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ゲームや小説の世界ではないファンタジーな世界に転生した私は、前世とあまりにも違いすぎる生活に慣れるのに時間がかかった。そんな私が六歳のときだ。私の生まれ育った村に強国から使いが来て、私を聖女だと言った。そしてその強国の使いの人は言った。
……私の目をまっすぐ見て、それから村長に視線を移し「彼女を我々の国へ下さるなら、この先永遠にこの村に住む全員が困らないほどの資金と守りをつける」と。
それを聞いたみんなの雰囲気が一瞬で変わったのを、私は忘れない。
どろどろとした黒くて汚い何かが私の体を包み込み這いずり回る。そして両隣にいる両親を交互に見つめ、村長を見る。それから振り返って後ろにいた村のみんなを順番に見たあの日。
私は売られるのだなと、馬鹿でもわかるくらいにはみんなの目が饒舌に語っていた。それは大当たりで、私はその日に育った村から強国へと連れていかれた。両親との別れも村との別れも、強国からの使いの人はさせてくれなかったし……みんなもさっさと行けと言わんばかりに私を見送ったのだ。
それからの私の生活は勉強と体力づくり。そして聖女として世界樹に祈りを捧げ、結界を越えてくる強い不浄を浄化する。それから参拝者の人たちに会って話を聞き不安を取り除いたら、街に行き微笑みながら手を振ることを毎日強いられてきた。
私がこの国に来て一番最初に国王に言われたことは「聖女として仕事をしなかった場合は、ありとあらゆる方法で貴様を傷つけ続ける。そして逃げ出そうとした場合は、足を切り落とす。それらが嫌ならば聖女として務めよ」と。
頼れる相手が誰一人いない状態で十三年。
「ああ、でもあの方だけは……」
私に寄り添ってくれていた。
それでも周囲にいた大人たちは私にとって敵でしかなかったし、私はこの国で聖女として必死に頑張ってきた。そう。毎日死に怯えながら、それでも必死に笑みを貼りつけ頑張り続けたのだ。それなのに……。
「我らが聖女よ。もう話は聞いておるな?」
「……はい」
玉座に座る王は、あの日から何も変わらない高圧的で傲慢な人。
「この国には三日前、異世界から真の聖女様が降臨なされた。故に古い聖女はいらぬ」
「……」
「今までご苦労であった。直ちにこの国から去れ」
「今までお世話になりました。失礼致します」
悔しさや怒りで拳に力が入る。でももう何も言わない。言っても意味がないのだから。
黙って振り返り扉に向かって歩き出す。すると後ろから「ああ、そうだ。古き聖女よ」と王から声をかけられる。
「……なんでしょうか?」
「言い忘れていたが、貴様にやった物は全てこちらで廃棄する。貴様が己の金で買った物のみ持ってこの国を去れ」
「っ……!」
ぐっと歯を食い縛る。
この王は私に労働賃金を渡すときに言ったことを忘れているのか。「貴様に必要な物はこちらが全て用意する。故に貴様の働きに対する金はこれで足りるだろう」と。だからこの王が私にくれた労働賃金ははした金にも程があるくらいだったというのに。
「わかりました。それでは本当にこれで失礼致します」
頭を下げ、再び扉に向かって歩く。そして扉の両隣にいた兵士が扉を開けてくれる。私は兵士を見ずに、ただただ前だけを見つめて扉を潜った。
部屋へ戻った私は数少ない荷物をまとめて、それを持ち国から出ていく。そして歩いて橋を渡っているときに後ろから馬の走る音が聞こえ、それと同じく私を呼ぶ声。
「セシル! セシル、待ってくれ!」
私を呼ぶ声は、この国の第二王子であるアルト殿下のものだ。
その慌てたような声につい歩みを緩めてしまう。
「セシル!」
「アルト殿下。慌ててどうなさったのですか?」
「今、国へ戻ったのだが……君が国から出ていくと聞いた。それも君が出ていく理由が異世界から真の聖女が来たからだと」
「ええ。その通りです。先程お戻りになられたのでしたら、まだ聖女様にはお会いになっておりませんよね。とても可愛らしく正義感のある方でしたよ。ですから安心なさってください。きっと彼女の力で今よりもずっと国も、世界も美しく清らかなものとなるでしょう」
「君がっ……! 君がいてくれたからあの国は美しさを保てていた。あの国にある世界樹の一部が君の祈りに応えてくれていたからだ。君が必死に祈りを捧げ、心を殺しながらも頑張ってくれていたからだ。すまない。君を苦しめたのにも関わらず、こんな仕打ちを……」
さあっと風が吹く。
木々が揺れ、橋の下にある川が波打つ。
私は視線をまっすぐアルト殿下に向け、口を開く。
「アルト殿下……私は、もう自由です」
その言葉を伝えた私を見て、アルト殿下は目を見開いた。そして諦めたように、でも苦々しい顔で何も言わず私の元から去った。
***
あの日から半年が過ぎ、様々なことがあった。
まず始めに新たに住むところを探したけれど、あの国の人間が流した噂に尾びれに背びれがついて私の評判は最悪。そのせいでどこへ行っても後ろ指を指され居心地が最悪なので、どんどん人目のつかないような深い森の中へと逃げるように入っていた。そこで出会ったのがこの大陸一魔力があると言われている魔族の女王様。ちなみにこの女王様は、人間に味方をしてくれている優しい方だ。その女王様が私を拾って下さった。お給料は破格だし、何より優しく誠実に接してくださって有り難いことこの上ない。それに加え衣食住の全てを面倒見てくださるとのことで……あの国にいたときより聖女の力を発揮しましたとも。
「……」
今この力を遺憾なく発揮できているのは、間違いなく精神的苦痛がないからだろう。
「相変わらず綺麗な祈りだ」
「ありがとうございます」
「お礼を言うのは私たちのほうだよ。君のおかげでこの土地も世界樹の恩恵を受けられるようになった」
女王様は微笑み、私に向かって腕を広げた。祈りの場中央へは聖女以外は入れないので、転ばないようにしながら女王様の元へ駆ける。そして女王様に抱きつく。すると女王様は嬉しそうに笑い声を出して、私を優しく抱き締めた。
「本当にいつもありがとう。とても救われているよ」
「私こそありがとうございます。あなたのおかげで心穏やかに過ごせていますので」
「ふふ、これからもよろしく頼むよ」
「はい。任せてください」
この女王様からのハグは信頼の証で毎日私の祈りが終わったあとにしている。そしてこの時、私が失った魔力の補給も同時に行ってくれているのだ。
ここまで労ってもらえて頑張る以外の選択肢が出てくるわけもない。同じ王族でもここまで違うんだなあ。
「あ、そういえばさっきセシルに会いたいと世界樹の神子が訪ねてきたよ。ただ祈りの時間だったから、それを伝えたらまた来ると言っていたけど」
「世界樹の神子……どんな方だったんですか?」
「鳶色の髪と金の瞳を持った優しそうな青年だったよ」
「……そう、ですか」
容姿を聞いた私が動揺したことに気づいたらしい女王様は、少し楽しそうに笑って「また来ると言った彼に、夕方においでと言っておいたよ。ついでに夕食でもどうかねと誘っておいた」と私の顔を覗きながら言った。
「っ……」
「君が嫌なら、会わなくてもいい。ただ彼の必死さを見たらつい手を貸したくなってね」
「嫌ではないんです。ただ……」
「ただ?」
「もし私が思っている方だった場合、私のせいで地位や大切な人たちを彼に捨てさせてしまったことになります。だから合わせる顔がないんです」
「ふむ。仮令そうだとして、捨てると決めたのは彼自身だ。君が気にすることじゃない」
「それでも……」
言い淀む私の頭を撫でた女王様は「もう一度来る彼が君の思う相手なら、なおのことゆっくり話をしたほうがいい。君たち人間は私たちのようにほぼ永遠の命ではないのだから。悔いのないようになさい」と言った。その言葉に頷き、覚悟を決めた。
***
私は今日の仕事を終えたから夕方まで自由時間。だから自室へと戻ってきたわけだけど……。
『僕が必ず君をこの国から解放して自由にするから。だから、どうか泣かないで』
話を聞いてからずっと頭の中で響き続ける幼い頃に彼が私にくれた言葉。
彼は世界樹の神子になることで私を救おうとしてくれていた、ということになる。
「世界樹の神子……だなんて」
世界樹の神子。それは世界樹を守る柱のことを意味する。そして世界樹の神子に選ばれるのは難しく、捨てるものが多い。
まず家族。そして恋人や妻、夫に子供。次いで地位や立場がある者はそれも捨てなければならない。世界樹の神子は、ただただ世界樹のことだけを考え守護する。
「……」
世界樹の神子は世界樹の他に一人だけ守護することができる存在がいる。
それが、聖女ーー。
確かにここ数年、彼が国にいる時間が少ないとは思っていた。それがもし世界樹の神子になるためだとしたら……。
「いいえ。まだ訪ねてきてくれたのが彼だと決まったわけではないし、考えるのは一度やめよう」
そうだ。夕方まではまだ時間があるし外に出よう。彼が来たら呼びに来てくれることになっているから、とりあえず会った魔族の人たちに行く場所を伝えておけば大丈夫だよね。
そうと決まれば、外へ行くために動きやすい服に着替える。
着替え終わったら外へ。そして会った魔族の人たちに行く場所を伝えて、意気揚々とお花畑へとやって来た私。
「んー。いい天気」
伸びをしながら、息を大きく吸う。
優しい花々の香りが鼻腔を擽り、気持ちも楽しいものへと変わっていく。風も涼しくて気持ちがいい。