8 Abiit, excessit, evasit, erupit.
「刹那様!混血を城に招くとはっ!」
「コレは請負組織、裏の社会のならず者ではありませんか!」
「妾は神など信じぬが、それでも存在するモノは信じる。数術使いは確かに居る。だからコレの言うことは間違いではない。良いから黙って聞いて居れ!」
私がそう怒鳴ると家臣共はようやく口を噤む。これ以上喚くのなら片端から首を刎ねてやろうと思っていたが手間が省けた。
私の許可を得た数術使いは、すぅと息を吸い……高らかにその詩を口にする。
「《開かずの箱が開かれし時、天地は逆さとなり、世界は束の間の夢をみせる》
《幸福なる者、僅かな数字を。不運なる者、王の座を》
《されど己が生まれ持つ、赤き血までは騙せない》
《女王を処刑台へと送るのは、全てを統べる王だけ》
《騎士を解雇出来るのは、KとQの二人だけ》
《騎士は数兵達を虐殺し、数兵は小さい数値を刈り尽くす》
《最も小さきAの兵士、己が周りは敵だらけ》
《逃れることだけ許された、Aが向ける矛先は…世界を操る愚者へと向かう》
《王を殺めた道化師に、不可能事は…何もなし》
《見誤りし愚か者共、己が数に身を滅ぼされん》
《四の紋章、五十四枚の紙切れ。同じ血同士、殺し合え》
《塔へと至る四枚に、双子模様は残されぬ》
《三屠り…最後の一枚、望む世界に君臨す》」
それが謳う詩。それは昨晩あの夢で耳にしたそれと一文字も違わぬもの。
「聖教会から開示された情報に寄れば、教会に伝わる“開かずの箱”が開いたと聞きました。これはその蓋の裏に記されていた詩です」
「開かずの箱とは何のことじゃ?」
それが耳慣れないのは私がタロック人だからだろう。タロックは自然を崇拝する多神教。カーネフェル人のように、聖教会の偶像崇拝を受け入れず、国内に持ち込ませることさえ禁止した。だから聖教会関連の情報を私はあまり持っていない。
それでもタロックにも数術使いは存在したから、私はこれを呼んだのだ。
「その箱は、神から預けられたというシャトランジアに伝わる国宝……“審判の箱”。それは神の意志なしに開くことは無く、それが開いた時……箱から希望が世界へ飛び散り、箱の中には絶望のみが残される。希望を持つモノ達の力でその絶望を打ち破らなければ、一年後……この世界は滅びます」
それの言葉に取り巻き共が取り乱す。仮にもこれがセネトレアを動かしている者達かと思うと……情けなくて溜息が出る。
「神は我々人間を試しているのです。世界の存続か滅亡を賭けて……」
「それが、この奇っ怪な文様か?」
私が右手を見せると、数術使いは静かに頷く。
「はい。それは……カードに選ばれた数兵……希望の証。一つ一つは小さな光。その希望の光を増すためには光を一つに集める儀式が必要……」
「つまり一人を残して……残りの希望を叩き潰せ。そう言うことか?」
「はい」
それは頷く。
世界を続かせるための犠牲。それが五十程度ならあまりに安い。
これはいい理由になる。他国を攻めるのも、内から壊す……そのどちらにも。
平和を掲げるシャトランジアも数世紀ぶりに重い腰を上げるだろうか、それとも国内のカードを集めてすべてを自害でもさせるだろうか。
世界が滅ぶか、存続するか。
どちらにしても、この一年は退屈しないで済みそうだ。私の首を狙いに来る者が後を絶たないということだろう?しかも私はその殆どに対峙したとき、無抵抗に殺されなければならないと決められている。それを逃れるためには……考えるだけでいい暇つぶしになる。
しかしその不平等に選ばれたことに異議を唱える者もいる。ユリウスだ。
「そ、それでは私はっ……唯殺されるのを待っているだけと言うのか呪術使い!」
普段は冷静ぶっているが、こういう場面で化けの皮が剥がれるタイプだったか。私とそう年も変わらないくせに、肝心なときに肝が据わっていないとは、所詮あの男の子供と言うことか。
金の計算には優れた頭脳も、状況判断解析能力には劣っているようだ。少し考えれば気付くだろうに。
「誇りなさいませユリウス殿下。貴方は神からこの国の最高幸福者と認められた方なのです」
その数術使いはにこりと彼に微笑んだ。それは祝福を与えるような優しい笑顔にも、絞首台の人の背を後押しするようにも見える不思議な笑みだ。
「貴方には地位と権力、そして富……それを動かす力がある。弱きカードでも、貴方は頭を使うことでそれを乗り切る力を既に与えられているのです」
「つまり強きカードは……不幸な者…………この国の最下層に集中していると言うことか」
「やっと気付いたかこの虚け」
カードとしては彼らに無抵抗で殺されなくてはならないユリウスも、法と軍を用いてそれに対抗することが出来る。互いが互いに不平等。一見不平等なゲームに見えて、これは実は平等なものなのかもしれない。
「しかし数術使いよ、それなら何故妾がAではないのだ?少なくともユリウスよりは妾の方が力はあろう?」
私が至極当然な疑問を尋ねると、数術使いは同じ笑顔で微笑んだ。
「刹那姫……貴女の上にはタロック王がいらっしゃいます。スペードのAは須臾王ですから」
「……………それは、それは……面白い!」
「面白いではありません!これは国を揺るがす大変な事態です!革命だって起こり得る!」
多くの者に命を狙われるこの私が、あれだけは殺しても良い権利を与えられたということ。
シャトランジアの神……なかなか見所がある。
ユリウスが何やら喚いているがそれしきのことを気にする私ではない。
「神など居ない……そう言っていたが、今なら信じてやっても良いぞ!其方は実に優れた数術使いじゃ!タロックにもこれほどの者は居なかったというのに……」
まるで千里眼。これには全てが見えているようではないか。比べものにならない。
祖国の数術使いはせいぜい明日の天気がわかるとか、一週間後の天気がわかるとか……当たるとはいえどうでもよい情報ばかり寄越したものだ。四季折々の自然を愛するタロック貴族には重宝されていたようだが、私にはどうでもいいことだった。
どんなに綺麗な花だって、どうせいつかは散るのだから。いつ咲こうがいつ散ろうがどうでもいい。どうせ無くなるのだから。
それなら枯れない花を生み出す研究でもすればいいのにと呆れて眺めていたものだ。
「しかし……魔女と聞いていたが、其方はどう見ても美男にしか見えぬ」
情報請負組織、TORA。その頭である混血児トーラ。性別不明、年齢不詳……セネトレアの魔女と呼ばれるその人物。噂には聞いてはいたが、私がトーラを見るのはこれが初めてだ。
「情報を司る者が、情報を掴ませてしまっては意味がありません。僕自身の情報は須く偽りですよ」
それは噂が?それとも今ここにいる情報屋自身の姿が?
なるほど、こういう嘘ならば悪くない。いつか暇つぶしにその正体暴いて見てもいい。
けれどこんなわけのわからない状況でなければ、この情報屋が王宮に現れることもなかっただろう。まず、貴族達がそれを許さない。
請負組織とはセネトレアの裏社会の人間達。私が嫁いで来た前後にもこのベストバウアーで勢力争いをし、その間貿易はストップしてしまい……世界とこの国の国庫に多大な被害をもたらした。
国が表立ってそんなならず者達に接触するのは不味い。ましてや相手は混血だ。このセネトレアは混血発祥の地であり、その迫害者の最も多い場所。
私の奴隷趣味が受け入れられているのも、私がそれを惨たらしく殺すから。私が処刑するのは純血も混血も分け隔て無くなのだが……あの狂王の娘ということで私も混血迫害者の中ではその第一人者と思われているらしい。私のやり方に民が文句を言わないのもおそらくそのせいだろう。セネトレアの人口の半数以上を占めるタロック人……彼らは皆、例外なく純血至上主義者なのだから。
(混血か……それにしては市で見かける者とも違う)
何処が違う。……ああ、瞳だ。
混血は髪は純血と変わらない者もいるが……目だけは違う。
変装か、影武者それとも本人か……少ない情報では判断しかねるが、その容貌は実に異様。
カーネフェルの金色の髪を持ちながら、その瞳は青でも緑でもない。他の色でもない。……これは虎目石。あれを両眼に埋め込んだような不思議な輝きを放っている。なかなか珍しい混血だ。
「ところでユリウス、其方はこの国で最も幸福だと思われているらしいぞ?」
遊び惚けている私に代わり、彼がこの国を納めているようなもの……そう思われてもおかしくはない。
「其方は神とやらにこのセネトレアの長に選ばれたのじゃ。上手く立ち回ってみよ。それを見守るもまた一興」
「……っ、セネトレアに法令を発布する!検問所で通行者の両手を調べよ!拒む者は通行を認めん!刻印のある者は城へ連行しろ!まずは城からだ!城に居る者!商人組合!その中にカードはいないか確かめろ!」
ユリウスが指揮官となりセネトレア包囲網を布く。
まぁ、打倒な判断だろう。
「本物の刻印付きを連れてきた者には褒美を取らせるとでも言え。その方が手っ取り早い」
「しかし……民の税をそんな風に使っては」
「ユリウス、貴様は死にたいのか?それともセネトレアを滅ぼしたいのか?」
こんな時まで頭の固いことを言っている場合ではないだろう。
「民あってこその国?いいや違うな、世界あってこそのセネトレア!世界が滅んでしまっては元も子もないだろうが愚か者!」
一度そう怒鳴ってやると、ユリウスは面食らったような顔になる。そして彼は私の言葉を繰り返し、それを良しとした。
その言葉を受け、命令を遂行するため捌けていく者達。あの数術使いも私に一礼した後それに混ざり消えていく。
「ふぁあ……さて、妾は二度寝でもするか」
今日は朝から働いて実に疲れた。これは二度寝くらい許されてしかるべきだろう。昨日はあまり寝ていないのだ。
あの猫は、あの後も眠気に勝てなかったのか寝直していたが私は違う。あの詩について考えている内に朝になってしまっていた。
しかし……敵の前で暢気に寝顔を晒すとは、あれも愚かだ。床で寝ていた農民の猫にとって、私のふかふかの寝台の魔力には抗えないらしい。
(チャンスだろうに、馬鹿め……)
挑戦権は一日一回だなんて一方的な決まり、殺してしまえば破ったところで誰にも咎められないのに。
*
あらかた命令を終えた私の前に現れたのは、刹那姫が呼んだ数術使い。
その、ありふれた金の髪に騙されてはいけない。猫のような……その鋭い目。その瞳の輝きの内に一体何を企んでいるのか。こちら側の全てを見透かすようなその目は、自分のことは一切外へは漏らさない。だから心が許せない、信用できない。
「まだ帰っていなかったのか?」
声をかけて帰らなければ、警備兵を呼ぼうか。そう思ったがどうやらこれは私に用があったらしく、声をかければすぐにこちらへ寄ってくる。
「失礼ながら殿下、一つお伺いしたいことがあります……本日の情報料代わりに」
「金なら払う。私から請負組織などに教えることは何もない」
追い立てるようにそう言えば、俯きがちにそれは不思議なことを聞いてきた。
「僕の名前、ご存じありませんかユリウス殿下?」
「名前……だと?」
請負組織TORA。だからこれはそのままトーラと呼ばれている。それが本名か偽名かなど本人以外解らない。そんなものをどうして他人の私が知っていよう。
「知らないな。私は忙しい、さっさとお引き取り願おう!混血の顔なんてあの方の客人でなければ見たくもなかった!これ以上居座るのなら商人組合の連中に引き合わせてやろうか!?」
混血なんか。汚らわしい。父上とこの国が生み出した、忌むべきモノだ。貿易相手だからこそ我が国はいい顔をして受け入れてやったのに、カーネフェリーめ、こんな化け物を生み落とすとは。こんな目、私たちとは違う。こんな得体の知れないモノ……
「そっか……貴方も同じなんだね。そうだよね……そうやって育てられてきたんだ。価値観なんか変わらない……変えられないんでしょ?死ぬまで、きっと」
私の視線の蔑みの色に気付いた化け物は、悲しそうに微笑んだ。人間ぶるのも大概にしろ。見ているだけで……殺してしまいたくなる。聞けば父上を殺めたのは混血の殺人鬼だったという。だからもっと殺せば良かったんだ。躊躇う必要なんか無かった。すべて焼き払ってしまえば良かったのに。
「幸せなユリウス様。確かに貴方は幸せだ。貴方はその地位の下に、どれだけの兄弟の亡骸を埋めてきたのか知らないんでしょう?」
化け物が呪いの言葉を口にする。私を誰だと思っている?
神経を逆なでするような化け物の言葉に、私は声を張り上げていた。
「それが貴様と何の関係がある!」
半年前の殺戮。あの人がやった。
だって役に立たないから。邪魔だから。
刹那姫。貴女がそう言うのならきっとそうだったのでしょう。
馬鹿な妹、弟達。死にたくないのなら他人に必要とされるだけの何かを磨けば良かったのだ。唯国庫を喰い減らすだけの生より余程有意義な死。
彼奴らだって本望だ。あんな美しい人の願いのために死ねたのだから。
口から零れる私の乾いた笑いに、化け物が哀れみの視線でそれを見る。
「あの人は覚えているよ。どんな小さな犠牲だって、どんなに昔のことだって……ずっと胸を痛めてる。どうして貴方がAかわかったよ!所詮貴方はエース!キングにはなれないんだ!だって、その資格がないんだもの」
私はセネトレアの王子だ。こんな化け物に侮辱される謂われなど無い。
「混血風情が王族の私を愚弄するか!?」
「兄弟の名前さえ、覚えていない兄様なんか……僕には要らないんだ」
化け物が、ぽつりとそう……呟いた。
その言葉に私は顔を上げる。見つめる先、見覚えもない男が笑っている。
「やっと心が決まったよ……僕は彼らの味方に付く。犠牲の上に立ち、その犠牲の名さえ記憶に留めない貴方にはTORAの力は貸せません……いくら金を積まれても、僕が貴方に与える情報はあれが最初で最後のもの。情報請負組織TORAは暗殺請負組織SUITに力を貸し、このセネトレアに革命を起こしましょう!」
「なっ……革命だと!?そんなものこの私が断じて許さん!」
「手始めに、貴方から!」
目に見えなかった。
一瞬で男は視界から消え……ふわりと金色の髪が瞳に踊る。
痛みを感じたのはその刹那。迷い無く、心臓に突き立てられた刃の冷たさ。それを感じながら、私は冷たい床に跪く。
「…………さようなら、幸せなユリウス兄様」