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「……うう、さむっ!」
外に出た瞬間、冷たい秋の風に首筋を撫でられて私はその場で身震いした。
家を出る前にテレビから流れていた天気予報では、今日は冬のような寒さになると言っていたのを思い出す。すぐそこのコンビニに行くだけだからと、防寒対策もしないで出てきてしまったのを私は少しだけ後悔した。
「へへ……でもこれで……勝てる……ふふ」
身震いしたときにズレた眼鏡の位置を直して、人目も憚らずにニヤける私の手には白いビニール袋。中身は二人分の飲み物とお菓子、──そして課金カードだ。
オタ充するために取った連休も、三日目の半分が過ぎようとしている。
昨日は昼過ぎまで寝てて、そのせいかすごくすごく身体がだるかったんだけど、身体に鞭打って遅れを取り戻すためにイベント周回頑張っちゃいました。
マルスも初日のように私を叩き起こしもせず、一日おとなしかったし。
それに、人質にされていたはずのスマホは何故か私の枕元にあった。
(なんか変だよなぁ……)
スマホが無事に帰ってきたのはいい。でもそれと入れ替わるかのようにマルスの勢いが間違いなく萎んでいる。
昨日起きたときも、今日起きたときも、彼氏だの恋活だの何にも言われなかった。
しかもなんでか部屋の隅で膝を抱えてるの。私の方に背中を向けて。
(何かあったとしたら、それは一昨日の事だと思うんだけど……)
一昨日の夜、ナンパで知り合った二人とカラオケに行ったんだけど、実はその時の記憶が朧げだったりする。
だから、マルスの勢いが萎んだのはそこに原因があるのかなって考えているんだけど、どうにも記憶がないんだよね。二人とどうやって別れたのかさえ私は覚えていない。
(確かチアキくんとマスオの話をして……それから──それから……?)
喉を乾いてチアキくんたちが注文してくれたお茶を飲んで──それっきり。
それ以降の記憶はそこだけが靄のかかったように思い出せない。
でもなんとなく……なんとなくだけど、がっしりとした物に包まれたような、そんな気がするんだよね。それも何なのか正体は分からないんだけれど。
(……ちょっぴり、いやほんとちょっぴり、残念というか)
マスオの話で盛り上がったチアキくん。私がアニメ好きだと告白しても引かなかった。
高校生の頃に遭遇したあの瞬間があってから、すっかり恋愛は諦めていたけど、自分の趣味を理解してくれる人に出会えたのは本当に嬉しかったんだよね。チアキくんとお喋りしていた時間は心から楽しくて、世界がきらきらしているように思えて。
少女漫画で主人公がヒーローにときめくシーンってキラキラふわふわしてるけど、本当にそう。そんな感じ。まさに『トゥンク///』って!
出会いはナンパだったけど、もしかしてってほんの一瞬だけ夢を見た。
でも、連絡先は交換していない(スマホのメッセージアプリにそれらしい人が見当たらない)から、まあ……そういうことだったんだろうね。ご縁がなかった、というか。
「……はぁ……やっぱり私には推ししか」
ポケットからスマホを取り出して、ロックを外しアプリを立ち上げればすぐにこちらに笑いかけてくれる推しがいる。
しかも『お昼の時間だー! ねぇ、一緒にご飯食べよう?』って私をランチに誘ってくれる──!
ああ、彼の笑顔が眩しい。私、彼のプロデュース頑張っちゃう。
「ただいまぁ……」
「ちょっとぉおおモトコぉおお!!」
「ぐぇ、ちょ、なに!?」
そんなこんなでアパートまで徒歩約十分。帰ってきた私を迎えたのはマルスの熱烈なハグだった。
「こんなの、……こんなのってないわよぉおお! グズッ」
しかも何故か号泣してる。
だけど、彼が泣いている原因が帰ってきたばかりの私に分かるわけがない。
困惑、ここに極まれり。
──ていうか力強いな!?
「まるっ、まるす! ちょ、苦しいっ」
私をぎゅうぎゅうに抱き締めて『うぉおおおん』と泣くマルスの肩をばしばし叩くけど、その力が緩むことはない。
前にも言ったけど、私が住んでいるアパートの壁はそんなに厚くないんだよね。しかもここは玄関。これ以上泣かれたら近所迷惑になっちゃう。ついこの前もドタバタやって注意されたばかりなのに!
ここは私が冷静になって彼を宥めなければ────!
「まるす! おち、落ち着いて!? ねぇ、落ち着こう!?」
「うっうぅ、落ち着いてなんかいられないわよぉ!! どうして、どうしてこんな悲しいことがあるのぉぉおおいおいおい……っ」
「悲しい!? なに、何があったの!? 私に教えてくれるかな!?」
てへ。私はどうにも冷静になるのが苦手みたい。どうしてもマルスにつられちゃう。
これはまたご近所さんからお叱りを受けるだろうなと思いながら私は事情を尋ねた。
私がコンビニに出かけていた数十分の間に、一体何が起きたんだろう? こんなに泣くってことは、ストハリのリーダーが結婚したのと同じくらいのショックを受けたと思うんだけど……。
「うっ、ぅ……ずびっ、あ、あのね……ずずっ」
「うん、うん」
少しだけ落ち着いた様子のマルスが、嗚咽を堪えながらゆっくりと話し始めてくれた。
私は相槌を返しながらマルスの話に耳を傾ける。
「アタシ……アタシね、彼を助けてあげたかったの……ずずっ」
「……うん?」
──だけども、早速首を傾げることになった。
彼って、一体誰のことだろう。まさかマルスは私以外に知り合いでもいるの……? そういえば、ストハリの追っかけしてたって言ってたし、その繋がりで友達がいてもおかしくはないよね。
それともマフユくんとか……? カラオケですごく意気投合してたしなぁ。
マルスの話にはまだまだ続きがある。ひとまず、ちゃんと聞いてあげよう。うんうん。
「でも、その思いとは裏腹に、彼を追い詰めるようなことばかりが起きて──ずヴぅっ」
「うんうん、それで?」
「もう、もうっ、どうにもならなくて……ずびっ、だからもう、彼を助けてあげるにはこうするしかない、ってなっちゃってぇえううっ」
「よよよしよし! も、ほら泣かないで!? そ、それでどうしたの……?」
「そしたら! ヒロイン、黒幕のところにいっちゃったじゃないぃぃ! 画面も暗転して、ヒロインの『私は大丈夫』って自分に言い聞かせる語りと、その後ろで聞こえる衣擦れの音がもう! もう! もう……っ!!」
「──は? ヒロイン? 画面?」
「こんなの、ある意味NTRじゃないのよぉぉぉぉおおおいおいおいおいおいっ」
「ね、ねとってアナタそんな言葉まで!? ──ていうか、どういうこと!? 結局意味分かんないし、とりあえず泣くのをやめて! ねぇ、お願いだから!!」
ついには床に突っ伏して泣き始めたマルスに、私は大いに慌てた。慌てながらも頭の中はハテナでいっぱいだった。
だってそうでしょ。何が悲しいのかって聞いたら、突然ヒロインだの画面だの言い始めるんだもん。
でもなんとなくだけど、なーんとなくだけど……マルスの話に思い当たるものがあるような、ないような。そんな気がする。
(事情をちゃんと聞きたいような聞きたくないような……でも、ここでちゃんと聞いてあげなきゃ絶対落ち着かないよね……)
予想が外れて欲しい、と思いながら私は意を決してマルスに尋ねた。
「ねぇ、結局事情が飲み込めてないんだけどさ、ちゃんと、ちゃんと分かるように教えてくれないかな?」
「おーいおいおいおいおい……ずず、ずびっ! 何って──これに決まってるじゃないのよぉぉぉお!」
「んん!?」
すると突っ伏して泣いていたマルスのお腹から、何かが出て来て目の前に突き付けられた。
ビビットなピンクとグリーンのコントローラーに挟まれた真っ暗な画面。鏡のようなそこに映るのは眼鏡をかけた私だ。この前せっかくコンタクトにしたけれど、面倒くさくて結局眼鏡なんだよねぇ。もったいない。
────ってそんなのはどうでもよくて! マルスが私に突き付けてきたのはなんと、私の●ンテンドースイッチなんだけど!? 大手ゲームメーカーが作ったあの最新型携帯ゲーム機ですよ!!
なんで!? と呆気に取られて何も言えなかった刹那、暗闇がパッと光を灯してマルスが言う『コレ』を映し出した。