届かない想いと新しい始まり〜神宮寺帆波の恋心〜
高校二年生の秋、私は図書室で一人、窓の外を眺めていた。
神宮寺帆波。それが私の名前だ。
ショートカットの黒髪に、キリッとした目元。周囲からは「クールな女子」と思われているが、実際はそんなことない。
ただ、感情を表に出すのが苦手なだけだ。
特に、恋愛に関しては。
窓の外では、蒼磨が詩織と歩いている。
柊蒼磨。私の幼馴染で、クラスメイト。
そして、私がずっと好きな人。
でも、その想いは誰にも言えない。
なぜなら、蒼磨には彼女がいるから。
瑠璃川詩織。クラスでも目立つ美人で、社交的な女子。
蒼磨と付き合って一年半になるらしい。
私が蒼磨を好きになったのは、中学一年生の時だった。
同じ小学校から進学して、偶然同じクラスになった。
蒼磨は変わらず真面目で、優しくて。困っている人がいたら必ず手を差し伸べる、そんな人だった。
ある日、私が階段で転んで教科書を落とした時、蒼磨が拾ってくれた。
「大丈夫? 怪我してない?」
その優しい声と、心配そうな表情。
その瞬間、胸がドキッとした。
それから、私はずっと蒼磨のことを見ていた。
でも、告白する勇気はなかった。
蒼磨は私のことを幼馴染としか見ていないだろう。
それに、私には彼女のような華やかさがない。
地味で、人付き合いも得意じゃない。
蒼磨には、もっと明るくて素敵な女性が相応しい。
そう思って、ずっと想いを隠していた。
そして高校二年生の春、蒼磨が詩織と付き合い始めた。
ショックだった。
でも、蒼磨が幸せそうだったから、何も言えなかった。
「帆波、詩織のこと、どう思う?」
ある日、蒼磨が私に聞いてきた。
「いい人だと思うよ」
嘘だった。
私は詩織のことが好きじゃなかった。
というか、信用できなかった。
詩織の笑顔は完璧すぎる。作られた感じがする。
蒼磨といる時の表情と、友達といる時の表情が、微妙に違う気がする。
でも、それを蒼磨に言うわけにはいかない。
幼馴染の嫉妬だと思われるだけだから。
それから数ヶ月、私は蒼磨と詩織の関係を遠くから見ていた。
最初は幸せそうだった二人が、徐々におかしくなっていく。
詩織のドタキャンが増えた。
蒼磨が一人で学校の裏門にいることが多くなった。
そして、蒼磨の表情が暗くなっていった。
何かあったのは明らかだった。
でも、私は何も言えなかった。
蒼磨から相談されるまで、待つしかない。
ある日の昼休み、蒼磨が珍しく私に話しかけてきた。
「帆波、ちょっといいか」
「どうしたの蒼磨? 珍しいね、そっちから話しかけてくるなんて」
「鷹取玲恩って知ってるか? 隣の高校の三年生」
鷹取玲恩。その名前を聞いた瞬間、嫌な予感がした。
「ああ、知ってる。というか、有名だよ。悪い意味で」
「どういう意味だ?」
「女遊びが激しいって評判。あと、裏で色々やってるって噂もある」
私は蒼磨に、知っている情報を全て話した。
パパ活の斡旋、未成年飲酒、カンニングペーパーの販売。
蒼磨の表情は、どんどん険しくなっていった。
「なんでそんなこと聞くの?」
「ちょっと気になることがあって」
蒼磨は何も言わなかったが、私には分かった。
詩織が、玲恩と関わっている。
そして、蒼磨は気づいている。
「もしかして、詩織さん関係?」
蒼磨は答えなかった。でも、それが答えだった。
「蒼磨、あのね」
私は言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。
「詩織さんのこと、あんまり好きじゃないんだよね、私。だから偏見かもしれないけど。でも、最近の彼女、変だよ。SNSの投稿も、なんていうか、承認欲求の塊みたいになってる」
「そうか」
「蒼磨が傷つくの、見たくないんだ」
本音だった。
蒼磨には幸せでいてほしい。
たとえ、それが私と一緒じゃなくても。
でも、詩織は蒼磨を幸せにできる人じゃない。
それだけは確信していた。
それから数日後、学校で大きな噂が広まった。
瑠璃川詩織が、裏アカウントで色々な人の悪口を書いていたという噂。
そして、浮気をしていたという噂。
私は真相を知りたくて、情報を集めた。
すると、驚くべき事実が分かった。
詩織は本当に浮気をしていた。
相手は鷹取玲恩。
そして、裏アカウントで蒼磨のことを散々馬鹿にしていた。
「彼氏マジで退屈」「ちょろい」「キープ」
その投稿のスクリーンショットが、一部の生徒の間で回っていた。
見た瞬間、怒りが込み上げてきた。
蒼磨は、こんなに優しくて誠実な人なのに。
詩織は、その優しさを利用して、馬鹿にしていた。
許せなかった。
廊下で詩織を見かけた。
彼女は憔悴しきった顔で、誰とも目を合わせずに歩いている。
自業自得だ。
同情する気にはなれなかった。
放課後、蒼磨と詩織が廊下で対峙しているのを見た。
詩織は泣きながら、蒼磨に許しを請うていた。
でも、蒼磨の表情は冷たかった。
以前の優しい蒼磨とは、別人のようだった。
「さよなら、瑠璃川さん。もう俺に関わらないでくれ」
蒼磨はそう言って、詩織を置いて去っていった。
私は、複雑な気持ちだった。
詩織が去ったのは嬉しい。
でも、蒼磨が傷ついているのは辛い。
その日の夕方、蒼磨を探した。
屋上にいた。
フェンスに寄りかかり、夕焼けを見つめている。
「蒼磨」
「帆波か」
私は隣に立った。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ」
嘘だ。全然大丈夫じゃない。
でも、無理に聞き出すのは違う気がした。
「辛かったら、いつでも話聞くから」
「ありがとう」
蒼磨は小さく笑った。でも、その笑顔は悲しかった。
私は何も言えなかった。
ただ、隣にいることしかできなかった。
それから数週間、蒼磨は徐々に元の表情を取り戻していった。
でも、完全には戻っていない。
時々、遠くを見つめる目をしている。
詩織のことを思い出しているのだろうか。
それとも、何か別のことを考えているのだろうか。
私は、蒼磨のそばにいることにした。
恋人としてではなく、友人として。
蒼磨が必要としてくれるなら、いつでも力になる。
それが、私にできることだから。
ある日の昼休み、蒼磨が話しかけてきた。
「帆波、週末暇か?」
「え? うん、暇だけど」
「映画でも行かないか? 前に話してた、あの新作」
驚いた。
蒼磨から誘ってくるなんて、初めてだった。
「本気?」
「ああ。それと、色々話したいこともある」
「うん! 行く!」
嬉しくて、声が弾んだ。
これは、デート?
いや、違う。きっと、ただの友達同士の外出だ。
期待しちゃダメ。
でも、心臓が早鐘を打っていた。
週末、映画館で蒼磨と待ち合わせた。
私は普段よりちょっとだけオシャレをしてきた。
ワンピースに、軽くメイク。
「お、帆波。今日可愛いな」
蒼磨の言葉に、顔が熱くなった。
「そ、そう? ありがとう」
映画は面白かった。
でも、正直内容はあまり頭に入っていなかった。
隣に蒼磨がいるという事実だけで、ドキドキしていた。
映画が終わった後、カフェでお茶をした。
「ラストシーン、良かったよね。主人公が過去を乗り越えて、新しい一歩を踏み出すところ」
私が言うと、蒼磨は頷いた。
「ああ」
「蒼磨も、そうなれるといいね」
蒼磨は私の目を見た。
「帆波、俺、まだ完全には立ち直ってない。詩織のことも、玲恩のことも、多分これから先もずっと心のどこかに残ると思う」
「うん」
「でも、このまま過去に囚われ続けるのは違うって、最近分かってきた。復讐は完了した。二人はそれぞれの因果応報を受けた。俺がやるべきことは、もうない」
蒼磨は真剣な顔で続けた。
「これからは、前を向いて生きたい。時間はかかるかもしれないけど」
「私は待つよ。何年でも」
その言葉は、本心だった。
私は、ずっと蒼磨のことが好きだった。
これからも、ずっと好きだと思う。
たとえ、蒼磨が私のことを好きになってくれなくても。
でも、蒼磨は微笑んだ。
「ありがとう。でも、そんなに待たせないようにする」
その笑顔は、以前の優しい笑顔だった。
本物の笑顔。
心から、嬉しかった。
それから、私たちは頻繁に会うようになった。
映画を観たり、カフェでお茶をしたり、公園を散歩したり。
デートというわけじゃない。でも、友達以上の関係。
曖昧な距離感が、心地よかった。
ある日の放課後、蒼磨の妹の梢ちゃんに呼び止められた。
「帆波さん、ちょっといいですか?」
「どうしたの?」
「お兄ちゃんのこと、お願いします」
梢ちゃんは真剣な顔で言った。
「お兄ちゃん、帆波さんといる時、本当に楽しそうなんです。あんな顔、詩織といた時には見たことない」
「そう、かな...」
「本当です。だから、お願い。お兄ちゃんを幸せにしてあげてください」
梢ちゃんの言葉に、胸が熱くなった。
「私、そんな資格あるかな」
「ありますよ。帆波さんは、本当にお兄ちゃんのことを大切に思ってる。それが一番大事なことだと思います」
梢ちゃんは微笑んだ。
「頑張ってください」
その言葉が、背中を押してくれた。
冬が来て、街はクリスマスの装飾で彩られた。
蒼磨から連絡が来た。
「帆波、クリスマスイブ、空いてるか?」
心臓が止まりそうになった。
「空いてるよ」
「じゃあ、一緒に過ごさないか? 話したいこともあるし」
これは、もしかして。
期待と不安が入り混じった。
クリスマスイブの夜、私たちは駅前のイルミネーションを見ていた。
キラキラと光る電飾が、冬の夜を彩っている。
「綺麗だね」
「ああ」
蒼磨は少し緊張した様子だった。
「帆波、俺、もう大丈夫だと思う」
「え?」
「過去のこと。詩織のこと。まだ完全に忘れたわけじゃないけど、前を向けるようになった」
蒼磨は私の方を向いた。
「それは、帆波がそばにいてくれたからだ」
「蒼磨...」
「帆波、俺と付き合ってくれないか」
時が止まったような感覚に陥った。
「本当に、いいの? 私なんかで」
「俺の方こそ、いいのか? まだ傷は癒えてないし、完璧な彼氏にはなれないかもしれない」
「そんなの関係ないよ」
私は蒼磨の手を握った。
「私、ずっと蒼磨のことが好きだった。中学の時から。でも、言えなかった。蒼磨には詩織さんがいたから」
「そうだったのか」
「うん。でも、もういいの。蒼磨が私のことを選んでくれたなら、それで十分」
蒼磨は優しく微笑んだ。
「ありがとう、帆波。これからよろしく」
「こちらこそ」
イルミネーションの光の中、私たちは手を繋いだ。
長い片想いが、やっと実った。
こんなに幸せでいいのだろうかと思った。
でも、この幸せは私が掴み取ったものだ。
ずっと蒼磨のそばにいて、支えてきた。
だから、これは報われた想いなのだ。
新年が明けて、私たちは正式に付き合い始めた。
学校でも、家族にも報告した。
蒼磨の母親は喜んでくれた。
「帆波ちゃん、前からこの家に来てたものね。家族みたいなものよ」
梢ちゃんも満面の笑みだった。
「やった! 私の作戦成功!」
「作戦?」
「お兄ちゃんと帆波さんをくっつける作戦です」
梢ちゃんの言葉に、みんなで笑った。
私の両親も、蒼磨のことを気に入ってくれた。
「真面目そうないい子ね。帆波を大切にしてあげてね」
「はい、必ず」
蒼磨の誠実な返事に、母も満足そうだった。
春が来て、私たちは高校三年生になった。
桜の季節、二人で並んで登校する。
「帆波、今幸せ?」
蒼磨が聞いてきた。
「もちろん。蒼磨は?」
「ああ、すごく」
蒼磨の笑顔は、本物だった。
もう、詩織といた頃の影は消えている。
完全に、前を向いている。
私も、幸せだった。
ずっと想い続けた人と、やっと一緒にいられる。
これ以上の幸せがあるだろうか。
放課後、二人で図書室で勉強していた時、蒼磨が言った。
「帆波、ありがとう」
「何が?」
「俺を支えてくれて。待っていてくれて。もし帆波がいなかったら、俺は立ち直れなかったかもしれない」
「そんなことないよ。蒼磨は強い人だから」
「いや、本当だ。帆波がそばにいてくれたから、俺は前を向けた」
蒼磨は私の手を握った。
「これからも、ずっと一緒にいてくれ」
「当たり前でしょ」
私は笑顔で答えた。
「ずっと一緒にいるよ」
その約束は、心からのものだった。
夕方、二人で帰路につく。
夕焼けが空を赤く染めている。
「この景色、綺麗だね」
「ああ」
「詩織さんも、どこかでこの夕焼けを見てるのかな」
蒼磨は少し考えてから答えた。
「多分な。でも、もう関係ない。俺には帆波がいるから」
その言葉が、何より嬉しかった。
私は、蒼磨の全てを受け入れる。
過去も、傷も、全部。
そして、これから先の未来も、一緒に歩んでいく。
桜の花びらが舞い落ちる中、私たちは手を繋いで歩いた。
新しい季節の始まり。
新しい関係の始まり。
これから、どんな未来が待っているのだろう。
分からない。
でも、蒼磨と一緒なら、どんな未来でも幸せだと思う。
私の長い片想いは、こうして実を結んだ。
そして、これから先も、ずっと蒼磨のそばにいる。
それが、私の願いであり、約束だから。
数ヶ月後、夏休みに入った。
蒼磨と私は、二人で海に行く計画を立てていた。
「楽しみだね」
「ああ。帆波と一緒なら、どこでも楽しいよ」
蒼磨の言葉に、顔が熱くなった。
こんなに素直に愛情を表現してくれる蒼磨が、愛おしかった。
詩織は、こんな蒼磨の良さに気づけなかった。
それは、彼女の損失だ。
でも、私にとっては幸運だった。
もし詩織が蒼磨を裏切らなければ、私たちは一緒になれなかったから。
因果応報。
詩織は自分の行為の報いを受けた。
そして、私は想いが報われた。
全ては、必然だったのかもしれない。
夏の海は、キラキラと輝いていた。
蒼磨と手を繋ぎ、波打ち際を歩く。
「帆波、好きだよ」
「私も、蒼磨のこと大好き」
私たちは笑い合った。
これが、私たちの未来だ。
詩織が泣いている頃、私たちは笑っている。
それは、残酷なことかもしれない。
でも、それが現実だ。
人は、自分の選択の結果を生きるしかない。
詩織は間違った選択をした。
私は、正しい選択をした。
ただ、それだけのことだ。
夕方、宿に戻る途中、蒼磨が言った。
「帆波、将来のこと、考えたことある?」
「え? 急にどうしたの?」
「いや、俺たち、このまま一緒にいられたらいいなって思って」
「私も」
「じゃあ、大学も一緒に行こうか」
「うん、そうしよう」
私たちは未来を語り合った。
大学のこと、就職のこと、その先のこと。
全てを、一緒に。
それが、私たちの約束だった。
夜、宿の部屋で窓の外を見た。
星が瞬いている。
詩織も、同じ星を見ているだろうか。
後悔しているだろうか。
多分、そうだろう。
でも、それは彼女が選んだ道の結果だ。
私は、私の幸せを生きる。
蒼磨と一緒に。
これから先も、ずっと。
それが、私の願いであり、現実だから。
ベッドに入り、目を閉じた。
明日も、きっといい日になる。
蒼磨と一緒にいられる限り、毎日が幸せだから。
私の物語は、こうして幸せに続いていく。
ずっと想い続けた人と、やっと結ばれた物語。




