4 Mendacem memorem esse oportet
「残念だったなぁ、猫?」
「くそっ……」
この部屋の鍵を開けるのはあいつの手の者。それまであいつはいくらでも準備が出来る。卑怯だ。ここから出られない以上私は後手に回ってしまう。フェアじゃない。元々この場所はこの女のテリトリー。私はこの女に踊らされているだけじゃないか。
「ぶっ、ははははははは……何だ何だその格好は?」
胸の中で悪態を付くのは、恥ずかしさからの現実逃避。それさえこの女は許さない。
「この三日間は朝一番、寝込みを襲った正面突破。正々堂々なのか卑怯なのかわからんなぁ、くくく。昨日は襲撃が無く、せっかくの仕掛けが台無しになり、今朝は仕掛けを施し二度寝をしても其方が現れん。いささか退屈しておったのだが……まさかメイドに扮して現れようとは、御主復讐のためなら恥も捨てたか?」
鍵が開いてすぐ、女王の元へと駆けていき……その十分後には毒にやられて強制送還させられる私。それが三度続いた時、同室のアニエスという女中は大きな溜息を吐いていた。
「いい加減、私のことを信用してくれません?私は何度同じ光景を見なければならないのやら」
彼女は女王を憎んでいるようだが、それでも彼女は女王の部下。何処まで信用して良いものかわからなかった。私も毎日同じ床の色を眺めるのはもの悲しいものがあった。だから渋々それを受け入れた。
彼女から授けられた策。それは私と彼女が入れ替わり、メイドに扮した私が女王へ運ぶお茶へ猛毒をたらふく仕込み、毒殺するというもの。
昨日一日彼女から仕込まれた即席の礼儀作法。この恥ずかしいひらひらした格好も、復讐のためと耐えたのに。
「……何でわかったんだ」
「愚かな猫よ。妾の記憶力を舐めて居るのか?」
女王は赤い口の端を歪めて私を嘲笑う。
「歩き方一つ、声一つ……それは多くの情報をもたらす。一度聞いた其方の声、足音……妾が忘れたと思うか?猫よ。妾は其方の重さまで正確に言
い当てられるぞ?言ってやろうか?そうだな御主は出るところも出ていない癖にアニエスより大分重いな。数値で言うと……」
*
その日のティルトは私の部屋に、泣きそうな顔で帰ってきた。同じ顔の女が絶対に浮かべないようなその顔に、私は思わず吹き出した。
「アニエスっ!駄目だったじゃないか!絶対大丈夫だって言ってたのに、五秒でバレたっ!」
「あら、いいんですよそれで」
「よくないっ!あの後俺がどうなったかわかるかっ!?」
「どうなされたのかしら?」
「…………俺の個人情報を暴かれた上にっ!あの格好のまま公務に同行させられたんだ!“女中ですか?”と聞かれる度にあいつは“街で拾った男娼じゃ”なんて言いやがって。おかげでこの城じゃ俺はあいつの愛人扱いだっ!女装好きの変態なんて尾ひれまで付けられたんだっ……もう嫌だよ、どうして私がっ……うぅっ、殺すならいっそのことひと思いに殺せっ!」
「あら、まぁ」
実にあの女のやりそうなことだ。おそらくこの少女の悔しそうな顔が見たいがための嫌がらせ。あの女に気に入られたところでこれだ……顔が同じせいでこの少女まで憎たらしいと思っていた私だが、豪快に男泣きを始めた少女が流石に哀れに思えてきたので、にこりと優しく笑みかける。
「私では役不足かもしれませんが、愚痴でも相談でも乗りますから……元気を出してくださいティルトさん。私もあの女に復讐したいと思っている、いわば貴女の同志。私は貴女の味方です」
「あ、アニエスっ……」
「お辛いでしょう、お可哀想に……もっと話してください、私でよければ」
そう言うだけで、少女の頑なだった心が開かれていくようだった。なんて単純な。
まぁ、辛い思いをしたときに優しくされれば誰でも警戒は薄れるだろうが、こんなに上手くいくとは思わなかった。私の従順な手駒になるのもそう遠い日のことではなさそうだ。
しかしそうしたところで役に立つのだろうか。こんな無細胞な脳みその少女の牙が、あの女王まで届くとは到底思えない。
(まぁ、そこは私の調教の腕の見せ所……なんでしょうか)
「ちょっと自分が出るとこ出て引っ込んでるとこ引っ込んでるからって調子にのりやがって!私のこと、洗濯板とかまな板とかからかうんだ!あんなに胸に肉付いてる癖にどうして私より痩せてるんだよ!納得いかないっ!絶対あいつ筋肉ないに決まってる!箸より重いものは持ったことがないに違いないっ!これだから金持ちは大嫌いなんだ!あいつらがぐうたらしてる間、私たち農民がどれだけ苦労しているかも知らないでっ」
私の企みに気付かない少女は涙を拭いながら、次々に女王の愚痴を言い始める。余程鬱憤が貯まっていたらしい。
「あの女のせいで城の男達からは嫉妬で殺されそうな視線で見られるしっ!」
それだけじゃないだろうが、言わないであげた方がまだ幸せに違いないと、忠告をする気もない私の耳に……何かが聞こえた。リィンと軽やかな音。ティルトが怒りで肩をふるわせる度、それは私の部屋に響いて……見ればティルトの首には何かが付けられている。
「あら、それは……?」
「引っ張ってもひっかいても切れない……中に鉄が入ってるみたいで重い」
奇襲の牽制だろうか。これなら確かにすぐわかる。しかし一度聞いた足音で人を判別出来るなんて化け物級の記憶力を持っているという彼女なら、そんなもの必要ないはず。
「まぁ、十中八九嫌がらせでしょうね」
この首輪は所有者の証といったところか。村を滅ぼした元凶に付けられた分かり易い所有と隷属の証。この少女にとってこれほど屈辱的なこともないだろう。
「あの女……殺してやるっ!」
「殺して良いのは一日一回でしょう?約束を破るとどうなるか知りませんよ?」
今にも部屋を飛び出していきそうな少女を諫め、私は小さく嘆息をした。
「そんなことより明日の計画を立てましょう?」
「アニエス、こんなのであの女を殺せるの?今日だってバレたのに……」
「だって、殺す必要なんかないじゃないですか」
悔しげに爪を噛む少女を私はなだめるように微笑んだ。その自然さに彼女はうっかり流されかける。
「……ああ、それもそうか。…………って何を言ってるんだアニエス!?」
私は笑顔を崩さず、事実を淡々と語ってあげることにした。
「要するに、貴女があの女王の心を射止めればよろしいのでしょう?本日の女王の機嫌はなかなかよろしかったそうで、首を切られた人間も居なかったんですよ。私もお褒めに預かり今日一日は雑用から解放されましたし、全体的に上手くいったみたいじゃないですか」
しかし、昨日私にそれを教えてくれた本人の頭の中には、その選択肢がなかったよう。私の言葉に彼女は大きな瞳を見開いて絶句した。
「なんでそんな話に……」
ようやく彼女が絞り出した声は、驚きを通り越し……半ば呆れを含んだものだった。
それは処刑なんてない方がいいに決まっているけど。それでも納得できない。そんな表情で少女がふて腐れている。
「貴女が昨日話してくれたことですよ。貴女が女王を本気にさせれば、彼女は殺されてくれるんでしょう?」
「薄気味悪いっ!大体あんな女が約束を守るはずがないっ!」
私の言葉に、少女は怒りも顕わに吐き捨てる。
もちろん女王の言葉は戯れだろう。唯の暇つぶし。異性愛者の彼女が進んで道を踏み外そうとするはずもない。
単にこの少女の反応が面白いから。からかうためにそんなことを言い出したのだろう。それでも私は、それを見逃さない。つけ込んであげる。それであの女王を討てるなら。
「……それが策ならそうですね。けれど彼女は嘘を何より嫌っています」
でも、これは事実。私はこの半年の間で得た彼女のことをそっと少女に教えてあげた。
「自分を偽ることも、他人に偽られることも、彼女は憎んでいる。彼女がこれまで殺めてきた者の多くは、彼女に嘘を吐いた人間。だからあの女王はきっと約束を守るわ、絶対に」
傲慢な女王は嘘を吐く。それが彼女の中で策だったなら。
けれど傲慢な女王は自他に誠実な真実を求める。戯れは策ではない。だからもしそんなことが起これば……彼女は約束を違えない。なぜなら自分の勝ちを確信しているから。その傲慢さが、命取りになるとも知らずに。
「嫌だ!絶対に嫌だっ!あんな女口説くくらいなら処刑された方がマシだっ!」
少女が情けない顔で喚き出す。強がっているが所詮は根性なしの女。唯の村娘か。それでもこれは私の手駒。こんなところで諦められては私が困る。
「ティルトさん……貴女は何をしにここへ来たのですか?復讐ですか?それとも殺されにきたのですか?」
私は彼女を見つめ、叱咤する。
「私は女王を口説けなんて貴女に言いません。望みません。そんなことをしなくとも、あの女を陥落させる良い考えがあります」
あの女王の求めているもの。半年間彼女を近くで見てきた私はそれを理解している。私はその役割をこの少女に与えれば良いだけ。
「彼女は貴女の貴女らしさを気に入ったのですから、下手に貴女が彼女をどうこうしようとしたところでそれは逆効果。貴女は彼女を敵だと憎み、常に恨み罵ればいいのです。貴女がそう思うのならば」
目を瞬かせるティルト。彼女は話の半分も理解できていないようだ。小さな嘆息の後、私はこの少女でも理解できるよう、もう一度分かり易く言い直す。
「つまり貴女の偽りない素直な心のままに彼女を憎めばいいということです」
「何だ、そんなことなら」
簡単じゃないかと彼女は安堵の溜息。それが難しいことだと彼女はまだ知らない、なんとも愚かな。だから私は忠告する。警告する。彼女を侮るなと。
「いつまでも彼女への怒りを忘れないで。決して風化させないで。絆されることがないように、お気をつけください」
私は見てきた。彼女を落とすつもりが落とされて……奈落の底まで落とされた愚か者の葬列を。彼女にはそうなって欲しくはない。それでは私が困るから。
「貴女は彼女のどんな素顔を見せられようと、彼女を人間だと認識してはならないのです」
強く憎めば憎むほど、その存在は心を占める。愛でも友でも劣でもいけない。情が生まれたら最後、……誰も彼女の視界には残れない。
*
アニエスと名乗った女の人は、私より少し年上?でもあの女よりは下だろう。それでも落ち着いている彼女はどこか大人びて見えた。敗北して帰ってくる私を出迎える優しい微笑みは、とても綺麗だった。あの女も綺麗は綺麗だけど、この人の綺麗さは良い意味での人間的魅力を醸し出している。あの女のような邪悪な笑い方とは違う、人の心を和らげる、穏やかで優しい笑み。
私が彼女を信用するに値すると判断したのは昨日のこと。女王の召使いだった彼女だが、今は女王のペットである私の世話を命じられているらしく、部屋に帰ればいつも彼女はそこにいる。
村のことを話してしまったのは、彼女が聞き役として優れていたこともあるが……連日の敗戦、女王にかけられた毒薬に心身共に疲れ果てていたのだろう。弱っていた……本当は誰でも良かったのかも知れない。この辛さを吐き出したかった。
話し終えると彼女はうっすらと黒い瞳に涙を浮かべていた。綺麗な色だ。なんとなく好きな色だと思った。私の赤はあの女を、そして狂王を思い出させるけれど、彼女の黒は何だか安らぐ。兄さんと母さんと同じ色だからだろうか。
「そうですか……故郷を、お可哀想に」
「…………哀れまれたいわけじゃない」
彼女の優しい言葉も素直に受け取れなかった疑心暗鬼の私にも、彼女は根気よく何度も笑顔を見せてくれた。
「いいえ、私にもわかります。私も居場所を奪われた者ですから」
そういえばあの女は言っていた。このアニエスという人も、あの女の首を刈ってしまいたいと思っているのだと。
「あんたもあいつが憎いのか?」
「そんな畏れ多いこと、とても口には出せません…………が、あの窓の外を星が流れる度…………うっかりあの女が死んでしまわないかと願ってしまっておりますけれど」
優しく微笑みながらの彼女の言葉。顔に合わないその発言に、思わず私も笑ってしまった。そんな私を見守りながら、彼女は小さく息を吸い……静かな声で語り始める。
「ご存じないですか?セネトレア王には後宮があり、彼には多くの妻と子供がいたんです」
知るはずもない。私はステイブロッドから出たこともなければ、あそこには他国のことを学べるような機関はなかった。稲の植え方や、収穫の時期。この足跡は何の動物かだとか……この草は食べられるとかこれは毒があるとか。そんな実学しか教えられてこなかったのだ。
アニエスはそれには突っ込まずに話を進める。おそらく事情を察してくれたのだろう。
「けれど彼はその全てを捨てたのです。一つの恋の代償は高く付きました。支払ったのは彼は命だけ。それでも子供達は王位継承権を奪われ、王族から普通の民へと身分を落としたのです」
「……最低だ、あいつ」
アニエスは私の言葉に、何とも言えない笑顔を浮かべる。彼女は苦笑しているようだった。
「すみません……悲しいことに、あんな好色男でも私の父上だったりするので……死人を悪くは言いたくありませんね」
「ち、父上!?あいつがっ!?」
「ですが、父が貴女の村を滅ぼしたのは事実。詫びても何も戻りませんが……父の行いを代わりに謝らせてください」
開いた口がふさがらない私にアニエスが謝罪の言葉を口にする。
そう言えばあの男も黒い目をしていた……でももっと濁った目だった。アニエスは違う。静の中に宿る強い意志を感じる……氷の檻で覆われた炎のようなその瞳。彼女が女王を憎んでいるのは、本当だ。
「お姫様……?」
「アニエス=A=セネトレイア。今でこそメイドのような事をさせられていますが、一応私はセネトレアの姫でしたよ?」
私の言葉に彼女が返すのは、悪戯を成功させた子供のような笑顔。ね、騙された?そんな風に問いかける顔だ。けれど次の言葉を紡ぐことには、彼女の顔はすぐにもとの真剣な顔つきに戻されていた。
「私も貴女と同じくなにやら彼女のお気に召したようで……命と身分は奪われずにすんだのですが…………これはこれで屈辱的です」
狭い部屋。ドレスの代わりに召使いの服。公務の代わりに雑用。それでも身分は姫のまま。家だったはずの城を歩けば嘗ての家臣から命令をさせられる。メイド達からの陰口にもこの半年で慣れてきた。そう言って、彼女は目を伏せ呟いた。
「女中姫……それがこの城での私の呼び名です」
彼女の言葉に私は何を言うべきか迷った。私と彼女は立場が違う。抱える悲しみも違う。だから可哀想なんて言ってもさっきの私のように、彼女もそれを受け取らないだろう。
それでも私たちは、同じ憎しみの炎ををこの胸に宿しているのだ。だから私は彼女を励ましたかった。それでも言葉が見つからない。
「アニエス……」
口からこぼれた言葉。その名前に彼女は顔を上げ、私を見つめる。彼女は驚いているようだった。
「私の名前、覚えてくださったんですか?」
少しだけ嬉しそうに、彼女が笑う。
「嫌味でなく誰かにそう呼んでもらえるのは……半年ぶりです。ありがとうティルトさん」
昨日はあんなに儚げな笑みを見せていた彼女だったのに、私は彼女に隠れてこっそり溜息。彼女は切り替えが早過ぎる。
人畜無害な笑顔で彼女は妙な策ばかり練ってくる。何度目かの却下の後、今度は彼女がそっと溜息。私なんかと違って、それさえ絵になる辺りやっぱり美人だと思う。
「やはり私が思うに、朝になるまでここから自由に出られないティルトさんはその時点で不利、後れを取ってしまうのです」
「それは私も思ってた」
頷いてそれを肯定すると、がしっと両手を掴まれる。視線の先には彼女の満面の笑み。
「それなら話は早いです。ティルトさん、脱出しましょう!」