おわった
耳にひっかけた、会社支給の通信機がザ、 と、音をたてた。
『 ―― おい 』
低く怒りを抑えたその声に、通信機のマイクをおろして、先ほどと同じ言葉を伝えるのは気がめいった。
「・・・うん、わかってる。だけど、まだ《あっち》から連絡ねえんだって。あのさあ、気持ちはわかるけど、さっきからまだ一分ぐらいしか経って ―― 」
ブツ、と一方的に切られた通信に眉をしかめたとき、ようやく警察官との交信用である通信機が音をだした。
肩につけた感度のよくないそれが短い指示を伝えるのを確認しながら、ようやく橋の下に『許可』をだす。
警察官の囲いがしぶしぶというように解かれ、銃を人質につきつけた男の甲高いわめきごえと船のエンジン音。
ようやくクルーザーは、海にむかうためにこの橋の下を通る。
「お~お。はしゃいじゃって。あのクルーザー、銃で脅されてる人質のおっさんのなんだろう?運転までさせられて・・・かわいそうに・・」
大柄な男が同情するように顔をしかめる。
隣の男が微笑んでゆっくりとうなずく。
「まあ、いいんでない?おれたちの三年分の給料でも買えない、オトナのオモチャだよ」
その、のんびりと訛りのある声に、若い男が「ひえ~」とのけぞり、手をにぎりあわせてつぶやいた。
「たのむ。恨むなら、銃をつきつけるその馬鹿にしてくれ」
段々と近付くその新品のクルーザーが、どのような運命をたどるか、ここにいるみんなにはわかっていた。
橋の下でずっと待たされた男たちが、すばらしく的確にあの船を壊すだろうことを。
「まあ、いいじゃねえか。あれにかけた保険で、すぐに新しいオモチャを買える人種だ。おれたちが気にすることはねえだろ」
ようやく肩の荷がおりたようにすがすがしい顔で断言するジャンに、訛りのある男が、お疲れさん、とねぎらいの声をかける。
「ほんと、憐れな人質のおっさんにはわるいが、今日は特別に仕事を早く切り上げなきゃならない日だからな」
いいながら携帯電話を取り出すと、そこを離れながら話をはじめた。
「―― ああ、うん、あのさ、・・・そうそう。そうなんだけど、実はさ、ちょっと『書類仕事』のびちゃっててさ。いや、もうすぐ終わる。でも、あとちょおっと、そこでそのまま待っててくれないか?え?いや、外にいるんだ。いやほんと、いい天気だな。え?うるさい?ああ、近くで工事やってるみたいだな。 うん、うん。あ、終わった。じゃあ、あと三十分ぐらいでつくと思うからさ。そこで待っててくれ。ほんとごめんな。うん、わかってるって。じゃあ、またな」
『のびて』いた問題は、『終わって』いた。
通話している間に、この橋の下を通ろうとした船は岸に激突してとまり、男二人が川からすくいあげられていた。
人質だった男は顔色は悪いが無傷だったらしく、自分で毛布にくるまり、コンクリートの岸に乗り上げるように大破し、黒い煙を上げるクルーザーを呆然と眺めている。
制服の男たちに囲まれて奇声を発してのたうちまわっているのが、犯人の男だろう。