【49】書けない言葉と傷を残すこと
シリアスな話の中で、主人公の心を抉るような言葉を書くことがあります。
これは私の場合ですが、たいてい最初に書いた言葉はそのまま残りません。
主人公の尊厳を傷つけるだけではなく、それを言った人物にその言葉に見合った「結果」を与えないとならなくなるのでたいてい最初に書いた言葉よりマイルドになります。
心を抉るような言葉を、面と向かって言われた経験値がそこそこ高い私です。
心拍数が120くらいまで一瞬で上がって、瞬きを忘れて目が乾きます。
涙が浮かんだことはただの一度もありません。
むしろ眼球が乾いて痛くなる感じです。
喉の奥がひり付きますが、唾液を飲み込むこともできません。
五臓六腑をぼとぼとと落としたような、身体中の喪失感を覚えます。
足元は、海岸に刺した棒の回りを波が浚っていくように地面が消えていった感じがあります。
こんなふうに主人公を追いやる言葉を書いても、たいてい残せないのです。
意図的にそう言ったのか、勢いに任せて飛び出た言葉がそれなのか、まずそこを明確にする必要があります。
そしてどちらにしても、それに見合う「結果」が必要になります。
その「結果」は、必ずしも主人公をスッキリさせるものにはなりません。
「ざまぁ」というのは主人公がそう感じたことではなく、傍観者が溜飲を下げるものとして捉えています。
主人公は、自分を傷つけた相手の言葉のせいだとしても、その凋落ぶりを見届けることでまた傷がつきます。
それを思うと、苛烈すぎる言葉は消すことになります。
傷を癒すのは、スパダリの溺愛では無理なのです。
他者の言葉によって傷つけられた傷は、自身がそれと向き合いその言葉を言われた背景を理解し、言った相手への関心を無にすることでしか癒されません。
むしろ溺愛が、治りかけた瘡蓋をべりっと剥がすこともあります。
誰かの価値観では傷は治らないのです。
心の傷は皮膚の傷と違って、本人が納得する形である程度残すことが最善だと思っています。
完全に治してしまったら、その痛みに耐えたことも消えてしまいます。
傷に見合った慰めが得られることは無いと私は思っています。
誰かに言われた慰めは、「これしか言えない」とその時のその人の最善だったとしても、本人にとって「そう見積もられたもの」として残る場合があります。
それを理解さえしていれば、「慰めようとして言葉をくれた」としてきちんと心を納得させることができます。
慰めの言葉より、「傷」として本人が納得形であえて残してあることを理解してもらえるとありがたいのです。
「その花の名前は」のデルフィーナは、そうして自分の傷を「この形」として残しています。
傷を分からないようにしようとはしません。
ジルドはそれを尊重し、ただ見守る。
デルフィーナが一人で涙する時間を大切にし、そのことに直接触れずにデルフィーナが傷を撫で終わったら、温かい紅茶を淹れる。
そこに気の利いた言葉は無く、ジルドから抱きしめることもない。
デルフィーナはそのジルドの優しさを理解しています。
花は風に自由に揺れ、デルフィーナの傷もジルドの努力も、風はすべてを少し揺らしてどこかへ吹き抜けていきます。




