断罪された後の悪役令嬢のそばに立つ騎士のお話
第一王子がエリーゼ=ブリュンメント公爵令嬢との婚約を破棄したという話はその日のうちに単なる騎士の男にも届くくらい広まっていた。
というか、件の『元』公爵令嬢の護衛に彼を含む数人の騎士がついていて、現在国外に向けて森に走る街道を進んでいた。
「…………、」
男爵令嬢への悪口や物を隠すといった嫌がらせが未来の王妃に相応しくない振る舞いだったというのが婚約破棄に至った理由らしい。その辺りは『勝者』が如何様にも喧伝できるものなのでマトモに受け取ってはいないが(そもそも男爵令嬢への嫌がらせ云々だけで王族と公爵令嬢の婚約が破棄されるなど普通ならありえない)、結果としてエリーゼは婚約破棄の上に公爵家から勘当され、今まさに国外追放の処分を受けている。
いかに王族の権威が周辺国家よりも強いこの国であっても無茶苦茶だと表現できる有様だが、現にその無茶が通っているのは『勝者』が何かしら働きかけたからだろう。
十代後半と若くして騎士になった男は横目で馬車を見やる。勘当されたとはいえ仮にも公爵令嬢だったエリーゼを乗せている馬車はそれなりに立派なものだった。それなり、という冠しかつかないことがエリーゼの現状を示しているが。
彼女が婚約破棄、勘当、そして国外追放を突きつけられるまで一日と必要としていなかった。婚約破棄を突きつけられたパーティーの翌日には身分を剥奪され、見知らぬ土地に一人放り込まれるというのは流石に理不尽が過ぎる。
仮にも昨日まで婚約者だった女を国外に追放して──その後どうなるかなどわかっているだろうに──第一王子は何も感じていないのだろうか。
それとも、かの王族をそこまで怒らせるほどの何かをエリーゼはやらかしたというのか。
「気に入らないな」
ぼそりと騎士の男が吐き捨てた、その時だった。
ざっざざっ!! と。
元公爵令嬢を乗せた場所を取り囲むように複数の人影が飛び出してきたのだ。
下卑た笑みを浮かべた、三十人を越す男たちが剣や槍を手に距離を詰めつつあった。
森を引き裂くように走る街道には馬車と護衛の騎士たち以外には誰もいないはずだった。そういう人の集まらないルートを『上』から指定されていたというのもあるが。
元とはいえ公爵令嬢が余計な注目を集めないためだと思っていたが、こういう展開になると穿った見方もしたくなる。
「よお、騎士様。死にたくなけりゃあ回れ右して逃げるこったな。馬車を置いていくなら見逃してやらんでもないぞ」
第一王子はエリーゼ=ブリュンメント公爵令嬢との婚約を普通ではありえないような強行的な方法でもって破棄した。公爵家からの勘当や国外追放といった流れも一日で決めるにはどこか性急であり、強引な印象を受ける。
仮にも騎士が護衛している馬車を襲う。単なるゴロツキならば報復を恐れてありえないような展開。この強引な展開もまた何者かの意思あってのものなのではないか?
もちろん穿ちすぎな考えであり、こうして襲われているのは単なる偶然だと片付けることもできるのだが、
(連中の身のこなし、素人じゃないな)
姿や振る舞いこそゴロツキのようだが、足の運び一つとっても隙がない。それに、どことなく『騎士の技術』が見て取れるということは──
(参ったな。コイツら、汚れ仕事専門の騎士かもしれない)
そういった部署があるという噂は聞いていたが、よもやこうして顔を合わせることになろうとは。
この襲撃もまた婚約破棄や勘当、国外追放という一連の流れの一部であると仮定すると、王族や公爵家が裏に潜んでいるかもしれないのだから。
こうして考えてみると、あながち勘違いで済ませるには無理がありそうだ。
どうやら彼以外の騎士も似たようなことを察したのか、普段であれば敵前逃亡などしないような者たちが小さく首を横に振ったり、仕方がないなどと吐き捨てて逃げ出していた。
その後ろ姿に、しかし騎士の男はついていくことはなかったが。
「なあ、おい。お仲間は賢くも我先に逃げ出したぜ。騎士様も習うべきじゃねえか?」
「賢くだと?」
「そうだ。何も勝ち目がない戦いを挑むこたあねえ。別に馬車の中の女一人見捨てても国家の存亡が左右されるわけでもなし。今後、騎士様がこの国を守らんと剣を振るうためにも今は賢く退いて、きちんと生き残るのが正しい選択ってもんだぜえ?」
「正しい選択、か」
馬車の中の『女』一人見捨てても、とゴロツキのような誰かは言った。その時点で偶然にもゴロツキが獲物を見つけたから襲った、といった線はなくなった。
いいや、ゴロツキのような誰かの口ぶりからそのことをわからせるためにあえてそう言ったのだろう。
賢く、正しい選択をさせるために。
騎士としてこの国を守らんと剣を振るう『いつか』のために、今ここで無駄死にするのは避けろ、と。
それが『大人の世界』なのだろう。
こんなの『貴族社会』では日常茶飯事なのだろう。
騎士とは、絵本の中で語られるようなものではなく、あくまで王の手となり足となり働くだけの存在なのだと理解するくらいのものはこれまでだって散々見てきた。
敵はただのゴロツキにあらず。
身のこなしから彼と同じく『騎士の技術』を身につけているのは明白であり、三十以上もの人数差があっては必ずや負けるのは理解している。
その時、彼の脳裏に浮かんだのは護衛の命令を上司より受けた時のことだった。
『今回の護衛対象の特異性を鑑み、最悪の場合は己の身の安全を優先しても構わない』、と舐め腐ったことを口走っていたではないか。
全ては予定調和。
彼が戦おうが戦うまいが、最終的には裏で糸を引く誰かの望むがままにエリーゼは襲われる。そうなるように、整えられている。
だから、逃げるのが賢い選択だ。
だから、暗黙の了解に従うのが正しいのだ。
だから、騎士として何をどうすべきかなど論ずるまでもない。
「ふざっけんなよ、クソッタレがあ!!!!」
腰の剣を抜き、馬車を斬り裂く。
その先。突然のことに驚いたように身をすくませるエリーゼを半ば無理矢理引き摺り出す。
右手で護衛対象を抱きしめ、左手に握る剣をゴロツキのような誰かに突きつける。
「守るべき対象を見捨てるのが賢く、正しいだと? 馬鹿言うんじゃないぞ!! 勝ち目があろうがなかろうが、どこぞのクソ野郎が全てを掌握して望むがままの結果を狙っていようが関係ないんだよ。今後なんてそれこそどうでもいいっ。今、この瞬間! 目の前の女を救えないような腰抜けが騎士を名乗れるかっつーんだよお!!」
恐れ多くも騎士を名乗るのならば、目の前の命を守り抜け。騎士として当たり前のこともできないのならば、もう死んだほうがマシだ。
幼き頃、絵本の中の騎士に憧れた。
騎士になって、理想と現実の差に落胆した。
だからどうした。
そんなの、理想を捨てる理由になどなるものか。
「俺は騎士だ」
守るべき誰かのためならばどんな障害だって斬り払う格好いい存在。そんな騎士になると、剣を手に取った。
理想はここにあり。
現実に屈してなるものか。
「テメェらと違って、本物の騎士になると誓ったんだよ!!」
腕の中のエリーゼが『わたくしはここで殺されるんですっ。貴方まで巻き込まれることはありません!!』などと言っていたが、無視した。
理想の騎士は、そんなつまらないことで守るべき対象を見捨てたりしない。いっそ我儘を貫いてでも彼は理想を掴むと誓ったのだから。
敵は『騎士の技術』を身につけた三十人強の戦士たち。一人一人が騎士の男と対等かそれ以上の実力者であり、勝ち目などないとわかりきっていて、それでも腕の中の女を見捨てる理由などどこにもなかった。
だから。
だから。
だから。
どっしゅっっっ!!!! と。
煙玉を炸裂させた騎士の男は煙幕に紛れて三十人強の包囲網から抜け出した。
真っ向勝負のような格好良さは求めていない。
どれだけ泥臭くとも、卑怯であっても、最後の最後に守るべき対象が笑えるのならば手段を選ぶ必要などないのだから。
ーーー☆ーーー
「ごふっ、えふっ」
「おっと、悪い悪い。煙、吸ってしまったか」
腰の鞘に剣を納めた騎士の男はエリーゼの腰と膝裏に手を回し、お姫様抱っこスタイルで森の中を駆けていた。
今のところ追っ手は視認できないが、油断はできない。相手は素人ではなく『騎士の技術』を身につけた戦士たちなのだから。
「どうして、ですか?」
エリーゼは困惑を隠しもせずに問いかける。
「彼らが殿下が放った刺客だとわからなかったんですか!?」
「あ、やっぱり第一王子からの刺客だったんだな。予想はしていたが、そっかあ。女一人殺すために大袈裟なものだ」
「何を呑気に言っているんですか!? 『予定調和』に逆らえば、貴方も命を狙われます!! これは単なる盗賊を相手にするような話ではないと理解したのならば、早くわたくしを離してください!!」
「やなこった」
「な……っ!?」
両腕に力を込めて、騎士の男は言う。
「そういうのは、騎士じゃないからな」
「……、殺されますよ? 王族が差し向ける刺客に騎士が一人で抗えるわけないのですから!!」
「かもな。だが、どうせ貴女を見捨てても騎士としての俺は死ぬんだ。どちらにしても死ぬなら、戦って死ぬほうがまだしもマシだろう」
「どうして……どうして、わたくしなんかのために……っ!!」
「騎士だから、ってのが一番だが」
そこで初めて騎士の男は腕の中の女に視線を向けた。腰まで伸びた光り輝く金髪に宝石のように輝く碧眼、いくら周囲から貶められようとも損なわれることのない美しい女がそこにいた。
どことなく戯けるように、彼は告げる。
「こんな美人さんが命を狙われているってんなら、何もかも投げ出してでも助けたくなるのが男って生き物なんだよ。つーか普通に一目惚れみたいな?」
「な、なにを……っ!?」
「はっはっはっ!! まあ、なんだ。貴女を助けるのは一から十までぜーんぶ俺の我儘なんだ。だから変に気にするなよ、な?」
と、そこで騎士の男は大きく横に飛び退く。
ズソォッ!! と先ほどまで彼の頭があった場所を後方から飛んできた槍が突き抜けていった。
「チッ。このままトンズラってわけにはいかないか。ちょろっと激しく動くからしっかり掴まっててくれよ」
言下に襲いかかってきたゴロツキのような誰かの斬撃を騎士の男は回避する。その間にも次から次に敵が押し寄せていた。
そんな状況でも彼は笑っていた。
笑って、理想を貫く。
ーーー☆ーーー
その後の道のりは決して綺麗なものではなかった。
追っ手から逃げるためなら『何でもやった』し、逃走資金を稼ぐために盗賊団を襲い、警備隊に引き渡すついでに盗賊団が貯め込んだ資金を奪ったりとあまり大声では言えないことにも手を出した。
それでも彼はエリーゼを守り抜いた。騎士として守るべき対象の命だけはどこかの誰かに奪わせなかった。
「ふんふん、ふふーんっと」
あれから一年が経った。
国外追放の命令通り隣国に逃れたエリーゼに、それでも追っ手は放たれていた。それでも最近は向こうの余裕がなくなったらしいので人目がつかない田舎町の外れにある小屋に腰を落ち着けることができてきた。
こうして騎士の男が田んぼを耕して、日々の糧にするだけの余裕もあるということだ。
とはいえ、稼ぎで言えばどこの国でも識字率が高くないからこそ貴族向けの写本関連の仕事についているエリーゼには遠く及ばないが。
「あの国の『内乱』、そろそろ終わったかなあ」
エリーゼを追放したあの国の第一王子は国王の死をきっかけに新たな王と君臨した。それも周辺国家に比べても突き抜けて高い王族の権力を存分に振るい、エリーゼが虐めていたとされる男爵令嬢を妃としてだ。
『断罪が終わった後、馬車の中で思い出してもどうすることもできないではないですか』だの『このようなゲームの記憶などエンディングを迎えた後の世界では何の意味もありません』だのよくわからないことをこぼしていたエリーゼは特に驚いた様子はなかったが。
誰が正しく、誰が間違っているのかを論じるつもりはない。だが、結果としてあの国では『内乱』が起きている。それが全てだろう。
──騎士の男は正義の味方ではない。あの国に仕えていた頃ならまた違っただろうが、すでに出奔した以上、あの国の行く末だのなんだのに首を突っ込む気はない。
歴史を左右する大きな流れなど関係なく、目の前の命を守り抜く。それが彼が目指す騎士であるのだから。
だが。
それはそれとして。
ガンッ、と田んぼを耕していたクワを思いきり叩きつけ、寄りかかるようにして騎士の男は言う。
「騎士としてはここらが潮時、か」
騎士の男はエリーゼを守るために今日この日まで付き添ってきた。そういう大義名分があったからこそ、そばにいることができた。
だがこれからは? 『内乱』によって現王権が崩壊すれば遠からずエリーゼへの追っ手もなくなるだろうから、騎士の男がそばにいる理由もなくなる。
騎士として、エリーゼを守ると決めた。
騎士として、もうエリーゼのそばにいる必要はない。
騎士として、これからは他の誰かのために戦うべきだ。
肩書きこそなくとも、生き様こそを彼は重要視している。ゆえにあの国の騎士であることに拘らず、こうしてエリーゼと共に逃亡生活を送っているのだから。
だから。
だけど。
その時、こちらに近づいてきていたエリーゼを見つめて、騎士の男は己の本心に向き合う。
「男として、そばにいたいと望んでしまっているんだよな」
ならばどうするのが正解か。
そんなの決まっている。
「エリーゼ!」
「はっはい!? どうかしましたか?」
「好きだ!!」
…………。
…………。
…………。
「……な、ん……へえ!?」
「もう言い訳しない。騎士としてってのも嘘じゃないが、今日この日までそばにいたいと望んだのは一目見て惚れてしまったからだ!!」
『こんな美人さんが命を狙われているってんなら、何もかも投げ出してでも助けたくなるのが男って生き物なんだよ。つーか普通に一目惚れみたいな?』と言ったのは他ならぬ彼だ。それが、紛れもない本心だったのだ。
心臓がうるさい。
三十人強の『騎士の技術』持ちを前にしたって焦ることすらなかった彼が明確に怯えている。
これなら軍勢でも敵に回す方が楽だ。
拒絶されたらと考えるだけで気が狂いそうだ。
それでも、もう、ここまできたら進むしかない。
「エリーゼ、お前のことが好きだ。できることならば、これからもお前のそばにいることを許してほしい」
果たしてどれだけ時間が経ったか。
心臓がうるさく、怯えに思考が鈍り、時間感覚などアテにならなかった。
だから。
気がつけば、その言葉は彼の胸に突き刺さったのだ。
「喜んで」
その、一言に。
彼は信じられない心地でエリーゼを見返す。
そこには真っ直ぐに騎士の男を見つめる最愛の人がいた。
「次期王妃という立場を失い、実の父親からは『第一王子への手土産としてお前を勘当する』と切り捨てられたわたくしを貴方は今日この日まで守ってくれました。ですがそれは騎士としてであり、わたくしが命を狙われることがなくなれば離れるものと考えていました。ですから、ええ、貴方さえ望んでくれるならばこれからもわたくしのそばにいてくださいな」
そこで。
彼女は照れ臭そうに、それでいてしっかりとこう告げた。
「わたくしだって貴方のことが大好きなのですからねっ」
もう我慢などできなかった。
騎士としてではなく男として彼はエリーゼのことを抱きしめた。
ーーー☆ーーー
『歴史』を左右するような激動の物語はどこにもない。エリーゼは王族の思惑通り表舞台から追放され、『歴史』は彼女を悪女として綴ることになる。
彼はそんな大きな流れに抗うような正義の味方にはなれなかったし、なるつもりもなかった。
しかし、エリーゼという個人の命だけは守る。これまでも、そしてこれからもずっと。
それこそ彼女の騎士のように。
大きな流れなど関係ない。
誰かの思惑などどうでもいい。
田舎町の外れ、人目につかない片隅でエリーゼと騎士の男は何でもない日常を過ごしていく。物語として記すには穏やかな、それでいて幸せな日常を。




