第6話硬い糸
ガルファンスはじれったい状況に苛立ちを覚えた。攻撃が当たりそうで当たらないのだ。ちょこまかと動くレインに、かすり傷こそ負わせることができたが、致命的なダメージはなかなか入らない。
それ故、彼は次第に焦り始めてきた。このままけりがつかなかったら、スタミナ切れをして負けるのではないかという不安に。
それでも、彼はスタミナに自信があった。それもそのはず、スタミナもシールで強化していたからだ。
『スタミナシール:レアリティN:強化シール
人ならば誰にも貼ることができる、人ならば誰でも剥がすことができる。運動時に消費するエネルギーと酸素の量を半減させることができる』
さらに、彼はシールなしでのスタミナにも自信があった。シールと自分の体力、この二つを合わせると普通の相手ならば、まずスタミナ切れで潰れることはない。
だが今回の相手は、回避一辺倒だ。当然スタミナの消費量は、その分少なくなる。それに相手だって、スタミナシールを貼っている可能性もある。
今のところ相手で分かっているシールは、跳躍シールのみだ。ガルファンスには、レインフォードに関する情報は全くと言っていいほど入っていない。しかしあれだけ挑発しておいて、貼っていたのは跳躍シールだけという可能性はかなり低いだろう。スタミナシールは18万チケと高価であるが、値段から相手のシールを予想するのは、愚の極みだ。
勿論、相手もガルファンスが焦るのを待っている説も十分にある。だがこのままでは永遠に、決定打は当たらないだろう。相手のスタミナ切れを待つよりは、ここでリスクを背負って、攻勢に出た方がいいかもしれない。
ガルファンスの今までの攻勢では、必ずどちらかの脚と腕はフリーであった。カウンターをしてきたときにいつでも躱せるようにするためだ。
だが今回ばかりは違う。
左からの素早い振りのキックをガルファンスは繰り出す。だが恐らく、このキックは回避されるだろう。問題は、レインがどの方向に回避するかだ。右か?上か?後ろか?下か?しかしだんなに考えても、確実な予測などできない。
だが今回の攻撃はそんな推測などいらない。
地面に着いている右足を使って、ガルファンスは少しばかり宙を飛んだ。彼のそのまま体を広げた状態で、レインに向かって倒れこむつもりなのだ。これを回避するには下からの回避しかない。確率は4分の3だ。
しかもレインは跳躍シールの効果を生かすために、飛び跳ねる回避をよく利用する。下からの回避はこれをあまり生かせないので、今まであまり使ってこなかった。すなわち確率は4分の3より高くなる。
……後ろだ。
レインの選んだ選択肢は、一番の大外れだった。これではガルファンスの体当たりが、一番クリーンヒットしてしまう。
レインの目の前には、今や巨大なガルファンスの左肩が刻一刻と迫ってきている。まさしく絶体絶命だ。
「……やっと仕掛けてくれてか」
レインの口から小さい声が漏れた。よく見ると彼のの右手は拳を握り、ガルファンスの顔面めがけて勢いよく進んでいた。
ドコォッ!
鈍い音がする。
音の後、倒れたのはガルファンスだった。それも先程のタックルとは逆方向に倒されている。
少し後ろによろめいてバランスを崩したが、レインの方はそれでも立っていた。
「はっ!これがてめぇの切り札ってやつか!
恐れ入ったぜ!もしクリーンヒットしていれば、一撃でノックダウンしたかもしれねえ!だが生憎、そんな不意打ち、直撃するほど間抜けな男じゃねぇんだよ!」
ガルファンスの顔は無傷だった。その代わり、左腕には大きなあざが付いていた。
『パンチシール:レアリティN:強化シール
人ならば誰にも貼ることができる、人ならば誰でも剥がすことができる。利き手を握った状態で大きな衝撃を与えた場合、2倍増の力を接地面にかけることができる』
レインの右腕にはこのシールが貼られていた。彼は自身のパンチと、ガルファンスの突進を合わせた衝撃の、さらに2倍の衝撃を彼の顔面に与えようとしたのだ。しかし顔面に届く前に、左腕のガードによって急所は守られてしまったのだ。
「顔面を狙おうってのは、ちょっと欲をかきすぎたんじゃねえの?もう手が割れた以上、この技は通用しねえなぁ」
「おいおい、いつ俺の切り札が、これで終わったんだと錯覚したんだ?まだ本当の切り札は見せてねえぞ?」
「へっ、虚勢を張るのはやめときな!そんなこと言いっても、俺はビビったりしねーぞ!」
「言っとくけど、これは虚勢でもなんでもなく、真実を言っただけだ」
レインは左手の甲をそっと右手の指先で触った。
「!!」
その瞬間、ガルファンスの左腕と右足が引き寄せられたのだ。
立ち上がろうとしたガルファンスは、また再び転倒してしまう。よく見ると、引き寄せられた左腕と右腕は、紐できつく縛られたみたいに、ぎゅっと筋肉が絞められていた。
「なぁっ!てめぇ、なにしやがった!」
ガルファンスは左腕と右脚をもとの位置に戻そうとする。しかし、腕と脚はなかなか引き離れない。力づくで引き離そうとするが、筋肉がくいこむだけだ。
「こりゃあ、もしかして糸だな!糸で結びやがったなぁ!
ってかなんだぁ?この糸は!全然ちぎれねえじゃねぇか!」
そんな四苦八苦するガルファンスの様子を、レインは悠長に眺めている。
「そりゃあ、その糸は簡単に切れねえよ。
それに切れたところで、既にお前の状況は圧倒的に不利になっている。この細くて見えない糸は、この空間のあらゆるところに張られている。
お前が動けるようになったところで、そのどれかの糸に引っかかって思うように動けねーよ。対して俺はその全ての糸を見えているからな。
降伏するなら今のうちだぞ?」
ゆっくりとガルファンスのもとへ近づいていく。
「ちょっと、一体どうなっているの?」
ベネカは戦いの状況が全く分かっていない。他の観衆も同じような状態だ。
だがロイドだけは、今の状況をはっきりと分かっていた。
「こいつは~、ちょっとばかし説明に時間がかかっちまうな~。
まずはガルの旦那につけられた糸からだ~。あの糸は両端が輪っかになって、一本の糸で繋がっている。その輪っかの部分が、ガルの旦那の左腕と右脚にはめられたんだ~。しかも、はめられた輪っかは、それぞれタイミングが違うはずだ~。
これは俺の推測だがー、右脚のは不意打ちの飛びかかり時に付けたんだろうな~。左腕の方はさっきのパンチの時だ~。あの時、右手でパンチしている隙に、左手で糸をかけたんだろーな」
レインは常に万年糸と呼ばれる、非常に強度の強い糸を隠し持っている。糸は目を凝らすと見えるが、戦闘に集中している最中では、なかなか気づくことができない。
彼は隙を見つけて、ガルファンスの腕と脚に、輪っかにした糸を通したのだ。
「だが糸が付けられた段階では~、あんな風にきつく絞められていなかったし、腕と脚が引き寄せられてもいなかった~。あーなったのは、レインの旦那が左手の甲にあるスイッチシールを押してからだ~。
あのスイッチシールは、糸に貼られたスモールシールに対応している。糸のサイズが縮むことによって、巻き付けられた糸も、繋ぎの役割の糸も小さくなる。それが腕と脚が絞めつけられた理由であるし、引き寄せられた理由でもあるわけさ~」
ロイドの口から出てきたスイッチシールとスモールシールは、本来ならレインの利き腕に貼られているはずだ。だがレインの右腕には、そんなシールは貼られていない。
スイッチシールは左手の甲、スモールシールはレインの所有物である、万年糸に貼られている。
『スイッチ(スモールシール)シール:レアリティN:強化シール
人ならば誰でも貼ることができる、人ならば誰でも剥がすことができる。このシールは体の任意の部分に貼ることができる。シールを触ることで、スイッチ(スモールシール)のオン・オフを切り替えることができる』
『スモールシール:レアリティN:強化シール
所有物ならばどれでも貼ることができる、人ならば誰でも剥がすことができる。スイッチ(スモールシール)に反応する。オンの状態になると、貼った対象の体積を半分にすることができる』
スイッチシールはそれ自体に特別な効果はない。
ただ所有物に貼るようなシールには、スイッチで効果のオン・オフを切り替えるものも存在する。そのようなシールに対応するために存在しているのだ。
まずレインは、糸の輪っかの部分をガルファンスに付けた。そして、スイッチシールを押したことにより、糸についているスモールシールが反応したのだ。その効果によって糸の長さが短くなり、輪っかと間の糸が一気に縮んだのだ。
「でもガルファンスに付けられたのって、ただの糸なんでしょ?それが何でちぎれないのよ?そんな強度がある糸なんて存在するの?」
「ま、当然の疑問だな~。まず旦那の使ってる糸は万年糸で、そもそも素材自体の強度が固い。だがー、それでもガルファンスの怪力ならちぎることは可能だろうな~。
そこでスモールシールの効果の出番って訳さ~。スモールシールは体積を半分にするだけで、それ以外の部分は変えない。色も形も、そして重さもだ。
体積を半分にして重さが変わらないってことは、それすなわち密度が倍になる。スモールシールには、そんな裏の効果もあるんだ。密度を上げることによって、糸の強度も上がるって論法なのさ」
スモールシールは物の体積を半分にするという、一見すごい能力に見える。しかし半分になるのは体積なため、表面積は0,7倍、長さや高さは0,8倍と見た目の大きさはそこまで小さくはならない。その為巷ではがっかりシールともいわれることも多々ある。
しかし、スモールシールの副産効果の強度を上げることを知っている者は、N最高峰のシールとも言うこともある。
「じゃあレインが言っている、空間のあらゆるところに張られた糸ってのは、一体いつ張ったのよ?まさかただのハッタリではないでしょうね?」
「まさか、ちゃんとこの空間中に張りめぐられているよ。あの戦闘中にな」
レインは何もないはずの空間を、まるで何かをまたぐように大きく足を踏み出して、進んでいった。
それもそのはず、足元にはピンと張られた、細くて見えない糸が張られていたのだから。