空気が読めない告白
朝。登校途中の坂道。
俺、真中カナメはまたもや囲まれていた。
右に聖城ユリ、左に黒瀬レン。
その後ろを、東雲アイリ、白玉モモ、千景ミサキがついてくる。
「なんで今日もフォーメーション組んでるの!?」
「今日のテーマは、カナメと隣で歩けたら勝ちだそうだ」
「我はこの位置を死守する」
「ちょっと! レンくん、1メートルずれなさい!」
「それだと抜かされたヒロインっぽくなるから、やだ〜☆」
「……観察中」
今日も俺は、選ばない系主人公として、安定した混沌に包まれている。
教室に入ると、ダイチが駆け寄ってきた。
「なぁカナメ、緊急事態だ! 例のアレが起きたらしい!」
「例のアレってなんだよ……また誰か転校してきたとか?」
「違う! ラブコメ世界における最大最悪の事態、わかるか!?」
「最大最悪……え、誰か選ばれた!?」
「惜しい!! 告白されたらしい!!」
「!?」
昼休み、屋上。
ダイチは腕を組みながら語る。
「どうやら、A組の斉藤コトハちゃんが、カナメに告白しようとしてるらしい」
「まって!? 俺、外野ヒロインまで発生する構成だった!? そんなのプロットに無かった!」
「世の中、プロット通りにはいかないもんだぜ……」
「ラブコメって、自由すぎる……!」
そしてその時だった。
「……カナメくん」
背後から、小さく震える声がした。
「えっ、もう来たの!? 前触れなく!?」
振り向くと、そこには小柄で大人しそうな女子――斉藤コトハが立っていた。
その手には、折りたたまれた手紙。
「あの……放課後、屋上に来てくれませんか……?」
完全に、ラブコメ王道告白イベントだ。
その場にいた全員が凍りつく。
特に、隅でカップラーメンをすすっていたレンがむせた。
「ぶっ、いま……何て言った?」
「……っ、告白します……」
「今このタイミングで!? この空気で!?」
アイリが立ち上がる。
「彼は、誰も選ばない系主人公よ!? ここで告白なんて、世界のバランスが!!」
「むしろバランスを壊したくて来たのかもね〜☆」
モモがどこか面白そうに笑う。
ミサキは目を細めて言った。
「……物語が揺らぐ」
一人の少女の、純粋な気持ちが、ラブコメ日常をぶち壊す爆弾になる。
俺の脳内はパニックだった。
(やばいやばいやばい、ここでOKしたら選ばれるし、断ったら断ったで修羅場イベント突入だ!!)
(どうすりゃいい!? どうしたらいいんだ、俺!!)
その日の午後の授業。
俺の机の周囲には、異様な緊張感が漂っていた。
「カナメ、屋上……行くつもりなの?」
アイリが低い声で囁く。
「我、あの娘の出現はフラグ生成の兆しと見る」
ユリは剣を抜こうとして職員に止められる。
「カナメくん、モブに告白されるのって、主人公にとって何かの転機だよね〜」
モモはくるくるペンを回す。
「そもそもあの子、本当に告白だけが目的なのか?」
レンが鋭い目をする。
ミサキは静かにノートを開いていた。
そのページには、ラブコメ構造図の中に――フラグ外ルートと書かれていた。
「この展開……既存ヒロイン以外の介入ルートだ」
俺の平和な日常(ラブコメ仕様)が、音を立てて揺れていた。
放課後。
屋上に向かう階段の途中。
俺の後ろには、ヒロインズが偶然を装って集結していた。
「カナメ、やっぱ行かない方がいい」
「我が身代わりに出る!」
「モモちゃんが代わりに行っても笑えるけど意味ないからね!」
「今ならまだ選ばれずに済む! 逃げろカナメ!!」
「……でも、行くんでしょ?」
ミサキがぽつりと呟いた。
俺は頷く。
「……逃げるのは、なんか違う気がしたから」
ヒロインたちが沈黙する。
その背中に、誰かがそっと言葉を投げた。
「じゃあ、戻ってきてね」
俺はうなずき、屋上の扉を開けた。
そこにいたのは、斉藤コトハ。
風になびく髪。震える手。
夕陽に照らされて、ただ真っ直ぐに俺を見ていた。
「……カナメくん。ずっと、伝えたかったんです」
「……」
「好きです。付き合ってください」
その一言が、俺の世界に波紋を広げた。
斉藤コトハの告白を受けた瞬間、屋上の空気が――変わった。
静かで、あたたかいはずの夕暮れが、妙に重たく感じる。
風の音も、遠くに聞こえる生徒の声も、全部が遠ざかっていく。
「……ありがとう」
俺は、ゆっくりとそう口にした。
「でも――」
その言葉を言い切る前に。
「ダメです、カナメくん!!」
ドアが開いて、まず東雲アイリが飛び込んできた。
「えっ、まってアイリ!? 空気とか読まない!?」
「読んだうえで突入よ! これは国家的危機レベルの告白テロだもの!!」
続いて、聖城ユリが駆け込んできた。
「断罪いたす。今、この瞬間――我が主に刃を向けるが如き行為……見逃すわけにはいかぬ!」
「ユリ、それは言い方が物騒すぎる!」
さらに、モモ、レン、ミサキの三人も到着。
「やー、間に合った☆」
「すまない、カナメ。制止できなかった……」
「これもまた物語が揺れる瞬間」
斉藤コトハはぽかんと口を開けていた。
「え、えっと……?」
修羅場が、リアルタイムで形成されていく。
俺の身に流れるラブコメ血流が警告を鳴らしていた。
(やばい、この空間がやばい。ラブコメ史上最も居たたまれない公開処刑式が始まる……!)
「コトハさん、だったかしら?」
アイリが柔らかく、しかしものすごい圧を込めて言う。
「あなた、ラブコメの構造というものをご存じかしら?」
「……へ?」
「ここはね、誰も選ばれないことによって、奇跡的に均衡が保たれている世界なの。そこに他所から直球告白なんて爆弾を投げ込んだら……崩壊するわ」
「それは少し違うと思う」
ミサキが割って入る。
「均衡が崩れるかどうかは、カナメが何を選ぶかで決まる。彼が断れば、世界は続くし、受ければ、物語は変わる。それだけ」
「……ミサキ、なんでそんな冷静なの」
「これは物語の選択肢なの。登場人物がどう動くか、それだけを見ていたいのよ」
「でも、でも私は……カナメくんのこと、本当に……!」
コトハが泣きそうな顔になる。
「うん。わかってる」
俺は、ゆっくりと彼女に向き直る。
「だから、ありがとう。言葉にしてくれて、うれしかった。けど――俺は、誰とも付き合わないんだ」
「……え?」
「俺は、好きな人がいないわけじゃない。でも、誰かを選ぶってことが、他の誰かを選ばないってことになるなら――それは、やっちゃいけないことなんだ」
ヒロインたちが静かになる。
それは、嬉しそうでも、残念そうでもない。
ただ、俺の言葉を受け止めてくれている、そんな空気。
「……ごめんなさい、場を乱してしまって」
斉藤コトハは静かに頭を下げた。
そして、走り去っていった。
屋上には、沈黙だけが残る。
レンがゆっくりとつぶやいた。
「正直、断ると思っていた。けど……断り方までラブコメの文法守る奴、初めて見たよ」
「我が主……誇らしい」
「ついでに今の断り方、音声データにして保存したいんだけど」
「それ盗聴なのよ、モモ」
「カナメ」
ミサキが俺に歩み寄る。
「今日、誰か一人を選んだわけじゃない。でもね――誰かを選ばなかったっていう、最強の意思表示はしたよ」
「……そうかもしれないな」
俺は空を見上げた。
屋上のフェンス越しに見える、変わらない夕焼け。
ラブコメの均衡は、たしかに揺れた。でも、壊れなかった。
教室に戻ると、ダイチが待っていた。
「よう、ラブコメ界の守護者。生きてたか」
「疲労がえぐい……精神に直でくるぞアレ……」
「まぁな。お前が選ばない限り、俺たちはこの学園ラブバトルを楽しめるってわけだ」
「なんか俺だけ損してない!?」
「安心しろ、お前の代わりに、俺がサブヒロインで修羅場るから!」
「頼むからやめてくれ!!」
その日の夜。
スマホにメッセージが届く。
【アイリ】
今日のあなた、ちょっとかっこよかったわ。少しだけよ。
【ユリ】
主の意思、しかと見届けたり。
【モモ】
フラれた女の子には優しくしなきゃダメなんだよ〜?(チクリ)
【レン】
選ばない勇気、認める。だが次は選ばせる。
【ミサキ】
ラブコメにおける選ばないって、一種の才能だよ。誇っていい。
俺はスマホを伏せて、深く息をつく。
今日、誰も選ばなかった。
でも、選ばなかったことが、たしかに何かを選んだ。
――それが、俺の物語だ。
――翌日。
告白騒動の余波は、思った以上に静かだった。
学園中で噂にはなったものの、「断ったらしい」と聞いた瞬間、全校の恋愛感情が一斉に沈黙したらしい。
真中カナメは、誰も選ばない系男子という謎の説得力が、再び俺を守ってくれたようだ。
「やれやれ……平穏が戻ってきたな」
俺は自分の席に着きながら、深く息を吐いた。
今日の朝の囲みフォーメーションはなかった。
珍しくヒロインたちは距離を取っている。
……なんというか、気まずい。
「おはよう、カナメ」
最初に声をかけてきたのは、アイリだった。
「……昨日は、ごめんなさい。いろいろ言い過ぎたわ」
「いや、俺のせいでもあるしな……ありがとな、止めに来てくれて」
「……なによ、今さら感謝なんかして」
赤くなりながらぷいっと横を向くアイリに、俺も小さく笑う。
「ふふ……」
今度はユリが机の横に現れた。
「主の決断、誇らしく思っております。されど、忘れないでください――我は、主の剣であるということを」
「だから物騒な表現やめような?」
モモは窓際に肘をついて笑っていた。
「いや〜、昨日は名シーンだったねぇ。メタ的に言うなら、アレ完全にラブコメ最終回手前だよ?」
「やめて、まだ終わらないで」
レンは教壇にもたれかかって、遠くを見ていた。
「フラグが折れる音、確かに聞こえたよ。でも同時に、俺の中の対抗心にも火がついた」
「いやお前とは恋愛関係で争ってないからな!?」
「俺は真中カナメに勝つ。それだけだ」
「だから何の勝負なんだよそれ……!」
最後にやってきたのはミサキだった。
手にはノート、ページにはぎっしりと書き込まれた昨日のログ。
「面白かったわ。物語的にも、キャラクター的にも」
「うん……でも、正直すごく疲れた」
「でも、あれでようやく均衡が理解できた気がする。あなたが選ばない限り、この物語はずっと続く。それは、幸せなのか、不幸なのか……」
「答え出すの、まだ先でいいよな」
「うん、いいと思う」
放課後。俺とダイチは帰り道を歩いていた。
「しかしお前、マジですげーわ。俺だったらあんな綺麗に断れねぇ。たぶん、えっとぉ〜、ごめん?ってなってそのまま爆発する」
「いや、お前は告白される側じゃないだろ……」
「違う、俺は挑む側だからな。ちなみに今日は生徒会副会長に勝負挑んで、視線で敗北した」
「……さすがにサブヒロイン界隈でもトップクラスすぎるだろ」
「でもな、俺は信じてるぜ。カナメが誰も選ばないって言い続けても、誰か一人のことだけを、ちょっとずつ特別に思ってるってことに、本人だけが気付いてないってオチがくるって」
「……それはない」
「ふーん? じゃあ、この前アイリのこと目がきれいだなって言ったのは?」
「それは人としての感想だし!」
「ユリが剣を抜こうとするたび心配になるって言ってるのも?」
「命の危機だろ!?」
「ミサキがノート見せたときだけすげぇなって小声で言ってるのも?」
「そ、それは……普通に尊敬……?」
「ふふっ、全部アウト〜♪」
後ろからぬるっと現れたモモが笑って言った。
「ね、カナメくん。ラブコメってさ――選ばないって言ってる人ほど、一番大事な人を無意識に選んでるんだよ」
「それって……選んでるのと同じじゃん……」
「うん、だからそろそろ覚悟決めた方がいいかもね〜?」
その晩、俺はベッドに寝転びながら、今日のことを思い返していた。
――誰も選ばない。
それは、俺なりの正解だ。
でも、何も感じていないわけじゃない。
ヒロインたち一人ひとりのことは、大事だし、かけがえのない存在だ。
でもそれを、特別だと認めてしまえば――このラブコメの構造は、終わりに向かってしまうかもしれない。
それは、きっと違う。
俺たちの日常は、選ばれないまま進んでいくからこそ――楽しい。
「……とはいえ、明日も囲まれるんだろうなぁ……」
そう呟いて、俺は目を閉じた。
そして翌朝――
「主、登校の準備は整っております!」
「今日のフォーメーションは改良型よ!」
「ど〜も、愛と混沌のヒロインズです☆」
「諦めたら、俺じゃない」
「……選ばせない物語、まだ続く」
いつも通りの朝。
少しだけ、変わった朝。
誰も選ばない主人公と、選ばれようとしないヒロインたちの、ラブコメ未選択戦争は――続く。