プロローグ
俺の名前は御剣碧、20歳の会社員だ。
今年の最初に専門学校を卒業し、近所の中小企業の会社へ入社した。
しかし、ロクに調べもしないで入社した会社は身内経営にボロい設備に安い給料。
しかし、安い給料に反比例した激務といわゆる最近問題になっているブラック企業というものだった。
少ない休日もタイムカードを押さないで出勤させられる典型的な黒さであった。
「御剣、明日お前有給使っていいぞ」
直属の上司様が珍しい提案をしてきた。
会社の身内で、今年に入社したばかりの平社員よりも働かないクセに偉そうな課長だ。
一応雇用期間の半年が過ぎて正社員になり、有給が使える様になった俺にそんな提案をしてくる課長に嫌な予感しかしなかった。
「はぁ……、ありがとうございまーー」
言い切る前に課長は机に置かれていたプリントを手に持ち俺にそれを押し付ける。
「それに書いてある通り明日半日業者が来るからその相手をしておいてくれ。それ終わったら業者から言われた事をPCにまとめて俺にメールしたら帰っていいから」
「……」
俺の知ってる有給が間違っているのかな?
確か有給って休んでも出勤した扱いぶんの給料が出る日なのでは無いだろうか?
有給……、文字通り給料の有る日と書く。
「働かないで業者の相手をするんだ。仕事をしないなら休日と変わらんだろう」
「……そうですね」
課長の言い分がおかしいと思いつつ、理解していた。
プリントに目を通し明日の業者が予定するスケジュールを確認する。
9時間ぐらいが業者の滞在時間であった。
「明日天気悪いからもしかしたら1時間くらい来るのが遅れるかもしれないからよろしくな御剣」
「頑張ります……」
定時を過ぎた残業時間すら越えるのは確定らしい。
面倒ではあるが、それが社会人だから仕方ない。
『行きたくない』とは思うが、『絶対に行きたくない』程ではない。
他人からすれば馬鹿らしくてやってられないと逃げたくなる奴の気持ちもわかる。
現に新卒で5人が入社したが、他4人は3ヶ月持たないままいつの間にか会社で顔を見なくなっていたし、中途採用も皆1週間持たないまま逃げる人が続出していた。
ーーしかし、俺は人から言わせれば鈍感らしい。
元カノジョには『あんたの事は好きだけど鈍感過ぎてやっていけない!』とキレられて振られてしまった。
振られてしまっても『まー仕方ないか』とか『連絡無くなってゲームする時間や睡眠時間伸びるな』とか考えていたし。
鈍感で冷めた人物だとよく親に言われて育ったし。
好きではあったけど、そこに愛は無かった気がするし。
全従業員50名弱、3ヶ月で辞めた人数20名弱というブラック企業に耐えられたのもひとえに実家から自転車で5分掛からない距離にあったという点のみであった。
最近、胃がキリキリ痛むが会社に居る間だけの時間だしほっといていた。
ーーーーー
「はぁ……、ようやく仕事が終わったぜ」
オフィスから抜け出した先には暗くなった空が俺を出迎える。
そこから駐輪場に泊めた自転車の元へ歩く。
自転車の鍵を開けて、カゴに鞄を入れようとすると見慣れないもののシルエットがカゴから覗いていた。
「ん……?誰だよ俺の自転車のカゴに変なもん入れやがって」
自転車のカゴからそのシルエットの物を持ち上げる。
軽い板みたいな感触がして、それを街灯に照らして見てみる。
「これは…………絵馬?」
神社などでよく見掛ける絵馬の形に似ていた。
願い事が書かれるであろう面積の広い板の部分にはなんかの紋章が書かれている。
「…………近くに神社ってあったっけ?」
頭に近所の地図を描いていく。
その時、絵馬らしき物が振動し始める。
「うわっ、ゲームのコントローラー!?」
たまに扱うゲームのコントローラーの様に両手で持ってみる。
ボタンは無かったのでコントローラーではなさそうだ。
『ーー勇者様……、我の望みに応えて』
どこからかRPGにありがちな召喚する時の詠唱らしき羅列が聴こえる。
キョロキョロ辺りを見回すが誰も居ない。
「なんでもいーや」
自転車のペダルに足を掛けた時であった。
『ピカッ!』と明るい光が自転車を囲む。
夜という事もあり、とても直視出来なくて腕で目をガードする。
目を薄く開けて、腕の隙間から光を覗くと線が引かれるのに気付く。
光の線は先程拾った絵馬に描かれた紋章に似ていた……気がした。
「…………っ」
そのまま強風が吹き込み光に吸い込まれていく。
「じ、自転車……」
そこそこ奮発して買った自転車を強く握りしめたまま俺の意識は消えていった……。
それが俺が勇者として召喚された直前の記憶であった。