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1 Brevis ipsa vita est sed malis fit longior.

 

 セネトレア王ディスクのもとにタロック第一王女刹那=サメク=ターロックが嫁いだのは悪魔のゲームの始まる半年前。婚約したのが更にその半年前だったという。

 そのころの私がそれを想像できただろうか。これから起こるすべてのことを。

 たぶん、無理だ。今だって信じられない。この一年間、ずっとそんなことの連続だった。人を憎むことも、殺すことも……一年前の私には想像も出来ない遠い世界のことだったのに。

 皮肉なことだ。あの頃の私は常に虚ろな瞳をしていた。空っぽだった。私の内には何もなかった。

 今の私には、それがある。この身を満たす憎悪と殺意。どちらが良かったかなんてわからない。答えを出したところで過去へは戻ることなんかできない。だから私は前を見る。唯前だけを、あの人だけを見て……


* 

 

 太陽の昇る場所という名のタロック王国が都、デクストラニアから離れた小さな山里ステイブロッド。夏は暑いが、冬も寒い。

 冬は近隣の街との行き来が不可能な程、雪が降る。外へと続く山道が雪に閉ざされてしまうためだ。 

 長年の戦で焼けた国の中にあり、緑の残る貴重な財産。

 それがステイブロッド。食料を生産率が限りなく0に近いこの国の僅かな食生活を支える農民達が住むその村に、私は生まれた。

 狩猟と農業を営みながら男は冬場は傭兵として街へ出向き、女子供は副業の藁を編み、村を守り男達の帰りを待つ。

 

 そのため冬の戦力はまだ傭兵にならない若い少年達。

 彼等は盗賊や獣から村を守るため、幼い頃から山の獣を相手に実践を積み、大人達に戦いの術を教えられながら育つ。

 そして20になれば、秋の収穫祭の後村を出、雪解けの春まで外で傭兵となる。セネトレアまで行けば職にも十分ありつける。

 

 しかしあの勅命が出てから、事情は変わった。

 農村における貴重な担い手である労働力を殺めること。それは口減らし以外にありえないことだ。

 戦のためには食料は必要。いくら狂王といえど、自国の食を支える基盤を失うのは痛手だったのか、いくらかの譲歩をした。しかし、それは残酷な譲歩だった。

 

 王の言葉は、“村に男子が一人生まれたら、その身代わりとして村の年寄りを上から一人ずつ殺せ”というもの。労働力にもならず、貴重な女子を生み出すための手段にもならないそれならば、いくら失ったところで王は何も困らない。

 

 その勅が布かれて10年。生まれながらに罪を背負わされた子供達の目には、暗く沈んだ陰がみえた。おそらく、私も彼等と同じ目をしているのだろう。毎年行われるその…儀式。生きていることは、生まれてくることは罪だと私たちは教えられながら育っていたようなものだ。

 生まれた時に誰かを犠牲にしなくても、今こうして此処にいて、生きて呼吸をしていること。それも、同罪。

 私たち子供は、誰かの犠牲の上に胡座をかいて生きている。それを肌で感じながら私は今日も、汚れた土の上を歩くのだ。

 

 国の使者は桜の咲く季節に村を訪れ、一年に生まれた男子の数を調べ、老人を焼いて帰って行く。

 あんなに綺麗な花なのに、悲しみを運んで来る花。

 花に罪がないのは知っていても、あの花が咲かなければいいのにと毎年のように思った。

 

 

 その時、私は13になったばかり。その頃から私の家に、商人が訪れるようになる。

 あの勅が出たあたりから、村に来る行商人の数は増えていたから、女の私が彼等の目に留まってしまったのは仕方がないのかもしれない。

 

 

「子供なんて生まれなかったと言えば良いんですよ、私にあの子を預けなさい。次に殺されるのは貴方の父様や母様かもしれないのですよ」


 

 親思いの大人達にそう囁き、相場を知らない村人に唯同然のはした金で子供を買い取れる。それに味を占めた商人達が桜が散る頃から秋までひっきりなしに現れた。

  

 そして彼等は腕の立つ若者を傭兵として外へ連れて行くようになり、村は農業よりも傭兵業が盛んになった。

 その方が効率も良い。金が手に入ったら、役人に賄賂渡し、老人の処刑を回避することだって出来るかも知れない。

 そう考えた村が、傭兵を始める年齢を16才まで引き下げたのは、人員不足によるものだった。

 

 しかし私の家に現れる商人は彼等は他とは違い、家の天井まで届くような金を積んでは私を欲しがった。他の女子の家にもこんな大金は出さない彼等が、どうして私をここまでして欲しがるのか。

 しかし…どれほど金を積まれようと両親が私を手放すことはなかった。刀片手に物凄い形相で商人を追い返す父。逃げ帰る彼等を笑いながら入り口に塩をまく母。そんな二人が…私はとても大好きだった。

 父が外の仕事でいない時、何度か私は誘拐されそうになったこともあったが、私は無事だった。そんな時必ず私を守ってくれる人があったから。

 それは2つ年上の兄のフェイロウだ。


 この頃にはもう、稀少となった女子。私を女らしく生きて欲しいと願った父は、私がどんなに頼んでも剣を教えてくれなかった。その代わり、父に隠れて私に剣を教えてくれたのも兄だった。

 


 「いつ俺がいなくなっても大丈夫なように。自分の身を自分で守れるように、強くなるんだぞ?」

 


 …そう彼は私によく言った。兄はあと1年で傭兵となる。

 それまでに私は彼を安心させられるくらい強くならなくてはいけない。長い髪を切り、男の格好を始めたのは…誘拐防止の他にそんな思いがあったからかもしれない。

 

 村の子供の中で一番の剣の使い手の兄。その兄に五度に一度は勝てるようになった頃…兄は今度の秋から村を出ることになっていた。そしてその年の夏が終わる頃…私に新しい弟が生まれてしまった。

 その頃村にはもう…老人が居なかった。


  

 これから村はどうなってしまうのだろう。他の村のように、赤子達が殺されるのだろうか。

 それとも働き盛りの若い衆が殺されるのか。村は不安に包まれた。

 

 そんな時、現れた一人の商人。彼は悪魔の如く囁いた。

 


 「もしこのお嬢さんを我らにお譲り下されば、何不自由ない生活を送らせて差し上げます…もちろんあなた方の生活も支援させていただきますよ」

 

 

 彼はセネトレア最大手のペンタクル商会の頭であるペンタクル。

 彼は私を引き渡しさえすれば、毎年村が望むだけの老人奴隷を村へ捧げると言う。

 それはつまり…私一人と引き替えにこれから先、村の人間が誰も死なずに済むということ。

 この話に、両親は悩んだ。

 何せ、今度生まれたのは自分の子。責任を取れという村からの圧力もあった。

 

 それでも兄は、兄だけはそれに反対してくれた。それがたった一人だけでも、嬉しかった。剣の稽古でだって泣いたことのない私が、号泣してしまったくらい……嬉しかったんだ。

 けれど人の形をしたその悪魔は、言葉巧みに村人の心を掌握していく。いつまで私がここにいられるかもわからない……村は不穏な空気に包まれる。


 そんなある日、兄に誘われ狩りに出かけた。

 村人に会う度に向けられる視線に気落ちしていた私の気晴らしをつもりだったのだろう。

 

 

 「弓の方も、随分腕を上げたじゃないか」

 

 

 射落とした獲物を見、兄は満足げに笑う。しかし私の目には、獲物から流れるその赤が焼き付いて離れなかった。今まで当たり前のように殺してきた動物たち。彼等は村にとって貴重な食料だ。

 生きるために当たり前のことをしていただけ。

 それでも人は生きるためには、自分ではない何かを犠牲にしながら生きていかなければならないのか。

 その瞬間、私は動物たちを…人間と変わらない、同じ一つの命だと認識してしまった。

 狩りをするものにとって、それはあってはならない……愚かなことだ。それはまるで世界がひっくり返るような衝撃。

 さっきまで空を羽ばたいていた鳥。

 まだ、生きている。苦しそうにもがいている。

 

 目があった。黒い、綺麗な瞳だ。私とは違う。

 そこに絶望はない。生きる希望、生きたいという心からの願い。そこには、炎が宿っている。生きる意志だ。

 

 それに魅入られたかのように、私は弓を手放し…じっとそれを見つめた。その体に触れてみると、まだ温かい。

 当たり前だ、生きているんだ。動いている心臓の音。

 こんなにも強く、生を願っているのに…それを殺めてしまっていいのか?

 弱っているから?弱いから?それだけで…

 

 あの老人たちも、死にたいとは思っていなかっただろう。きっと。

 生きていたんだ。死にたいなんて思うわけがない。だって、生きているのに。生きていたのに。

 


「何やってるんだ、馬鹿!」


 

 黒に染められた世界を一瞬にして、色を取り戻させる声。

 兄の剣が走り、その首を大地へ落とした。

 恨めしそうに転がっていく首。それでもあの瞳から、生の炎は消えなかった…最期まで。首が宙を舞い地に触れるまで。その刹那の時が、とても長く感じられた。


 

「弐面鳥の嘴には、毒がある…教えただろ」


 

 生を願う者は、最期まで諦めない。勝ち取ろうとするんだ、自分の意志で。それを私は、知らなかった。


 

「死にたいのか、馬鹿」

 

 

 兄の声も、どこか遠くから聞こえるようだ。こんなに近くにいるのに…私は、一人だ。

 血の繋がった彼であっても、どんなに近くても…同一ではない。同じじゃない。だから、兄には私が、私の気持ちはわかれないんだ。

 

 

(だって、…今……兄貴が何考えてるのか、わからない)

 

 

 私のために怒っている優しい兄の顔が、今は…生を貪る死神にしか見えないなんて。

 

 

(死にたいかって…言われても……)

 

 

 死にたいわけない。だって生きているんだ。それでも自分より生きたいと思っている者を殺してまで、私が生きている意味って何? 

 罪悪感に苛まれて、呼吸さえ凍るような一瞬。

 

 死にたいなんて思ったことはない。

 それでも、生まれたかったと思ったことだって…一度もない。

 

 ただ、いるだけ。

 昨日“いた”から、今日ここに“いる”だけ。


 なんで“生きてる”んだ?私は… 

 生きることで何かを傷付け誰かに迷惑をかけるだけなら、いっそ…人間なんて、私なんて死んだ方が良いのだろうか。いなくなっちゃえばいいのか。

 奪うことしかしてこなかった私が、生きて誰かのためになるのなら、私はあの商人についていくべきなのかもしれない。

 

 

 「おーい、聞いてるかぁ?」

 


 その瞬間、目の前で掌をひらひらさせている兄の図が目に飛び込んで来る。

 ああ、いつもの…兄だ。黒の世界が遠ざかっていく。

 叱られたことで私が落ち込んでいると勘違いした兄は、大げさなくらい私を褒める。

 


「最後に気を抜いたとはいえ、…まぁ、強くなったじゃないか。うん、よくやった!流石俺の妹だ!」

 「……全然だよ。剣だってまだ敵わないし…」


 

 せっかくの兄の配慮だというのに、まったく気乗りできないままの私は申し訳なく感じ苦笑した。

 

 

(やっぱり…わからないんだ)

 

 

 似てても、同じじゃないんだ。

 同じ果物が好きで、同じ景色が好きで…同じ野菜が嫌いでも。

 すれ違っている。そんな気分が悲しかった。わかって欲しいのに。誰よりも、貴方に。

 それなのにこの人は、私の心をまったく理解していないのだ。

 

 自然と笑みが消え、私は彼を見つめる。

 父に似た赤い目の私と違い…母さんと同じ黒い瞳。

 あの獣と同じ色の瞳。

 

 でも、違う。

 真っ直ぐな目をしていた。嘘偽り無く、あれは生きていた。

 兄は私に言えないことを、隠している。

 何か言いたそうに、それでも何も言えずに。だから私に何も伝わらないまま。

 


「兄貴……」


 

 こうして見つめていれば、いつかわかるのだろうか。それとも永遠にわからないままなのか。  

 そんな私を見ていた兄は、何か思うところがあったよう。彼の次の言葉はただの気まぐれではないだろう。

 

 

 「剣…試してみるか?一回限りの真剣勝負」



 いつもは三本や五本勝負。結果の見えている勝負なんてまったく馬鹿げている。

 

 

 「兄貴が勝つに決まってるだろ」

 

 

 溜息ながらに私も剣を抜く。

 だって兄は言い出したら聞かないのだ。

 

 

 「やってみねぇとわからないさ!」



 言うや否や向かってくる兄。それを迎え撃つ私。


 

(速い…)



 兄は細身で足も速いし、身のこなしも軽い。繰り出される剣撃を防ぐだけで手一杯。

 刃がぶつかる度、腕に痺れが走る。いくら細身とはいえ、男と女だ。力の差は歴然。純粋な力じゃ敵わない。

 

 

(だったら…)



 より素早く。繰り出される前に、私が攻める。 

 前へ飛び出し、一気に距離を縮める。兄の剣が脇を掠めるが、気にしない。

 寒さで痛覚が麻痺しているのが幸いだった。

 

 

(片手で足りないのなら…)



 どうせ力じゃ勝てないのなら、両手で剣を支える意味はない。

 手数を増やすことに専念するべき。

 

 私は刃で兄を狙う…に見せかけ片手を外した。

 

「……っ!?」

 

 振り下ろした左手が狙うは兄の手。

 神経が集まる指先に狙いを付け、手刀を撃つ。

 

 僅かに指が離れたその瞬間、兄の得物を奪い取る。

 兄にはもう武器はない。それを突きつければ私の勝ちだ。

 


「……俺の、勝ち?」


 

 二本の刃先を彼に向け、私は静かに笑う。

 どうしてだろう。身体はこんなに熱いのに、心は冷え切ってしまっている。

 うれしくない。勝ったのに。憧れていた兄に、一発で勝てたのに。

 

 

「……油断が命取りって教えただろ」


 

 不敵に笑う兄を見た後、世界が揺れた。


 

「…え」


 

(…これは、毒!?)

 


 どさっという音。私が地面に伏した音。

 


「安心しろ、ただの痺れ薬だ。獣用に持ってきたんだが、まさかこんなことになるとはな」

 

 

 話は聞いたことがある。村を出るときに渡されるという毒剣。

 柄に施したいくつかの細工を弄れば、瞬時に刀身に毒薬を纏わせられるという…。

 兄は村にいたのに、どうして?

 


(…まさか)

 


 16。早い者はもう春の内から村を出される。身重の母を村が気遣ってのことだと思っていた。でも、違かった。私のことがあったから、兄は…仕事を断り続け…私を守っていてくれたのか。

 


「返して貰うぜ」

 


 そう言いながら刀を取り返すと兄は片手で柄を握り、私の傷口にそっと触れる。

 すると身体の痺れが取れていく…これは解毒用か。

 

 

「攻撃も痛みも恐れないのはおまえのいいところだけどさ、誰もがおまえみたいに馬鹿正直で真っ直ぐじゃないんだよ…世の中には卑怯者が沢山うじゃうじゃわらわらわんさかごまんといるんだ、覚えとけ」

「…兄貴こそ」

 

 

 自分のことを棚に上げて言う兄に、私の口から笑みがこぼれた。

 

 

「まさか、真面目で正々堂々が服着て歩いてるようなおまえがなぁ〜…流石の俺もお前があんな汚い手使ってくるとは思わなかったぞ?」

 

 

 あんなことを思いついたのは…今回が初めてだった。

 いつもは兄に追いつきたい一心で、必死に食らいつくことしか考えていなかったから。

 

 

(でも、ちがう)

 

 

 今回は、そんなこと考える余裕なんて無かった。

 心にかかった黒い靄。

 勝ちたいとも負けたくないとも思わなかった。ただ、目の前の人を……ぶちのめしたかったのだ。例え、どんな手を使ってでも。

 

 なんでそんなことを思ったのかは、…今はもう思い出せない。そんな些細なことに私は苛立っていたのだろうか。自分の器の小ささに自分で自分に呆れてしまう。

 

 

「兄貴が俺をどう思っているかは知らないけど、俺はそんな…綺麗でも真っ直ぐでもないよ。俺もその卑怯者の一人だってことわかったんじゃない?」

「ばーか!考えてみやがれ〜…普通、“私ってとっても綺麗な人間なの”って自分で言うような奴に、そんな奴がいると思うか?違うだろ?」

 


 変なことを言い出した。反論出来ないような変な例えを持ち出すなんて…やはり兄は卑怯かもしれなかった。

 

 

(確かにそんなひと…嫌だけどさ)

 

 

 兄の言葉を想像してみてぞっとする。

 

  

「おまえは優しいんだよ…優しすぎるんだ」

 

「自分よりも他人を思えるってのは良いことだ。他人の痛みも辛さも自分のことのように感じることが出来るってのはある種の才能だ」

 

 

 兄が言うように私は、私と他を分ける境界線があやふやなのかもしれない。

 どこから私で、どこから他人か。

 苦しみ、悲しみ。伝染する感情。流されてばかり。それならば、本当の私は何を考えているの。わからない。

 

 私にとっての世界とは、私にとって…この目に映る物すべて。

 それが大事なのに、愛しいのに。

 世界は私を同じようには思っていないのだ。

 

 わかってもらえない。それでもわかってしまうから。

 痛いんだ、苦しいんだ。悲しいんだ。泣いてしまいたいんだ。

 

 

「それでも、そこにおまえがいなきゃ何の意味もねーだろ?その優しさを少しは、自分に向けることを覚えろ…じゃないと安心して旅立てねぇだろ〜俺が!」

 

「だから心配なんだ…これでも一応、俺はお前の兄貴なんだから」

 

 

 胸を揺さぶる言葉。見上げた空の、沈む夕日が目にしみた。

 命を貪ってここにいた私が……生まれて初めて、ここにいてもいいと誰かに言って貰ったような気がした。

 私は今、悲しい?だって泣いている。

 でも、心は温かい。嬉しいの?

 

 どっちが本当の心なんだろう。まるきり反対。別の感情。

 どっちが私?どっちが偽物?

 わからない。

 わからないけれど今この瞬間…私の心は、この感情は私のこの手の中にあるのだと…私にはわかっていた。それだけは確かに……嬉しいことなのだと私は理解した。

 


 涙を拭いもせず夕日を見つめる私の横…何も言わずに兄はそこにいてくれた。

 その時は、私の心に久しい平穏と確かな温もりを与えてくれる。静かに草むらに腰を下ろし、同じ空の色を眺める兄。

 別存在である私たちが同じものを見て、感じることは別だろう。それでもそこに流れる時は、先程までとは違い…私にとって不快ではなかった。


 暫くそうしていたが、沈黙を破ったのは兄の方だった。

 

 

 「あんなわけのわかんねぇ胡散臭い奴隷商人が、お前を欲しがる理由がわからねぇ…」

 


 それは常々私も思っていたことだ。

 

  

 「確かにお前は俺の妹だし見てくれはいいかもしれないが、所詮は田舎の芋娘だし教養の一つもない。貴族様が好むような毛色の混血でもねぇ。かといって、もうそろそろ15にもなる娘が男装してても違和感がないくらいの平面体型じゃ愛玩用にされるはずもねぇ。特技と言えば男顔負けの気の強さと喧嘩っ早さと喧嘩の腕くらいだ。いくらタロックの女が貴重とはいえ、山の向こうも海の向こうもこんな嫁さんは願い下げだろうさ」

 

 「結論は?」

 


 散々な物言いだが、とりあえず遺言くらいは聞いておいてやろうか。 


 

 「要するにお前なんかを欲しがるのは、余程の変態しかあり得ないということだ!兄としてそんな奴におまえを渡すわけには…」

 

 

 今怒っているのは、世界ではない。私自身だ。

 自と他の境界を教えてくれた、貴方に感謝しよう…墓の前で。

 

 

 「要するに兄貴は今日を命日にしたいわけだ」

 

 

 言いながら瞬速で振り下ろした白刃は、顔面すれすれで白羽取りをされてしまった。流石…腐っても、傭兵見習い。

 

 

 「やるじゃ…ねーか、兄貴」

 「お、おまえこそ、それでこそ流石は俺様の弟だ!」

 「妹だっての!」

 

 

 適当に私が放った蹴りは、見事に兄の鳩尾にヒットした。

 兄の言うよう、剣だけでは兄に負けるかもしれないが…喧嘩技込みの問答無用の勝負なら私に軍配が上がるかもしれない。次に何か言って来たら鳩尾なんて甘いこと言ってないで股間でも蹴り上げてやろう。



 「やっといい表情になったな、お前」 


 

 しばらく苦痛に呻いていた兄が起き上がった時、彼は満面の笑みを浮かべていた。別に何か変な趣味に目覚めたわけではないようだ。

 

 彼の言動から彼のペースへと、いつの間にか乗せられていた私が居る。さっきまで沈んでいた私の心も、考え事も、どこかへ吹き飛ばしてくれていた。 

 兄が言いたかったのは……言葉ではなく、剣を交えることによって…伝わることも伝えられることもあるということなんだろうか。

 

 

 「なぁ…こんな村、捨てちまおう!ティルト、お前もさ!俺と一緒に傭兵やって暮らすんだ」

 「でも…」

 

 

 それから兄は何度も私を説得した。しかし、優しい両親や幼い弟たちを見捨てる決断が、私には…どうしてもできない。

 それでも…兄がくれた言葉が、空っぽだった私の胸にひとつの火を灯している。

 ここにいていいと言ってくれたのは兄。

 こことは、場所じゃない。村じゃない。兄の、隣だ。

 

 それなら私は…私にとっての世界とは、兄のことなんじゃないだろうか。

 目に映った景色は切り捨て、ただこの人だけを見て…歩いていけば良いんじゃないか。

 

 あいまいな境界線。世界が自分で、自分が世界だった私。一人きりだと感じていた世界。

 両手に抱えきれない程の、大事にしたかった物。守りたかった物。…私を好きになって欲しかった物。

 

 目に見える境界が布かれ一人きりなった世界。それに1増えただけ。

 それでも…たった一人でも、私の望む全てに…私の世界になってくれる人が居るのなら。

 私はその人と共にあるべきなんじゃないか。

 

 

 「兄貴……」

 「ん、なんか焦げ臭ぇーな…“秋の焼き畑焼き物祭”はまだ先じゃなかったか?」

 


 私が言いかけた言葉は、彼に伝えることなく…私の内に飲み込まれてしまう。だが、また言い直せばいい。

 

 

(傍にいるなら、いつだって…)

 

 

 

 「まさか……処刑?」

 

 

 兄の物騒な言葉に私は浮ついていた気持ちをしまい込む。

 

 

 「でも、最近じゃ滅多に処刑なんて…」

 

  

 老人が狩り尽くされたこの村で、処刑はしばらく行われていなかった。

 

 

 「…まさか」

 

 

 嫌な予感は拭えない。生まれた弟。…彼の身代わりは、誰?

 

 

 「兄貴!」

 「ああ、行くぞティルト!」

 

 

 

 狩猟場である山側の村の入り口。

 それが見える場所まで着いた頃、目に入ってきたのは村を飲む込む炎の渦。

 人々の阿鼻叫喚。鼻につく…嗅ぎ慣れた何かが焼けこげる臭い。それと嗅ぎ慣れない、錆びた鉄の臭いが混じり合う。

 

 その燃え盛る火炎を、手下を従える黒馬にのった男が…満足そうに見つめていた。

 


 「考えてもみよ。ますます女児の出生は減っているというのに我の命令を農奴風情が特例扱いなど…どう考えても、気に入らん!食料など失われてもどうにでもなろう、海の向こうから奪えばよい」 

 「もし貴方様の国になにかありました折りは、このセネトレアがお力添え致します」



 男の横で揉み手をしている小男に、私も兄も見覚えがあった。

 

 

(あの…商人!)

 

 

 村人を操り、私を売らせようとしていたあの男。

 

 

 「頼もしいのぅ…セネトレア王」

 

 

 男は商人を従え、濁った目で嗤う。

 

 

 

(セネトレア王!?あの……ペンタクルが!?)

  

 「あの男が、セネトレアの…王だって?」

 

 

 隣には私と同様、驚きを顕わにしている兄がいた。



「いや…考えてみれば辻褄が合う……くそっ、もっとはやくお前を連れ出していればっ…」

「違う…」


 

 それは、私が迷っていたから。兄のせいではない。

 悪いのは私なんだ。いつも、いつだって私が悪いんだ。

  


 

 「例の件…お願いいたしますよ、須臾王」

 「女一人など、我は失おうとも構わん、おまえにくれてやる」

 


 男の言葉にペンタクルは満足そうに媚びた笑いを浮かべていた。

 

 

 「女以外は叩き斬れ!…いや、面倒だな…農奴風情、あってもなくても同じ事」

 

 

 男はあっさりと言葉を撤回する。

 

 

 「全て焼き尽くせ!!女子供も斬り捨てろ!」

 

 

 その言葉のすぐ後に、炎の勢いと悲鳴が増して……悲鳴だけが次第に小さく掻き消されていく。私も兄も、そんなものを見せられてじっとしてなんかいられなかった。けれど、今にも駆け出しそうな私の肩を兄が痛いほど掴み、行かせてくれない。 

 

 

 「いいかティルト…ペンタクルの言ってる女は、きっとお前だ。山に戻って…奴等が引くまでじっとしてるんだ」

 「兄貴…兄貴はどうするんだ!?」

 


 聞く前から、答えはわかっていた。

 

  

 「俺は…父さん達を探しに行く!」

 「無理だ兄貴っ!」

 


 嘘だ。兄は嘘を付いている。あの鳥と同じ、真っ直ぐな目。でもそれは…死を前に、存在しない希望を信じようとする者の瞳だ。

 

 

 「無理じゃねぇ!例え無理だと思っても、そんなことは言うな!それを言葉にした瞬間に、出来ることも出来なくなるんだ!」

 

 

 兄の言っていることは、無茶苦茶だ。だって理解できない。

 

 

(そんなこと、信じられないよ!お兄ちゃん…)

 

 

 「だから、俺は大丈夫。必ず帰る。父さんも母さんも…弟たちも、きっと無事だ」

 

 

 もはや手遅れだって事は、二人ともわかっている。それなのに彼は平気でそんな嘘を言う。信じられるはずもない。どうせ言うならもっと、上手な嘘を吐いて、私を騙してくれればいいのに。

 

 

 「言わないとわからないか?足手纏いだって言ってんだよ」

 


 これも嘘だ。さっきよりは上手い嘘。私が足手まといなのはきっと本当。それでもみんなを助けに行くのは…………きっと嘘。だって手遅れだって解っているんでしょ?

 嫌だ。どうしてこんなことばかり、わかってしまうんだ。嫌な予感しか、当たらない。

 

 

 「嘘だ!兄貴…兄貴は、あの男の所に行くんだろっ!?」

 

 

 村を燃やしている…あの男を兄さんは許さない。きっと、あいつに剣を向けに行くんだ。

 私のために村を憎んでいたけど、兄さんは…この村を嫌いになんかなれていなかった。

 

 

 「俺も行く!一人じゃ駄目でも、俺達二人ならきっと…勝てる!勝つんだ!だからっ…」

 

 

(だから私も連れて行って…お兄…ちゃん)

 

 

 境界の引かれた世界に、一人で生きていけるほど…私は強くはなれない。その溝を知らない頃には、戻れないのだ。それなら私は……



(死んだ方がずっと苦しくないよ)

 

 

 縋る私に兄さんは、憂い顔。彼は小さく口を開いた…

その瞬間、私の首筋に迷いのない手刀が振り下ろされる。

 

 気を失う寸前、兄さんの口は私に“ごめんな”と言っていた。

 

 

ティルトは俺っ子です。でも心の中では私とか言ってます。男とか女じゃなくて、周りから一人前の人間として見て欲しいという気持ちが彼女を俺口調にさせています。ですが内面は心優しい普通の女の子です(私に普通の女の子が書けないせいであまりそうには見えませんが)。

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