最後まで、選ばないと決めた日
時間は飛んで次の文化祭――再びその日がやって来た。
学園最大のイベント、青春の象徴、そしてラブコメにおける大決戦の日である。
なのに、なぜか俺は――
「おかしい……なんで、ヒロインたちが主催してる迷路企画に俺が閉じ込められてるんだ……?」
薄暗い教室。
目の前には張り巡らされた段ボール迷路。
掲げられた看板には、こう書かれていた。
【ラブコメ学園文化祭特別企画】
真中カナメの選択肢――誰を選ぶ? それとも選ばない?
「うっわぁ、タイトルからして最悪だぁ……!」
――数時間前。
文化祭当日、俺はなんとなく違和感を覚えていた。
ヒロインたちの様子がおかしかった。やたらそわそわしていて、目を合わせようとしない。
「ユリ、なんか企んでない?」
「我は常に主のために全力である」
「アイリ、今のノート何書いてた?」
「べ、別に、今日は勝負の日だからって作戦練ってたわけじゃ……ないわよ」
「ミサキ、それイベント用台本って書いてない?」
「これは記録。私は記録者。あくまで傍観者」
「レン、今日の衣装なんでそれなんだ……?」
「勝負服だ。文化祭は戦場だからな」
「モモ……お前が中心だろ」
「えへへ〜♪ 今回はね〜、ヒロインたちが連携して攻略イベント仕掛けるって決めたの。ほら、カナメくんが誰も選ばないって言い続けるから、今度は選ばせてみようって♪」
その結果が、今である。
文化祭迷路イベントの中に、俺一人。
各部屋でヒロインたちの仕掛けた選択肢に挑むことになるらしい。
第一の部屋に入ると――アイリがいた。
白衣姿。なぜ白衣なんだ。
「ようこそ。ここはもし私と付き合ったら研究所ルート」
「ルートて。もうそれ付き合った前提だよね?」
「カナメ。私、わかってるの。
あなたは選ばないことで全部を守ろうとしてる。でもそれって、逃げよ」
静かに、アイリは俺に近づく。
「だから、一問だけ出すわ。これに答えられたら、あなたの逃げを認めてあげる」
「ちょっと待って、地獄の条件みたいなの出さないで!?」
「私と話してる時間を、あなたはどう感じてる?――はい、正直に答えて」
「えっ、それ心理テストとかじゃなくて!?……え、えっと……なんか、こう……いつも負けてる気がするけど、でも楽しくて……一緒にいると、すごく安心する」
「はい、正直ポイント100点。通過認定。次の部屋へどうぞ」
「待って、これ一種の精神攻撃じゃない!?」
第二の部屋。そこには――ユリ。
騎士風ドレスに身を包み、まるで中世ファンタジーの姫騎士のような装い。
「主。よくぞ来られた」
「もうそのテンションで来るってわかってたよ」
「この部屋では、契約を試みる。
汝が我と契りを交わし、共に未来を歩むことに、異議はあるか?」
「いきなりプロポーズめいた選択肢来るの!? 重い! 重いよ!!」
「ならば答えよ。我が剣は常に主のためにある。されど、主にとって――我は、何なのだ?」
俺は一拍おいて、静かに答えた。
「お前は……仲間だ。信頼してるし、お前がいると心強い。俺一人じゃ守れないもん、たくさん守ってくれてるから」
ユリは、ふっと目を伏せた。
「うむ……その言葉、しかと聞いた。進むがよい」
第三の部屋。ミサキが本を読みながら待っていた。
「カナメくん、ここは一番面白くない部屋かもしれないよ」
「いや、さっきから全部濃かったからちょっと落ち着きたい」
「私はただ、聞きたいだけ。もし、全てのラブコメ的制約を取っ払ったら、誰を選ぶ?」
「その質問が一番キツい!?」
「答えなくていい。でもね……その問いは、いつか自分に返ってくるよ。選ばなかった未来にも、選べた可能性は残るから」
ミサキはページをめくりながら微笑む。
「カナメくんが物語の外側にいる限り、選ばない自由はある。でも、物語の中にいる限り――終わりは、いつか来るんだよ?」
「……そのときまで、俺は選ばない」
「うん、それもいい答えだと思う」
……迷路を抜けると、最後の部屋。
そこには――ヒロイン全員が揃っていた。
「よく来たな、真中カナメ」
「いよいよ選択の時だよ」
「さあ、誰にする?」
「それとも――やっぱり、誰も選ばない?」
照明が落ちる。
スポットライトが俺だけを照らす。
選択肢が、今、目の前にある。
でも、俺は――
「俺は、選ばない。それが、俺の物語だから」
誰かを選ばなければ終わらない。
でも終わらないからこそ、ずっとこの関係が続いていく。
「よし、じゃあ罰ゲームとしてお姫様抱っこリレーやろうか♪」
「モモ、展開読めてるよね!?」
「文化祭だもん、バカやらなきゃ損だよ?」
ヒロインたちは、それぞれ笑っていた。
そして俺は思った。
きっとこのままでいいんだ。
ラブコメの終点は――選ばなかった日常が続いていくことなんだから。
「はいはーい! 文化祭特別イベント《お姫様抱っこリレー》、真中カナメ選手、ヒロインズに囲まれてスタートしまーす☆」
モモの気合い入りすぎな実況が、校舎内放送で全校に響き渡る。
「ちょ、ちょっと待って!? 俺の意思は!? 俺の尊厳は!?」
「問答無用。さあ、主。まずは我が腕に抱かれるがよい!」
「逆ぅうう!? なんで俺が抱っこされる側なんだ!?」
「この戦場、敗者に選択肢はないのだよ……!」
というわけで、文化祭最終プログラム。
まさかの「ヒロインによる真中カナメお姫様抱っこリレー」が開催されていた。
どんな羞恥プレイだよと突っ込みたくなるが、観客席の盛り上がりは凄まじい。
「カナメぇー! 次、アイリ様だー!」
「しっかり支えろー! 手首じゃなく腰を意識してー!」
「体育の先生混ざってる!? 誰だよそのアドバイス!」
アイリは明らかに息を整えてから、俺を持ち上げる構え。
「い、いくわよ……! 今こそ、物理的に支える時……!」
「いやそれ、比喩とかじゃなくなってるから!」
「はぁっ!!」
ぐっと腰に力が入った。
「おぉぉぉお!? ……持ち上がってる!? えっ、マジで!?」
「私は! この日のために! 腕立てとスクワットを鍛えてきたのよおおお!!」
「いや何その執念!?」
レンのターンは、なぜか別ベクトルで酷かった。
「俺の番か……よし、やってやる。カナメ、お前は俺にとって最大の障害だった。だが、今ここで――!」
「なにテンション上げてんだよ!?」
「お姫様抱っこを通じて、友情の強さを証明してやるッ!!」
「なんで熱血友情展開になってるの!?」
「いくぞ、真中カナメ! この愛、受け取れえええ!!」
「絶対いやあああああああああああ!!」
……結果、二人で転倒した。
「友情の強さが足りなかったな……」というコメントで爆笑を取っていたあたり、さすがレンだった。
そして――ミサキ。
「……やっぱり、こういうの、向いてないな」
そう言いながらも、ミサキは俺をそっと抱きかかえようとする。
「お、おい……無理すんなって……」
「記録してるだけじゃ、何も変わらないって、昨日わかった。だから今日は……物語の中にいる私として、ちゃんと伝えたいの」
ミサキは、ぎこちないながらも俺を支えながら、囁いた。
「……私、カナメくんの選ばなさが好きだった。でも、いつか選びたくなる日が来るなら――そのとき、私も、選ばれたいって思ってしまったの。……矛盾してるよね、私」
「……そんなこと、ないよ」
ふっと、ミサキは微笑んで、俺をそっと下ろした。
「ありがと。記録、完了」
そして最後、全員揃ってステージへ。
拍手が巻き起こり、学園中がこの茶番劇に湧いていた。
「……なあ」
俺は、ステージ上でポツリと言った。
「なんで……みんな、こんなに頑張ってんの?」
「それは当然だろ。文化祭だからな」
レンがドヤ顔。
「私たちはいつだって、カナメと関わることがイベントなのよ」
アイリが恥ずかしそうに言う。
「主の隣にいられるなら、どんな勝負も喜んでだ」
ユリが剣を鞘に納めるように言う。
「君が選ばないなら、選ばれない側からもっと楽しくしていくだけだよ〜」
モモがウインクする。
「……ねえ、カナメくん」
ミサキが言った。
「誰も選ばないって、つまり――全員を選んでるってことなんじゃないかな?」
俺は、しばらく考えた後で、ふっと笑った。
「――かもな」
こうして、文化祭という名のラブバトルは終わった。
けれど、何も決まっていない。
誰も勝っていないし、誰も負けていない。
そして俺は、やっぱり――誰も選ばなかった。
でも、不思議と、それで良かった。
だって俺たちは、まだこの物語の中にいる。
ラブコメは終わらない。終わらせたくない。
それが、俺の――
「――選択、だよな」
文化祭の夜。
喧騒の去った校庭に、ぼんやりとランタンの明かりが揺れている。
祭りの終わりは、どこか切ない。
だけどこの切なさが、きっと物語の余韻なんだろう。
俺――真中カナメは、少し離れた校舎の裏にいた。
逃げてきた、というより、落ち着ける場所を探してた。
けど、当然ながら――
「……見つけた」
ユリが静かに現れた。
制服の上に羽織っていたマントはもう脱いで、いつもの彼女の姿に戻っていた。
「主、ひとりになるつもりだったか?」
「うーん……なりたかったけど、無理だろうなって思ってた」
「我らは、主のそばに在ると決めたからな」
少し照れくさそうにユリは言い、それを合図にしたように――
「いたいた! カナメ!」
「やっぱり隠れてた〜!」
「記録完了っと。校舎裏、予想通り」
「おーい、真中あああ! 甘いぞおおお!」
……全員、来た。
聖城ユリ、東雲アイリ、白玉モモ、千景ミサキ、黒瀬レン。
そして最後に、俺の親友――風間ダイチまで現れる。
「文化祭後のヒロインたちが黙って引き下がるとでも思ったか!
なめるなよ、ラブコメという名の戦場を!!」
「お前が一番騒がしいんだよ!」
全員で円になって、草の上に座る。
夜風は少し冷たくて、でも心地よい。
モモが、ぽつりとつぶやいた。
「ねえ、カナメくん。今日のこと、楽しかった?」
「……うん。すげー楽しかった」
それを聞いて、皆がほっとしたように笑った。
ミサキが本を閉じながら、言う。
「こういうのって、エンドロールが流れる前に、主人公が決断するものなんだけど……カナメくんは、今日までずっと、それを拒んできたよね」
俺は頷いた。
「だって……選んだら終わる気がしてさ。選ばなければ、まだ一緒にいられるって思った……間違ってるか?」
皆、顔を見合わせたあと、同時に――
「「「「「……間違ってないわよ(だ/ぞ)」」」」」
最後まで、誰も怒らなかった。
選ばれなかったことを、悲しむような顔もしていなかった。
その代わりに、今を楽しんでいた。
この関係を、この時間を、ちゃんと愛してくれていた。
「カナメ、お前が選ばないことで、俺たちはずっと騒いでいられた。だからもう、選ばなくていい。そのかわり――次もまた、楽しませろよ」
レンの言葉に、思わず笑ってしまう。
「お前に言われたくねーよ」
月がのぼっていた。
どこまでも静かで、清々しい夜だった。
「……なあ、みんな。来年も、こうして文化祭できるかな」
「当然だ」
「そのために学校通ってるようなもんだしね」
「カナメが逃げなければ、ね?」
「逃げない逃げない。むしろ全力で耐える」
「よろしい」
やがて、誰からともなく、肩が触れ合う距離まで近づく。
騒がしくて、どこまでも面倒で、でも確実に――大切な仲間たち。
俺は、もう一度、心の中で決める。
「――俺は、最後まで選ばない。
でも、それは全員を大事にしたいってことだから。勝ち負けのないラブコメ、ずっと続けてやる」
その宣言に、誰も反論しなかった。
それが、俺たちの選択だった。
こうして、物語は終わらなかった。
勇者も、魔王も、精霊も、幹部も、設定厨も、全部ひっくるめて、俺たちはこの世界で、今日もバカやって生きていく。
選ばないことが、選ぶことよりも勇気がいる。
だけど、それでも。
――これは、誰も選ばないラブコメの物語。
そして、これからも――ずっと続いていく。