第59話 怒れる竜との対峙 男の決意は……
そもそも『竜』という生き物は、人を故意に襲う事はない。そこには、彼らにとっての認識として、人は——自身に比べて小さき塵芥——矮小な存在——としか写ってないから。
竜にとって、そんな吹いて捨てる様な小さき者をわざわざ痛ぶる矜持は持ち合わせていないのだ。
それに『人』とは時に彼らにとって脅威となることもある。
ある竜が余興で、街を焼いたことがあった。すると人は、その竜に対し恐れると同時に矛先を向けた。そして、人々は集団となり、一斉に竜目掛け大挙したのだ。その集団の中には、竜とて侮ることのできぬ猛者も極少数ではあるが居る事を知った。そして……
いつしか、いつぞやの竜と人との争いは、知性を持った竜の教訓となり——人を襲わなくなた。
だが……
それでも『竜』を怒らせれば話は別である。
「——ッ風よ吹け……」
「——ッ風よ吹け……」
突然発生した地響きは、同時——周囲に砂煙を巻き上げ、視界を奪い去った。だが、その煙の中より不意に2つの声が上がる。
すると……蔓延する煙霧の一部——それも、声が発せられた2箇所で靄が晴れた。
そこに居た人物とは——
「——ッケホ、ケホ……アイン!? だ……大丈夫?」
「……あ〜、ああ——大丈夫だ。リア! 良かった。君も無事みたいだね」
「ええ……問題ないわよ」
アイン、レリアーレの両名であった。2人は、簡単な風魔法を周囲へ解き放つ事でモヤを吹き飛ばし……視界確保に瞬時に努めていた。
そして、2人はそれぞれの姿を確認するや否や、ホッ——と胸を撫で下ろし安堵する。
ただ……2人の位置だが若干の距離が空いており、出来る事なら今すぐ合流したい心持ちであった。
だが、幾ら周囲の煙を払ったと言えど、まだフィールドの殆どは砂煙が舞っている状態だ。この状態での軽率な行動は危険である。また、この事象を引き起こした主犯 (レノ)を視界に捉えていないアインとレリアーレ……2人は、その事を念頭に置き、まだその場を動こうとしない。冒険者として、至極最もな行動選択である。
それでも、その砂の妨害も少しすれば、早急に晴れの兆しを見せ始める。渓谷を吹き抜ける強い谷風がその尤もたる功労——
気づけば、アイン、レリアーレの間に鎮座した煙達はすっかり吹いて消えて居る。これなら少なくとも合流までは問題ないとも思えた。
「——リア! 今、そっちに行く。君はそこに居て動かないでくれ」
「分かったはアイン」
すると、好奇と見たアインは動きを見せる。そしてレリアーレと合流すべく行動に移した。
だが……
「——ッ!?」
アインの視界は、可笑しなモノを捉える。彼はレリアーレと合流すべく姿勢を低くし、ゆっくりと警戒しつつ歩んでいたのだが……
ふと、レリアーレを視界に捉えた時、アタフタとする彼女の姿が……
「——ッッ〜〜〜ッッッ……!!」
「……?」
一瞬、彼女の行動がわからなくなるアイン——だが、彼は知っている。彼女はこんな警戒状況で無意味な行動を取る人物では無いと——
だから、アインは彼女の行動を観察する。
何やら慌てて……ある一点——高所を、指差して——
その時、彼女の伝えたい『答え』を知る為、指の延長上をなぞる様に視線を動かす。
そして……
「——ッ!?」
ようやく、アインにも『慌てた原因』を捉えた。
周辺はまだ砂が舞い、完全に視界はクリアではない。だが、地面より高所——そこは地表付近より風の流れが早いのか砂煙が薄くなりつつあった。
だが、そこに覗くのは……
巨大な爬虫類の頭である。そう……先程の竜——であった。
その姿を視界に捉えた瞬間にレリアーレの反応に納得がいった。よく観察すれば、頭の他にも靄に隠れた大きな2枚の翼も薄ら窺い知れる。その大きさたるや、竜の強大な脅威が嫌でもアインに伝わる。
それもそのはず——アインとレリアーレが居る場所というのが……
と、その瞬間だ。
————ッッッ————!!
「——ッ!!??」
(——ッ!! アイン!!??)
唐突——砂煙の壁を撃ち破り、アインへ黒い壁が迫り来る。いや……それは壁では無い——竜の尻尾であった。
竜はただ、自身の尻尾を揺らしただけ……なのにそれは小さき人間にとっては、それだけでも脅威的事象へと転化する。
アインは、反射的に地に這う様にして回避した。するとすぐ頭上を尻尾が高速で通過していったのだ。
これにはアインも……
(……あ、あ、あっッッッぶねぇーーーーー!!)
彼の心の中は大慌てであった。
もし……直接ぶつかっていたなら——おそらくアインは無事ではなかったであろう。仮に衝撃を防ぎ無事だったとしても、それでは竜にアインの存在を知られ……結局は——
アインは間一髪脅威を免れた。
このことからも、分かる通り——2人の居る位置は、何と竜の足元。すぐ隣に天災が居座る危険性の高い状況下にあったのである。
だが唯一の救いは、2人の存在にかの天災がまだ気づいていないことだろう。
始めは竜もアイン達を目掛け飛来したのだろうが——幸運は、その時に舞った“砂煙”だ。
砂煙は視界を奪い、鼻腔にも砂が燻る事で、嗅覚も機能し難くなっている。実際、竜は当たりを見回す素振りを見せ、何かを探しているみたいだ。
アインはその隙に、上体を起こすと再びレリアーレの元へ急ぐ……だが決して警戒は怠らない。
まだ、こちらの存在がバレていない以上——この好奇を利用し、足早に危険地帯からの退避が最も望ましい。だが、そこには不確定要素 (レノ)の警戒もしなくてはいけない。
先程からどうもフルプレートの男が見当たらない事に、アインは意識を張り巡らしていた。
竜の存在を無視したとしても、男 (レノ)が静かな事が気になってしまう。どうしても不安感が拭えない。この状況は“あの男”にとって好機であるはずなのに……
それに……それとは別に、アインには“1つわからない事”が——
「アイン……大丈夫!?」(小声)
「ああ——問題ないよ」(小声)
と——ようやくアインとレリアーレは合流を果たす。
「ねぇ……今のうちに——ここを離れましょう。まだドラゴンは、私たちに気づいてないみたいだし……」
「そうだね——今すぐ脱出しよう。でも……そもそも何で、ドラゴンが急に現れたんだ? 彼らにとって人間を襲う事は不毛であるはずなのに……」
この時、アインは1つの疑問を口にした。
『竜は故意に人を襲わない』
アインも、勿論冒険者として“この事”を知っていた。先程、敵対したフルプレートの男レノは、この竜の事を『飛竜種イグニス』と言っていた。この竜の存在は、アイン、レリアーレ、共に情報収集不足での全くの“埒外の存在”であった。
しかしそれでも……ここ【飛竜の棲家】は、その名が示す通り、『彼(飛竜種イグニス)』の“根城”なのかもしれない。だが、いくら竜の寝床でも冒険者が足を踏み入れただけでは、大型種の竜が直々に襲いくる事は殆どない——
不要に近づいたり、こちらから攻撃を仕掛ける、子竜や卵を狙えば——その限りではないのだが……アイン達には、まずこれら心当たりがない。更に言えば、この2人は大型の竜が棲家とするダンジョンに足を踏み入れた経験は、既に何度かあった。つまり、多少なりとも竜に関しての注意事項及び、ダンジョンの探索方法は頭にあるのである。
また、レリアーレがギルドで手渡された資料は故意に改変さており、2人は知らないであろうが——ここ【飛竜の棲家】は、大まかに2種の魔物しか出没しない。1つはここのダンジョンボス『飛竜種イグニス』——これは、アイン達の目の前にいるからこそよくわかる存在だ。
そして、もう1つがアイン達がココを訪れた最大の理由——『幼竜』である。
時には、必要に駆られてか……迷い込む魔物もいたが……そんな異例を除けば、この2種の魔物が主な出現対象である。
ただ、以上の話を聞く限りでは、アイン達はその『幼竜』に手出ししたことが『飛竜種イグニス』の怒りを勝った発端では——? とも解釈できなくもないが、端的に言ってしまえば、それらに関係性はなかった。
【飛竜の住処】に2種の魔物しか出没しない最大の理由は『飛竜種イグニス』の存在が尤も大きかった。何故なら他の魔物は“イグニス”を恐れあまり、この地に近づこうとしないのだ。だが、その例外が『幼竜』であった。
この地の幼竜——実は『飛竜種イグニス』の“子”——という訳ではない。全くの別の種の竜である。
『幼竜』は、どこか別の地で生を受け……そして、この地を訪れる。
竜とは、完全実力社会を形成した生き物だ。卵から孵ったその瞬間から僅か2、3年で独り立ちをする——そんな彼らにとって、ここは安息の地であったのだ。
幾ら竜とて、幼竜はまだまだ弱者だ。【飛竜の棲家】はイグニスに怯え、殆どの魔物は近寄らない為に安全……そして大型種の竜は、幼竜なぞ歯牙にもかけない。つまり『虎の威を借る狐』——といった構図が出来上がっていたのだ。この世界風に言えば……『飛竜の威を借る子竜』——か?
ただ……そんな『幼竜』もある程度成熟すると、今度はイグニスの眼中に収まる危険性が帯びて来る。すると自然とこの地を離れ……ようやく、本当の意味で竜にとっての『独り立ち』となるのだった。
ただ……この『幼竜』も異常に増えてしまえば非常に危険な為、実際ギルドから間引きの依頼は発生したりする。
アイン達は今回——“騙し討ち”との形で、依頼を受注してしまっていたが——『幼竜』の間引きは、エル・ダルートの冒険者ギルドでは意外とポピュラー。常駐依頼(時期等関係無く常に発行されている依頼)として張り出されているのだ。
ここで話しを戻すが——
以上の観点からすれば、この地のヌシたる『飛竜種イグニス』だが……厳密にみてもアイン達を狙う目的がない様に思える。
だが——
真実——は唐突に判明する事となった。
アイン、レリアーレの両名は、歯切れの悪い疑問を残しつつも、最優先は自分達の『命』だ。よって、竜の意識がコチラに向かうより前に……この場を後にしようと動きを見せる。すると丁度——まだ距離は大分あるが、身を隠すに丁度いい岩陰に目が止まった。そして辺りは、まだ砂煙が漂う。
であるなら……谷風は非常に強く靄が過ぎ去るまで時間の問題だ。砂煙が晴れてしまわぬ前に、移動を開始しようとした。
その時——
「——ッ!? リア!」
「……え?」
突然、バァーン——! と、破裂音が上がる——と同時に発光が放たれる。
アインは一瞬で、目にした光を察知し仲間のレリアーレに声を飛ばすも——破裂音にかき消され、彼女に届かない。それほどの爆音が不意に上がったのだ。
だが……結果を見れば、2人に直接的な被害は受けていない。それは、その破裂を確認した地点というのが2人が居る場所より少し離れ、かつ高い位置にあったから……それによる余波すらも届いていない。
だが……
——グルァア……?
発生した“発光”と“破裂音”は——『天災』へ気付きを与えるには十分過ぎた——
(——ッ!? まずい——気付かれた——!?)
そして、アインは瞬時に事の重大性に気付いた。
——グアァーーーーーゥゥウウ!!!!
「——ッ!? ——エッ——【気流の刃】!!」
「……え? ——ッッッあ、アイン! ッア……クゥ……ッ!!」
だが、気づいたその瞬間には『飛竜種イグニス』の巨大な腕がアイン目掛け振り下ろされていた。
アインは咄嗟にエンチャントを発動させ、彼の瞳に写った黒光を待ち受ける。その光の正体、凶悪な竜の黒爪を目掛け短刀を振った。だが……
その猛威を弾こうとするも……勢いを殺す事叶わない。アインは自身が発生させた風の衝撃と竜の腕力により、直撃は免れたものの遥か後方へ吹き飛んでしまった。
レリアーレはアインより一足先に移動を開始していた為——振り下ろされた腕の範囲外で、その一部始終を目撃してしまう。そして、アインが吹き飛ばされた瞬間を彼女の瞳が捉え、反射的に悲鳴が上がるも——同時、天災が叩きつけた衝撃により怯んで大きく後退してしまった。
「【パワー】エンチャント……【影響を支配する所有権の増長】!」
アインは吹き飛ばされながらも、更なるエンチャントを発動——身体から赤い発光を放たれた。
今、アインが発動させたエンチャントは『無属性』に属する魔法——フルプレートの男レノのバスターソードによる一撃を弾いてみせた時にも、発動させていたが……その主な効果は瞬間的な『筋力の増加』だ。
「エンチャントリリース気流の刃解放【擬似—— 熾烈な風の衝撃】!!」
そして、続け様に発生させたのは、エンチャントをリリースすることで擬似的に発動する【熾烈な風の衝撃】
これは、本来『風』に属する魔法なのだが……アインはエンチャントを極めた事と彼の鬼才性が発揮された事でエンチャントで魔法の再現を実現していた。本来、これは世界で例を見ない彼オリジナルの魔法的事象であり——仮に有名魔術師が、アインのエンチャントについて、論文を書き学界に提出すれば間違いなく一目を置く事であろう。これにはレリアーレも『え? 何それ? アインって変態!?』と——思う程に、凄い技法なのである。
アインは【擬似熾烈な風の衝撃】を放つ事で、吹き飛ばされた勢いを殺す。筋力を強化された身体は……ダメージを追う事なく地表に着地する事に成功した。ただ、“着地”と言ったものの、彼が足を付けたのは渓谷に聳える高々とした岩壁である。
擬似的魔法で勢いは若干弱まったものの、吹き飛ばされた事象自体収まった訳ではない。彼はそのまま勢いを殺し切れず、岩壁へ激突——岩壁がまるで地面かの様な態勢で勢いは収まり、アインの身体は静止したのであった。もし、渓谷の崖目掛け吹き飛ばされていたらアインは無事では済まなかった事だろう。
ただ、その彼の不変に腹を立てたのが——
——グアァーーーーーゥゥウウ!!!!
飛竜種イグニスである。アインの無事に、まるで癇癪を起こす様にアインを見据え怒りの咆哮を上げた。
「……まずいな——完全にヘイトを買ってしまったか」
その事に、アインは竜の怒りを最大限に買ってしまっている事実の実感を得た。それがアインにとっての悪感に繋がり、憔悴した心持ちでアインもイグニスを睨み返した。
竜のヘイトを買った事の発端は、突然発生した『爆発』だ。アイン達の側で発生した『ソレ』は、放つ爆音と発光により、イグニスに見つかってしまう結果を生んだ。
そもそも、あの爆発はなんだったのか——? だが、アインにはその正体には心当たりがある。
「チクショウ——! やられた——あの男……」
つい先刻……アインが対峙したフルプレーの男……“レノ”である。
彼が使用していた魔法【火炎の弾丸】——先程の爆発は一瞬の事であったが、アインにはレノの魔法の爆発に酷似している様に見えた。
つまり……彼が犯人——
レノは、『飛竜種イグニス』の姿を見た瞬間から、竜が襲いかかって来るのを予見していたかの言葉をこぼしていた。つまり……彼は“なんらか”の方法でイグニスの怒りを買い——砂煙舞う中……アイン達の近場で魔法を破裂させた事により、その『ヘイト』をアインに移したのだ。
そもそも、“レノ”にはおかしな点があった。レノとの戦闘中……彼の放った【火炎の弾丸】なのだが、アインはその魔法に全く手応えを感じていなかった。本来『炎』魔法というのは、『闇』を除き威力が最も高いとされる魔法だ。幾ら、アインのエンチャントが現実離れした技量のモノだとしても、『風』のエンチャントであそこまで簡単に捌き切れたのは些か妙であった。大凡、熟練度が足りていないと勝手に決め込んでいたが。
おそらく、あの魔弾は——「威力」を抑えた代わりに、「音」に注力が注がれていたのではないかとアインは推察した。
あの時——魔弾を切り伏せるたび、耳を劈く爆音が響き渡っていた。レノとの戦闘時では音が気配を隠すことで男の接敵を許してしまうに至った。この事からも、アインの仮説は正しい予感がする。
そして、更に記憶を遡れば——アイン達を襲った土砂崩れも事の発端を担っていた気さえする。
『飛竜種イグニス』は土砂崩れを発生させた爆発音と——巨岩が崩れ落ちる轟音に反応し——そして、戦闘中にレノが発生させていた魔法の爆発音を頼りに、こうしてアイン達の前に姿を現しているのでは——?
現在も男の姿は見当たらない——
しかし、イグニスがアインを敵と見做し、現在こうして暴れ出した事からも……大凡、もう近くには居ないのだと思える。
何故ならアインは今、目の前に畏怖の象徴として君臨する『天災』を退けなければ、生きる道は残されていないからだ。つまりレノは、アインにヘイトを移した時点で目的を達成していた。
レノは、アインが生きて生還する事を想像していない。おそらく、ソレはアインも想像の殆どを占めている最悪の未来——
この地は、大渓谷と言っていい程の、断崖絶壁のフィールドだ。竜には翼があり、この地は空を飛べる彼らにとって最大のアドバンテージ……地の利は竜にあった。
この状況を打破するためにアインに残された選択肢は『逃走』——それのみだが……
今いる場所は渓谷の中層——
下は奈落……上は天空……と、一体どこへ逃げろと言うのだろうか——?
だが……
この時点で、アインは一つの覚悟を決めていた。
(——俺は……何としても……)




