第2話 スラム街の華
ローンチ村から30㎞離れた場所に、ディング王国二番目の都市ロイチェースがある。彼は現在、この街を囲う城壁の外側、外縁部と呼ばれるエリアにいる。
外縁部は城壁に入るために必要な、『パスポート(ロイチェース)シール』がない者達が集まってできた集落で、田舎から来た食いはぐれ者の吹き溜まりとなっていた。この治安の悪いスラムをレインは進んでいく。
彼がこの街に来た目的は、以前聞いた商人の話を頼りにして、ベネカが働いていると言われる酒場を見つけるためだ。
オルダー・ベネカ、彼女はオルダー夫妻の娘にして、レインの婚約者である。彼女とレインの関係は生まれて間もないころから始まった。まだレインの実の父母が生きている時期に、二人に婚約者シールを貼ったのだ。それ以来、レインは婚約者シールをずっと貼り続けている。ベネカが今もそれを貼り続けているのかは分からないが……。
8歳の頃にレインがオルダー家に引き取られて以来、あの家は4人で生活していた。長らくこの生活が続いていたが、2年前に父親のケリッジとベネカが口論となり、家出という形で彼女は出て行ってしまった。
「ここにあいつがいるのか……」
レインは一軒の建物の前に立っていた。『フォンドレーザ』、商人から教えてもらった店である。殺伐とした雰囲気のスラムの中で、夜にもかかわらず明るく騒がしいこの店は一際目立っていた。そのおかげかレインは苦労せずこの店を探し出せた。
「ねえねえそこのお兄さん、もしかしてこういうお店初めてなの~?」
「うわあ!びっくりした!」
横から急にかけられた色っぽい声にレインは驚く。
「ふ~ん、この反応……もしかして本当に初めてなのかも~。安心して、お兄さんが知らない世界を手取り足取り教えてあ・げ・る♡」
「いや、ここ風俗店じゃなくてただの酒場だろ……」
レインに話しかけた女性は、肌寒い季節にもかかわらず、露出がすごい恰好をしている。もしかして店内で、そういうサービスをしているのだろうか。しかし店内からはいやらしい音は一つも聞こえてこない。やかましい騒ぎ声は沢山聞こえてくるが。
「そんな堅苦しいこと言っちゃってぇ。私が案内してあげるからついてきて!」
そう言って女性はレインの手を強引に引っ張って、店内に連れていく。
入口の薄い扉を開くと、中は活気で満ち溢れていた。
店内には中流階級の人から、ゴロツキのような荒々しい見た目の者、中には怪しい商売をやっていそうないかがわしい奴らなど様々だ。そんな多種多様な人々が、食事や酒でどんちゃん騒ぎしながら楽しんでいる。
そして店員は女性ばかりで、その全員が華々しく綺麗な人であった。レインに話しかけてきた女性も、先程は暗くてよく見えなかったが、明るい店内に入ると、童顔の非常にかわいらしい顔をしていることが分かる。
しかしレインが気になったのはそこではない。彼が一番気になったのは、店の奥のカウンターで一際輝きを放つ女性と、混沌とした酒場の空気には似合わない上流階級の服装をしている男性の二人が会話しているところだった。
「あれ?もしかしてお前、レインじゃねーか!」
「なんだなんだ、やっぱりこういうお店行くんじゃねーか」
入口近くの机を囲んで酒盛りしている荒々しい見た目の男の何人かが、レインに気づいて声をかける。
「あれ?お兄さん、あんな奴らととつるんでいるんだね。もしかして……、ヤバい人かも!」
童顔の女性は、レインのことを田舎から都市にやってきた垢ぬけない若者と思っていたのだろう。レインをヤバい人と評したが、その言い方には喜んでいる様子を感じさせる。
「おいおいミーナ!俺たちをあんな奴らってどいう事だよ」
「そのまんまの意味よ!それよりアタシはお兄さんに興味がある!」
ミーナと呼ばれた女性は強面の男の言葉を全く気にかけない。
「おいおいミーナ、勘違いしているところ悪いが、あいつはそんな男じゃねえよ。本来なら俺たちと交わらないはずの人間だ。」
「え、そうなの?て、あれ?お兄さんどこ行ったの?」
ミーナや男たちがレインの話で盛り上がっている間、その張本人はカウンターに向かっていた。会話していた例の二人は、レインの存在に気づいたらしく、女性の方が感極まった声で呼びかけてくる。
「会いたかったわレイン!私はあなたをずっと待ってたのよ!」
「冗談はよせ、どうしてこのタイミングで俺を呼んだ?この街にずっといたなら、会う機会はいくらでもあっただろ。一体どういうつもりだ、ベネカ?」
この店で一番の美人と言ってもよい女性、彼女こそがレインの婚約者であるオルダー・ベネカだ。
「おいおい、折角の2年ぶりの再会じゃねーか。もっと仲良くいこうぜ~?」
先ほどまでベネカと話していたカウンター席に座る男性が、陽気にレインに話しかけてきた。
「仲良くできないのは誰のせいだと思う?なあ、ロイド?」
ロイドと呼ばれたこの男性、彼がレインにベネカの情報を伝えた商人であった。
「お前が『ロイチェースのどこかにいる』という限定的な情報で、今日連れて行ってもらった商人が『フォンドレーザで働いている』という、正確な情報を言ってきた時に嫌な予感がしたんだ。
そりゃあフォンドレーザにいるんだったら、何で今まで気づかなかったっていう話だからなあ!俺でもこの店の名前くらいは知っている。なんならここにベネカがいるかもしれないって、俺が思ったくらいだぜ。
でもお前は、いたなら俺がとっくに知らせてるって言って、行かせようともしなかった!そりゃあそうするだろうなあ。お前らはすでに会っていて、俺から居場所を隠していたからなあ!」
レイン、ベネカとロイドの3人の関係は5年前から続く。ロイドはロイチェースの穀物商人で、ローンチ村に取引のため来ることはよくあった。ベネカが2年前に失踪した時から最近まで、彼はずっとロイチェースでベネカの事は全く聞かないと言っていた。
彼から「ベネカがつい最近ロイチェースに現れた」と聞いたとき、レインは一瞬だけロイドのことを疑った。だが5年の長い付き合いでロイドのことは信頼してたので、彼女は本当に最近移動してきたのだろうと信用した。
しかし今日『フォンドレーザにいる』と連れて行ってもらった商人に聞かされたとき、ロイドは彼らがずっと前から知り会っていたと確信した。
フォンドレーザは外縁部では有名な酒場で、たまにしかロイチェースに訪れないレインが知っているほどだ。この店の店員は、外縁部で商売している酒場で、最も売り上げに貢献している子をスカウトして、かわいい子ばかりを集めることで知られている。
つまりフォンドレーザの店員は、田舎から来てすぐの新参者がなれるものではないのだ。
「そんな早まった想像するなって~。ベネカ嬢は首都からスカウトされてこの店に来ちまったんだよ」
「いや、村を出てからずっとここで活動していたわ」
ベネカは誤魔化しもせずに真実を伝えた。その言い方は先ほどの感極まった様子とは打って変わって、非常に冷淡なものだった。
「どうして俺を騙すような真似をした!俺が親父さんと違って連れ戻したりしないことは分かっていただろ!会いたくないならそれでも構わないが、無事に生きているかどうかは知らせ……」
「も~も~お兄さんったらどうしたの?こんなに熱くなっちゃって。それより……」
レインの怒りを遮るように、ミーナが3人の会話に入ってきた。レインは後ろに振り向き、彼女に怒鳴り散らす。
「うるさい!お前は関係ないだろ!こっちの話に入ってくるな!」
「違う違うよ、お兄さん、注文!この店に入ったら、何も頼まずに帰るなんて許されないよ!」
怒りを鎮めに来たと予想していたレインは、ミーナのまさかの言葉に面食らってしまった。
「え?じゃ、じゃあビール一杯でも……」
先程の剣幕はどこへやら、大人しく言われるがまま注文してしまった。そんな様子をベネカとロイドはあっけらかんな表情で眺めていた。
「了解しましたー!お客様ビール一杯入りまーす!メディー、なにボーっとしてるの!一番近くにいるんだから注いで!」
「あ、え、ええ、分かったわ」
ベネカは「メディー」の言葉に反応して、せかせかとビールを注ぐ。この店でベネカは、「メディー」の名前で働いているのだろう。
こんな状況で厚かましくも注文を確認しにきたミーナの勢いに押されて、3人の険悪な雰囲気はどこかに吹き飛んでいった。
「はっはっは!流石ミーナ嬢だ!お嬢の商売っ気はどんな雰囲気も吹き飛ばしちまう」
「入ったら頼まなきゃいけないって言われても、俺強引に連れられてきたんだけどな……。ひょっとしてここぼったくりバーか?」
ミーナはいつの間にか店内から消えていた。また客引きしに外に出たのだろうか。