第91話 虹光錯視《こうこうさくし》
昼下がりの儀庭は、白石の上に濡れた光が落ち、雨上がりの湿った風が遠くから吹き抜けていた。
修行の合間の穏やかな空気の中、庭っ娘たちの間で降って湧いたように話題になったのは、東の空に架かった巨大な七色の虹であった。
庭っ娘たちは白石の端に集まり、先ほど天の只中で直面した、圧倒的な極彩色がもたらした奇妙な色彩の揺らめきについて口々に語り始めた。かつて宮廷の画家たちが墨一色の世界から無限の色を導き出したように、彼女たちにとって天空が描く壮大なグラデーションは、五感を心地よく揺さぶる表現の苗床なのである。
芳華は前髪を押さえながら、先ほどの虹の鮮やかさを思い出して目を丸くした。
芳華:「雨上がりの虹が出た瞬間さぁ、空の青と虹の境界が混ざって見えなくなったんよね」
瑠映は色壺を抱えた腕を揺らし、光の反射による色彩の変容を思い出しながら言った。
瑠映:「そうじゃね。虹の光が白石に反射してから、いつもの白石が七色に染まっとったんよ、ほんま」
夜凛は舞衣の袖を軽く払って、その場の空気と虹の架け橋を意識するように言った。
夜凛:「ほいじゃけぇ、舞の袖が虹の曲線に引っ張られてな、動きが妙に丸みを帯びて優雅に見えたんよ」
琴雪は深読み書を開き、余白の揺れを見つめながら静かに言った。
琴雪:「比喩まで虹の七色に乗ってしもーて、詩の一行が勝手に華やかになっとったわ」
黒耀は巻物を整え、光の角度を確かめながら言った。
黒耀:「静けさが虹の圧倒的な存在感に負けて、場がちょっと騒がしかったねぇ」
紅牙は場を締めた。
紅牙:「……虹って、出ただけで庭の景色をぜんぶ持っていくんよねぇ」
儀庭の光はゆるりと安定し、空には虹の余韻だけが柔らかく残っていた。
心地よい空気の中に、先ほどまでの微笑ましい大騒ぎの残響が静かに溶けていく。
【昭華の豆知識】
●『虹光錯視』
昭華王朝の色彩美学において、大雨の直後に現れる巨大な虹が地上に強烈な光彩の干渉をもたらし、それによって白石の純白や周囲の景色の境界線を一時的に曖昧にしてしまう現象を指す言葉。当時の宮廷文化では、確固たる現実の形を不意に塗り替えてしまう天の悪戯を「融解の美」として捉えていた。洗練された表現者たちが、自らの足元の色彩が七色に変容していく様子に心地よく翻弄されるプロセスは、世界が生み出す無作為の芸術に包まれる風流として尊ばれていた。
●“色は心の層”
昭華の美意識では、空に架かる虹の重なり合う色彩の濃淡は、一面的ではない人間の感情が複雑に重なり合う「心の層(精神の多面的な深み)」そのものと結びつけられていた。
今日の、鮮烈な虹に五感を心地よく圧倒されて「詩の一行が勝手に華やかになった」「景色をぜんぶ持っていく」と微笑み交わす大騒ぎも、天が持つ自由な美のエネルギーを身体全体で受け止め、自らの表現の糧にしてしまう、庭っ娘たちの雅で生き生きとした日常の名残なのである。
儀庭の昼下がりは、今日もゆるりと始まる。白石の上に濡れた光が落ち、雨上がりの湿った風が遠くから吹き抜けていた。
そして、ゆるりと染まりはじめる。
それが昭華王朝の、いつもの日常であった。




