絶対に触れてはいけない24時、経緯。
女神・デメテルの園には一人の少女が暮らしている。名をコレーという。デメテルが手塩にかけた愛しい愛しい愛娘である。
コレーは男とは何かわからない。デメテルの庇護の下一度も外へ出たことがないからだ。
コレーの存在は周囲の男神に知られていた。あわよくば我が手にと誰しもが目論んでいたが、母デメテルの激しい妨害に一人、また一人と諦めていった。デメテルはどんな男にも容赦しない。
たとえそれが全知全能、大神ゼウスでさえも。
「コレーちゃあーん。どーこーでーすかーヘブッ!!」
「また性懲りも無く…いい加減消え失せなさい!!」
「いった、痛いってデメテル!先っぽはやめて!鍬の先っぽで突くのやめて」
下級神では弾け飛んでしまうような結界が既にされているのだが、ゼウスほどの力を持つ神にはやすやすと侵入を許してしまう。それを感知したデメテルが自らの役目も放り出して駆除へ向かう。生きたセコムのようにゼウスがどんなに隙を見て掻い潜っても、愛用の農耕具で刺又が不審者を追いやるように攻撃を仕掛けてくるのだ。神は不死である。かなりの力を込めた鍬が腹にめり込み、人間であれば即死であろう傷を受けているのだが、同時にじゅくじゅくと自動的に身体が回復を試みていた。農具ごと取り込みかねない治癒のスピードに、舌打ちしながらデメテルは鍬を抜き取った。
「あのさ、いくら不死でも痛覚はあるのね、思いっきりやられると地味にキツ…」
「痛い目に合わなくなったら失せなさい。二度と来ないで頂戴」
「あのさぁ…」
はあ〜とでかいため息をつくと、ゼウスは途端ムーディーな雰囲気を醸し出し、するりとデメテルの方に手を回し顔を近づけた。
「そんな冷たくしなくたっていいじゃん?俺、一応旦那様なんだけど?」
取り巻きのニンフたちならば目にハートを浮かべ色めき立つことだろう。デメテルはそうはいかない、わけもなく、かっと羞恥に頬を染めると、先ほどよりも重い一撃をゼウスの顎に力いっぱい食らわせた。
「あ、ああなたがそんなだからコレーに会わせられないのよ!!もっとちゃんとした男神だったらそんなーーー!!」
かなり効いたのか、ゼウスは吹っ飛ばされ伏した後、既に気絶をしていた。デメテルの言葉はもう聞こえていないのだが、さらにまくし立てる。
「第一、仮にも父親が娘に下心を持つなんてーー」
「デメテル」
ふ、と濃い影が音もなくデメテルの背後に降り立った。
「ハ、ハデス…っ」
「邪魔をしたか?」
またもやデメテルに朱が差すが、ゼウスの時と違いどこかもじもじと頼りなさげにきゅうと鍬を握りしめている。
「な、何かしら?別に用事はないわ」
「少し野菜を分けて貰いたいんだが、構わないか」
ケロベロスが菜食主義とわかったからな、と呟くハデスの腕には、瞬く間にありとあらゆる種類の野菜が積み上がっていった。
「はいこれ少しだけどケロベロスたちにやってどれが好きなのかわからないから一通り選んでやったわ足りなかったらまたあげるから」
「ああ、ありがとう」
真っ赤になって目をキョロキョロさせながら早口でまくし立てるデメテルにハデスは至極簡潔に礼を述べた。
また用があったら来る、とあっさり帰って行ったハデスの後ろ姿をデメテルは名残惜しそうに見つめていた。
のを既に回復していたゼウスは含みのある笑みで眺めていた。
「何の用だ」
ほんの僅かに眉間に皺が出来ているようなないような。ともかく微妙に不快そうに冥王の玉座へと鎮座していたハデスは、ニヤニヤといやらしい笑顔で此方を見上げるゼウスに声をかけた。
「いやあ、久々の兄弟の再会だ、感動のハグでもしないかお兄様よ」
「何の用だ」
ハデスには冗談の欠片も伝わらない。高く掲げた両腕を渋々下ろしたゼウスは、一瞬で玉座の隣に降り立った。
「ワーカーホリック気味なお兄様はそろそろ身を固めてはどうかとねえ」
「何の用だ」
「ちょっとさっきから同じセリフしか聞いてない!ロボットみたいで怖い!」
「ロボット?」
「そっち!?」
ついには口を閉ざして石のように動かなくなってしまったハデスに、罰の悪くなったゼウスは本題を切り出した。
「ほらあれ、デメテルのとこって地獄の刑場の真下だろ?そこの一部がさ、ちょっと隔たり薄い気がすんだよね。もしかしなくてもなんかあったら亡者どもが隙間から逃げる、なんてあったら困るじゃん?」
「本当か」
「そーそ、んで、明日あたり上から見てみるから、ハデスは下から宜しく頼むわ」
「わかった」
「ところでさ、デメテルってお前に妙ーに優しくない?」
「いつも野菜をくれて助かるな」
「いやそうじゃなくて、ていうかコレーちゃんのこと知ってんの?」
「誰だ?」
「案の定!!デメテルの娘だから!そんで父親がこのお」
「明日だったな、遅れないよう頼む」
「聞けよ!!」
終始邪険に扱われたゼウスだったが、何かを企んでるような含みのある表情で、明日の段取りについて話を続けた。
「何で俺がこんなこと……」
「頼むよ〜、弱みをバラされたくなったら働けえ」
その日の夜、女神ニュクスが闇を作り出す頃。指定の場所で何やら土を削る作業が行われていた。
「ゼウス様、何するつもりっすか、てか俺ハデス様に殺されないかなぁ」
「だーいじょーぶ。フォローしますよ、多分。ぜってー面白えから」
使いぱしりにされた旅の神ヘルメスは、とんだとばっちりだ、と半泣きでゼウス現場監督の監視下で作業に没頭したのだった。