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あまりに事が上手く運び、ゼウスは我慢できずに腹を抱えて笑い転げた。
コレーは警戒心というものがまるでない。
何重もの箱の中で育てられ、あるべき危険の一切を取り除かれ、どろどろに甘やかされて成長した彼女は、疑うという感覚を持ち合わせていなかった。
神は一定の年齢に達するとそこで成長は止まる。不死と不老を兼ね備えた永遠の存在となるために。コレーもまた然り。麗しい令嬢のような女性へ立派に成長していた。
ただ、明らかに与えられなかったものが多すぎる。赤子の精神のまま大きくなったかのようで、見た目は成熟した女性であるはずなのに、誰しもがまだ青い果実のままの少女と見紛うてしまう。処女神として、存在そのものを持って体現しているかのようだった。
人参を目の前にちらつかせられた馬。それほど簡単に行動を操れた。
何も知らないハデスの手によって咲かせた花々をきゃあきゃあと追いかけるコレー。
事前の準備の賜物である、冥界の一部である場所をわざと地盤が緩くなるよう支えをくり抜いた。黒い花畑になりつつあるそこは、成人女性どころか子供一人でも長く立ち続けることは不可能だ。ましてや興奮して駆け回るコレーを支えきれるわけがなく。
「きゃ………?」
限界を迎えた地盤は脆くも崩れ落ち、事態が飲み込めず固まるコレーもろとも、真下に立つハデスへと降り注いでいったのだった。
ーーーよっしゃ。あとはまあドキムネエロエロハプニングを期待だな。
ゼウスは歴史に刻まれる出歯亀の瞬間を期待し胸を高まらせた。
「コレー!!」
穴の中に消えた娘に悲痛の声を上げるデメテルの存在に気づいたゼウスは、あ、まずいわこれ。と危険を察知しそろそろと身を引いた。
「……………待ちなさいよ」
涙に濡れ瞼を晴らすデメテルは、地獄の門番ケロベロスも尻尾を丸めて逃げ出すような恐ろしい声音でゼウスを呼び止めた。
「……………………はい」
蛇に睨まれた蛙は、凄まじい制裁の予感をひしひしと感じながらゆっくりとデメテルの元へ降り立った。
皮肉にも、ゼウスがデメテルの園に足を踏み入れた初めての瞬間である。
「きゃああああああ!!」
コレーは悲鳴をあげながら、なす術なく重力の法則に従っていた。恐怖にぎゅっと目を瞑り自らの身体を掻き抱く。受け身など取れるはずもないのだが、そもそもどこへ落ちているのか、何故自分はこんな目に遭っているのかなどと答えの見つからないまま自問を繰り返すコレーは、とにかく混乱のまま叫び続けるのだった。
ーーー誰だ?
どこまでも平素なハデスはやはり動じなかった。落ちてくる少女に多少驚きつつも、つ真っ先にとった行動は素早く空いた穴を塞ぐことだった。穴から亡者が逃げ出しては大変だ、という冥府の主の自覚とデメテルの園への被害を食い止めねばという使命感が彼の中の優先順位を繰り上げたのだ。
その結果、穴を完全に塞ぎ切ると同時に、重力を身に纏った少女が思いっきりぶつかるのを防ぐ術を失ったのだった。




