第82話 甘飲錯選《かんいんさくせん》
王城の中で、若い娘たちが自由に使える庭はただ一つーー儀庭。
儀庭の朝は、白い石畳の上に柔らかい光が流れ、風が細く庭を滑っていった。東屋の周囲を爽やかな朝風が吹き抜け、石畳の上に落ちる光の粒が優しくキラキラと揺らめいている。
修行の合間に交わされる甘味の話題は、庭っ娘たちの間でいつも心地よい笑いを生み出す。
朝のぽかぽかとした光の中で、芳華は水盤に映る前髪を指先で整えながら、昨日の甘味店での出来事を思い出して話しだした。
芳華:「甘さ控えめ選んだつもりが、またぶち甘かったんよ」
瑠映は色壺を抱えた腕をちょんと揺らし、目を丸くしていた。
瑠映:「どんどん新作出るんじゃけど、似た名前の甘味が多すぎて、どれがどれか分からんのよねぇ」
夜凛が舞衣の袖をひらりと揺らしながら、二人のもとへ歩み寄る。
夜凛:「そうじゃね。説明読んでも、全部同じように見えるんよ」
琴雪は深読み書を開き、何故かすでに昨日の店先での心の動きを深読みし始めていた。
琴雪:「選び直そうとしたら、もう次の人が注文しよったんよ」
黒耀が巻物を抱えたまま、驚いたように振り返る。
黒耀:「甘さで頭がぼーっとして、何頼んだか忘れそうじゃったわ」
紅牙が他者の影を踏まないよう静かに一歩を踏み出し、ぽつりと呟いた。
紅牙:「……でもあの甘さ、ちょっと癖になるんよねぇ……」
儀庭の光はゆるりと揺れ、白い石畳の上には、昨日の甘味処の豊かな甘さの余韻だけが静かに残っていた。
甘味処の愛らしい誤算と、濃厚な甘さがもたらした幸せな記憶の余韻が、朝のぽかぽかとした陽だまりの中に柔らかく溶けていく。
【昭華の豆知識】
●『甘飲錯選』
昭華王朝の食味文化および対人心理美学において、甘味処や茶店にて注文する際、自らが意図した糖度や品名の選択を言い誤ってしまう現象を指す言葉。当時の宮廷・都市文化では、味覚における甘さの濃淡が「精神の階層(心の多重性)」と密接に関連していると考えられていたため、選択の誤りは単なる間違いではなく、その者の内に潜在する「甘味を求める心の揺らぎ」が自ずと露呈したものとして扱われていた。
●“甘は心の癖”
昭華の美意識においては、「甘味の選択を誤る一瞬とは、その者が無意識のうちに抱いている『心の癖(本質的な渇望や好み)』が表に引き出された愛おしい瞬間である」と捉えられていた。
作中において、似通った品名に迷い、「ぶち甘かった」と戸惑いながらも「癖になる」と微笑み合う一幕も、失敗という些細な出来事すらも豊かな情趣や笑顔に変えて楽しんでいた、庭っ娘たちの雅で生き生きとした日常の名残なのである。
儀庭の朝は、今日もゆるりと始まり、
手酌のお茶を一口すすり、舌に残る甘蜜の余韻を愛おしみながら——。
そしてゆるりと騒がしくなる。
それこそが昭華王朝の、いつもの日常であった。




