生徒会選挙と恋の立候補
朝の教室。ざわざわとした空気が広がっていた。
黒板の横に貼り出された紙に、誰もが視線を注いでいる。
そこには、こう書かれていた。
『生徒会長選挙、立候補受付中!』
「――というわけで、俺は立候補する!」
満面の笑みで教壇に立ったのは、黒瀬レンだった。
「なぜなら! この学園に必要なのは、俺という圧倒的なカリスマ! つまり、生徒会長とは、元・魔王がなるべき役職なのだ!」
「いやそれ、学園運営と関係ないだろ!」
俺は速攻でツッコんだが、教室の女子たちの反応は妙にノリ気だった。
「レンくんが生徒会長とか、アリかも〜」
「演説とか絶対カッコいいよね!」
……なぜか女子人気があるのが、こいつの唯一の特性。
逆に、それ以外に特性がないのが不思議なほどだ。
「ちなみに公約は、昼休みに乙女ゲーム大会を開催するだ。男子には俺が自作したボイスドラマを配る!」
「やめろ、校内の治安が崩壊する!!」
「ふむ、生徒会長選挙……これは政治的戦略ラブコメ回ね」
アイリが資料の束を手にしながら、眼鏡を光らせている。
「ここは、候補者を推すヒロインポジションを狙って得点を稼ぐべきだわ」
「えっ、もしかしてカナメくんも立候補するの?」
モモが、にやにやと興味津々で顔を覗き込んでくる。
「ない。絶対にない」
俺は即答した。
学校を仕切るだの、行事を取り仕切るだの、責任が重いイベントはラブコメ的に危険だ。
でも、俺の答えを遮るように――
「私は推薦する。真中カナメこそが、この学園にふさわしい生徒会長だ」
――聖城ユリ、立ち上がる。
「いや、なんで!?」
「勇者の剣として、王の資質を見極める義務がある」
「だから俺は王じゃないし、そもそも立候補しねぇよ!」
「ふむ……このままではレン独走。となると対抗馬が必要だ」
「ちょっと待って、何で話が進んでんの?」
ミサキがカタカタとノートパソコンを叩きながら分析する。
「レン陣営は、美形+厨二+女子人気という強力な布陣。対抗するにはまじめ+安心感+無自覚モテの要素が必要」
「……それ、まさか俺のこと?」
「そう。よって――真中カナメ、立候補確定」
「だから何で既成事実になってんだよ!!」
昼休み、選挙ポスターが貼り出される。
レンのポスターはなぜか自作で、黒マント姿にバラを背負った全身写真。
その下には、こう書かれていた。
【魔王降臨! 黒瀬レン、世界(学園)を救う】
「いや、お前それ救うってより征服する気満々だろ」
そして、隣にはなぜか――
【ごく普通の安心感、真中カナメ。立候補者未承認】
(推薦:聖城ユリ、東雲アイリ、白玉モモ、千景ミサキ、風間ダイチ)
「未承認って書いてるのに、なぜ貼られてんだ!?」
「推薦が5人超えたから、実質立候補だよカナメくん」
「この学校、民主主義が雑すぎる!!」
放課後、図書室の一角。
ようやく静かな場所に逃げ込んだ俺の前に、アイリが腰を下ろした。
「……勝つ気ある?」
「ない。選挙なんかしたくない」
「じゃあ……誰かのために立ってあげる気はある?」
アイリの声が、妙に優しかった。
演劇の時とは違う。
策略でもなく、勝負でもなく――まっすぐな問い。
「別に、選ばれるのが好きってわけじゃない。けど……自分が立ったことで、誰かが安心するなら、意味はあるのかなって」
「……そういうとこが、あんたのズルいとこなのよ」
アイリは、そう言って笑った。
教室に戻ると、俺の机の上に手書きの紙が置いてあった。
レンの字じゃない。女子の筆跡。
でも、誰のものかはわからない。
「あんたが勝てば、この物語、変わる気がする」
――どこかの選ばれたい誰かより
俺は、ため息をひとつついた。
そして、机に座って空を見た。
「……ほんとに、どこまで巻き込まれるんだろうな、俺」
でも、その空の向こうで、誰かが少しだけ微笑んだ気がした。
選挙戦、開幕。
なのに、俺は相変わらず「立候補してないはずの立候補者」だった。
「さーて、まずは公開演説だな!」
張り切るのは、やっぱり黒瀬レン。
「本日、昼休みの中庭にて、生徒会長候補による演説会が開催される! 皆、注目せよ! そしてひれ伏せ!」
「お前、戦争でも始める気かよ……」
教室内ではすでに、ヒロイン陣による推し活が始まっていた。
「聖城ユリです。皆さん、彼を見てください」
教室の後ろで立ち上がったユリが、指をぴたりと俺に向ける。
「真中カナメは、強くはない。けれど誠実で、決して逃げない男です。彼がこの学園を背負えば、未来は守られるでしょう!」
「いや、俺そんな責任重大なポジション望んでないからな!?」
「黙れ、候補者」
「ひどっ!」
次に立ったのは東雲アイリ。
彼女は手元の資料をばさっと机に広げた。
「みなさん、このデータをご覧ください。彼のノート提出率は100%、遅刻0、掃除当番の出席率も学年トップです」
「なんでそんなに詳しいの!?」
「監視してるからよ」
「ストーカー宣言!?」
「それだけ価値がある男だってこと。選ぶなら、彼。勝たせて、私が勝つの」
アイリはにやりと笑う。
もはや選挙というより恋愛バトルの様相を呈していた。
「次、白玉モモ!」
そう呼ばれて手を挙げたのは、もちろん白玉モモ。
「私からは推薦とか、そういう堅苦しいのじゃなくて……ラブコメ度の話をしたいと思いま〜す」
「ラブコメ度……?」
「レンくんは濃い。でもカナメくんは、ちょうどいい。日常の中にほんのちょっと、恋の香りが混ざってて……それが心地いいの」
「……意外と真面目な推薦だな」
「うん、私なりにね。あと、レンくんの自作ボイスドラマ、わりと怖かった」
「そこ暴露すんの!?」
最後に、千景ミサキ。
彼女は壇上に立つと、開口一番こう言った。
「生徒会長イベントは、ヒロインルート分岐の前兆です」
「おい、やめろ、メタるな!」
「つまり、ここでカナメが選ばれれば、ルート分岐は彼を中心に再構築される。一方、レンが勝てば魔王ルートが濃厚に」
「何その言い方!?」
「……私は、物語が一番面白くなる方を選びます。それが、どちらかは――明日わかる」
意味深に言い残して、彼女は席に戻っていった。
いやほんと、どういう基準だよ。
そして昼休み、中庭。
全校生徒の前で、ついに演説が始まった。
トップバッターは、レン。
「我が名は黒瀬レン! 生徒会長になった暁には、文化祭を三日間に拡大! 制服自由化! 昼食時間の延長! ついでに、魔王城の建設だ!」
「無理無理無理無理!!」
観客席の男子はドン引きだったが、女子からはなぜか拍手が。
ほんとに謎の支持層を持っている男だ。
そして――俺の番。
「え、俺、ほんとにやるの……?」
「しっかりしろ、カナメ!」
「勝って!」
「俺は昼飯賭けてる!」
色んな期待が入り乱れる中、仕方なくマイクを握った。
「えー……俺は、特にやりたいことがあるわけじゃ、ありません。
でも……誰かが望むなら、俺はその期待に応えたいって思います」
観客が、静かになる。
「すごいことはできない。でも、クラスの誰かが困ってたら、手を貸せる。そういう普通のことを、普通にやれる生徒会長になれたら、いいなって」
気づけば、拍手が起こっていた。
俺はただ、今の気持ちを言っただけなのに――
どうしてか、胸が少しだけ熱くなった。
演説後、ヒロインたちが俺の元に集まる。
「……よく言えたな」
「私、ちょっと感動したかも」
「っていうか、あれもう告白未遂だったよね?」
「演説でフラグ乱立ってどういうスキル……」
俺は、どっと疲れて、ベンチに座り込んだ。
「明日、開票か……」
明日の昼休み、選挙結果が発表される。
俺は負けても全然構わない。
でも、もし――
少しでも選ばれたのなら、それはきっと……
「……悪くないかもな」
空を見上げたその時――
目の前に、ひとつの手紙が差し出された。
送り主は不明。
でもそこには、こう書かれていた。
「どちらが勝っても、私の物語はまだ終わらない」
――from unknown heroine
俺のラブコメ選挙戦は、まだ終わらない。
選挙当日。
昼休み、体育館に全校生徒が集められ、選挙結果が発表されることになった。
俺はというと――
開票が始まる直前、渡り廊下の隅っこで、カツカツとヒール音を響かせて近づいてくる誰かに声をかけられていた。
「――真中くん、緊張してる?」
現れたのは、千景ミサキだった。
彼女は普段と変わらぬ無表情で、手にノートパソコンを持っていた。
「緊張っていうか……実感がない。俺、まだ立候補した覚えないからな?」
「それなのに票が入るって、なかなかラブコメ主人公してるわね」
「やめろ、メタ発言は禁止だ」
ミサキは笑うこともなく、「じゃあ」と背を向ける。
その背中越しに、彼女はぽつりとつぶやいた。
「――あなたが勝てば、物語は変わる。私は、それが見たいの」
開票会場の体育館。
壇上に立つのは、生徒会選挙管理委員の委員長――風間ダイチだった。
「皆さんお待たせしましたッ! それでは、ドキドキの開票結果、発表いきますッ!」
(こいつ、本当に選挙管理していいのか?)
「立候補者は、黒瀬レンと真中カナメ! 総得票数は――二百九十票ッ!」
「え、そんなに投票あったのか……」
「では発表します! 第○○代生徒会長は――ッ!」
バァン!!
乾いた効果音とともに、ステージ後方のスクリーンに文字が映し出される。
【当選:真中カナメ(得票数:153票)】
「……え?」
一瞬、会場が静まり返る。
そのあとに、拍手と歓声が巻き起こった。
「おおおおおお! カナメが勝ったーッ!」
「なんか、意外に普通の人選来たーッ!」
「でもレンくんもかっこよかったー!」
レンはというと――
「フッ……民衆は平和を望んだようだ。いいだろう、退くまでのこと……」
と、なぜか勝者みたいな顔で退場していった。
俺はその日の午後、生徒会室に呼び出された。
すでにそこには、ユリ、アイリ、モモ、ミサキ、そしてダイチがいた。
「……で、なんで俺だけ選挙に勝って、生徒会長にされてんの?」
「当たり前だろ。人気があったんだから」
「そして我々が推薦した」
「うん、全員ヒロイン票だけで成立した説あるよね」
モモがにやりと笑う。
「ていうか、あれよね。レンくんって男子票が壊滅してたもんね」
「むしろマイナス補正かかってた気がする」
俺はため息をついて、椅子に座った。
そしてふと思った。
俺は、何でこんなことになってるんだろう。
でも――ユリは真っ直ぐな目で俺を見ていて、
アイリはそっと書類を差し出して、
モモは笑いながら「会議室にクッション敷いておいたよ」と言って、
ミサキはノートを開いて、こう言った。
「カナメが中心に立てば、物語はまだ壊れない。だから、ちゃんと立ってね」
放課後、生徒会室の前。
「おいおい、これはもう逆ハーレムじゃないか?」
声の主は、レンだった。
制服の袖をまくって、ジュース片手に立っている。
「お前、俺に勝ったこと、どう思ってる?」
「え、なんか……申し訳ない?」
「だよな……俺も、納得してねぇ」
レンはそう言って、俺の肩をぽんと叩いた。
「次は、恋愛で勝負だ。いいな、カナメ」
「ちょ、勝手に火蓋切るな!」
その夜、帰り道。
駅前のロータリーで、誰かが待っていた。
「――やあ、会長。通り名変える?」
白玉モモだった。
制服のリボンを結び直しながら、にやにやと笑っている。
「生徒会長って、けっこうラブコメ的に強い役職だから、ちゃんと覚悟してね?」
「覚悟って……何を?」
「例えば、次のイベントは――体育祭。そこでは、生徒会長争奪戦が始まるかもしれないね?」
「誰が勝手に始めるんだよそれ……」
モモは一歩近づいて、ふわりとウィンクする。
「あなたが選ばれたってことは、誰かの物語が始まったってことだよ……でも、その誰かが誰なのかは、まだ秘密」
月の光に照らされて、モモの髪が揺れた。
そして俺は、ほんの少しだけ――
この普通じゃないラブコメに、期待してしまったのだった。