西洋医学VS東洋医学 〜恐怖!怒りの新技、”当帰四逆加呉茱萸生姜湯”ッ‼︎〜
「いたか!?」
「いやコッチは……!」
「探し出せ!!」
剥き出しのコンクリートが見え隠れする白い廊下に、複数の怒号が響き渡った。その脇を、点滴片手に歩いていた老人が、一体何事かと目を丸くして声の方を振り返る。白衣に身を包んだ男達は、狭い廊下を走り回りながら血眼になって口から唾を飛ばしていた。
「主任! 809号室の坂本さんと、543号室の轟さんも見当たりません!」
「不味いな……看護士が目を離した隙に……!」
若い医師からの報告に、廊下の角に立っていた中年男性が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「このまま2人が出会ってしまったら……どちらか一方のベッドは空席になってしまうやも知れん……」
中年男性の言葉に、廊下に集まった医師達に緊張が走る。階段を駆け上ってきた若い看護士が、立ち止まっていた女性医師にぶつかり、大量のカルテが宙を舞った。
「主任……」
「危険すぎる……このままでは病院が……。坂本さんは『東洋医学武術』……桂枝加竜骨牡蛎湯の使い手なんだッ!」
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東洋医学は疾患前。西洋医学は疾患後。
海を挟んだ2つの医学の違いは、その治し方にある。
例えば何かの拍子に、接合部が緩んで腕が取れてしまったおもちゃがあるとする。
西洋医学は、腕が元通りになれば治ったと判断される。
対して『何故腕が取れてしまったのか』を考えるのが、東洋医学である。
緩んだ原因は何なのか、どうすれば緩まずに済んだのか。
東と西。即結果を求めるのか、原因を追求していくかの違いだ。
東と西。これはまだ、2つの『医学武術』が、お互い啀み合っていた時代の話である……。
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809号室に入院している坂本さん(76)は、若くして『東洋医学武術』を学んだ一人であった。中国4000年の歴史を誇る『東医術』を華山の奥地で30年学んだと宣う坂本さんは、気功を操り、掌から出す『えねるぎい』で相手の傷を癒しリラックスさせると専らの評判だった。
「あまり俗人相手に、阿漕な商売をしてはイケませんよ」
医師達にそう注意されていたが、坂本さんは聞く耳を持たなかった。金は取ってないんだからいいだろうと、毎日フロアに入院患者仲間を集めては、若い頃学んだ術を披露して回っていた。坂本さんはぎっくり腰で入院して以来、この桜坂総合病院の一躍人気者になった。
そんな坂本さんにも、転機が訪れる。
なんと、なんと、病気が治ってしまったのである。
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「退院おめでとうございます、貴方」
「嫌じゃ! ワシは出て行かん!」
真っ白なカーテンがそよ風に舞う上等な個室に、眉間の皺を寄せた老人の我儘が響き渡った。見舞いにきていた老婆は、困ったようにその顔を曇らせた。
「今更世間に出て行きとうない! 此処は居心地がいいんじゃ!」
「何就職前の学生みたいなこと抜かしとるんですか。入院費はどうするんですか」
おばあさんが呆れたように言った。坂本さんは遠くを見るような目で窓の外に視線を向けた。眼鏡はベッド脇の机に置かれたままだ。視力が落ち切っているため、実際には何も見えてはいないだろう。それから小刻みに手を震わせながら、点滴のチューブを繋がれた右腕を掲げる。
「此処じゃ、みんなワシを必要としてくれとる! のお、婆さんや。301号室の楠さんなんか、もうすぐ手の痺れが治るかも知れないんじゃ。ワシの『東洋医学武術』……桂枝加竜骨牡蛎湯の力によって!」
「ヤダもう。その歳で中学2年生みたいなこと言わないでくださいよ。はいりんごちゃん。これ食べて落ち着きなさい」
「婆さんは知らなんだ! ワシの『東医術』は本物じゃ! 中国4000年の歴史を学び、ワシは気を操る術を学んだのじゃ!」
「はいはい。本物ですよね。はいりんごちゃん」
「ちゃんと聞けぃ……もごもご」
坂本さんが怒っておばあさんの持ってきたりんごちゃんを振り払った。その時だった。
突然勢いよく病室の扉が開けられたかと思うと、高さ2mはあろうかという巨漢の老人が外に立っていた。
「ヨォ坂本ォ……!」
「き、貴様……轟!」
坂本さんが入れ歯を口から半分噴射しながら叫んだ。轟さん(81)だった。轟さんは天井に届きそうなほどの頭を屈めて部屋の中に入ると、分厚いたらこ唇をニヤリと釣り上げて言った。
「坂本爺さん。聞いたぜえ……腰、治ったそうじゃねえか」
「ぐ……!」
「退院おめでとさん。寂しくなるねえ……」
「白々しい。この席を狙っとるんじゃろう!?」
坂本さんの声が怒気を孕んだ。血圧が上がりすぎて昇天しないかとハラハラしているおばあさんの横で、轟さんは坂本さんの眠るベッドの端に座り込んだ。
「ご名答。こんな立派な病室、アンタには勿体ねえや。ワシが頂く」
「貴様ァァァ……!!」
「いまや超高齢化社会で、病院のベッドも空席待ちさ。アンタほどの使い手がいなくなってくれりゃ、万々歳じゃ。此処の病院は明日にでもワシが支配してくれよう」
「出て行け!」
「きゃあっ!」
坂本さんが突然立ち上がり、点滴のバーを鷲掴みにし、棍棒のようにして轟さんに振り下ろした。
「キエエエエ……消え……!?」
「そう急ぐねぃ……」
だが、坂本さんの一撃は空振りに終わった。轟さんは白煙を残しベッドの端から一瞬にして消え去ると、いつの間にか入り口の脇に背を預け立っていた。坂本さんが残った歯でなんとか歯ぎしりした。
「此処は……此処は渡さん! 1番最後までお世話になって美人の看護士から甘やかされるのは、このワシじゃ!」
「いいぜ……アンタの『東洋医学』とワシの『西洋医学』。何方が強えかはっきりさせようじゃねえか……!」
「何!」
轟さんが不敵な笑みを浮かべ懐から包みを取り出した。
「イカン! 婆さん、伏せろ!」
「へ!?」
「『アオルトグラフィ』ッ!!」
包みが破裂した。轟さんの叫び声とともに、病室に閃光が瞬いた。視界を真っ白に奪われたその後を追うように、今度は爆音が部屋中に鳴り響く。
「な……なんですの!?」
「分からん! 『西洋医学武術』・大動脈撮影……奴の18番じゃ! このままでは爆発に巻き込まれる! 逃げるぞ!」
「んな……!?」
坂本さんはおばあさんを抱きかかえ、窓ガラスを突き破ると、そのまま8階から外へと身を投げ出した。
「ぎゃああああああ!」
「落ち着け婆さん! 暴れるな!」
「暴れますよ! 何処がぎっくり腰なんですか貴方!」
「黙っとれ! 舌を噛むぞ!」
坂本さんは身を捩り、投げ輪のように点滴のチューブを病院の割れた窓の一部に引っ掛けると、蔦を移動するターザンのようにそのまま遠心力で下の階の窓に突っ込んだ。
「ぎゃあああああああああ!!」
「桂枝加竜骨牡蛎湯ッ!」
窓にぶつかるその瞬間、坂本さんが大きく技名を叫んだ。右手を突き出し、身体中に溜め込まれた『気』を掌から放出する。ビリビリと、見えない空気の振動によって分厚い窓ガラスにヒビが入る。坂本さんはそのまま両足で蹴破ると、失神したおばあさんを抱え下の階のロビーへと走って行った。
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「逃したか……!」
壁に大きな穴の空いてしまった809号室に仁王立ちし、轟さんは下を見下ろしながらそう呟いた。
「だが……ワシの『西洋医学武術』を甘く見るなよ、坂本爺さん。必ずやアンタを健康体にして、無事この病院から退院させてやるからなァ……!」
騒ぎを聞きつけた看護士達が809号室に到着した頃には、轟さんは不気味な高笑いを残し、穴から飛び降りて下の階へと消えてしまった。
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「あいたたた……」
「どうした婆さん。腰が痛むのか」
「当たり前でしょう。無茶しすぎですよ」
誰も使っていない医療器具倉庫内で、2人は息を潜めていた。外の廊下では慌ただしく医師達が走り回り、2人を探している声が聞こえる。暗がりの中で、坂本さんは苦しそうにするおばあさんの腰をさすった。
「どれ。ワシの桂枝加竜骨牡蛎湯で治してやろう。
桂枝加竜骨牡蛎湯は体のバランスを整える『桂枝湯』を基準にした処方技じゃ。「気」や「血」のバランスを整えて、心を落ち着かせるんじゃ。どうじゃ、ワシの『東洋医学』は凄いじゃろう。見直したか?」
「そもそも貴方が無茶をしなければ心は乱れなかったのですが……ええ、ありがとう。少し楽になったわ」
坂本さんの手から暖かな熱気のようなものが空間を伝い、おばあさんの腰を癒した。部屋に備え付けられた半透明の窓からは、いつの間にか夕日が差し込んで来ていた。少し肌寒くなってきたせいか、おばあさんが坂本さんの肩を掴むと、唇を小刻みに震わせた。
「ねえおじいさん。もう無茶はヤメて……投降しましょう。今なら許してもらえるわ」
「バカな。何方にしろ戻ったところで、轟の奴と決着を付けねばならん。こうなった以上、戦いは避けられん。彼奴をワシの桂枝加竜骨牡蛎湯で、ギッタンギッタンの健康体に……」
ガチャリ。
その時だった。突然倉庫の扉が開かれ、おでこにCDを貼り付けた薄らハゲがニタニタ笑いを浮かべながら顔を覗かせた。坂本さんは老眼を瞬かせた。
「!」
「此処にいましたか。坂本さん。探しましたよ。それに、奥さんも」
「あらまあ先生。今晩は」
「今晩は」
「イカン! 主治医の藤堂先生ッ!!」
坂本さんが先生にお辞儀をしているおばあさんの手を引っ張った。慌てて右手を翳す。だが……
「『buffering』」
遅いよ、と言わんばかりに藤堂先生はニンマリと微笑んだ。おでこのCDが光を放つ。
「ば……ばあさあああアアン!」
主治医の先制攻撃。半分は優しさでできているという、アレだ。案の定おばあさんの上半身は優しさの半分に包まれ、光とともにその場から姿を消した。部屋の中には、おじいさんの悲痛な叫び声が残された……。
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次回!
囚われたおばあさん! 轟の『ピークフローメーター』と、おじいさんの逆襲ッ!
【恐怖! 怒りの新技、当帰四逆加呉茱萸生姜湯ッ‼︎】
お楽しみに!