。私もヨーロッパの出身なんですよ〜。フェリペといいます」
「アルベルティーヌさね」
「ところで、アルベルティーヌ。あなたも『リグル』を受けたんですね。一体どこの国に居たんです?」
フェリペが質問しても、アルベルティーヌはその意味を理解しかねていた。
「リグル? •••何だい、そりゃ?」
「えっ!? じゃあ、どうして私の言葉が理解できるんです? スペイン語を習得してらっしゃるんですか?」
「いいや、そんなんじゃないさ。それが証拠に、あたしゃフランス語しか喋ってないだろ? な〜んだ、あたしゃてっきり、あんたも使えるのかと思ったが•••」
アルベルティーヌの発言から、フェリペはティウの言葉を思い返した。
(この人こそ、テレパシーが使えるタイプの人なのかも知れない•••)
「そいつの言う通りさね」
突然、アルベルティーヌは不気味な事を言った。
「そっ、そいつって言うのは、誰の事です?」
フェリペが戸惑いながら訊き返すと、アルベルティーヌはばっさりと言った。
「ティウ。 •••とか言うのかい? 今あんたが思い浮かべた奴だよ〜」
(本物だ! いやむしろ、ティウが言っていた以上だ!)
フェリペは釣り人達が言っていた恐怖を垣間見た気がした。
「へぇ〜、成程ね〜。あんたを通して、ここの事が少し解ったよ。リグルとか言うやつもね〜。
イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」
その笑い声を耳にした途端、フェリペは、まるで目に見えない弓矢が頭の中を射抜いて行った様な激痛を覚えた。
「グオォォ〜〜〜!」
フェリペは激しく顔を歪めながら、両手で頭を抱え込み、そのまま岩に倒れ込むと、苦痛を抱いて、暫くそこでのたうち回った。
「大丈夫かい、坊や!?」
一大事と見たアルベルティーヌは、何やらぶつくさと言い始め、その最後に、
「•••ヌカッチャ〜ヤ、ゲッチョプリンッ!」
と、狂気的で大きな奇声を上げて、持っていた杖をフェリペに振り下ろした。
(はっ!?)
その時には既に、フェリペの苦辛は消えていた。
「痛みは治まったかい、坊や?」
「ええ。嘘みたいに•••」
「実は、あんたが足掻き出した時、あんたの頭の中に箒星が入っていくのが見えた。ありゃ使い手が何らかのメッセージを残す時に遣うモンだよ••• はっきり訊くが、あんた、一体何モンなんだい?」
フェリペは、今やその質問にしっかりと答える事ができた。
「貴女のおかけで全てを思い出せました••• 私は以前、南米の、とある遺跡を調査していた考古学者だったんです。偶然、ある翡翠を手に入れて、あなたと同じ笑い方をする人から助言を得て、謎の洞窟に入って行ったんです。そして、おそらくそこで気絶して、目覚めたらこの星に居た•••」
苦痛と引き換えに、フェリペの記憶は完璧な迄に回復していた。
「次は私が•••」
「逃げて来たのさ••• 時の為政者に追い立てられて棲家を失い、更に追い回されて、命からがら杖一つでここに飛んで来たんだよ〜」
「それは酷い。しかしどうやって•••」
「禁術を使ったのさね。あたし等使い手には禁じられた魔法がある•••」
「魔法? たったそれだけの事で、ここ迄の距離を飛んだんですか?」
「あたしゃここが、あたしの居た所からどれ程離れてるかは知らないよ〜。只、一瞬で来たのは確かさね」
それはどう考えても、亜空間を利用した移動法としか思えなかったが、もしそれが地球の技術だとしたら、少なからずフェリペの居た時代よりも後のものでなければならなかった。
「あなたは、自分の居た時代の暦を覚えていますか?」
「1573年の冬さ〜」
(444年も前だ! そんな筈はない!)
フェリペは訳が解らなかった。
「魔法とは何なんですか? そんな抽象的な言葉では解りません。もっと具体的に•••」
「やれやれ、あたしを疑ってるのかい? 面倒な坊やだね〜」
そう言うとアルベルティーヌは、
「ラポーラ、ポンッ!」
と、またおかしな呪文を唱えて奇術を使い、そこに転がっていた岩の欠片を宙に浮かせたと思った瞬間、もの凄い速さで川に飛ばすのだった。
(サッ、サイコキネシスだ!)
絶句するフェリペにアルベルティーヌは応えた。
「なんだ、よく解ってるじゃないか。ポルターガイストと一緒の原理だ。違いはと言えば、生きてるか死んでるかだけさね〜。
イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」
フェリペは笑えなかった。
「あなたが驚愕すべき人なのはよく解りました。しかし何故です? それだけの力を有するのなら•••」
「それはあたしも試したよ〜。だが、駄目だった••• 禁術の魔法は、行く事は出来ても還る事は出来ないのさ。これを教えてくれたあたしの師は、使えば地獄を見る事になる、と言ってたよ〜。しかしだ、あの儘あそこに居たら、あたしは確実に殺されてた•••」
「•••」
「絶対の死と生きて地獄、坊やならどっちを採る? あん時あたしにゃ、選択の余地なんて与えられてなかったのさ•••」
フェリペは神妙な面持ちでアルベルティーヌの話に耳を傾けていた。
「なんとなくですが、あなたの事が解ってきました。つまりあなたは、かつて多くの悲劇を生んだ魔女狩りに遭われたのですね?」
「その言葉は嫌いだよ!」
厳しい口調でそう言ったアルベルティーヌの苦々しい表情は、事の凄惨さを充分に物語っていた。
「ごめんなさい。無神経でした。以後、気を付けます」
「解りゃあ、いいよ」
素直に謝ると、アルベルティーヌはフェリペを許した。
「それにしても、魔法を使える方なんて、本当に存在したんですね〜」
「おやっ、おかしな事を言うモンだね〜。あんたに箒星を付けたモンも、使い手だったと思うけどね〜」
「不思議な力を持っていたのは事実です。他人の欲望が後ろに透けて視える、と言ってました。ですが、会話をしただけで別に何かをされた訳ではなかった••• 私が語るより、あなたなら視えるのではないですか? さっき私の過去を覗いた様に?」
「そうだね〜。確かにあたしゃ、相手の現在からその人の過去や未来を視る事が出来るが、どうもさっきから、あんたの言う会話の像は、あたしにゃ〜ぼんやりとぼやけて視える••• あんたさっき、あたしの笑い方がそのモンと一緒だと言ったよね?」
「ええ。正直、雰囲気すら同じに感じます」
「だとすると、そいつはあたし自身なのかも知れないよ」
「どう言う事です?」
フェリペは全く意味が解らなかった。
「使い手にも階級がある••• 今のあたしにゃ、己の事を推し量る事までは出来ない。やってもいつも、水の中で目を開ける時みたいに朧げにしか映らないんだ〜。でもそれが為に、そんな結果になる時は自分に関わる事象であると察する事も出来る」
「しかし、貴女と彼女は明らかに別人です」
「早まるんじゃないよ〜。確かにあんたの言う通り、肉体としては別モンだ。だがね、あたしが意味するのは魂の方••• つまり、そのモンはあたしの前世なんじゃないかと思うんだよ〜」
「前世? 来世の間違いではないですか? あの人は私と同じ時代••• 言わば、あなたから見たら後の時代に生まれてるんですよ?」
「そいつは世俗的な物の考え方だよ〜。いいかい、坊や。魂は死ねば時間も空間もない世界に往く。その時点で一度、前の命の俗世的な境遇は断ち切られるんだ。後の命でいつどこに生まれようが、それ迄のこの世の掟に縛られる事はないんだよ〜」
フェリペは生まれ変わりが実際にある事を承知していた。高名な人物を挙げるなら、ダライ・ラマの逸話はあまりにも有名だし、世界中で報告される事例に興味を持ち、自ら調べた結果、中国に前世の記憶を持つ者が数多く生まれて来る、世にも不思議な村が存在するのを発見した事もあった。しかしそれらは全て、本人達が生前の事である過去を語る事で、初めてその真偽が確認されるというものだった。
(解らない•••)
今のフェリペにアルベルティーヌの見解を立証できる力はなかった。
「そんな事より、坊や。あんたはず〜っとここで、生きていく気なのかい?」
「いいえ••• 実は、あなたに出会う迄はそう腹を括っていました。しかし記憶が戻った今、私にはやる事ができた」
「行くのかい? •••そこに?」
「ええ! 私は行かなければならない••• もし宜しければ、私についてきて頂けませんか? 上手くすれば、貴女も一緒に還れるかも知れない」
それはアルベルティーヌにとっても悪い話ではなかった。
ルパカンタを返却して、フェリペはアルベルティーヌと共に洞の国メチョッテに急行した。
「何だい、ここは!」
アルベルティーヌの眼には一面真っ白な超巨大鍾乳洞が映っていた。
「これ程とは思いませんでしたよ••• 天井がもの凄く高い。数百mは下らないな」
見た限り、天と地を結ぶ石灰柱は十六本あった。その内六本は真ん中にあり、残りの十本は二、三本にかたまりながら、四つの場所に分散していた。そして、上下が組になった鍾乳石と石筍がそこら中に点在し、こぶみたいに盛り上がる中央部からは重なり合う鱗の様な巨大石灰華段丘が、滔々と水を流して下へ下へと伸びていた。
「とりあえず、最も華美な場所に行ってみましょう」
二人は中央部へ向かった。
一番大きい石柱は他の五本に囲まれる様に位置していた。フェリペがキースで照射し、その規模を確かめると、キースからは、
『高さ416ギラ(1324m)、周囲108ギラ(343m)の世界最大の石灰柱で、洞の国メチョッテの象徴でもある。
洞の国メチョッテ•••太古の海プッタビの海底に珊瑚の死骸が堆積し、厚さ2・8ニュギ(8918m)の巨大な石灰岩の岩盤ができて、後の時代に隆起すると、地上から染み出る雨水に拠って、世界一の鍾乳洞が形成された。通称は『白』である』
という答えが出た。
「こりゃ一体、どんな魔法なんだい?」
アルベルティーヌは石柱に触れてもそれを伝う水が全く手を濡らさない事に驚いていた。それを見てフェリペは、空間内の石灰水が有機物を通過する際、粒化される事を瞬時に悟り、
「それを説明するのはとても難しいし、詳細な事は私でも理解できないレベルだと思うので事実だけを述べますが、それは魔法ではありません。この星に住む者達が持つ、純然たる技術なんですよ」
と、答えた。そして、水が滴る地点に掌を広げて、言った。
「私の手をよく見てて下さい」
高い天井から落ちてきた雫は当然の様にフェリペの手を通過し、地面に到達した。
「! 手に穴が開いたのかい!?」
「まさか。確かに貫通はしましたが、傷は勿論の事、湿り気一つ残さずに、水は元の形を崩す事なく、私の手の中を通り過ぎて行きましたよ」
アルベルティーヌが確認すると、フェリペの手は何ともなっていなかった。
「この様に、この星の人達は物と物を接触させずに透かしてしまう事が出来るんです。多分ここでは上から落ちてくる水全てに、この処置が施されてるんだと思われます」
「へぇ〜、脱けてる時と似てるね〜。でも、こっちじゃなくて、あっちが変わるんだね〜」
アルベルティーヌは細々とした小さな声で呟いた。
「ひとまず、中に入ってみましょう」
フェリペに誘われるが儘にアルベルティーヌは粒化口を潜って行った。
広いエントランスを抜けると、その奥はより広いロビーになっていた。
「ほほ〜う••• こりゃまた凄い所に来たね〜」
『玉』程ではないにしろ、多数の人種を一度に見る事が出来る場所に、アルベルティーヌは興奮している様だった。
フェリペはロビーの中心に総合案内の様な所があるのを視認すると、一直線にそこへ向かい、胸ポケットから翡翠を取り出して、受付係に質問した。
「すみません。私はこんな物を拾ったんですが、これの本来の所有者は解りますでしょうか?」
受付係は翡翠を受け取ると、
「これはメチョッテの国章ですね〜。しかし、随分と古い物だ。骨董品か何かですかね?」
と言いながら、特殊なキースで翡翠を照射し、出元を特定し始めた。
「結果が出ましたよ。これは21番地区にある総合研究機関の、メチョッテ波動学研究所が製造した物の様です」
「そうですか〜。どうもありがとう!」
フェリペは強く謝意を示してそこを去ると、アルベルティーヌと供に最寄りのラビから現場まで移動するのだった。
21番地区は各々が違う形状をして裾へ連なっている、華段丘のダムの群れの一角を担っていた。およそ20mはあろうかと思われる遮水壁の石灰柱側の粒化窓の外には、満々と水を湛える小さな湖が出来ており、逆方向の麓側には、流れ落ちる滝の下に新たな湖が作られ、その下にも、更にそのまた下にも同じ様に湖が延々と続いていた。
「どうやらわたしゃ〜、とんでもない所に来ちまった様だね〜。
イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」
フェリペはアルベルティーヌに心底共感できた。
メチョッテ波動学研究所の前に着くと、フェリペは複雑な思いだった。それは、一時的とは言え、失われた記憶と共に見失われた目的を、これでようやく達成できるという期待感と、果たしてそれを、きちんと地球に持って還る事が出来るのだろうかという不安感に他ならなかった。
フェリペは不安が的中するのが怖かった。
「何を躊躇ってるんだい! あんたの道はこの先にしかないんだろ?」
アルベルティーヌに背中を押され、フェリペは踏ん切りがついた。
二人が中に入ると、いきなり八角柱の棒が床から現れた。
「こんにちは。ようこそ当研究所へ。本日はどの様なご用件でしょうか?」
「これの事が解る人と話がしたいんだけど」
フェリペが翡翠を翳すと、棒は待合室で待つ様に指示し、また床の中に潜っていった。
暫くして、一人の男がやって来た。
「こんにちは。私の名前はメアルです。ここの波動進化学部長を務めています」
「フェリペです。こちらはアルベルティーヌ」
フェリペは左手をアルベルティーヌの方へ流した。
「貴賓室へご案内しますので、どうぞこちらへ」
そう言われて二人は、メアルの後について行った。
客室では、半透明の緑色をしたメロンシロップの様な液体が振る舞われた。フェリペが飲んでみるとそれは、甘みも、辛みも、渋みも、苦みもない、何とも言い難い味だったが、それでいて真水みたいに無味ではなく、強いて言うなら、薄い烏龍茶の様な味だった。
(昔、旅行で行った中国で飲んだお茶に近いな〜。名前は何だったか•••?)
とにかく、フェリペには何の問題もない飲料だった。
「旨いね〜。飲み易いし••• あたしゃ気に入ったよ〜、これ」
アルベルティーヌも満更ではない様子だった。
「お気に召されたのなら光栄です」
二人の反応にメアルも満足していた。
フェリペは胸ポケットから翡翠を取り出し、率直に自らの意図を述べた。
「本日、私達がここに来たのは、他でもないこの翡翠と、かつてのメチョッテ人の関係を知る為であり、それによって起きた悲劇の責任を、追及する為であります」
あまりの唐突さに、メアルも当惑していた。
「悲劇••• と申されるのは?」
要領を得られない表情を見せるメアルに、フェリペは己の身の上を縷々綿々と話した。翡翠の発見から連盟に拠る被保護、そして、現在に至る迄の詳細は、長々としてなかなか尽きる事がなく、アルベルティーヌの飲料が三杯目を了え様とする頃になって、初めて終わりを迎えるのだった。
「お話はお伺いしました。確かに、今貴方がこのコロコンタにいらっしゃる事の責任は私共メチョッテ人にあります。ですが、連盟の方がおっしゃった通り、私共としても、おいそれと法を犯す訳にはいかない」
「では、司法機関に訴え出る事になります」
「そうなされたところで、貴方の目的は果たされませんよ。法の遵守を謳う法廷が違法行為を容認する筈はありませんから。裁判所を通す事で貴方が手にできる物は、せいぜいこの星で一生、贅沢に暮らしていけるだけの賠償優遇位でしょう。もし、貴方がそれでもいいのなら、私共はすぐにでも、納得して頂けるだけの和解優遇証をご用意致しますよ」
それは、フェリペの願望からは程遠いものと言えた。
意気消沈するフェリペにメアルは小声で耳打ちした。
「ですが、ここだけの話、貴方の希求する事は絶対に叶えてあげられない、と言う訳でもないんです•••」
フェリペの眼の色は一瞬で変わった。
「しかしそれには一つ、条件があります。それは、私が指定する者達と共に、私が指定する物を手に入れ、ここに持ち帰って頂く事です」
(それだけの事なら、願ってもない好条件だ! しかし、仮にも違法行為を隠密裏に遂行する事の代償が、そんなに簡単な筈はあるまい•••)
フェリペは訝りながら訊ねた。
「それは、難しいものなのですか?」
「そうですね。一筋縄にはいかない事もあると思います」
「命の保証は?」
「正直なところ、安全は確約できません」
「•••」
そう言われると、流石にフェリペも考えた。
あまりに厳しい申し出に、アルベルティーヌに目をやると、アルベルティーヌはきっぱりと答えた。
「大丈夫さ! 心配要らないよ〜。あたしがついてるんだからね〜。
イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」
フェリペは多少の危険を冒さぬ限り、念願成就は叶わない事を悟って、覚悟を決めた。
「一ついいですか? 私がそれを全うする為には彼女の存在が不可欠です。それを容認して頂き、且つ、彼女の地球帰還も共に約束して下さるならば、このお話を承諾します」
「勿論、こちらとしては初めからそのつもりです」
ここに取引は成立した。
紆余曲折を経て、悲願達成の緒を得たフェリペは、心の底から喜んだ。が、これより先に多大なる艱難辛苦が待ち受ける事は、当然の事ながら知る由もないのだった。
翌日、フェリペとアルベルティーヌは共に行く者達との合流地を目指していた。
「738番地区にある、ヤバモルというショップへ行って下さい。後の事はそこの人に伝えておきます。それから、必ず翡翠をお忘れなくお持ち下さい。この国ではその紋章が鍵となりますから」
メアルの言葉通りヤバモルに着くと、そこは、高等技術を備える機器の専門店だった。
「いらっしゃいませ〜」
「メアルさんに言われて、来たんですけど」
「メアル様、メアル様•••?」
接客係の反応が思わしくなかったので、フェリペは翡翠を取り出した。
「! そうですか。あなた方が地球という惑星からみえたという方々ですね。お話は伺っております。ささっ、どうぞこちらへ」
二人は別室へ連れて行かれ、そこからは商品の説明が始まった。
「ご注文の品はこちらになります。携行ラビを一機、定圧機を一機、真空箱を二個、保態箱を二個、デラペッタを四機、以上です。次に、取り扱いのご説明をさせて頂きます•••」
店員は全ての道具の用途と使用法を教えると、最後に紙の様に薄っぺらな光晶石を取り出した。
「これをお渡しする様に言付かっております」
フェリペが受け取ると、そこには次の指令が記されていた。
『横に暮らす民族にこれを届けよ』
(横に暮らす•••?)
それは難解な内容だった。
最初フェリペは、単に横穴に住んでいる人々の事を想像し、該当する地区をキースで調べてみた。しかし、出てくる答えはいずれも国外の事で、メアルの発言の範疇に属するものとは到底思えなかった。
(う〜ん。どうもこう言う事じゃないらしい••• あっ!)
フェリペはふと、寝転がりながら生活する人々がいるのかも知れないと思い、今度はその可能性を調べてみた。しかし、結果はやはり散々なものだった。
「これも駄目か。横に暮らす、横に暮らす••• 何の事だかさっぱり解らん!」
フェリペはイライラして頭を掻き毟った。
「何をそんなに熱くなってんだい、坊や? そんなんじゃ、上から落ちてきた水が全部天に帰っちまうよ〜。
イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」
「笑い事ではありませんよ、アルベルティーヌ。我々は今日中に合流できなきゃ、一度きりの機会をふいにしてしまう事になるんです!」
「んな事ぁ〜、あたしにだって解ってる••• 何が解らないのか、あたしに言ってごらん」
フェリペは苦悩の胸中をアルベルティーヌに打ち明けた。するとアルベルティーヌは、あっさりとそれに答えた。
「そりゃ〜、そのものズバリなんじゃないのかい?」
「どう言う事です?」
戸惑うフェリペにアルベルティーヌは、
「よく見てな」
と言って、
「メレゲッチョン、ポーン、ポンッ!」
などと奇声を上げ、横にあった壁を少し歩いて見せるのだった。
「はあ!?」
フェリペはまた、愕然とさせられた。が、その垂直歩行術にヒントを得ると、メチョッテ国内で物理的にそうできる場所を大急ぎで探し始めた。
「あった!」
そこは、引力物質ガーネルゲンが重力異常を引き起こすという、何とも奇怪な領域の様だった。
「行き先が判明しましたよ!」
「よしっ! じゃあ、行こうかね〜」
フェリペが名前を告げると、早速携行ラビの活躍する時がくるのだった。
比較的大きな鍾乳石の内部に位置する村では人も物も全てが横向きになっており、当然二人の足も壁に着いていた。
「こんな所も存在するんですね〜!」
フェリペは驚きと感心の中にいた。
試しに拾った小石を落とすと、やはりそれは、今や床となっている横壁に落ち着くのだった。
「遊んでばかりいないで、さっさとすべき事をしたらどうだい、坊や」
アルベルティーヌに催促されて、ようやく我に返ったフェリペは、村の長の所へ向かう事にした。
フェリペから輝く文字が書かれた、紙の如き石を手渡された村長は、
「確かに受け取りました。それではこれを持って行って下さい」
と、お返しに何やら蓋のしてある筒をフェリペに持たせた。
「何ですか、これは?」
「それは引性素粒子ガネルトンです。粒子機使用時に併用し、対象物を粒化して、再具現化すると、粒子間の任意の隙間に織り込まれ、強い引力を発生させます。勿論、逆行程を辿れば、分離、回収も出来ます」
「それは凄いですね! で、どれ位の力を発揮できるんです?」
「そうですね〜。例えば靴に使えば、逆さを向いた状態で天井を歩く事も出来ますよ」
「! そんな状態でも歩行可能なんですね〜」
「次はピピ公園に行って下さい。詳細はここに•••」
そう言うと村長は、フェリペに地図を差し出すのだった。
ユビル・ピピ星立公園に着き、二人は地図に記された場所に到達したが、そこには剥き出しになった広大な大理石の鉱床があるだけで、人が集えそうな物は何一つなかった。
「えっ!? そんな訳ない! この地図に載ってる場所は間違いなくこの地点の筈!」
フェリペは園内での粒化施設の有無を管理局に問い合わせてみたが、天然記念物に指定される公園にそんな物を作る許可が下りる訳がないと突き返され、地図を疑いたくなるのだった。
「試されてるね〜。明らかに•••」
アルベルティーヌはポツリと言った。
「しかし、昨日の時点で取引成立した筈」
「いや、多分違うね。これ位の事は自力で解決できなきゃ、交渉の余地もないって事だろう」
フェリペはアルベルティーヌの予想を受け入れたくはなかったが、方々を転々と盥回しにされている事からも、その見解が正しい事は歴然としていた。
地図には三つの丸印が記されていた。合流地点と書かれた箇所には赤の◎印が、公園の入口地点には青の○印が、そしてどう言う訳か、園外の全く関係ない箇所にも紫の●印が、それぞれ等間隔に配置されていた。
公園に着くなり、まっしぐらに目的地へ向かったフェリペは、無関係の地点を無視していた。
「どうやら、一度ここへ行かないといけない様ですね•••」
フェリペは紫の●印を指差して、呟いた。
経由地に到着した二人の前には、大きな石筍があった。
今回は確実に粒化口がある筈だ、と踏んだフェリペは、石筍をグルリと一周してみた。が、特に何も起こらなかったので、今度はメアルの発言に則って、翡翠を掲げた状態で同じ事をした。しかし、それでも結果は同じだった。
「はあ〜っ、またか〜•••」
フェリペは大きく溜め息を吐いて落胆し、頭を抱え込んだ。この状況を打破する為には何をどうしたら良いのかが、全く解らなかった。
そんな時、突然アルベルティーヌが口を開いた。
「あれを見な! 坊や」
杖の先を見上げると、15m程上に光晶石が浮かんでいた。
「あっ!」
余りの嬉しさにフェリペは飛び跳ねた。
「よくあんなのを見つけましたね?」
「あたしゃね、眼が良いんだよ••• 殊更光には敏感なのさ〜。
イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」
ガネルトンを混ぜ合わせた引化靴で石筍を昇り歩き、二人は光晶石のある所まで来た。すると、突如フッと開いた穴にもの凄い勢いで吸い寄せられ、一気に数十m下にある空間まで突き落とされた。
「ぶつかる〜っ!」
「やばいよ〜っ!」
二人はほぼ同時に悲痛な声で叫んだ。が、衝撃が二人の許を訪れる事はなかった。それは、最下層部に斥力物質ルビリンゲンが敷き詰められていたからだったが、その時はまだ、フェリペはそれが何なのか解らなかった。
フェリペは一度そこで靴の引化を解いた。引力が強い為、より筋力が要るからだ。
「ふうっ、だいぶ楽になったね。あたしの足が戻ってきたよ〜」
アルベルティーヌは喜んでいた。
階段を下りた先には扉が設けられていた。
「こっ、これは!」
扉にある拳大の穴にピンときたフェリペは、翡翠を取り出し、そこに嵌め込んだ。すると翡翠は、かつての夢の時の様に点滅し始め、その光は扉全体に行き渡った。
ゴゴゴォ〜〜〜! やがて扉は独り手に開いた。止まったところでフェリペが翡翠を引き抜くと、扉の光は消えるのだった。
そこから続く道は八本に分岐していた。
「妙だね〜。どうも何個かは嫌な感じがする••• どれ、あたしが先に行って視てきてやるから、ちょいとここで待ってな」
既に何かを感じ取っていたアルベルティーヌはそう言い残すと、何を思ったのか突然体を横たえ、すぐさまその場で眠ってしまうのだった。
(!? 今見に行くって言ったばかりなのに、一体どうして?)
あまりにも唐突で予想外の展開に、フェリペは只々呆然と立ち尽くしていた。
三分後、アルベルティーヌは上半身を起こした。
「待たせたね、坊や」
「えっ? 寝るのも速かったですけど、起きるのもまた速いんですね」
「そうさね•••」
アルベルティーヌは自身の横に置いていた杖を手に取り、起立した。
「んな事より、駄目だったよ」
「何がです?」
「あたしの力じゃ先に進めなかった••• あたしもこんなのは初めてだが、どの道を行っても途中から真っ白になって、その奥へ行く事が出来なくなるんだ。ここは何か特別な、言うなれば、まるで強力な封印の魔法でも掛けられてるみたいさね•••」
そう聞かされたところで、フェリペは何が何だかさっぱり解らなかったが、一つだけはっきりしている事は、八分の一の賭けでは幾ら何でも殆ど正しい道を選べないという純然たる事実だった。
(12・5%の確率じゃあ、余程運が良くない限り、辿り着く事なんて出来ない筈•••)
そう思うとフェリペは、絶対に解決策はあると直感した。
八つの小路の違いは照明の色にあった。中でも注目すべきは両端の二つで、双方とも真っ暗だった。
「そうか!」
突然閃いたフェリペは、地図を開いた儘、最も左にある通路の中に一歩踏み込んだ。すると、平面な地図の紫の●印の下から、奇妙な立体図が垂れ下がって現れた。
「思った通りです!」
「へぇ〜、よく出来てるね〜。なんで解ったんだい?」
「答えは虹ですよ、虹!」
光の配列から察するに、そこは紫外線の位置に相当しており、ブラックライトを受けた蛍光色が強い反応を示す様に、不可視光線を諸に浴びせられた地図は、指定された場所までの道順を隠し通す事が出来なかったのだ。
「道は拓けました。さあ、行きましょう」
そこからはもう然したる問題もなく、二人は滞りなく目的地に至るのだった。
コンッ、コンッ! 浮かぶ光晶石の下の壁をノックすると、壁の中から男の顔が浮かび上がった。
「誰だ、お前等?」
男は厳めしい表情をして、厳しい視線を送っている。
フェリペは黙って翡翠を見せた。
「ほうっ! 飛ばし石か••• お前、フェリペだな?」
「ああ」
「入れ」
壁が粒化され、中に入ると、そこには様々な人種の者達が数百人いた。
「適当に座って、待ってろ」
男の顔の下には、今度はちゃんと体がついていた。
擦り鉢型の空間の底は広間になっていた。そこから等間隔に仕切られた通りが八つ伸び、それと交差する輪状の通りが三つあって、それらによって区切られた場所に、一段ずつ差をつけられたテーブル席が隈無く配されていた。外周には広い通路を隔てて、多数の店とカウンター席、そして、その上の二階にあたる所に大輪を描く通路と大多数の粒化口があった。
「大きな吹き抜けですね。天井も高いや〜」
テーブル席に腰掛けて、フェリペは言った。
「何なんだい、ここは?」
「さあ? ディナーショー会場かコンサートホールみたいな物ですかね? 何かの集会場だとは思いますが•••」
フェリペは粒子機で飲み物を二つ用意し、暫く休憩する事にした。
待つ間フェリペは、変化に注意し、適度に周囲に目を配っていた。一方、アルベルティーヌは早くも眠りの中にいた。
時間はゆっくりと流れていった。
一時間程が過ぎた。
いつまで経っても何も起こらない空間に、フェリペがうんざりし始めた頃、不意にアルベルティーヌが目を覚ました。
「! 何か来るよ!」
老婆が険しい目付きをした瞬間、
「おいっ!」
と、二階から浴びせられる様に大きな声が降り下りてきた。二人が見上げるとそこには、大航海時代さながらの海軍服を着た、大柄の金髪碧眼の男が立っていた。
「ええ〜っ!?」
「誰だい、あいつは!?」
二人は驚きを隠せなかった。
駆け足でやって来た大男の腰の右にはレイピアが提げられ、左下腹にはホイールロック式の短銃が添えられていた。
「マシューだ。マシュー・ワトソン」
マシューは右手を出すと、強くフェリペの手を握り締めた。
「フェリペです。フェリペ・エンリケ・ガルメンディア。こちらはアルベルティーヌ」
「お前はスペイン人か〜。じゃあ敵だな」
「!?」
「いや、元敵だ。ここなら旧敵でも大歓迎だぜ! なんせここの奴等と来たら、どいつもこいつも怪物だらけだからな〜」
マシューは周りを見回しながら言った。
「ところで、あんたは見たとこ、魔っ•••」
マシューの服の袖をぐっと引っ張って続く言葉を遮り、フェリペは無言で首を横に振った。
「そうさっ。見ての通りあたしゃ使い手だ」
マシューがフェリペの眼を横目で見ると、フェリペもマシューの眼を横目で見ており、それで充分通じ合えた。
「そうかい。俺ぁ別に、あんたを怒らせてー訳じゃねーんだ。俺としちゃあ、仲間が増えるのはありがてーんだ。特にヨーロピアンはな••• だから、まっ、よろしく頼むぜ」
マシューが右手を出すと、アルベルティーヌもそれに応じた。
「そういや、もう一人居るんだぜ。ちょいと俺達とはちげーがな•••」
そう言うとマシューは、
「ピュ〜ゥイ!」
と、口笛を吹いて二階に手を向け、指を素早く、二度折り曲げた。
「何とっ!」
その者はマシューの隣に見慣れぬ男女の姿を捉えると、眼を大きくして一言放ち、やはり走って階下にやって来た。
「何者じゃ、この者達は?」
目の前で見るその小男の特徴的な髪型と、大小二本の刀を腰の左に据える出立ちは、昔フェリペが本で目にした浮世絵のそれに間違いなかった。
「サムライだ〜!」
「また、おかしなのが出てきたね〜。
イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」
「紹介しよう。遥か東の彼方にあるという黄金の国の戦士、ゴロ〜ザだ」
フェリペは何があってもいい様にと、警戒こそしていたものの、予想を遥かに上回る出来事に、心の準備も頭の整理も追いつかないのだった。
「それでは皆さん、一度仕切り直しをしましょう。私は、スペインはトレド出身の•••」
フェリペは新たに席に加わった二人にも飲み物を出して、改めて自己紹介をし、三人にもそれを求めた。
「ご存知、俺の名はマシュー・ワトソンだ。生まれはイングランドの南岸部の港町サウサンプトンで、国じゃ海軍大尉だった」
「何とっ! お主もそうであったか〜」
侍はそこで過剰に反応した。
「おお、済まぬ。続けられよ」
「俺ぁ密命を帯びて、西インド諸島のある島へ向かってたが、途中バミューダ諸島南西の沖合で大時化に遭い、船が稲妻に見舞われたんだ! だが奇妙な事に、打たれた瞬間フェリペと同じく、他に何もない、只真っ白な世界に居た•••」
「あなたも!」
「! •••やはり、そうじゃったか〜」
「•••」
「不思議な事に、船にゃ長く苦楽を共にしたクルー達の姿がどこにもなかった。それなのに、独りで勝手に進んでいきやがるんだ。だからよ、正直俺ぁあん時、自分は死んだもんだと思ったんだ。だが、船の動きが止まると、見た事も聞いた事もねー様な怪物が出て来て、こう言うんだ。
『あなたの船は落雷により沈没するところでした。しかし、我々が雷を消滅させた事により、運良くそれは回避されしました』
『!? •••どうやったか知らねーが、すまなかったな。ありがとよ!』
『いいえ、礼は要りませんよ。何故なら、あなたの船と全ての船員の命は、既に私達のものですから』
『何っ!? 貴様〜っ! 俺のクルー達を奴隷にする気か!』
そん時俺ぁ、瞬時に激昂した。だがそいつぁ、そんな下らねーものは要らねーって言ったんだ。で、俺の波が欲しいって•••」
「波?」
フェリペはその意味深長な言葉に聞き返した。
「ああ。俺の心と体と頭の波だってよ。特に頭の中の波って言ってたが、俺が、
『いくら俺が海の男だからつっても、そんな物までは持ってねーぞ』
って、笑って言い返しても、不気味に笑い返してやがるだけだった」
「其れじゃ、其れっ、其れっ! 其れは某も言われたわい!」
侍には何か思い当たる節がある様だった。
フェリペは、それ等は鼓動、脈拍、脳波の事を指しているのだろうと予想した。
「よくよくそいつの話を聞く分にゃ、俺自身は還れなくなるが、俺のその波と、船とクルー達の命を交換したいって事だったから、俺ぁ即決したんだ••• 元々死んだ命。俺一人がここに来る事であいつ等全員が無事なら、こんな良い商談はねーからな〜」
「成程のう。何処の誰であれ、長たる者はそうでなくてはのう•••」
侍は腕を組み、顎鬚をしごいて頷いた。
「その後俺ぁ、そいつの空飛ぶ船で俺の船とクルーが無人島に着くのを見て、ここに連れてこられたんだ」
マシューは淡々と語り、締め括った。
「あなたの居た所は後世で『魔の三角海域』と呼ばれ、怖れられる事になる、バミューダトライアングルに間違いなさそうですね」
「何だ、そりゃ?」
「多くの船舶や航空機、•••つまり、空飛ぶ船が行方不明になった、謎多き海ですよ。私の居た時代ですら、その真相が解明されていない事例が多いんです」
昨日フェリペは、マヤ文明に於ける宇宙人飛来説を確かなものにしたばかりだったが、今日も、バミューダトライアングルに於ける宇宙人拉致説を決定的なものにした。
「然れどもお主、先刻、密命などと云いおったが、忍が真似事もするのか?」
「諜報活動だぁ? まーな••• こいつの国が拠点とする港を調べ上げ、そこで行われている事や、どんな商船が停泊し、何が積荷とされてるのか等を本国に報告して、後からそれらを貰い受けるのよ••• あっ、先の場合の方が多かったかな?」
「まあ、平たく言えば、海賊行為ですよ」
「で、あるか••• 全く、何から何まで儂と似た奴じゃて•••」
大尉の話が終わると、武士の話が始まった。
「拙者、名を舟木五郎左衛門元宗と申す。元宗は諱故、五郎左と呼ばれたし。南に広く海を臨む、紀州牟婁郡が串本浦に生まれ、海賊も業の内とす、熊野水軍が侍にて御座候。
ある日、某が火急な用向きの密書を認めたれば、裏手より早馬を飛ばして駆け来る伝者在りて、
『如何致した?』
と、詰めたれば、その者、
『浜に村上が手の者あり! 只今、十兵衛様一派が迎撃して御座りますが、何分多勢に無勢にて、早急に加勢に参られたし!』
と、申した」
「つまり••• ビーチが敵に攻め込まれ、味方に援軍要請されたのか?」
「左様」
「船着場を守るのは船乗り達の常だ。どの国でも一緒だな。それで、行ったのか?」
「当然じゃ! しかして、間に合わなんだ••• 某の馳せし頃には時既に遅し! 敵方丘まで攻め入れば、味方勢が守りを破りて、これを殲滅し、我が方が船に火をかけ、遠く沖に出ておった。某は幼少より常に共にあった戦友、十兵衛の亡骸を抱き寄せ泣いた。否、泣き崩れた••• 某は己を憎んだ。至急と言われども、自らの用も緊切であった故、我が事に感けて、他事に怠けたのじゃ•••」
元宗は両眼を潤わせて語り続けた。
「悔やめども悔やみきれず、亡き友を悼み弔う為、某はあの日より毎日、丘に手を合わせに行っておった。それより幾日かが過ぎし、雨がしとしとと降る晩じゃった。某がいつもの如く参ずれば、幾十もの明るう青白き靄が、丘の上に悠々と浮かび漂うておったのじゃ」
「そいつぁ、火の玉だね〜」
「如何にも••• 某もすぐに解うた。それは、紛う事無き鬼火じゃと」
「それを見たって奴を初めて見たぜ」
「日の本では、火の玉は人魂と云われ、最期を遂げし者が浮世を離れんとす、その最後に、もう一度だけ、形と成りて現れ出づる、別れの時なのじゃ••• 某は涙を流し、友を見送った。無数の鬼火はゆらゆらと揺らぎて、ゆるりと天空へ昇り逝き、その様はもう想い残すところ無し、とでも申すが如きに見えた。いよいよ天に召されんとす人魂達は、西より出ずる黒き珠の中に入りたのじゃ」
「何だその、黒い珠ってのぁ?」
マシューは詰め寄った。フェリペはアルベルティーヌを見たが、その顔は答えを知っている様には見えなかった。
「あれはおそらく、魂緒の星の顕れ。明国にては鬼宿とされ、積みし屍から発つ気、即ち、積尸気と呼ばるるそこを通りて、死人は遂に身罷るのじゃ」
フェリペが中国星座の鬼宿について調べてみると、案の定それは、蟹座の散開星団プレセペ(M44)と一致していた。
「それで••• それからどうなったんだい?」
アルベルティーヌは続きを促した。
「よくぞ、聞き給うた! 某、些か積尸気を眺め過ぎ、ぐいぐいとそれに引き寄せられし事之候! 初めは傘だけじゃったが、体が飛びたと思えば、もはや地を掴む事適わず、あっという間に黒珠に吸い込まれおったのじゃ。それよりはお主等同様、何とも白き処に在りて、物の怪が出来しおった。物の怪の申すに、某が死のなきはよう解うたが、
『貴殿が涙の素を断ち切ろうぞ』
などと申すにつき、某、
『この期に及びて、過ぎ去りし日に戻れようや? 如何にせんとも、古今、これを成したる者は無し!』
と、論を反じたのじゃ。然れば、
『否! 我にはいと容易けり』
と申しおった•••
『それは真か?』
『嘘は云わぬ。が、貴殿は二度と、この地を踏む事許されぬ。それでも可いか?』
『是非に及ばず! 暦を返しくれようなら、拙者、何事でもしようぞ!』
『なれば貴殿の心、体、頭が波、見せて頂くぞ、可いな?』
『? •••ええいっ、何でも可い故、良きに計らえい!』
かくして某、今此処に至れり•••」
そこで元宗は一度言葉を切ると、一首詠んだ。
「 黄泉予見て
蘇らざる
我が戦友の
徒死を阻止せん
歳を賭しとも
(この星の科学技術力を読んで、決して生き返る事のない戦友の無駄死にを、絶対に阻止してみせる、たとえどれ程時間が掛かろうとも!)」
そこには、元宗の強い意志が見て取れた。
「何だ、そりゃ?」
「どうやら、韻詩みたいだね〜」
「和歌と言う、日本独特の詠ですよ」
「ほうっ! 存じおるか?」
「一応、世界中の歴史を勉強しましたんで」
「天晴れ! 流石は後の時代の学者よのう」
元宗は自国の文化を知る者に、微かながら敬意を覚えるのだった。
海の男達の弁が済むと、最後はアルベルティーヌの番だった。
「あたしゃアルベルティーヌってモンだが、どう呼ぼうかはあんた等の自由だ。だがね、絶対に、魔女とだけは呼ぶんじゃないよ! いいかい、解ったね!」
アルベルティーヌは強く主張した。
「堺では、しばしば舶来人を目にしたが、左様な者の話は耳にせなんだ••• それは一体、何者か?」
「奇術を使う魔導士だ。ヨーロッパじゃ、その嫌疑を掛けられると迫害を受ける••• だが、殆どの場合火刑に処されるのは極普通の貧乏な小市民で、たまに財産没収を目当てに槍玉に上げれられる金持ちが居たとしても、本物の魔術師なんて居ねー筈だったんだが•••」
「火炙りとな•••」
元宗は眉を顰めた。
「あたしゃ、あんた等と違って自分でここに来た。と言っても、別に来たかった訳じゃないがね」
「何とっ、自ら!? しかして、左様な事が出来ようか?」
「さーな。それが魔法の力なんだろ」
「ありゃ珍しく雪の降る日だったよ••• あたしゃルーアン郊外のセーヌ川の畔で権力者の狗共に逐われていた。猛追を躱そうと橋を渡ったら、反対側にも奴等がいて、逃げ場を失った。だから禁じ手を使って、ここまで飛んだ。只それだけの事さね•••」
アルベルティーヌの話は簡単だった。
場の沈黙を破って、フェリペは切り返す様に言った。
「私から男性陣に一つ質問があります。私は2017年に33才だった人間ですが、あなた達はいつの時代に、幾つだった人なんですか?」
「俺ぁ1573年に44だ」
「某は元亀4年(1573年)に44じゃ」
「!」
フェリペはつぶさにアルベルティーヌを見た。
(こんな事って•••?)
「あるよ! 運命は時に、不可思議な程に重なり合うモンなのさね〜。
イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」
「して、女人殿は如何に?」
「失礼な奴だね! 女に歳を訊くのかい?」
「?」
元宗はその文化を解りかね、二人の男の顔を見た。
「白人社会では女性に歳を尋ねるのは礼節を欠く事に当たるんです」
「左様であったか。我が無礼、平に御容赦」
元宗が非礼を詫びると、アルベルティーヌはあっさり答えた。
「あたしゃ66だよ。居た時代はあんた等と同じさね〜」
「おいおい、結局答えんのかよ」
四人は、暫し喫茶を堪能するのだった。
「いいえ、『ヘ』ではありません。『フェ』です」
「お主の名は難しゅう。何やら下唇を噛みおる••• と云うて、異色の毛と瞳を持つ背の高き男も、舌を上の歯に擦り付けるが如く、至極云い辛う御座る。女人が御仁もまた、『テ』と『イ』を一緒くたにしおってから、巧く云えぬ。じゃがまあ、この方は禁句を云わねば可い故、婆殿と呼ぶ分には良かろうて••• どうであろうか、婆殿や?」
「それで良いさね。ムッシュサムライ。
イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」
「これ、若輩者や。お主の下の名は何じゃったかのう?」
「エンリケ・ガルメンディアです」
「では、エンリケでどうじゃ? 一番下は婆殿と同じく、長く難しに過ぎる故」
「ええ、良いですよ。と言うか、それしかないでしょう? セニョール五郎左」
「して、次はお主か、船長や•••」
「ワトソンって呼べ! お前のマシューは聞き苦しいからな。ミスターゴロ〜ザ」
元宗が慣れない横文字の発音に苦戦していると、いつの間にかメアルが、下りになっている底の広場からこちらに向かって来ていた。
「皆さん、既にお揃いの様ですね。昨日のお二方にはお察しの通り、彼等こそが私の言う者達です。あなた達はこれからは一つのチームです。仲良くして下さい」
「彼等の話を聞きました。彼等は共通の目的を果たしても、地球へ還れないんですね?」
「そうです。残念ながら、それは彼等との交換条件には入っていませんので」
「では、私のデータも提供しますので、それを認めてあげて下さい!」
フェリペは二人の将来に心を傷め、思いきった提案をした。
「お前!」
「お主!」
海の男達は大層驚いた顔をして、フェリペを見た。
「•••解りました。良いでしょう。帰還を認めますよ。但し、認めるのは一人迄です」
「!」
こんな底意地の悪い許可は他にはなかった。どんな形で対象者を決めても、無惨にも残留に選ばれた方は、後味が悪いのは言う迄もないし、それを理由として、今更提案を撤回し様にも、両者にショックを与えるのは目に見えていた。
(どうしよう。こんな最悪の状態で一緒に旅に出ても、上手く協力し合える訳はない。むしろ禍根を残す様なものだ•••)
そう思うとフェリペの体は、一瞬にして玉の様な汗を吹き出し、脳は残っていた談笑の声を一気に吹き飛ばした。
「イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」
突然のアルベルティーヌの不敵な笑いは、張り詰めていた空間を叩き毀し、止まっていた時間を呼び戻した。
「あたしのをやるよ〜。それなら文句は無いんだろ?」
その発言にメアルは、眼を細めて暫く考えていたが、やがて徐に口を開いた。
「良いでしょう。それなら二人とも、帰還を承認します」
アルベルティーヌの言葉は皆の未来を決定づけた。
メアルは小さい雷の様な歪んだ光の線が触れた箇所に集中する、プラズマボールに酷似した物をテーブルの上に置いた。
「皆さん。指を一本、拝借願います」
フェリペが指示に従うと、怪訝そうな顔をする三人もそれに倣った。
「これで、あなた達の波動は登録されました。後はあなた達がどこで何をしようとも、この球があなた達の生命反応を受信します」
それは、拍子抜けする程あっさりしていた。
てっきり人体実験みたいな事をされるのだろうと思い込んでいたフェリペは、内心ホッとしていた。
(何だ。今迄の分のデータを摘出するのかと思いきや、これからのが要るのか•••)
痛くないのなら、それで充分だった。
その後メアルは、フェリペのキースに少々の細工を加えて、それをリストと共に手渡し、早々に引き上げて行った。
マシューと元宗は、早速謝辞を述べた。
「先ずは礼を言わせてくれ。二人の行動には深く感謝している。本当にどうもありがとう!」
「うむ、拙者とて同じ想いじゃ。斯くの如き次第に相成り申し候につき、誠に感激致し候。有難き幸せに御座ります!」
二人は目を瞑り深く頭を下げた。
「私はまた、貴女に救われました」
「気の優しいお前が漢を見せたんだ。それで応えなきゃ、あたしゃ女でいられないさね。
イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」
その笑顔にはフェリペもまた、深く感謝するところがあった。
それぞれの事情により、図らずも系外衛星で出会う事となった四人の地球人達は、目録に書かれている物を求める旅に出る為、擦り鉢状のホールを後にした。
「して、覚書きには何とある?」
元宗の質問にフェリペは答えた。
「どうやら、我々が手に入れなければならないのは五品目の様です。その内の一つは他の四つの入れ物になります」
「じゃあ先ず、その箱を得るべきだね〜」
「それなんですが、その箱、我々では開閉できないみたいです。ですから、最後に加工してもらう場所にも立ち寄らないといけない」
「なら別に、箱は最初じゃなくても良い訳だ。で、どれが一番手っ取りばえー?」
「そうですね〜。距離で言うなら通称『平』の、野の国グルンキッテですかね」
「じゃ、ぐずぐずしてねーで、さっさとそこへ行こうぜ!」
「賛成じゃ」
「イェ〜ッ、ヘェッ、ヘェッ•••」
「そうしましょう」
こうして四人は、隣国へと向かうのだった。