19
冥界の中へ見事侵入せしめたコレーは、入り口の段階で二の足を踏んでいた。
ーーーなんだか、見られている気がするわーーー
怖い、と肩を抱きながら挫折しかかったコレーを実際、多数の目が見つめていた。
ケロベロスを通して冥界へ出入りする者はそうそういないーーーそこそこ回数が多いゼウスはカウントしない、いや存在しないものとする。ファッキューゼウスーーーので、ケロベロス同様不届き者がハデス様の御身に危機をもたらすことのないようにせねば、とすぐに監視が集まるのである。
ーーーやべえ!あのときの女の子だ!
コレーを確認した途端、冥界の住人たちは警戒や疑念を興味関心にいとも簡単に塗り替え、嬉々として盗み見に興じていた。
ーーーいかなくっちゃ。
しばらく立ち往生していたものの、動かなければ始まらない、とばかりに思い切って歩き始めた。
ーーーやっぱハデス様に会いにきたのかな?超健気なんですけど
ーーーでもどこ行けばいいか迷ってるみたい、どうする?
ーーー案内してあげたら
ーーーおまえ行けよ
ーーーなんだよ、お前こそ
ーーーじゃあ俺が
ーーーぼくも
ーーー私も
ーーーなんだよ、じゃあ俺も
ーーーどうぞどうぞ
「うわ!おいてめえら!」
「ひゃ!?」
「あ………」
古典じみたコントで押し出されたひとりの小鬼。突然出てきた異形にコレーは思わず声をあげ後ずさった。
くそ、お前らいつか見てろよ。押し出した仲間たちを恨みがましく睨みながら、小鬼は噂の花を目の前どう話しかけたらいいかわからず、木偶の坊のように突っ立っていた。小鬼は名の如く小さな鬼である。コレーの半分にも満たない体格であるが、バカにできない怪力は、亡者を痛めつける役割を存分に果たしていた。その体格以外は、人間界に伝わる偶像そのままで、二本の角、真っ赤な顔に虎皮腰巻、そして棍棒。あまりにテンプレートなその姿は、ちょっと冥界の景色から浮き気味であった。
ともかく。小鬼を目にしたコレーは、最初は驚きはしたものの、その体躯の小ささが恐怖心の中和の助けになっていた。第一にケロベロスを目の当たりにしていた経験も役立っていてのかもしれない。
「あの、聞きたいことがあるんだけど、いいかしら……?」
結果、コレーから小鬼に話しかけることができたのだろう。
「うえ!?は、はい!」
小鬼の身の丈に倣うように、コレーは膝を折り目線を低くしながら問うた。美しい少女へ優しく話しかけられるなど生まれてこのかた初めての経験である。小鬼は童貞のような余裕のなさをみせながらも、しどろもどろでコレーに応えた。
ーーーうわあ、かわいい、すげえ、めっちゃいい匂いする。
コレーの女性らしさに当てられ、小鬼は夢心地で小学生並みの感想を心中で連発していた。
「それでね、あの、ハデスってひとがどこにいるか知らないかしら?」
「はい、存じております!只今案内致しますので!!」
大方の読み通りであった質問内容に、小鬼は仰々しくかしこまり、淑女を助ける紳士気分でコレーを引き連れていった。
その頃ハデスは、人間の死後の裁判の席に座り善か悪かの判断を下していた。
ケロベロスが誰かを通したことはわかっていた。門を通ると、直接ハデスが知る仕組みとなっている。
ゼウスかヘルメスか、又は侵入者か。
門の近くには、常に誰かが見張りとして駐在しており、そ奴らがなんの連絡もないのなら、前者であるか、すでにやられているか。
いずれにせよ、ここに向かってきているようなので、答えは自然に分かることだろう、とハデスはそのまま仕事の手を緩めることはなかった。冥界の王として、どんな輩が襲ってこようが迎え討つ自信があったのだ。
「ハデス様、この男、生前多くの婦女子に暴行を加え、あろうことか罪に問われず天寿を全うしたようです」
「ーーーなら、こちらで裁いてやろうか」
その者を地獄へ。
腹心の読み上げる情報を聞き、ハデスは当然の判決を下した。
「………ふざぁけんじゃあねえぞ」
「貴様、勝手に喋るなーーーぐあ!」
「俺様に命令すんじゃねえよこらああああ!」
不意をつき拘束している番人を突き飛ばすと、男はハデスに向かって突進していった。
「ハデス様!!」
「いい。ーーー情状酌量の余地もないな」
盾になろうと動く部下たちを制止、ハデスは飛びかかる男を冷淡な目で見下ろした。
「ムカつく目えしやがって!ぶっころしてやる!!」
男は凶悪に唾をわめき散らしながら、その手には隠していたらしい刃物が光っていた。
「おらあああーーーーー………あ?」
さくり。
刃物は地面に落ち刺さった。男は持っていたはずの手を見やる。手は地面にあった。
「あ、あひ、あああああ、おれえ、おれのてがああああ、」
綺麗な断面が見えるそこには、あるはずの手が存在しなかった。遅れて大量の血が辺りに吹き溢れていく。
手は刃物を持ったまま共に地面に落ちていた。
「て、てめえ、てめえだなおれの、」
いつの間に裁きの席から降り立ったのか、ハデスは激しく同様する男を無視し、そのまま刃物を持つ手をどけ、代わりに己が新しい持ち主として拾い上げた。
すとん。
「え?」
手首よりも柔らかく、安易に切り落とされたそれ。男は手首の痛みも忘れ、恐る恐る下を見やる。そこには、あるべき性の象徴が失われていた。
「ああああああ、おれの、おれのおおおお!!」
朽ちゆく運命の己の男根を前に絶望し打ちひしがれる男。ハデスは手にしていた血まみれの刃物を捨て置くと、ゆっくりと男に近づきその顔を踏みつぶした。
「心配するな、地獄で身体は元に戻る。今以上の責め苦が襲うことになるがな」
恐らく聞こえてはいないだろう。力一杯握った腐りかけの果実のように原型を失くした男は、やがてハデスの指示を受け、何処か暗闇へと消えていった。
時々このように反抗する人間がいる。それに対して稀にハデスが直々に手を下すことがある。審判を待つ人間達の前で行うことで、とても効果的な見せしめとなるのだ。
男の汚れた血が辺りに残ったまま、ハデスは次の審判に戻ーーー
「ハ、デス………?」
最悪のタイミングでコレーが到着した。




