勇者と魔王と放課後補習
放課後の教室。
煌々と照る西日とともに、異常な静寂が訪れていた。
「……おかしい。絶対におかしい」
「やれやれ。またこのパターンですか」
「うふふ、状況説明すると主人公だけ置き去りって構図だよね!」
そう、今――
なぜか教室に取り残されたのは、俺と女子たち、総勢四名。
正確には、聖城ユリ、東雲アイリ、白玉モモ、そして転校生の千景ミサキ。
……あとは、主役のはずの俺、真中カナメ。
ちなみに周囲の生徒は、チャイムとともに一瞬で消えた。
まるで舞台セットが切り替わるように。
「先生、どこ行ったの? 補習じゃないの?」
「先生が離席中に謎のイベントが発生するのが定番なのでは?」
「ふむ、勇者である私が警戒しているから、敵勢力は姿を見せないのだな」
――会話が成り立たん。
なぜ誰も現実的な話をしようとしない。
「ていうか、そもそも俺、補習の理由がラブコメ騒ぎで騒がしすぎってどういうことだよ」
「校内秩序を乱すほどのモテ具合……カナメ、これはもう告白イベントの予兆だな」
「ぜんぶ断ってるだろ!」
まさにラブコメ耐性スキルの出番である。
そんな中、真顔で手を挙げたのは東雲アイリだった。
「提案です。せっかくですし、この時間を使って共同課題をしましょう」
「課題って、補習で何させられるんだよ」
「『関係性を深めるワーク』です」
「もはや授業ですらないじゃねぇか」
「もしあなたが、異世界のパーティを組むとしたら、誰とどんな役割を与えますか?」
教卓の上にいつの間にか置かれたワークシート。
「補習課題①」と書かれている。誰だよ書いたのこれ。
「当然、私は勇者としてあなたと共に戦うでしょう」
「いいえ、私はカナメさんに、魔王軍幹部として戻ってほしい」
「ふふふ、主人公とヒロインが戦うパーティとか最高にバグってるよねー」
また始まった。
ラブバトルRPGごっこ。
しかも今回は全員で俺をメインに据えるという無茶なプレイだ。
「じゃあ、カナメくんはどうしたいの?」とミサキが静かに尋ねる。
「俺は――とくに何者でもない、ごく普通の高校生として平和に暮らしたいです」
「却下です」
「全会一致で否決」
「却下したの誰だ!?」
「……ならば、これを使いましょう」
どこからともなくユリが取り出したのは、重厚な革装丁の分厚い書物。
表紙には、金の文字でこう書かれていた。
《選定の書〜異世界ラブコメ版〜》
「そっちの世界のアイテムまで持ち込むな!」
「ページを開けば、最適なヒロインが自動的に選ばれる仕様らしいよ?」
「地雷しかない未来しか見えないんだが」
しかしもう遅い。
ユリがページを開いた瞬間、教室が眩い光に包まれる。
「え、ちょ、待――」
気づいた時には、俺はなぜか教室のど真ん中、玉座に座らされていた。
周囲には豪華なタペストリーと謎の炎の演出。
なんで火ぃ出てんだよ。
ていうか玉座? 誰が王様なんだよ俺は!
「真中カナメ、異世界ラブコメ王としてここに即位!」
「いや、即位してねえし! どこのラノベタイトルだよそれ!」
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「よって、以下の候補者より、第一ヒロインを選出するものとする!」
「だから選ばねえって言ってんだろ!」
だが俺の抗議は、豪快なファンファーレにかき消された。
「候補者一号、聖城ユリ! クールな剣士型勇者系ヒロイン!」
「忠義心に恋愛感情を混ぜる属性、汎用性は高いです」
「こら、汎用性って言うな!」
「候補者二号、東雲アイリ! 戦略的ポンコツ参謀系ヒロイン!」
「ポンコツは余計です!」
「候補者三号、白玉モモ! メタ発言系トリックスター!」
「キャラぶれすぎて公式が扱いに困るタイプー☆」
「候補者四号、千景ミサキ。世界構造を知る、ストーリー破壊者系ヒロイン!」
「そんな呼び名、初めて聞いたけど否定できないのが悔しい」
全員、まったく選べる気がしねえ。
「……というか、選んだ時点で修羅場待ったなしだろこれ」
「さすがに理解が早いね」
「いや褒めるとこじゃねえ!」
こうして補習は、ラブコメ戦争の新たな火種を生んだだけで終わった。
だが、そんな日常の裏で――
誰にも気づかれないまま、ひとつの視線が、教室の外からこちらをじっと見つめていた。
黒髪で、無表情。
異様なほど静かな存在感。
彼女の名前は、まだ誰も知らない。
だけど、次の放課後――
この物語がまた、少しだけ加速することになる。
――翌日、放課後。
俺はまたしても、教室で孤立していた。
「……おい、なんで俺だけ再補習なんだよ」
机の上には再び「補習課題②」と書かれた紙。
今度のテーマは「他者理解を深めるための共通作業体験」
「放課後、男女ペアで教室掃除をし、親睦を深めましょう」
……なんでわざわざ男女って書く必要があるんだ。
「よぉ、カナメ。お前も来てたか」
「ダイチ!? お前補習じゃねぇの!?」
「いや、俺は自主的に。今日こそサブヒロインズとフラグを立てる」
そう言ってキラキラした目で隅っこを見つめるダイチ。
そこには、サブキャラポジションとされる女子たちが三人、すでに掃除を開始していた。
「戦士である俺の魅力、今こそ見せつけてやる……!」
……まあ、彼の勇姿は後ほど語るとして。
「カナメくん、こっち、ほうき担当お願い」
「あ、ああ……え?」
振り返ると、千景ミサキが隣に立っていた。
自然な流れでペアになっている。というか、もう掃除を始めている。
「掃除って、案外ラブコメイベントの定番なんだよ」
「またそういうこと言う」
「モブイベントにも意味はあるんだよ? 主人公が、誰と一緒に掃除をするかで、距離感が変わってくるの。だから……」
「……だから?」
「わたしが選ばれることは、珍しいの」
「……」
その言葉には、どこか寂しげな響きがあった。
「私ね、物語がすごく好きで、つい全部を俯瞰で見ちゃうの。自分がヒロインとして選ばれるなんて、あまり思ってなかった」
「……でも選ばれたいのか?」
「ううん。選ばれたいというより、誰かが選ばないって選択をするのが見たいんだ。みんなが、物語から自由になれる瞬間っていうか」
またそれか。
この子はときどき、核心を突くようなことを平然と言ってくる。
「けど、それって……俺がずっと優柔不断でいろってことじゃないか?」
「違うよ。あなたが、あなたのままでいること。それが一番、特別なことなんだと思う」
「……」
変なやつ。
でも、なんとなく否定はできない。
「それに――今日は、そういう脱線が起きる予感がする」
「え? どういうこと――」
その時、
教室の扉が――ガラリと音を立てて開いた。
そこに立っていたのは、見たことのない少女。
黒髪ロング、無表情。
制服はちゃんと着ているけど、なぜか異世界の気配をまとっている。
「……ここが、物語の中心か」
放課後の掃除中だってのに、異様な空気が流れる。
「お、お前、誰だ……?」
「千景ミサキ。もとい案内人。この物語の構造を観測していた存在」
「いや、そっちはお前だろ」
「ふふ、私は観測者だけど、あの子は、もうひとつの選択肢かもね」
少女はすっと教室に入り、俺の前に立つ。
「私は、君のもう一つの可能性を確認しに来た。君が、選ばないことで何を得るのかを」
「意味がわからん……なんだよその言い方……!」
周囲にいたアイリやユリ、モモも騒ぎを聞きつけて教室に戻ってくる。
「カナメにまた謎の女子が!」
「記憶を刺激する気配……魔王か!?」
「えっ、新キャラ? こっちの出番減るのやだよ!」
「ちょ、ちょっと待って、順番に説明しよう!」
俺の言葉は、誰にも届かない。
「カナメくん」
千景ミサキが、静かに言った。
「このままだと、物語が加速する。誰かを選ばないという選択は、むしろ関係を過激にする。あなたがそれを望むなら――止めない。でも覚えてて」
「この中には、終わらせたくないって思ってる子も、いるから」
その視線の先には――
剣を握りしめているユリ。
静かに書き込みを続けているアイリ。
いたずらっぽく笑うモモ。
それぞれが、それぞれの物語を、俺にぶつけようとしている。
「……なんで、こんなことに」
俺は、ただ普通に、平和に暮らしたかっただけなのに。
「――カナメ。覚悟はできているか?」
今度は黒瀬レンが、後方から割って入る。
なぜか生徒会の腕章をつけている。
「異世界転生ヒロインズvs元魔王の俺、そして真中カナメ。全勢力、ここに集結した」
「やめてくれほんとに!!」
放課後の教室。
ただの掃除のはずが――今や、戦場だ。
「それじゃあ、始めようか。第二次・補習教室ラブコメ抗争」
なぜかテンション高めに宣言したのは、黒瀬レンだった。
生徒会腕章をしてる理由を誰も知らないし、誰も気にしていない。
「……おい、なんで掃除してただけなのに抗争が始まるんだよ」
「ふふふ、抗争って響き、厨二ポイント高くて良いね〜」
「抗争じゃない。ただの空気の悪化だよこれは!」
俺が必死に止めようとする中、ヒロインたちは早くも配置につき始める。
「勇者である私は、常に前線に立つ」ユリ。
「頭脳で勝負するタイプですから。地味にいきます」アイリ。
「観測者から参加者にクラスチェンジしま〜す☆」モモ。
「選択されなかった可能性として、私はここにいる」ミサキ。
「そして俺が、真のメインヒロイン、元魔王・黒瀬レン!」
「お前は男だろがぁぁあああああ!!」
俺のツッコミも空しく、彼らのラブコメバトルロイヤルが静かに始まる。
「さあ、カナメに補習イベント終了の鍵を与えるのは、誰か」
「え? なにそれ怖い」
「要するに、誰かがカナメに、感情的な告白をすれば、この茶番は終わる……はず、なんだよね」
「おい、なんではずなんだよ」
だが、最初に動いたのは意外にも――東雲アイリだった。
「……やっぱり、こういうのは、計算してもうまくいかないのよね」
「アイリ?」
アイリは、そっと俺の隣に立ち、少し照れながら言った。
「カナメくん、私ね……計画倒ればかりだけど、あなたの隣にいたいと思ってる」
「え……」
「これは作戦じゃなくて、本気の気持ちだから。たぶん、負けるけど、それでも言いたかったの」
一瞬、教室が静かになった。
本気の言葉。
その重さが、ふざけた空間に一石を投じる。
「……アイリ、ありがとう。でも俺……」
「――待ちなさい」
今度はユリが、静かに歩み出る。
瞳の奥に、揺れない光。
「忠義でも使命でもない。私は、あなたを守りたいからここにいる」
「ユリ……」
「剣を抜くことなく、あなたの隣にいられる未来を、選びたい。だから、私も――あなたが好き」
また、静寂。
やがて、白玉モモがふわっと笑う。
「こういうのって、順番じゃないよね。感情って、イベントで計れるもんじゃないし」
「モモ……」
「でも、だからこそ……このループラブコメに、私も一票投じたいな。カナメくん、私と一緒にメタオチEND迎えてみない?」
「なんでオチに誘うんだよ!」
最後に、ミサキが一歩踏み出す。
その瞳には、静かな諦めのようなものが宿っていた。
「私は……きっと選ばれない役なんだと思ってた。観測して、記録して、背景に消える存在」
「ミサキ……」
「でも、それでも――わたし、カナメくんのこと、ちゃんと好きだった。物語を壊してでも、言いたかった」
息を呑むような一瞬の間。
でも俺は――
「……俺は、誰も選ばない」
「!」
「選ばれなかったことで誰かが傷つくなら、俺はその選択肢を取らない。ヒロインが傷つくラブコメなんて、俺はやりたくないんだよ」
その言葉に、全員が静かになった。
「だから俺は、ラブコメから逃げ続ける。絶対に誰も選ばない。
俺が、俺自身の意思で、それを決めた」
その瞬間――
「……補習、終了です」
どこからともなく現れた教師の声。
気づけば、教室はいつもの風景に戻っていた。
タペストリーも玉座も、すべて消えている。
「え、終わったの……?」
「嘘、マジで終わったの?」
「ほんとに、全員フラグ未成立で突破したの?」
「まさか、全ルート拒否で補習クリアって……最悪のバッドエンドじゃん!」
「いや、俺的にはベストなんだが……」
「カナメくん、やっぱりすごいね」
ミサキが笑う。どこか寂しげに。
「……選ばなかったことで、たぶん、次の物語が始まっちゃったよ」
「え?」
「次は、もっと複雑になるよ。だって、誰も選ばなかったって実績、みんなに刻まれたんだから」
俺の背筋に、微かな寒気が走る。
そう、これは終わりじゃない。
むしろ――全員に振ったことを認識された状態で、新しい日常が始まるのだ。
果たして、俺のラブコメ逃亡生活は、どこまで続けられるのか。
そんな不安を残しつつ、教室のチャイムが鳴り響いた。
次回、もっとめんどくさい非日常が待っている――予感しかしない。