指輪
リビングを歩いていて何か踏んだ。ガリ、という固い感触が足裏に走る。何かがカーペットの下にある。
めくってみると、指輪が出てきた。銀色の細い指輪。見覚えのない指輪だ。私のものではない。妻に尋ねてみたが、妻のものでもないと言う。
では誰のものなのか。まさか訪問客が落としていった? 考えづらい。万一そうだとしても、何故カーペットの下に紛れ込むのか。
奇妙に思いながらも、とりあえず指輪をチェストにしまい、すぐに忘れた。
数日後、またガリという感触が足裏に走った。カーペットをめくると、銀色の細い指輪。この間とそっくり同じデザインで、少しだけ大きいものだ。
場所は以前と同じ。だが、さっき通ったときには確かになかった。どこから湧いてでたとでもいうのだろうか。床の上にぽつんと落ちている。
若干気味悪く思いながら、それもチェストにしまい、しばらくして忘れた。
一週間後。カーペットを歩いていて何か踏んだ。今度は大きなものだ。ムニュっとした柔らかな弾力が足裏に伝わる。思わず、うわっと声をあげて飛び退いた。
恐る恐るカーペットをめくる。
手があった。
ほっそりした白い左手の、手首から上だけが床から生えていた。手のひらを上にして、ゆるく指を開いている。
なんだこれは。こんなものあるはずがない。
絶句していると、異常を察知した妻が寄ってきた。白い手を見て、同じく硬直する。
「なに、これ。やだ……変な悪戯しないでよ」
「俺じゃないよ」
「またまたぁ……。私とあなたしかいないんだから、あなたでしょ。もう、やめてよ、こういうの」
引き攣った笑みを浮かべながら妻が床の手に手を伸ばす。妻の指が手のひらに触れた瞬間、手がひゅっと指を内側に巻き込んだ。
「やだっ」
とっさに手を引っ込める妻。掴む指を見失った床の手は、また指をゆるく開いた。
「なにこれ。やだ、なにこれ。温かいよ。この手、生きてる」
妻が半泣きで訴える。
呆然と二人で床の白い手を眺めた。
白い手は手のひらを上にして指を開いたまま、時折、ピクっピクっと指の先を内側に曲げている。痙攣しているようにも、何かを掴もうとしているようにも見える。
「ねえ、もしかして」
妻が震える声で言った。
「この手、この間落ちてた指輪が欲しいんじゃないの?」
「え?」
「だって、ほら」
指差す先、白い手の薬指に指輪の跡があった。かなり締め付けたのか、どす黒い線が指を一周している。
「指輪……ったって2個あっただろ。どっちだよ」
「わかんないよ、両方渡しとけばいいんじゃない」
泣き出しそうな妻の顔。
手は床の上でピクピクともがくように指を動かしている。
急いでチェストから指輪を2個取り出し、白い手のひらに落とした。
途端、すごい勢いで指が握り込まれた。ぎゅっと強い力で拳が握られる。爪が肉に食い込み、力の入れ過ぎで全体がぶるぶる震えている。
そのまま手はすうっと床に沈むようにして消えた。フローリングには傷一つなかった。
それ以来カーペットの下に何かあったことはない。
ただ、先日床下の点検に来た業者が、リビングの下に妙な模様があると言った。基礎のコンクリートに手形のような黒い染みがあるという。あくまで染みであって、手形ではないという。特に問題になるものでもないらしいのでそのままにしている。
その染みが、あの手と関係があるのかは分からない。ただ、場所はあの手が生えていた場所と一致していた。