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ハデスは玉座の上でひとり、物憂げな表情で小さく息をついた。
当然のように、デメテルの園へは半ば出禁状態であった。彼女の作る野菜が大好物であったケロベロスはたいそう残念がり、やや覇気の失われた姿は門番というより、お預けをくらった飼い犬の方がしっくりきていた。
それも勿論気がかりではあるのだが、ハデスの調子を狂わせていた一番の要因は、いつぞやの少女に関してであった。
ーーー大丈夫だろうか。
何故あの時わざと遠回りしてしまったのか。己の無意識の行動が結果的にコレーに迷惑を掛けてしまった。元凶であるゼウスが全てのきっかけであるには変わりないのだが、コレーはなんの落ち度もない被害者なのだ。図られたとはいえ実行犯であるハデスは、律儀に責任を感じていた。
ハデスは冥府の王として君臨する傍ら、ケロベロスのように自ら甲斐甲斐しく世話を焼く。長兄という性質上、どうも面倒見の良さが染みついているようだった。悪く言えば面倒事も放っておけない性格とも言える。コレーの赤子の如し無知の頼りなさは、ハデスの世話焼き精神の琴線に響いていたのだ。
一度様子見だけでも、と思いはしたが、当人が直接現れてはデメテルの怒りは目に見えるようなので、遠目にも、と思うがどうやら張り巡らされた厳重な障壁が彼女の園全体を霧のように覆い、よく見ようと近づいた者をすぐさま感知し激しい妨害を食らわせる仕組みだとか。
力関係でいえばハデスの方が格上である。デメテルの全力といえど、突破するのは不可能なわけではない。が、それは彼女の神経を逆なでする行為に等しい。そして自身の身体が空く時間が中々ないのもあり、なんだかんだ一度も会いに行くことはできなかったのだった。
中途半端に燻ったもやもやした何かが、ハデスを微妙に気鬱にさせていた。
ーーーなんで、ねんで、なんで。
デメテルはわからなかった。
自身を渦巻く感情を。
ーーー悪いのは全部あの男なのに。
デメテルは愕然としていた。
全ての発端であるゼウスへの憎しみではなく、あろうことか似た感情を愛娘に感じていたからだ。
事件後、あらゆる方法を駆使しコレーを自らの手の内に閉じ込めた。もう二度危険な目には合わせないように。それはあまりにもやりすぎの域に達していた。娘を危機に晒さぬよう、という目的では勿論あった。しかし、見えないくらいに閉じ込めたのは、彼女がコレーを見たくない、という感情が強かったからだ。
あの時。
コレーがハデスに寄り添う様は、本当に似合い、長年連れ添う夫婦のように見えるほどだった。ハデスを見上げ頬を染めるコレー。その瞬間から、デメテルにどろどろと渦巻く何かが満たされていることに気づいたのだ。
ーーーなんであなたがそこにいるの。
認めたくなかった。娘に嫉妬しているなんて。




