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「セシル……?」
不意に聞こえた声に、ばっと勢いよく振り返る。そこに立っていたのは、鳶色の髪と金の瞳を持った……あの国の第二王子であるアルト殿下。私を自由にすると言ってくれたただ一人の人。
「アルト殿下……」
「久しぶりだね。君を訪ねた世界樹の神子がいると聞いているかもしれないけど、君のことを訪ねたのは僕なんだ。魔族の女王様には君に僕の名前を伝えないでほしいとお願いしたから、君は誰が訪ねてきたか知らないと思うけど」
思っていた通りだったことに何も言えずにいると、アルト殿下は申し訳なさそうな顔をして視線をさ迷わせてからゆっくり口を開いた。
「名前を伝えていたら、会ってもらえないと思って。すまない。気分を害してしまったよね」
「……」
言葉が詰まってしまって声が出ず、ふるふると首を横に振って彼の言葉を否定する。
「あ、それからこの花畑にはたまたまたどり着いただけで。君を城から追ってきたわけではないから。ちゃんと夕方に伺おうと思って、て……すまない。また君を泣かせてしまって」
情けない。さっきから首を横に振るしかできていない。ちゃんと言葉で返しなさい、私。
「アルト殿下。ごめんなさい。私のせいで、あなたに……あなたに大切な人たちを捨てさせてしまった。本当にごめんなさい」
「君のせいじゃない。僕が君の笑った顔を見たかったんだ。作り物じゃない、本物の笑顔を見たかった。だからこれは僕の選択なんだよ」
「それでもっ……!」
「セシル」
真剣な声で私の名前が呼ばれて、思わず口を閉じる。
アルト殿下は微笑んで、そして柔らかくて温かい声で言った。
「僕は君が好きなんだ。世界樹の神子になったから結婚はできないけれど。それでも僕は君が好きだ」
ぐっと気持ちを抑えなければ、今にも叫びだしてしまいそうなくらい感情が高ぶっている。
私も、アルト殿下のことが好き。好きだけど、私たちは結ばれない。それが私たちの立場。それでも私もちゃんと伝えるべきだ。この気持ちを。
「アルト殿下。私もあなたが好きです」
「っ……嬉しいな。本当に、嬉しい」
アルト殿下は私に近づいてハンカチを差し出してくれた。それを受け取って涙を拭う。
私が想いを告げたとき、アルト殿下は苦しそうな顔をした。私も彼と同じ顔をしているだろう。
想い合っていても、私たちが結ばれることはないのだから。
「何を辛気くさい顔をしているんだ?」
突然陰ったと思ったら、上から声がして二人して驚き顔で上を向く。
「なんだ? 何を驚いている? 私が変なことを聞いたか?」
「いいえ。その、突然声をかけられたものですから驚いてしまって」
「そうか。それは悪いことをしたね。今後は気をつけよう」
そう言いながら降りてくる女王様。軽やかな音を少しさせて華麗に着地した女王様は、私たちを見て顎に手を添えた。
「ふむ。アルトよ。君の世界樹の神子としての力が弱いな。セシルと結婚したければ実力をつけよ」
「え?」
「魔族の女王様、どういうことでしょうか? 僕は世界樹の神子です。誰とも結婚は許されない。生涯独身のはずです」
「いや、世界樹の神子は聖女となら結婚できるよ。ただ前例があまりにも少ないから生涯独身というのが表立って流れているだけで」
「結婚、できる……」
「アルト殿下」
「まあ、君たちが結婚するためにやらなければならないことがあるけどね」
私たちは顔を見合わせ頷く。そして女王様に私たちがやらなければならないことを聞く。
「アルト。君は世界樹が最も愛する聖女であるセシルを守ること」
「はい」
「セシル。君が世界樹に示すものは一つもないが、あの国が喚んだ聖女に少し問題がある。そのせいでまた君をあの国の聖女として迎えようという声が上がっている。今までは私が弾いていたが、世界樹に認めてもらうためだ。君はアルトと一緒に一度あの国へ戻り、新しい聖女に聖女の務めを教えてくるんだ」
「……わかりました」
「セシル。今度こそ必ず守るから安心してほしい」
「ありがとうございます。アルト殿下」
あの国へ戻ることを考えると、胸の辺りが苦しい。それでも行って彼女に聖女の務めを覚えてもらわなければ。またあそこにずっといなければならないなんてことになる。それだけは嫌だ。もう絶対にあそこで祈りを捧げることはできない。だって私は心穏やかに過ごせる場所を見つけてしまったから。
「セシル。もし新しい聖女に教えるのを失敗したとしても、私が君を手放すことはないから安心して行っておいで」
「女王様、ありがとうございます……!」
「セシル。とっても嬉しそうな顔をするということは、私のことが大好きかい?」
「はい! 大好きです!」
「ふっ、あはははっ! そうかそうか。私もセシルが大好きだよ。だからもし何かあれば言いなさい。必ず駆けつけるから。ただまあ、世界樹の神子がいれば大丈夫だと思うけどね」
「本当に、ありがとうございます……」
私は女王様に頭を下げ、少し潤む瞳もついでに隠す。
女王様の言葉がとてもありがたくて心強い。安心できる場所に帰ってこられると思うだけで心が軽くなった。それに今度は世界樹の神子としてアルト殿下も一緒。何を恐れることがあったのか。大丈夫。私は、大丈夫。
ちゃんと彼女に聖女としての務めを覚えてもらえるよう、頑張って教えなければ。
私は心の中で意気込む。