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月が闇に微笑む時間。辺りは真っ暗だけど、月の光で幾分かましと言える。
隣を歩くアルトからは少しピリッとした緊張感が漂っている。そして私からも。
私とアルトの間に会話はない。黙々と国王の待つ祈りの場へと向かう。そして祈りの場へと着いた。
「……」
「アルト。お前は外で待っていろ」
「そのつもりです。ですが、彼女に何かあるようなら迷わず入らせていただきますので」
「……聖女よ。中へ」
「はい。アルト、行ってくるわ」
「気をつけて」
「ありがとう」
アルトが持たせてくれたお守りがあるからまだいろんな意味で安心していられる。だけどお守りがなかったら不安や恐怖に飲み込まれていたかもしれない。
先を歩く国王の背中を見つめた。凛とした佇まいは間違いなく王としての威厳がある。
「……」
誰も回りにいないただ一人でいる国王の後ろを歩くだけで、こんなにも苦しく緊張に死にかけるとは思っていなかった。いつもは周囲の人々の呼吸や声に耳を傾け意識をそらしていたから大丈夫だったのかもしれない。
ついこの間の私よ帰ってきて。過去の記憶や長年の恐怖に怯えて緊張している私がいるわ。早く前向きで少し強気な私になって、と心の中で念じるけどそうそう簡単には強くなれないらしい。少し挫けそうだ。
そうこう思っていると、祈りの場中央へとたどり着いた。
「さあ、聖女よ。中央へ行け」
国王の指示に頷き、私だけ中央へ足を踏み入れる。そして振り返ると目が合う。
あの日、私を見下ろした冷たい灰色の瞳と。
ぎゅっと心臓が鷲掴みにされたように痛む。これは恐怖だ。
あの日の私に引っ張られそうになるーーだけど。
「陛下。お話とはなんでしょうか?」
私から出た声は震えていなかった。ちゃんと覚悟はできているようだ。
「お前が戻ってきた日に言った言葉について考えた。そしてお前が寄越したアルトの話についても考えた」
「……」
「その答えが出た」
「はい」
「長きに渡り続いてきた私たちのやり方が間違っていたとは思わない。だから今までのやり方で接した者たちに謝罪はしない。だが……お前たちの考えたやり方もやる価値があると思った」
「それはつまり私たちの願いを聞き入れていただけるということでしょうか?」
「そうなるな」
「ありがとうございます」
国王は頷き、私をまっすぐ見る。そしてゆったりと口を開いた。
「お前に一つ聞きたい」
「なんでしょうか?」
「お前は転移者か?」
「っ……いいえ」
想像していなかった問いかけに動揺してしまう。確かに私は転移者ではない。だけど転生者ではある。
……異世界から来た聖女はこの世界の聖女とは違う。その言葉が頭を過る。
まさかーー。
「では、転生者か?」
「……」
「やはりそうか。どうりで世界樹が満たされるわけだ」
「どういうことでしょうか?」
国王は祈りの場中央を囲い流れる水を指差し、そして宙を撫でた。
「異世界より来たりし子に力を与えよう。この世界で生きられるだけの力を。そして世界樹が愛し子よ。どうか世界樹に多くの話をしておくれ。世界樹はそれが力になる。この世界を美しく、清らかに潤せるだけの力に。古くからこの国にある書に書かれている内容だ」
「……」
「私が生まれてから今まで六人の聖女を見た。そしてうち二人が他の四人とは違った」
「……」
「この国に流れる水の美しさも、吹く風の心地よさも……全てが他国とは違った」
ゆらり、と目線が私に戻る。そして国王は笑った。
「っ……!」
その笑みは優しく、美しかった。まるでアルトの笑みを見ているような気持ちになる。
「お願いだ。私にお前の祈りを見せてほしい」
「……」
ああ、だから国王はこの場所で話がしたかったのか。
私の願いは聞き入れてもらえた。そして国王が私に初めてお願いをした。命令ではなく、お願いを。
一応、祈りの場中央に来るからと正装にしたのはいい判断だったなあ。
私は頷き、国王に頭を下げる。そして世界樹の一部の元へ行き祈り始めた。
***
あれから二日が過ぎ、今日紬ちゃんが元の世界へ帰る。
「セ、セシルさ、ん……!」
嗚咽まじりに泣く紬ちゃんの背中を擦る私。
「大丈夫よ。またすぐに会えるわ」
「でもっ! もし帰ってセシルさんに二度と会えないなんてことになったら! わたし、わたしうああああああっ!」
「君の願いを叶えるために私がここまで来たんだから大丈夫だよ。安心するといい」
「うっ……ほ、んとうに、だ、いじょうぶですか……?」
「もちろんさ。私を信じなさい」
「は、い……お願いしま、す」
女王様は紬ちゃんを安心させるように笑った。そして私も同じように紬ちゃんに笑いかける。すると涙でぐしゃぐしゃになってしまった顔で笑い返してくれた。だから私は一言紬ちゃんに言ってハンカチを取り出し優しく拭った。
「ありがとうございます」
「いいのよ。でも、紬ちゃんは本当によかったの?」
「はい! 私はこの国の聖女です! ただやっぱり家には帰りたいし、家族にも会いたいです。でもセシルさんに会えなくなるのも嫌で、ダメ元で王様に言ってみたらどうにかすると言ってくださったので。これが一番私のお願いが叶う方法なんです!」
「それならいいの。ここ二日はあまり話せなかったから、どうしても確認がしたくて」
紬ちゃんはぶんぶんと顔を横に振り、それから私の両手をぎゅうっと握った。
「これから私はこの国で他の聖女さんたちと頑張ります! だから! セシルさんはアルトさんたちと仲良く暮らしてください! でもたまに私とも会ってほしいです。私、セシルさんのところまで行きますので!」
「ふふ、無理しないようにね。それからありがとう。私も会いに来るわ」
「本当ですか?」
「ええ」
「わあ! 嬉しいです! 私のやる気スイッチが入りました! すっごく頑張れますよ!」
「ふふ」
「紬ちゃん。最終準備をするからおいで」
「はい! それじゃあセシルさん。少し行ってきます!」
「ええ。転ばないようにね」
「はい!」
笑顔で手を振って紬ちゃんを見送る。
紬ちゃんはああ言っていたけど、本当はこの世界と元の世界の行き来はしないほうがいいことだと思う。それとこの世界のことは忘れたほうが紬ちゃんのためにいいと思うのよ。でも紬ちゃんの人生で、紬ちゃんの選択。私にできることは紬ちゃんを見守ること、そして間違えそうなら正すこと。
深く息を吸い込み、静かに吐き出す。そして空を見上げる。
「ああ……空が、綺麗」
私は肩の力を抜いて、離れて様子を見ていてくれたアルトに向かって歩みを進めた。






