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コレーは生まれた時から多くの花々や木々、そして動物たちに囲まれていた。
そして、それ以外の世界を知らなかった。
コレーの名は処女乙女を意味する。その名の通り、男性との経験は以ての外、それどころか異性が存在することすら知らなかった。母のデメテルに厚く庇護されているからだ。
一度、幼少期に知らずにデメテルの園の外に出てしまったことがあった。初めて見る世界の新鮮さと、何もかも知らない空間におっかなびっくりだった。が、小さな胸は期待に染まり、ワクワクドキドキと興奮を抑えきれなかったことを覚えている。数刻後、悲壮な表情で抱きしめてきた母が初めて見せる涙にショックを受け、二度と外へは出ないことを誓った。
しかし、外への興味は尽きず、寧ろ強まっていた。勿論勝手に外へ出るなんてことはせずにいた。
母が外へ出るときは特に出歩いてはならないち言い聞かされていた。
その約束は残念ながら随分前に破られてしまっていた。
ーーー今日もたくさんだわ。"野菜さん"ーーー
ふふふ、と口に手を当て笑うコレーは、デメテルの園への来訪者を覗き見るのがもっぱらのマイブームであった。
コレーはよく見、聞き、感じる。
籠の鳥の中、空を駆ける何か、外からの聞こえる何か、外へと通じる川から流れ着く何か。それらを逃さずに貴重な情報として吸収し、動物たちと戯れながら外の世界に思いを馳せる。
"野菜さん"
コレーが名付けた愛称だ。
ほんの偶然だった。ニンフたちと蹴鞠遊びに興じていたコレーは、ニンフが誤って蹴り、軌道を大きく逸らした鞠を自ら取りに追いかけた。ころころ小気味好く転がる鞠の勢いは思った以上で、随分追いかけた先はデメテルの園の入り口付近まで迫っていた。付近の木の茂みに引っかかり動きを止めた鞠に、やっと追いついたコレーはほっと胸を撫で下ろした。
ーーああ、危なかった。お母様の言いつけを破るところだったわ。
急いで戻ろうと鞠を拾い上げたその時、ちょうどデメテルが入り口から歩いてきた。
特にやましい気持ちがあったわけではなかったのだが、何となく茂みに身を潜め様子を伺った。
ーーお母様、随分帰りが早いわ。
デメテルは農墾の女神。日の出とともに出掛け、世界中の野菜や果物、穀物らを管理する役目をこなす。日の入りと共にきっちり定時刻に戻るのが常で、重要な神事以外で時間外の出入りをすることは稀であった。
デメテルはなにやら慌てているようで、どこか足取りも忙しない。
ーーどうしたのかしら。
外への入り口近くの茂みと言っても、実際入り口とは大分距離があり、デメテルの後に続く第三者が一体何なのかは測りかねた。
ーーお母様よりも背が高いわ。誰なのかしら?
コレーは蹴鞠のことなど頭の隅に追いやり、すっかり興味津々で謎の来訪者とデメテルのやり取りを見つめた。
ところが来訪者はそう長くはおらず、すぐに踵を返してしまった。
大量の野菜を抱えて。
それはもう来訪者の顔が見えなくなるくらいうず高く。コレーはその光景がおかしくて、気づかれないように口をつぐんで笑いを堪えた。
それは度々ある出来事だということに気づく。
あれ以来駄目とは思いつつも、どうしても我慢しきれなくなって茂みへ足繁く通うようになってしまった。
来訪者は一定の時刻には訪れず、見ることができるのは毎回とまではいかないが、コレーが見る機会に恵まれるたび、来訪者は大量の野菜を抱え去っていくのだ。
コレーはすっかりそれがお気に入りとなった。故に"野菜さん"である。