軽度の頭痛に対抗するたったひとつの冴えたやり方
長浜田幾太はワンルームアパートのベッドの上で軽度の頭痛に悩まされていた。
彼は頭痛持ちであった。
頭痛に悩まされ始めたのは就職してすぐのことだった。就職先で彼は何をしても怒られた。挨拶をしたら声が小さいと怒られ、営業をしたら反省会で怒られ、事務処理をしたら処理速度を怒られた。彼を叱る声に善意が含まれていないわけでもなかった。全ての人間が彼を悪罵しているのではなく、彼の将来を想って敢えて彼を叱責した者も少なからず存在した。彼自身それを察していたが、むしろ察しているだけにその善意が心に傷として残った。ただの悪口ならば「勝手に言ってろ」と無視すればよかったが、正しい指摘や含蓄がある言葉を無視するのは難しく、だからこそ言われた者には重荷となる。
ある日を境に、彼は頭痛に悩まされることとなった。叱責されるたびに、相手側が正しいと分かっていても、頭がずきずきと痛むようになった。
やがて、叱責の有無に関わらず仕事中は慢性的に頭痛が続くようになった。またしばらくすると、通勤する前から頭痛が始まるようになり・・・やがて、休日にすら頭痛が彼を襲いはじめた。
彼はしばしば不安であった。仕事中は何をしていても「怒られるかもしれない」と不安になる。一日の仕事が終わり自宅のワンルームアパートへ帰るまでは不安から解消されるが、就寝時間が近くなると、今日の仕事を思い出して「顧客への説明が間違っていなかったか」「営業先との会話でクレームになるようなことを言わなかったか」「もしかして伝票の数字を打ち間違えてないか」「帰宅時に会社の施錠を忘れた気がする」とほとんど可能性のないことに怯え始め、やがて眠気が襲ってくると「ここで寝たら明日が来てしまう」と不安というよりは恐怖に慄きながら眠りにつく。
そして今日、休日の朝。起きるなり、彼は頭痛に悩まされた。
彼の頭痛は軽度であった。だから彼は今まで我慢できたのだが、ついに我慢の限界が来ていることを悟った。
どうにかしなければならない。さもなくば僕は仕事をやめなければならない。そして、どうにかするならば今日しかない。
長浜田幾太は生まれて初めて頭痛と真剣に向き合おうと思った。
もし彼に充分な気力と常識的な思考能力が備わっていれば、まず病院へ行こうとしただろう。しかし彼は仕事で疲れており、加えて病院へ行くことに気後れする性質だった。彼は今年24歳と比較的若い成人男性であるが、柔軟な思考は持ち合わせておらず、まるで頑固な高齢男性のように「病院へ行くのは恥」と思い込んでいた。同じように「他人に頼るのは恥」などとよく分からない自尊心を持っていたため、他人に相談するのも躊躇われた。
彼は自分ひとりでナントカしようと考えた。
ベッドから上体を起こし、時計を見ると7時を指している。レースのカーテンからは朝の光が部屋を淡く照らす。
彼は頭痛を我慢しつつベッドを出てカーテンを開けた。太陽の光が彼の体を優しく包む。
ふと、亡き祖父の言葉を思い出した。「気分が悪い時は体を動かすといい」彼は散歩をしてみようと思った。
パジャマ代わりのジャージを着たままジャンパーだけ羽織り、玄関の扉を開けて外へ出た。階段を下りてアパートのエントランスを出る。
1月の冷たい空気が体を冷やす。その寒さは頭痛に響いたが、一方で確かな心地よさも感じていた。住宅街を歩きながら息を吸い込むと、朝の澄んだ空気が肺を満たし、彼の体を芯から冷やすと同時にどこか清々しい気分を味わえた。
彼の住んでいる場所は地方都市の住宅街である。そのため周りに公園はなく、散歩に適した場所は存在しない。彼は固く舗装された道路をひたすらに歩いた。景色は住宅ばかりで目を楽しませるものはなく、また下水の臭いが少々漂い、不愉快な汚臭が鼻に香った。それでも彼は気分が晴れていくのを感じた。自分の足で歩き、手を振り、息をする。そんな当たり前のことでも、仕事でないなら楽しく感じた。
軽度の頭痛は相変わらず続いていたが、その物理的な痛みとは別に気分が上向きになっている。
このまま数分歩いていれば直るのではないか。自分の頭痛は精神からくるものに違いないから、こうして気晴らしすれば解消されるのだ。
彼は半ば確信していた。
いたずらに歩くと、右手にコンビニが見えてきた。これは絶交のタイミングだった。少し歩いて、彼は小腹がすき始めていたのだ。コンビニでホットコーヒーと菓子パンでも買おうか、そう思ったとき。
彼は髭を剃っていないことに気付いた。
彼は起きてすぐ散歩に出た。顔も洗っていなければ髭すら剃っていない。こんな身なりで店員と顔を合わせるのは恥ずかしいのではないか。彼はそっと手を顎に当てる。ざらざらとした気色の悪い髭の感触。彼は髭の濃い方ではなかったがそれでも男性である以上、起きて顔を剃らなければ髭が目立つことは避けられない。彼は悩んだ。コンビニへ寄るのはやめるか。しかしせっかくここまで歩いてきたのに。そもそも、髭など気にする必要があるのか。店員はプロだ。コンビニ店員だから十中八九バイトだろうがそれでもお金を貰っているプロなのだ。客の顔面など気にするわけがない…いや、コンビニ店員は気にせずとも店内にいるであろう他の客はどう思うだろう。僕の顔面を不快に思わないだろうか…思うかもしれない。が、成人男性が多少髭を剃っていないからといってそこまで気にする人がいるだろうか。それに今は早朝だから客で溢れかえっているわけでもあるまい…立ち止まって逡巡しながら、彼は無意識にジャンパーのポケットへ手を入れた。
ポケットの中に布の柔らかい感触。
彼はそれをポケットから出した。
使用済みの不織布マスクだった。彼が以前使ったマスク。それがジャンパーのポケットに入れたままだったのだ。
彼は助かったと思った。マスクをすれば顔を隠せる。特に髭の濃くなりやすい鼻の下と顎は覆い隠せるし、上手く広げれば頬の大部分を隠すことも出来る。これで店員や他の客を気にせずコンビニに入店できる。
そう思い、再びポケットに両手を入れて歩き始めようとして、彼は気付いた。
…財布を忘れた。
彼は財布を持っていなかった。元々散歩が目的だったのだから無理もない。彼は無駄な足掻きと知りつつジャンパーのポケットから両手を出し、ジャージのズボンのポケットもまさぐってみるがやはり何も入ってはいなかった。
金がなければ買い物はできない。彼はコンビニへ寄るのを諦めた。
コンビニの横を通り過ぎる時、再び鋭い頭痛を意識した。ストレスは頭痛に影響を与える。財布を忘れたという後悔が彼の細い神経を刺激し、収まっていた頭痛が再び意識下へ浮上した。
いけない、と彼は思った。
財布を持ってこなかったから何だというのだ。自分は朝の散歩をするために家を出たのであり、決してコンビニで買い物をしに来たのではない。だから財布を持ってこなかったことを後悔するなんて、おかしいじゃないか。そう思いながらも、彼の後悔は続き頭がどくどくと痛んだ。
散歩に集中するんだ。と彼は思い直した。足を動かし、腕をふって、朝の空気を呼吸するのだ。それで気分は晴れて頭痛は霧散するはずだ。不安などなにもないんだ。不安や心配事など、何も。
そこで彼は気付いた。
―アパートの鍵を忘れた。
長浜田幾太の住んでいるアパートはオートロックではないため、鍵を忘れて外出しても部屋から閉め出されることはない。しかし鍵を開けたまま外出するのは防犯上不安である。彼は急いで散歩から帰り、不審者が侵入した痕跡がないことを確かめると安心して自室の床に座り込んだ。
焦って帰ったからだろうか。動悸が激しく肩で息をしていたが深呼吸すると落ち着いてきた。しかし、いぜんとして不愉快な頭痛は続いている。
彼は考えた。どうすれば頭痛が治るだろうか。再び散歩に行ってみようか。しかし、先程散歩に出かけて少々気分が晴れたのは「新鮮さ」が起因しており、もう一度散歩に出かけても「新鮮さ」が失われた分、効き目は薄くなるだろう。むしろ目的もなく彷徨い休日を浪費するなんて、考えただけで頭痛の痛みが増していくようであった。
気分転換の散歩は失敗に終わった。次はどうするべきか。
彼は思い直した。確かに朝の散歩で頭痛を解消させることは出来なかったが、和らげることは出来た。やはり自分の頭痛は精神的なものであり、精神的なものが原因である以上、「気分転換」という方向性は間違っていなかったのではないか。
散歩が不発に終わった今、散歩以外で「気分転換」する方法を考えればいいのだ。
散歩とは言い換えれば「軽微な運動」である。「運動」以外で気分転換になるもの。
数年前の彼だったら、「ゲーム」を思い付いただろう。テレビゲーム、あるいは携帯ゲーム。ゲームとは若者にとって娯楽の王様である。寝る間を惜しんでゲームに没頭し徹夜した経験がある人も多いのではないだろうか。彼も昔、そんな経験をした一人だった。
しかし今の彼にとって、ゲームは疲れる娯楽であった。ゲームは確かに面白いが、面白がらなければ面白くないものだ。どうやれば自分が有利になるか、どうやれば敵を倒せるか。そんなふうにゲーム世界で試行錯誤するのがゲームの醍醐味であり、その試行錯誤の味わいは現実世界の面白味を度々凌駕する。しかし、面白がろうとしなければそのスタートラインには立てない。つまりゲームのプレイとは、極めて能動的な行為なのだ。そのため、社会の波にもまれ爪という爪をもがれ無気力に陥った今の彼にとって、ゲームをプレイしても疲れるだけであった。
また、彼にとって「漫画」「アニメ」「小説」も数年前なら主要な娯楽だったが、今はこれらも億劫に思えた。
彼は社会人になってからフィクションが嫌いになりつつあることを自覚していた。元々、主人公が素直に成功し賛美されるような物語を彼は嫌っていたが、今の彼は、例え物語の主人公がどんな苦労をしようと、あるいは成功せずバッドエンドを迎えようと、心から物語を楽しめる自信がなかった。「お話」そのものに疲れたのだ。現実世界で自分の物語に手一杯となっている彼にとって、空想の物語を楽しむ余裕はなくなっていた。もし彼にもう少しの精神的余裕があれば、あるいは成熟した心があれば、あらゆるフィクションは現実世界に彩を与えてくれたであろうが、今の彼にとってフィクションは鬱陶しく感じた。
睡眠はどうだろう、と彼は考えた。寝れば全てが解決する。寝ている間は何もかも忘れられる。そう思った。幸い、彼の頭痛はあくまで軽度なものだから、寝ようとして寝られないこともないであろうと考えた。
しかし彼は怖かった。睡眠が怖かったのだ。寝れば知らず知らずの内に時間が経過するからだ。時間が経過すれば明日が来る。明日になれば仕事に行かねばならない…つまり睡眠とは仕事への猶予時間を大幅にカットする恐ろしい賭けである。また起きた時、もっとこうすればよかったああすればよかったと後悔したくない、などと考えると、眠りたくても眠れなくなる。
彼は悩んだ。三大欲求の一つ、睡眠すら封じられたらどうすればいいのか。悩むほどに頭痛は微かに痛みを増していく。
そこで彼は閃いた。三大欲求の一つである睡眠が封じられたのならば、別の一つを実践すればいい。
「食」だ。食事はストレス発散となり、頭痛を解消してくれるのではないか。頭痛が激しい時、無理矢理でも何か食べると、少なくとも食べている時だけはその痛みを忘れられる。そんな経験が彼にはあった。
ならばその食事の量を増やせばどうだろうか。食べている間だけでなく、食べた後でも、満腹感が頭痛を退治してくれるのではないか。
やってみる価値はある。彼は再び家を出た。今度は財布と鍵を忘れなかった。
車を所持していない彼は、徒歩と自転車で日々生活している。彼が住んでいるアパートは住宅街であったが、近くにスーパーや外食店が並ぶメイン通りが走っているため、自動車なしでも生活に困ることはなかった。
とにかく食べようと考えた彼は、最初スーパーで大量の惣菜を買い込むか、あるいは肉や魚のパックを買って鍋にでもしようかと考えていたが、洗い物や仕込みが面倒でやる気が起きなかったため、外食で食を堪能することにした。
自転車を走らせていると、腹がへってきた。時刻は11時を回り、多くの外食店が開店する。久々にチェーンのファストフード店にするか、逆に高級店で豪遊するか、彼は考えを巡らせたが、あまり金銭を掛けすぎると食事中に後悔をはじめそうだし、また安すぎても幸福感が薄くなりそうであったため、ほどほどの店でいつもより一,二品多く頼む程度でいいのではないかと考えた。
彼は中華料理店へ入店した。
その中華料理店はチェーン店ではなくまた彼の行きつけの店でもなかったが、彼が1,2回食事したことがある店のため気負いなく入店できた。
店内は4人がけのテーブル席が8脚、2人がけのテーブル席が4脚程度で狭くはないが広すぎない。時間が早いからか店内の客はまばらで待ち時間なく2人がけのテーブル席に座ることが出来た。
メニューを見て注文を考える。
彼は食が太い方ではない。中華料理なら、いつもは単品一つかご飯を少なめにした定食で腹を満たせる。しかし今日は朝食を抜いており、またこの頭痛を解消させるため、大量に食べる必要がある。
彼は台湾ラーメンと麻婆飯のセットと、から揚げの単品を注文した。
注文のラインナップはそれほど深く考えなかった。台湾ラーメンは特別好きなわけではないが、辛さがあった方が食が進みそうだし、何よりひき肉が乗っているためボリュームがあるように思えたから選択した。麻婆飯も同じような理由で、本来は炒飯の方が彼の好みであったが、豆腐とひき肉の乗った麻婆飯の方がより腹が膨らみそうだから注文した。サイドメニューは野菜炒めやチンジャオロース等と迷ったが、揚げ物を食べたい気分だった為から揚げを選んだ。
ほどなくして注文がテーブルに届いた。
台湾ラーメンと麻婆飯、から揚げ。どれも小皿ではなく一人前の分量だ。
まずは台湾ラーメンに手を伸ばす。胡麻が溶けて白濁したスープにうっすら赤みのある挽肉炒めの油が混ざり複雑な模様を丼に描いている。箸で麺を掬うとちぢれ麺。彼の好みはストレートの細麺であったが町中華のラーメンといえばちぢれ麺であろう。口に運ぶと麺にピリっと辛いスープが絡み舌を楽しませる。もやしは入っていないが葱はまばらに散りばめられており、レンゲでスープを飲むと胡麻と辛味の中に葱の香りがほんのりと漂う。
続いて麻婆飯にも口をつけてみる。白く深みのある大皿一杯に広がる麻婆豆腐はその下のご飯を完全に覆ってしまっている。家で作るより黒みがかったあんはレンゲで掬うとどろりと鈍くとろみがあり、掬っただけで重みを感じる。レンゲをもう少し深く皿に食い込ませるとあんに隠れた白米が見えてその白さに目を奪われるも、すぐに上からあんがその白米を覆ってしまう。レンゲで麻婆豆腐と白米を混ぜてから食しても良かったが、あえて混ぜずに、レンゲで掬ってそのまま口に運ぶ。すると麻婆豆腐の濃い辛さと白米の甘みが口内で同時に感じられ、咀嚼する間にその辛さと甘みは口内で融合し絶妙なハーモニーを奏でる。
ラーメンと麻婆飯から離れ、一旦から揚げを食してみる。
から揚げは中華料理店ならではの大きさで、成人男性の握りこぶしほどもある。箸で掴んで口に運ぼうとすると重みで零れ落ちそうだ。仕方ないので箸でこぶし大のそれを挟むと口の方をから揚げへ近付け、かじりつく。さくっと意外なほど柔らかく噛み千切れた。そのまま口内で咀嚼する。鳥胸肉を使用しているのか脂身が少なく、口内に入れた瞬間はやや残念に思うも、かみ締めるほどにそれは侮りであったと実感する。噛むほどに味が染み出すのだ。じわりじわりと旨みが口内へ広がる。それは油ではなく肉にしみこませた下味が染み出しているのだろう。濃くまろやかな肉汁が口を満たし、気付けば一口、二口とから揚げへ食いついてしまう。しかしそれだけ食べてもすぐにはなくならない。なにしろから揚げの大きさは成人男性のこぶしほどであり、なおかつそれが5個も皿に盛られているからだ。
麻婆飯を口へ運び、汁気が求めて台湾ラーメンをすすり、辛さを緩和するため水を飲み、また味を欲してから揚げにかじりつく。
彼は、おいしいと思った。とてもおいしい。おいしいが。
頼みすぎたな、と彼が後悔するのに5分もかかりはしなかった。
―食べ過ぎると気持ちが悪くなる。それは当たり前の現象だが、その当たり前の未来を長浜田幾太は予知できなかった。
彼は2時間もかけて食べ終え、帰路に着いたがアパートへは帰らずドラッグストアへ寄り道した。
トイレへ行きたかったからである。
中華料理屋にもトイレはあったが和式であったため彼は借りるのに気が引けて、帰り道にあるドラッグストアへ寄った。
彼はドラッグストアで用を足しながら、頭痛が増していくのを感じた。
食べている時は頭痛を忘れていられた。食べている最中に腹八分目を超えると、頭痛の代わりに腹痛を覚え始め、そして用を足した今、腹痛は若干和らいだものの、頭痛がぶり返してきたのだ。
彼は充分に用を足した後トイレから出ると、薬売り場へと向かった。まずは完全に腹痛を解消しなくては頭痛と戦えない。そう思い、頭痛に頭が霞む中、下痢の時度々助けられている薬、正羅丸を探し、オレンジのパッケージを見つけて会計へ持っていった。
店を出ると、自転車を急いで走らせワンルームのアパートへと帰ってきた。
アパートに帰り、ベッドへ腰を下ろすと、頭痛が今日一番の痛みを訴えてきた。
頭痛の代わりに腹痛は引いていき、彼は思わず苦笑した。せっかく正羅丸を買ったのに意味がなかったな、と思った。痛む頭を片手で支えつつ、バッグから買ってきた薬を出す。
オレンジ色のパッケージは正羅丸ではなかった。急いでいたため、オレンジ色の別の薬を買ってきてしまったのだ。
彼は自らの愚かさに声を出して笑った。
笑うしかなかった。
まるで愚かな自分を現実が嘲弄しているように思えたからだ。
彼は一日を振り返った。頭が痛かったから食べて誤魔化そうと思い、食べ過ぎて腹を壊し、腹を治そうと思って買ってきた薬はまったく別物で、そして腹の痛みが引いたと思えば再び頭痛がぶり返す。
今日一日、自分は何をしていたのだろう。そう思うと、彼は悲しい気分になった。自分の愚かさが悲しくて、どこか寂しかった。
途方に暮れながら、彼は間違って買ってきた薬をぼんやりと眺めた。
オレンジ色のパッケージの薬は、カロリンと書いてあった。彼の求めた正羅丸と同じくオレンジ色のパッケージではあったが、名前も中身もまったくの別物であった。
彼はパッケージを手に取ってみた。そこには頭痛薬と書かれていた。
彼は笑った。何が頭痛薬だ。自分の頭痛は精神的なものなんだ。薬で治ったら苦労はしないよ、と心の中で馬鹿にした。
馬鹿にしつつ、彼はそれを飲むことにした。パッケージを開ける。中の袋を一つ出し、その端をぴりっと破り粉薬を舌の上へ広げる。粉薬はシナモンの香りがした。それをコップ一杯の水で流し込む。
―30分後。長浜田幾太は頭痛薬の偉大さを知った。




