ヒロイン達の逆襲
合宿3日目の朝。
ログハウスの周囲は霧がかかり、どこか幻想的な空気に包まれていた。
「霧の演出まで用意されるとはな……」
俺はカップ味噌汁をすすりながらつぶやいた。
すると横からレンが言う。
「カナメ……今日からは第二ラウンドだな」
「何の話してんだよ。朝から熱血少年漫画始めるな」
「お前、今さら自覚してないのか? これは逆襲編だぞ」
「逆襲って、誰のよ……?」
午前の体験活動が始まる前。
食堂の隅では――ヒロイン達による秘密会議が始まっていた。
参加者:ユリ、アイリ、モモ、ミサキ。
そして、空気を読まずに加わるレン。
「なぜお前がここにいるのか理解できないわ……」とアイリは言ったが、レンは不敵に笑った。
「貴様らが、カナメ争奪のルールを再構築しようとしているのなら、我も見届ける義務がある」
「うるさいわよ。資料係で黙ってて」
机にはメモ帳とペン、そしてラブコメ合宿戦線・中間報告書が置かれている。
「現時点でのラブポイント収集状況、みんな公表して」
モモがスッと手を挙げた。
「私はね~、自然の中でふれあい×3、カナメの写真ゲット×5、ドキドキ演出誘導×2って感じ☆」
「お前、ポイント制で管理してんのかよ……!」
ユリも静かに口を開く。
「怪我したカナメの手当て、共同作業×1、無言の気配り×2」
「なんか実績解除型になってないか!?」
アイリは冷静にメモをめくる。
「ラブ理論の実地検証×5、三人称会話での好感度調整×2、そして意図的失敗からの救出フラグ演出も入れて」
「やめてくれ、その言い回しが一番怖い!」
ミサキは、焚き火を見つめながら言った。
「私は伏線配置×4、物語の根幹を揺さぶる発言×1、そして最終章を示唆する語り×1ですね」
「最終章って言うなァァ!」
一方、俺は脱フラグを目的に、農作業体験へ逃げ込もうとしていた。
が――
「おはようございます、真中さん。今日もよい耕しっぷりですね」
すでに畑にいるミサキが、にっこりと微笑んでいる。
「お前、なんでこんな早く……!」
「朝5時から来てました。『カナメくんがまたここに来る』って、予測できたので」
「やめてくれ、予測とかフラグ立てないで!」
その直後、木陰からユリが現れ、缶ジュースを差し出してきた。
「水分補給は大切だ……さっき買ってきた、冷えている」
「……ありがとう。でもこのシーン、どこかで見た気が……」
「青春のすれ違いベンチシーンだ。再現した」
「お前まで演出に乗るなよ!」
午後。
ヒロイン達は再び一堂に集まり、フラグ整理会議・実行編を決行。
議題:「今後のフラグ誘導方針について」
モモ:「やっぱイベントで一気に追い込みたいよね~☆」
アイリ:「ダメよ、戦略的に分散させて、カナメの意識を曖昧に保たないと」
ユリ:「一対一の時間が最も効果的だ」
ミサキ:「私は物語を破壊しない範囲での接触を推奨します」
カナメ・不在。
そして決議が下された。
本命ポジションの奪取フェーズに突入する
夜。
俺はログハウス前のベンチでひとり缶コーヒーを飲んでいた。
静かな夜風。やっと落ち着いたかと思ったのに――
「カナメ、今夜、少し話せるか?」
ユリが隣に座った。すぐに後ろからモモが乱入。
そして対面のベンチにはアイリとミサキも来ていた。
「え、待って、なんで全員いるの?」
「話し合いがあるの」
モモがにっこり。
「カナメちゃんに、本命を一人決めてもらうチャンスを与えに来たの」
「はい???」
アイリが言う。
「私たち、これ以上の未確定ヒロイン合戦はフェアじゃないと思うのよ」
「だからこそ、選んで」
ミサキが言う。
「この物語を、どこに進めたいのか――それは、カナメくんにしか選べないのです」
全員の目が、俺に向けられている。
圧倒的な静寂。空気が凍りつく。
「ちょっと待て……俺は……そんなつもりで今まで……!」
「――そうやって逃げるのは、もう終わりにしない?」
モモの言葉が、やけに真剣だった。
俺は、その場で答えられなかった。
そして翌朝。
とんでもない一言から、一日が始まる。
「カナメ、おはよう。今日から私と仮初の恋人契約を結んでもらう」
「ファッ!?」
始まった――逆襲編、本格始動!
「カナメ、おはよう。今日から私と仮初の恋人契約を結んでもらう」
そう言い放ったのは――東雲アイリだった。
朝の食堂。
パンくわえたモモが「なになに~?」と入ってきて、ユリとミサキもトレイを持ったままフリーズした。
「……え? 仮初の? それ、期間限定ラブコメカップル展開ってこと?」
モモが妙に嬉しそうに訊ねる。
「その通りよ。ルールは簡単。本当に好きにならない限り、恋人ごっこをしてもセーフ」
「ややこしすぎるだろその条件!」
俺は素でツッコんだ。
アイリは机の上にメモ帳を開く。
「期間は合宿終了までのあと二日間。メリットはお互いの理解が深まること。デメリットは……」
「こっちが恥ずか死にすることな」
そしてその日、
俺とアイリのなんちゃって恋人契約が発動された。
「はいっ、恋人第1日目のイベントはペアランチづくり!」
「勝手にイベント作るなァ!」
調理室ではアイリが張り切っていた。
「これはラブのスパイスね。そしてこれは、関係がぎこちなくなる味付け」
「いや調味料に人格を持たせるなよ。普通にしろ普通に!」
「はい、カナメくん。あ~んして?」
「お前それはお約束すぎるから……ってほんとにやるの!?」
その瞬間、ドアの隙間から――
見えてはいけない目撃者たちの視線。
モモ、ユリ、ミサキ、そしてなぜかレン。
「カナメちゃん、裏切りのスチル回収するなんて……!」
「……信じていたのに」
「これは物語の軸が揺らぐ……」
「我の知略ファイルに記録しておこう……」
「待ってくれみんな!! これは! 違うんだ!!」
「違わないわ、契約したもの」
アイリは余裕の笑みを浮かべた。
午後。
俺は反省の意味も込めて、湖の周りをひとり散歩していた。
すると。
「カナメ、次は私の番だ」
ユリが湖畔のボートに立っていた。
「えっ……いや待て、何の番……?」
「仮初の恋人契約その②、提案したい」
「続くの!? しかも提案って段階飛ばしてるだろ!」
「昨日、言われた。選べと。ならば、私は選ばせない」
ユリの表情は真剣だった。
「選ばせないって……強制じゃん……!」
「我々が争っても、結果は出ない。だから、私はカナメの側に立つだけだ」
「そっちのほうが重くない!?」
夕方、ログハウス前。
今日も焚き火が用意されていた。
……が、そこにはまた新しい立て札が。
《本日のイベント:ラブコメ合同報告会》
「いやイベント増えすぎだろ」
俺がぼやくと、モモが飛び出てきた。
「この合宿のサブタイトルはね、それぞれの恋人契約、そして大戦争へって感じ?」
「誰がそんなラノベみたいなタイトルつけろと……」
やがて皆が揃い、話は本題へ。
「では、まず仮初恋人契約を結んだ者の報告から」
ミサキが議事進行を始める。なぜ。
「私とカナメは、ペアでランチを作りました。成果としては手作りあ~ん演出成功です」
アイリが堂々と報告する。
「違う、演出じゃない、事故だあれは!!」
「続いて、ユリとカナメは――」
「湖でのボート乗船……私は漕ぎ、カナメは流されていた」
「表現がホラーなんだよ! ていうか流されてたの俺の精神!」
すると、モモが勢いよく手を挙げる。
「はいはいはい、私もやる~! ラブコメ逆転トライアル!」
「なにそれ!? 絶対ヤバいやつだろ!?」
「ふふふ……私とカナメちゃんは、恋人役を超えたパロディ同棲体験を始めます!」
「完全にやばいやつだったあああ!!」
その夜。
俺は布団の中で思った。
「……これ、どこまで続くんだろう」
誰かと恋人になったわけじゃない。
でも、それぞれが、恋人っぽい時間を演出してくる。
気を抜いたら、誰かを選んだような空気ができてしまう。
「……俺、選べないよな」
選ばない。そう決めてきたはずだった。
でも今は――その選択肢すら、逃げ場がなくなってきてる。
「仮初の恋人契約」――
そんな言葉をきっかけに始まった、合宿ラブコメ逆襲編。
アイリ、ユリ、そしてモモが次々と俺に恋人役を持ちかけてくる。
その意図ははっきりしていた。
――誰が一番、カナメの隣にふさわしいのか
そんなことを、俺自身に意識させるためだ。
もちろん、俺にはその気はない。
――つもりだった。
でも、ヒロイン達はつもりで押し通すような相手じゃなかった。
合宿最終日前夜。
キャンプファイヤーが終わり、皆がそれぞれの時間を過ごす中、俺はログハウスの裏手、静かな木陰にいた。
火照った空気、ほんのり焦げた匂い。
それはどこか、現実離れした空間。
そんな中で、俺は三人の告白未遂を受けることになる。
まず現れたのは――ユリ。
「カナメ」
「……ユリ?」
彼女はゆっくりと、俺の隣に腰を下ろす。
「仮初だと言ったな。でも、私は少し違う」
「え……?」
ユリの瞳はまっすぐで、曇りがない。
「私は……仮初に見せかけた本物を、やりたかった……気づかなかったか?」
「いや、それは……」
「私は騎士だ。忠義と恋は違う。でも……それが同じになってしまったのなら、もう言い訳はできない」
言葉が出なかった。
「だから、これは宣戦布告だ。全員に……そして、お前自身にも」
ユリはそれだけ言って立ち去った。
次にやって来たのは――アイリ。
「……お邪魔するわ」
「お前もか……」
「私はね、戦略を立てるのが得意だった。でも、恋愛は全部、計画倒れだった」
「それは……いつものことだな」
「うるさい」
アイリは少し微笑んで、でもすぐ真顔に戻った。
「今回も、本気でやるつもりなんてなかった。恋人ごっこで様子を見て、距離を測って、それから考えるつもりだった」
「うん……」
「でも、隣でお弁当作って、あ~んして、思ったのよ」
「……なんだよ?」
「――思ったより、ずっと楽しかった……悔しいけど」
アイリは、俺の袖をそっと引いた。
「このままじゃ終われない。私は、負けないわ。あの子たちにも……カナメ自身にも」
彼女も、言い残して去っていった。
最後に現れたのは――モモ。
「やほー、カナメちゃん。ひとりで悩んでるとこ?」
「……今はもう、悩む余裕もない」
「ふふ、じゃあ答え合わせしてあげる☆」
モモはそう言うと、俺の肩にぽふっともたれかかってきた。
「私、なんでも知ってる。この世界が、ラブコメの構造で動いてることも、ヒロイン全員が本気の気配になってきてることも」
「……ああ、もう逃げ道はないってことだな」
「そう。だからね――カナメちゃん。選ばないって選択、そろそろ無理かもよ?」
「……でも、俺が誰かを選んだら、この空気が壊れる」
「壊れてもさ、続くラブコメもあるんじゃない?」
モモはにこっと笑った。
「私はね。たとえ選ばれなくても、選ばれるべきラブコメ要員でい続ける覚悟、あるよ?」
「……それって、どういう意味だよ……」
「さあね?」
モモも、それだけ言って消えていった。
そして。
夜が明けた――合宿、最終日。
俺は朝のログハウス前で、全員を前にして言った。
「俺は……誰も選べない」
ヒロイン達が黙り込む。
「でも、それでも一緒にいてくれるなら……これからも、未確定ラブコメのまま、続けていけると思う」
一瞬の静寂。
そして、モモが言った。
「――つまり、保留END継続☆ってことね!」
「言い方やめろ!!」
「まあ、悪くはないわ」
アイリが目を伏せながら呟く。
「騎士は、任務が終わるまでは離れない」
ユリは背筋を伸ばしてそう言った。
「……物語は続いている限り、可能性は潰れない」
ミサキも静かに頷いた。
「ならば、我も勝負を降りるわけにはいかぬな!」
レンはなぜか嬉しそうだった。
――こうして。
恋人契約は解消された。
でも、ラブコメ戦線は終わらなかった。
次回、学園に戻った俺たちを待つのは……日常という名の再戦ステージ。
騒がしくも楽しいラブバトル、まだまだ続く!