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悪役令嬢と呼ばれた私~素敵な王子に剣を突きつけられまして~

 ――なぜ、婚約者に剣を突きつけられているのだろう。


 美しく研がれた剣先を見て、私は考える。

 

 周囲を王国騎士団に囲まれ、先ほどまで談笑していたメイドたちは拘束されていた。

 広いと思っていた、私の部屋も屈強な騎士が十数人入れば狭く感じる。

 外は春の嵐。こんなに大勢いるにもかかわらず聞こえるのは、大きな雨音と強い風を受けて窓枠がたてるきしむ音だけだった。

 

 騎士たちの先頭に立ち、私の首に剣を突きつけるのは、ジストーニュ王国王太子、ツキト・ジストーニュ殿下。


「フロール侯爵が国王の暗殺を企てていることはわかっている。その計画にアリサ・フレール、お前が深くかかわっていることもな」


 殿下が私を睨みつけながらそう言った。嫌悪をむき出しにしたような顔は、婚約者に向ける顔ではない。現実逃避のようにそう思いながらも、少し喜んでいる自分がいた。

 

 ――そんな顔ができるようになったのね。

 

 出会った当初の、内気で頼りない少年を思い出す。

 自分に自信がなく、何か言われればそれにすぐ従ってしまうし、基礎学問の講義ですら呆けた様子で聞いているだけだった。

 

 しかし、私と婚約をしてから、彼は指南役のお父様をはじめ、お父様と交流のあるほかの貴族に教えを乞うようになった。たくさんの努力をしていたのを私は知っている。

 その結果、天才と呼び声高い第一王子を退け、王太子になった。

 お父様が大変喜んでいたのが記憶に新しい。

 私も君主になるにふさわしい者と認められた殿下が、誇らしかった。


「お前は悪魔のような女だ」


 殿下の声で現実に引き戻される。何の話か分からないのは変わらない。

 侮蔑の表情を向ける殿下に何かの間違いだ、信じてくれと縋りたかった。

 

「騙されていた。こんな女と婚約させられていたとはな」


 私は自分が何をしたのかもわからないままに断罪され、殺されるのか。

 焦る頭で必死に考えるが、この状況を引き起こした原因は見つからない。

 

 私は国を思って行動するお父様を尊敬している。しかし、お父様は少し思い切りがよすぎる面もあった。

 危ない橋を渡っているのをとがめたことも一度や二度ではない。

 お父様が本当に暗殺を企てたのか、真実はわからない。仮に誰かの謀略だとしても、証拠がない。

 今まさに殺されようとしているこの状況を打開することはできないだろう。

 お父様の失態でも、誰かの謀略でも、私からしてみれば大して差はない。

 完全にしてやられた。

 きっとお父様、お母様、弟のギルバートとも、もう会うことは叶わない。

 私の人生はここで終わりだ。


 優秀な人材が多い我が国だ。お父様の代わりはいくらでもいる。

 それに、殿下の周りには素晴らしい人々が大勢いることを私は知っている。


 私はいなくなってもいい。そう判断されてしまったのだ、それも致し方ないことであろう。

 それが国のためになるのであれば、しょうがない。


「言い残すことはあるか」

 

 殿下の言葉に首を横に振る。

 殿下が素晴らしい国王になるところを見届けられないのは残念だ。

 けれど最期に、彼の強い意志が込められた瞳を見ることができたのはうれしかった。


 殿下の剣が私の喉元を切り裂いた。

 強い衝撃と鋭い痛み。それらとともに私は床に倒れこむ。

 すぐに痛みはなくなった。

 何かが流れて落ちていく感覚と同時に、視界が色を失い、そして薄れていく。

 何も見えなくなると、音だけがやけに大きく聞こえた。


 数人の足音、そしてまばらで大きな拍手が響く。


「素晴らしいです。殿下」

「悪の侯爵に続き、悪の令嬢を打ち取られましたね」

 

 これはお父様と親しくしていた貴族たちの声だ。


「あぁ、お前たちの報告のおかげだ。後始末は任せるぞ」

 

 彼らがお父様の企てを止めたのか。それとも私たちを嵌めたのか。

 殿下と貴族たちが何回か言葉を交わしたあと、いくつもの足音が去っていく。扉の勢いよく開く音がした。殿下と騎士たちが部屋を出ていったようだ。

 残った貴族たちは殿下の足音が完全に聞こえなくなると、気の抜けた笑い声とともに話を始める。

 

「……こんなにうまくいくとは」

「フロールも、まさか自分が作った傀儡を使って殺されるとは思ってなかっただろうな」


 傀儡とはなんだ。

 お父様は何を作っていたのだろう。


「フロールは傀儡づくりがうまかったな。あんな無能を王太子にまでしちまうんだから」

「子供だって立派な傀儡だったもんな。扱いにくいったらありゃしなかったさ」

「まぁ、この国はもう俺たちのものだよ。なんたって次期王は、俺たちの“お人形様”だ」


 下品な笑い声が響いた。

 一通り笑い終えると、殿下が王になった後、どうやって甘い汁を吸うかの話が続けられる。

 何度か私の体が蹴られているのも感じるが、次第にその感覚も薄れ、音も遠ざかるように聞こえなくなっていく。


 殿下は成長などしていない。出会った時と同じ、内気で頼りないままだった。

 いやそれよりもひどい。

 自分の力で考えることを完全に放棄して、誰が作ったかもどこに行くかもわからないレールに乗っていただけだった。

 彼は命令を忠実にこなすだけの操り人形だ。


 お父様は国王の暗殺を企んではいない。

 けれど、これはもっとひどい。

 国を殺す企てだ。

 そして、私と殿下の婚約はその計画の一部だった。

 私も利用されていた。


 ――あぁ、私はなんて愚か者なのだろう。

 

 どうして気が付かなかったのか。

 流れる走馬灯。その中にあるたくさんの怪しい場面。気付ける場面はいくらでもあった。

 殿下が相談してきたことだってあった。


 “お父様の言うとおりにしていれば大丈夫です”そう答えたのは私だ。

 彼が私を信じて相談した、その行為を私は、踏みにじったのだ。

 殿下の悲しい、そして諦めを含んだ顔を見て見ぬふりをした。いや、何も気が付いていなかった。

 

 殿下が自分の力で生きる機会を奪ったのは私だ。

 この国を滅びに向かわせるのは、私だ。


 強い後悔の波にのまれるように私の意識は途絶えた。


 ********

 

 朝が来た。

 メイドとともに朝の支度を整える。

 最悪な夢を見た。

 18歳の春の嵐の日、婚約者に殺される夢。

 婚約者である第二王子は王太子になっていて、お父様は彼を意のままに操るつもりだった。しかし、同じ派閥の貴族に嵌められて一族皆殺しにされる。

 婚約発表を控えて少しナイーブになっているようだ。

 

 そこまで考えて、急に脳内がクリアになる。


「……え?」


 メイドが不思議そうな顔でこちらを見ている。気にしないでとだけ伝えて、私は思考の海に潜る。

 違う。おかしい。

 あんな後悔を夢でしてたまるか。

 あれは現実だ。

 そう理解すると、意識が殺された直後の私と地続きになる感覚があった。

 何が起こっているのかわからない。

 

 これが死の世界への手土産なのか、それとも神の気まぐれで起こった奇跡なのか。それはわからないけれど、私はやり直す機会を得たのかもしれない。

 

 それはいい。やってやろうではないか。そう考えたところで、私はため息をつく。


「なんでこんなタイミングかなぁ」

 

 婚約内定済み、それどころか明日には婚約が発表される。

 殿下と侯爵家の関係はもうすでに濃いものになり始めているのだ。

 ここからやれることを考えなくては。

 私は18歳で殺されて人生終了なんてもうごめんだ。


「アリサお嬢様。そろそろお時間です」


 メイドに声をかけられ、思考に区切りをつける。

 まずは、婚約発表を滞りなく終わらせないことには、未来を変えるために動くのは難しいだろう。


 翌日の婚約発表。その後の数日間はひどく慌ただしかった。祝いの品や手紙がひっきりなしに届いたし、交流のある人々への直接の挨拶も必要だった。

 一息ついたのは5日目の昼すぎ。二人でお茶を飲もうと、殿下を誘った。

 やれることがわからない今、元凶となる彼をもう一度深く知ることがカギになると思ったのだ。

 庭に用意してもらったティーセットと、無表情の殿下。以前も、これくらいの歳のころの殿下の笑顔を見ることはほとんどなかった。

 

「忙しくなると言われてはいましたが、本当に大変でしたね」

「……うん」

「あとは手紙の返事だけですし、あともうひと頑張りですわね」

「……うん」


 殿下が……うん、しか言わない。

 自己主張どころか、思ったことを何も話せない。

 今の殿下の姿を間近で見ることで、以前の殿下との会話や出来事の記憶が鮮明に思い出せるようになってきた。

 

 “君のお父上のおかげで、いつもよりは落ち着いて会話ができたんだ”以前そう言われたのは婚約発表後、しばらくしてからだった。

 殿下は聞かれたことにすぐ返事をしなくてはいけない場面が苦手だ。自分のことでも、知っていることでも、聞かれたこと自体に戸惑って黙ってしまう。尋ねると、お父様は事前に聞かれそうなことをリストにして渡したと言っていた。

 お父様は、現在の状況から起こりそうなことを予測するのがうまい。幼いころは、この先読みともいえるレベルの予測にかつて何度も助けられていた。

 もしかしたら、そのリストにはどう答えればいいかも書いてあったのかもしれない。

 うまく会話ができた、その経験はお父様が殿下の信頼を得る大きなカギになっただろう。

 この経験からお父様の指導を熱心に受けた殿下は、国民のために働くと言う強い意志を持った王太子になった、と思っていた。実際は、お父様に、あれを学べこれを覚えろと指示を受けたものを身につけ、身につけた技能をお父様の指示通りに使っていただけのようだった。


 黙ってお茶を飲む殿下を見ながら、私は今後の方針を決める。


 目標は18歳の春の嵐を生き残り、その後も平穏に生きられる環境を整えることだ。

 あの日、何が起こっていたのか、正しく知ることはできない。

 しかし、今こうなって考えると、目の前で起こっていたのに気づいていなかったことがたくさんある。

 あれは、フロール家とその周囲の貴族が権力を持ちすぎたゆえの惨事だ。

 まずは、お父様に殿下を操り人形にするのをあきらめさせ、未来の王妃の家門という野望を捨てさせる。


 そのために殿下には自分の意志で立ってもらうことにする。

 私の命を懸けているのに、殿下の心をあてにするのは他力本願にもほどがある。

 しかし、この状況で私ができることは最悪の事態になる前にこの国を抜け出せるよう準備をしておくことくらいだ。


「殿下、頑張りましょうね」


 殿下は私を不思議そうな顔で見つめる。しばらく見つめあっているうちに、いつもの無表情に戻り、最後に小さくうなずいた。


 ********

 

 方針は決まったが、殿下が自分の意志で動けるようになる方法など、私には想像もつかなかった。

 本を読んだり、周囲の人々にも話を聞いて、どうしたらいいのか考えたが、これという案も浮かばない。そうこうしているうちに、お父様が殿下の指南役になることが内定してしまった。


 何もできないならせめて見届けよう。そう思って私はお父様の講義に同席したいと願い出た。


「意欲はかう。だがお前は王子妃教育があるだろう……」


 そう難色を示したお父様を説得するのには骨が折れた。しかし、私は一通り教育を受けた記憶があるのだ。できること、覚えていることを指南役の夫人に見てもらって証言してもらうことで、何とか同席を許された。


 王国の歴史、経済、語学、工学、話術など、講義の範囲は多岐にわたっていたが、内容には偏りがあるように思える。

 特に歴史や経済、政治といった、思想に直結する講義はお父様の演説会のようだ。

 殿下はどんな講義でも、黙って聞いていた。

 初回の講義の後に“先ほどの講義はどうでしたか”と尋ねたが、「すべて覚えろと言われたからそうしている」と無表情で答えられてしまい、途方に暮れた。


「お父様、質問よろしいですか?」


 私は積極的に質問するようにしていた。質問しているうちにお父様はどうやら操り人形にしようとして、内容を考えているわけではないことに気が付く。


「殿下は自分で考えるのが苦手だから、私と同じ考え方を覚えてもらうほうが効率がいい」

 

 お父様にそう言われて、再び頭を抱えたのは言うまでもない。


「お父様は、殿下をどうされたいのですか」


 思わずそう返したが、お父様は困ったように笑うだけだった。


 お父様の講義を聞いて、私が質問する。そのやり取りを黙って聞いている殿下。すでに誰のための講義かもわからない状態だった。

 数ヶ月何も変化がないままで、私にも焦りが出てきた。どうにか打開できないかと、記憶を探り、以前はこの時に始まっていなかった剣の稽古を提案した。


「殿下は剣に興味はありませんか?」

「……1回やって、剣を持つなって言われた」


 そう言って殿下は少し目を伏せた。珍しい感情表現だ。

 根掘り葉掘り聞く形にならないように注意しながら、言葉を選ぶ。


「私、殿下が剣をふるっている姿をみたいのです。やるなと言われたのであれば王家にも確認を取りますわ」

「そうなんだ」

「えぇ、もし、許可が出たら、お父様に剣術の師を呼ぶよう頼んでもいいかしら」

「……君が望むなら」


 殿下に承諾を得ればあとは簡単だった。王家に確認すると、あっさり許可が出た。“剣を持つな”は幼すぎて剣の重さに耐え切れないにもかかわらず、剣を持ち怪我をしかけた殿下に向けた言葉だったらしい。

 そう、幼いころの殿下は自己主張もできていたし、子供らしい無鉄砲さも持っていた。その話を聞いて少し希望を持てた気がした。


 剣の稽古は3日後から始まる。講義後にお父様からそう伝えられた殿下は不思議そうな顔をして私とお父様を交互に見る。

「わかりました」

 そう答えた殿下の口角が少し上がっていた気がした。

 

 講義が終わってから剣の稽古。私はそれを見学して帰るようになった。

 時には軽食を用意してお茶に誘うこともあった。

 やはり、殿下は剣に興味があったようで、剣の稽古の時間はいつもよりも表情がいきいきとしているように見えた。


 殿下に変化があったのは、稽古が始まった一月ほどたったころ。


「……講義の時よく質問しているよね」


 稽古後のティータイム。殿下から話題をふってきた。驚きでカップを落としそうになるが、何とか平静を保って笑う。


「えぇ、そうですわね」

「なぜ、そんなに質問が浮かぶんだ?」

「なぜ……ですか」

 

 私は慎重に言葉を選ぶ。


「王城のお庭に咲く花、すべてに名前があります。そう言われたときに何を思いますか?」

「名前が、あるんだなって」

「……そうですね。では、剣には種類があるそうです。柄の形や、刃の長さが違うもの、片刃のものもあるそうですよ。そう言われたら?」

「……何種類あるのかな。種類によって振り方も違う?」

 

 来た。思わず泣きそうになりながらも私は言葉を続ける。


「それです」

「……え?」

「今、殿下は私に質問されました」

「あぁ……そうか」

「知りたいと思ったことには自然と、言葉が出るものです。後ほど、剣について書かれた本をお渡ししますわ。殿下が剣の稽古を熱心にされているので、私も興味が出て、調べていて見つけた本ですの」

「……それ、えっと」

「はい」

「……今すぐ、よみたい」


 その日から、殿下は少しずつ変わった。

 

 稽古後のお茶は読書タイムになり、次第に最近読んだ本、その日の講義の感想や意見を交わしあう時間に変化していった。

 私が選んでいたお菓子やお茶は二人で相談して選ぶようになり、殿下が食べたいものを選べるようになった。

 お父様が殿下に質問されたときの目玉が飛び出そうなあの顔はずっと忘れられないだろう。


「……でも、アリサの顔もなかなかだったよ」


 私がお父様の顔を思い出し笑いしているのを見て、殿下はそう言って小さく笑っていた。

 

 ********


 王太子が、人々の歓声を一身に浴びている。手を振って民の声にこたえている姿は凛々しく、頼もしいものだ。

 私はそれを眺めながら、晴れやかな思いだった。


「お兄さまはすごいなー、人前であんなに優雅に手を振るなんて……僕には無理」


 隣に座り、王太子となった第一王子、リヒト殿下の姿を見て、何やらぼやいているツキト様。


「ツキト様、仮面を拾ってくださいまし」


 私がそう言うと、ツキト様は少々恥ずかしそうな顔をしてこちらを見る。

 

「聞こえてた?」

「それはもうばっちり」


 二人で顔を見合わせる。どちらからともなく笑い出すと、後ろに座っているお父様に咳払いでいさめられた。


 私が過去に戻ってきてから、6年の月日が流れた。

 私は来月、18歳になる。


 この6年で、ツキト様は見違えるように強くたくましく成長した。ツキト様を王太子に、と推す声もあったが、半年前の高位貴族の集まるパーティーで堂々と王位継承権を放棄すると宣言した。


「僕はご覧の通り、少し卑屈でね。僕みたいなのは裏方でボケっとやってるのがいいよ」


 そう言い切って、第二王子派の貴族たちを真っ向から敵に回した彼を、お父様は大笑いで歓迎した。


「あの殿下がここまで言うようになるとはなぁ。いっそ清々しい!」


 お父様がそう言ってしまえば、大多数の貴族は口を出せない。こうして、誰の血も流れることなく王太子は決まった。

 ツキト様が成人すると同時に、新たな公爵位が作られるだろう。

 お父様はいつの間にか、すっかりツキト様を気に入って未来の息子みたいな扱いをしていた。今のうちに高位貴族としての立ち振る舞いをしっかりと学ばせる、なんて息巻いている。時折、ツキト様にそれはもう知ってます、と言われていた。


「君のお父上、僕の父親のつもりでいない?」

「そう?」

「まぁ、王に父親面されるよりいいかなぁ」

「陛下は名実ともにあなたのお父様よ」


 ツキト様は国王陛下との折り合いが悪かった。詳しくは聞いていないが、半年に1回は大きめの喧嘩をしている。

 もしかしたら、前の時も仲良くはなかったのかもしれない。

 いさめると、喧嘩コミュニケーションだ、と主張するのでとりあえずは放っておいている。

 そのうち、仲介をする必要があるかもしれない。


「アリサ、君がいてくれてよかったよ」


 二人で話していると、ツキト様は思い出したようにそう言うことがある。


「君が僕のことを見ていてくれたから、頑張ろうって思えたんだ」


 ツキト様はもう、あの日のツキト様ではない。

 冗談を言い合ったり、ぼやきを聞いたり、時には国の未来について語り合う日もあった。

 私のことや家族を気にかけてくれるようになった。

 ツキト様が、私たちを殺す未来は消えた。


 そう確信していた。

 


 ツキト様の変化に気が付いたのは、数日前。

 いつものお茶会で目をそらされた。

 知らない封筒の手紙が机の上に置いてあった。会う予定を急にキャンセルしてきた。

 そして、以前のツキト様のようなうつろな目をしていることがあった。

 明らかにおかしい。悪いと思いながらも、ツキト様に人をつけた。

 

 お父様と同じ派閥の貴族と密会していた。あの日、屋敷に現れた、あの貴族たちだ。

 

 18歳の春まで、2ヶ月を切っていた。


 ここまで来て、最後の最後でまた同じ運命をたどるのかもしれない。

 こうなったら、もう逃げるしかない。


 私は念のため準備していた国外逃亡を実行に移す覚悟をした。

 もろもろの手続きや最終確認、急いだが、準備が終わった時には、あの日まであと一週間を切っていた。


 明日には逃げられる。そう考えていた夜。ツキト様が約束もなしに尋ねてきた。

 

「散歩しないか?」


 ツキト様の優し気な顔に私は笑顔で頷いた。隣につく護衛騎士がツキト様の剣を持っていることには気づかないふりをして。


「どうしたの?」


 連れてこられたのは街はずれの教会。私が聞くと、答えたのはツキト様の声ではなかった。


「大罪人め、動くな」

 

 そう言って私を取り囲むのは、お父様と同じ派閥の貴族たち。その中にお父様はいない。やはり、間に合わなかったのだ。


「お前たちが、国王暗殺を企てているのは知っている」

「お前は悪魔のような女だ」

 

 貴族の誰かがそう言った。

 それを合図にしたかのように、何人もの男が現れ、周囲を取り囲む。

 武器はさびた剣、騎士ともいえぬゴロツキのような輩だ。

 

 ツキト様はゴロツキ達の先頭に立ち、私に剣を突きつけた。


「殿下! この悪魔に正義の鉄槌を!」


 ――あぁ、結局こうなるのか。


 諦めながら、ツキト様の顔を見ると、あの日の顔とは違う、とても苦しそうな顔をしている。

 その顔を見て、私の後悔がよみがえる。

 以前のツキト様が私に操り人形になることを押し付けられ、絶望したときに見せた、悲し気な諦めの混じったあの顔。

 

 ――そんな苦しそうな顔をさせるくらいなら、無駄に足掻かなければよかったわ。

 

 私はツキト様に向かってなるべくいつも通りに微笑んだ。


「あなたがそう決めたのであれば」

 

 ツキト様と目が合う。

 たっぷり数秒、見つめあった。

 すると、ツキト様は耐えきれなくなったように息を吐いて剣を降ろした。

 

「本当に、君はどんな時も天使のようだよ」

 

 ツキト様が笑う。そして、私を背にかばうようにして立った。


「殿下!?」


 うろたえる貴族たちに向かって、ツキト様が剣を向けた。

 

「お前らの嘘などわかっている。お前たちが僕のことを陰で操り人形候補と呼んでいたこともな」

 

 ツキト様が大きく息を吸ったのが肩の動きでわかった。


「僕はお前らの言いなりで動くことは絶対にない!」


 ツキト様の言葉に貴族たちが一斉に出口に向かって走り出す。


「騎士たちよ! 取り押さえろ!」


 ツキト様が剣を高く掲げた。それと同時に騎士が一斉に教会の中に乗り込んでくる。あっという間に貴族もゴロツキも拘束され連れて行かれた。


 残された私とツキト様。ツキト様は護衛に周辺警備を指示して、彼らを教会の外に出した。


「ごめん」


 ツキト様が頭を下げた。


「怖かっただろう」


 ツキト様の声を聞いたら力が抜けた。崩れ落ちそうになる私をツキト様が抱きとめる。


「怖かった。あなたに、殺されると思った」

「ごめん」

「でもね、あなたが、苦しそうな顔をしていたのが、一番つらかった」

「……だから笑ったの?」


 私が頷くと、ツキト様の顔がみるみる青ざめていく。


「ごめん、本当に」

「……安心させてくださる?」


 ツキト様の体が少しこわばったのが分かった。そして何か考えるようにうつむく。しばらくすると顔をあげて笑う。


「もちろん」


 ツキト様が私を強く抱きしめる。


「君は僕の天使だ。アリサが僕にくれたたくさんのギフトを僕は今でも大切に持っている。アリサがいない人生なんて、僕には考えられない。本当に、僕の一番なんだ」


 ツキト様の精一杯の愛の言葉。等身大の彼らしくてくすぐったい。

 私が黙っているのに耐えられなくなったのか、ツキト様の抱きしめる力が強くなる。


「もっと、強くなる。君の隣にずっといる。君の心の一番の特等席に、僕を座らせて?」


 ツキト様が耳元でささやいた。その言葉がうれしくて、返事の代わりに私も強く抱きしめ返す。


 私の思いを言葉で伝えるのは、もう少し後にしよう。

 胸に秘めるは、溢れるばかりの愛とほんの少しのいたずら心。

 私はツキト様の言葉を待った。ツキト様も私の言葉を待つ時間があってもいいじゃないか。


 ――私はずっとツキト様の隣にいたい。


 その言葉を口にする日を想う。

 これから私は知らない未来をツキト様とともに歩くのだ。

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