第63話 甘味度逆転《かんみどぎゃくてん》
王城の中で、若い娘たちが自由に使える庭はただ一つ——儀庭。
儀庭の朝は、白石の上に柔らかい光が落ち、影が静かに庭へ伸びていた。東屋の陰からすべる光の粒が白い石畳を優しく包み込み、爽やかな朝風が木々の葉を揺らしている。
甘度の話題は、庭っ娘たちの間でよく転がる。
庭っ娘たちは白石の端に集まり、昨日街の甘味処で直面した、言葉と味覚が織りなす奇妙な不一致について口々に語り始めた。
朝のぽかぽかとした光の中で、芳華は前髪を押さえながら、昨日の出来事を思い出して顔をしかめた。
芳華:「甘さ控えめ頼んだのに、控えめの方が甘かったんよ」
瑠映は色壺を抱えた腕を揺らし、光の反射を見ながら首をかしげた。
瑠映:「説明聞いたら、控えめは“味が濃い”って意味じゃったらしいね」
夜凛は舞衣の袖を軽く払って、甘味の揺れを思い出しながら言った。
夜凛:「名前の印象と実際の甘さが逆になっとったよ」
琴雪は深読み書を開き、余白の揺れを見つめながら静かに言った。
琴雪:「前の人も同じ勘違いしとって、二人で笑いよったね」
黒耀は巻物を整え、光の角度を確かめながら言った。
黒耀:「結局、普通の甘さが一番控えめに感じるっていう謎の現象が起きとったよ」
紅牙は場をいつものように締めた。
紅牙:「……甘味度って、名前だけじゃ判断できんのんじゃね」
儀庭の光はゆるりと安定し、甘味の逆転だけが柔らかく残っていた。
言葉と味覚が仕掛けたお茶目な逆転劇の余韻が、朝の陽だまりの中に柔らかく溶けていく。
【昭華の豆知識】
●『甘味度逆転』
昭華王朝の食文化および感覚美学において、品名や文脈から受ける甘さの予測(言語的印象)と、実際に口へ運んだ際の実際の糖度や風味が完全に食い違ってしまう現象を指す言葉。当時の宮廷・都市文化では、料理における「味の整い(完璧な調和)」が美徳とされる一方で、言葉の定義(控えめ=素材本来の濃厚さを引き立てる等)と実態が心地よく裏切られる職人の粋な趣向や伝統的な呼称は、人々の五感を鮮やかに揺さぶる「味覚の迷宮(風雅な遊び心)」として愛されていた。
●“味は心の濃淡”
昭華の美意識においては、「人間の舌が味わう五味の濃淡や予期せぬ変化は、そのまま複雑に移ろいゆく人間の心の濃淡や感情の表裏と通じ合っている」と考えられていた。
作中において、言葉の響きに翻弄されながら「控えめの方が甘かった」「どれが一番控えめか分からん」と顔を見合わせて微笑み交わす大騒ぎも、甘味処の粋な仕掛けに心を躍らせ、仲間と共に豊かな味わいを楽しんでいた、庭っ娘たちの雅で生き生きとした日常の名残なのである。
儀庭の朝は、今日もゆるりと始まる。
手酌のお茶を一口すすり、甘い蜜の余韻を心の中で噛み締めながら——。
そして、ゆるりと騒がしくなる。
それが昭華王朝の、いつもの日常じゃった。




