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ーーーどうしましょう。ああ、どうしましょう!
コレーはあれからひとり、ハデスへ何と話しかけるかで頭がいっぱいになっていた。
ーーーいつお話したらいいかしら?何て言えばいいのかしら!
きゃあきゃあ、と舞い上がる様を、少し離れたところからニンフたちが窺っていた。
「コレー様、あのように楽しそうで、一体どうしたのかしら?」
「きっと、ハデス様に良いお返事を頂いたのだわ!」
きゃあきゃあ。こちらも勝手な予想で盛り上がる。
結局、その日はハデスへ言伝うことはなかった。
ハデスはいつコレーが話しかけてくるのかと、若干身構えていたのでその日は些か拍子抜けした。あのように高ぶっていたのであれば、すぐさま実行すると思っていたのだが。
別にないのであればそれはそれでいいのだ。しかしコレーは確実に仕掛けてくる。漠然とした確信がハデスにはあった。何故腹の探り合いのようになっているのか。ハデスにもわからなかった。兎も角、来ると身構えていたものが来ないというのは、妙にもやもやするものだ。肩透かしを食らった気分になったハデスは、その日1日もやもやを燻らせたまま過ごす羽目になった。
結局丸一日行動に移せなかったコレーは、わたしのおばかさん!と自責しぺちぺちと頬を叩いていた。そして次の日。コレーはいよいよハデスへの声掛けに臨むのであった。
すう、はあ。
数回深呼吸。高鳴る心の臓を抑えながら言われた通りのことをいよいよ実行に移す。
ーーー心の中の声を、一番伝えたい相手にーーー
ーーーハデス、聞こえるーーー?
「………」
「ハデス様!?やはりお疲れなのですね!?ここは私めが!」
「………ああ、なら、少しだけ」
<ハデス、聞こえるーーー?>
もやもやしたまま仕事を続けていたのが手下共に丸わかりだったらしい。ちょうどキリの良いところで終わった時を見計らい、こぞってハデスの背を押し休憩させようと群がった。いつもならばあとこれが終わったら、とやんわり断りを入れるのだが、自分を呼ぶ声がだんだんと不安げに揺れ始めていたのを無視するわけにはいかず、手下共の申し出を素直に受け取ることにした。
手下共はどよめく。ハデスが二つ返事で休みを受け入れるのは、数世紀に一度あるかないかの一大事だったからである。気分が優れないのだろうか。体調が芳しくないのか。手下共は気が気でなく、どうしたらよいどうしたらよいとハデスの周りでみっともなく慌てふためいた。
精神を通じて対話をするのは神々の間ではごく普通のことである。ほぼ負荷のかかることなく、日常の片手間で行うことのできる優れもの。当然、目の前に相手がいながらでも他の誰かと対話するなど何ら難しいことはないのである。
「暫く、ひとりになりたい」
「ハ、ハデス様」
何故だろうか。どうもあの少女は片手間で相手取ることができない気がした。
王の不調と勘違いしてますます取り乱す手下共を背に、ハデスは少女の声に集中するため、速やかにひと気のない場所へ移動した。
<どうしましょう、返事がないわ……もしかして、間違っているのかしら…>
<…聞こえる>
<ハデス!?>
沈んでいた表情がぱあっと明るくなるのが目に見えるようだ。ハデスは声を通してコレーの喜ぶ様を思い浮かべた。
<良かったわ、お返事が来なかったから…>
<…仕事をしていたから、答えるのに時間がかかった>
<ええ!私、邪魔をしてしまったわ!ごめんなさい!>
<いや…>
今度はさあっと青褪める表情が浮かんできた。精神を通じる対話は、相手が心の中で思っている言葉まで同時に伝わってきてしまう欠点がある。
ーーーやだ、私、ごめんなさいーーー
<ごめんなさい、ごめんなさい、ハデスーーー>
裏表のない性格は、言葉と内面が殆ど変わらない。ハデスはふたり分のコレーの謝罪を聞いているように錯覚した。心なしか鼻声で啜る音が聞こえるような。
<悪いが、手が空かない時が多い>
<ので、答えられないことがある>
<から>
<こちらの都合のいい時は、知らせる>
<え?>
ーーー何故か、おかしなことになってしまった。
花びらが舞い飛んできそうな喜びようのコレーとの対話を閉じたハデスはひとり、首を傾ける。デメテルの機嫌を伺うあまり、娘の涙には敏感になってしまったのかもしれない。
いや、それもあるが。
何度か目にした少女の泣き顔。
デメテルの娘を悲しませては、彼女の怒りを買い世界の調和が乱れてしまう。
もっともな理由。いや、そのつもりだが。
何となく、個人的に、彼女を泣かせたくはない、と思った。
その何となくの結果、ハデスは自らコレーに話しかける約束を交わすことになってしまった。
ーーーきゃあああ!
コレーはひとりでころころ転がりまわっていた。
ーーーお話してしまったわ!ハデスと!それにーーー
ーーーハデスからお話してくれるなんて!
いつかしら?いつ話しかけてくれるのかしら?
はしたないとは思いつつも、抑えきれない興奮に抗えない。コレーは寝転んだままきゃあきゃあ言い、ハデスの姿を思い浮かべ、またきゃあきゃあ言い、とにかく嬉しくて楽しみで、胸がドキドキしてたまらなかった。
ーーーいつ話せばいいのだろうか。
実は自分から話しかけることがそうそうないハデスは、会話の切り出し方がわからないことに気づいた。
ーーー何を話せばいいのか。
奇しくもコレーと似たような悩みを抱えることになったハデス。
「ハ、ハデス様!お加減の方は如何ですか?」
「ああ、ちょうど良かった」
「は?」
「知り合ったばかりの女に最初に何を話せば良いと思う?」
手下はぶっ倒れた。




