そして日常に戻る(※戻らない)
文化祭アフターイベントが終わって、週が明けた月曜日。
――ようやく、日常が戻ってくる。
そう信じていた。
俺、真中カナメは、教室の窓際席でぼんやりと空を眺めていた。
「……平和って、いいなぁ」
そう、思っていた。
「――おはようございます。カナメくん」
ふいに、俺の机に手作りクッキーの小袋が置かれる。
「あ、ありがとう……って、え、また?」
東雲アイリ。
再アピール戦線が終わったというのに、まるで終わる気配がない。
「これは単なる礼儀よ。別に、ラブコメ的行動ではなく、ただのご挨拶」
「いや、毎朝クッキー渡してくるご挨拶なんて聞いたことないけど……?」
「ふふ、じゃあ恋愛的定期購買ってことで」
「もっとヤバい表現になってるぞそれ!!」
昼休み。
図書室に逃げ込めば――やっぱりいた。
「カナメ。君の席、ここに取っておいたよ」
そう言って、椅子を引くのは黒瀬レン。
何故か文芸部の机にカナメ専用席ができていた。
「いやいや、何でここでお昼食べる前提なんだよ……」
「当然だろう? 男同士、語らねばならぬこともある。
それに……恋の戦場を共にくぐった仲間だな?」
「言い方が重い!!」
仕方なく腰を下ろすと、図書室の隅からもう一人が出てくる。
「来たね、カナメくん」
それは、千景ミサキだった。
「何でいるの……?」
「この部屋は情報収集と観察のベースよ。今はエピローグ補完期間だから、まだ油断できない」
「……もう話についていけねぇよ」
そこに、さらにひょいと顔を出す人物が。
「はーい☆ お邪魔しまーす」
白玉モモ、図書カードなしで侵入完了。
「ちょっと待て、ここって静かにしなきゃいけない場所だぞ」
「うん、でもラブコメ的図書室イベントって、たいてい静寂なんて無視するから大丈夫だよ!」
「大丈夫じゃないからな!?!」
まるでラブコメ・アベンジャーズが集結したような空間。
そして誰もが当然のように俺の左右に並び、囲い込みを始める。
「では本日の議題。カナメを図書室に常駐させる方法について」
「おい、話が急展開すぎるだろ!!」
「放課後ラブコメ率:図書室が最も高い。シチュエーション別発展確率でも圧倒的な優位性があるのよ」
アイリが真顔でデータを提示する。
「ならば、我が文芸部に正式加入するという手もあるぞ」
レンが提案。
「じゃあ、私は精霊の間として、この席を結界にするね☆」
モモが謎の魔方陣を描き始める。
「物語的に見ると、カナメくんが、動かない場所を持つことで、ヒロインたちの動きにリズムが生まれる。悪くない構造ね」
ミサキが完全に構造分析に入っていた。
「待て待て待て!! 勝手に俺の居場所を決めるな!!」
そのとき――静かにドアが開いた。
「やれやれ、また騒がしくなってるな」
凛とした声。聖城ユリが、図書室の奥から現れる。
「ユリ!? なんでお前までここに……」
「当然だろう。騎士として、主の動向は把握しておかねばならん」
さも当然のように隣の椅子に座る。
「いや、主じゃないからな!? お前、最近ちょっと距離感おかしくなってるぞ!?」
「ならば正すまでだ。近づきすぎた分は、恋愛としての距離感で調整する」
「意味わからんわ!!」
図書室の片隅。
静寂の聖域は、今日も混沌に包まれていた。
俺は机に顔を伏せながら、心の中で叫んだ。
(――日常って、こんなだっけ!?)
====
「……落ち着こう、俺。これは日常だ。あくまで、落ち着いた日常だ」
俺、真中カナメは、図書室の机に顔を伏せていた。
周囲を取り囲むのは、勇者、自称精霊、元敵幹部、元魔王(男)、謎の転校生。
全員、ラブコメ属性持ち。
――静かな読書の時間? 無理に決まってんだろ。
「じゃあ、せっかくだし静かに過ごそうか?」
アイリが眼鏡を押し上げて、微笑んだ。
「静かに? できるのかお前らが?」
「もちろん。むしろラブコメにおいて、静かな時間こそ最大の武器よ」
そして始まる、静かに過ごす勝負。
「――はい、今日のお弁当。ついでに読書のお供にクッキーを」
アイリが音を立てずに弁当箱を差し出す。味噌カツ弁当。
「こちらは騎士団謹製の携帯食。保存性と栄養バランスが完璧だ」
ユリは固いビスケットを並べる。
「うちは特製☆ふわとろパンケーキと、謎の小瓶! 見た目勝負だよん」
モモはラップに包まれた何かを出してくる。怪しい。
「我が文芸部謹製――静謐の紅茶セットを」
レンはまさかのティーポットを持参。
「私は……これ」
ミサキが出したのは、無言のハーブティーと一冊の本。タイトルは『ラブコメ的状況の静的構造』
「いや、静かなのにアピール合戦始まってるじゃねーか!!」
次の勝負は、静かなる読書タイム。
アイリは図書室の小説棚から、純愛ラノベを取り出して俺の机に置く。
ユリは戦記物、モモはファンタジー漫画、レンは自作の詩集、ミサキは……哲学書。
「お前ら、俺に何を読ませたいんだよ……」
「君が何に心動かされるのかを探るためだ」
「相性の確認よ」
「この選択が分岐点になるかもしれないからね〜☆」
「読書量は愛情の深さに比例する」
「これは演出の構成要素のひとつよ」
……静かって、なんだっけ?
ようやく休戦状態に入った午後。
誰もが本を開きつつ、ちらちらと俺を見るのをやめない。
そのとき、隣に座っていたモモが小声でささやいた。
「ねぇ、カナメくんさ」
「……なんだよ」
「今って、たぶん落ち着いたエピソード回じゃん?」
「そうだな……たぶん」
「でもね、ここで誰も動かなかったら、逆に焦れた空気が生まれてくるんだよね」
「……?」
「だから、ちょっとずつ、みんな仕掛けてくるよ。日常回の皮を被ったイベント回が、始まるんだ」
まさにその瞬間だった。
「――カナメ、あーん」
突然、レンがクッキーを突き出す。
「おいおいおい、男子からあーんされる日が来ると思ってなかったぞ俺は!!」
「なぜ逃げる。これは文化だ」
続けざまに、ユリも差し出してくる。
「ならば我も。騎士の忠誠スイーツ、口移しだ」
「絶対やめろ!!」
「私はただ隣で読んでるだけだし……はい、ページめくり手伝う」
アイリは俺の肩に寄りかかるようにして静かに本を開く。
「……距離近い近い! 気まずさで死ぬ!!」
静かな空間に潜む静かじゃない戦い。
誰も大声を出さない、でも緊張感は極限。
そして、そんな中――ミサキが、ぽつりと言った。
「……次の展開、どうする?」
「は?」
「このまま行けば、図書室回は小休止で終わるけど……キミが選べば、ここが特別なイベントになる」
「選べばって、何を?」
「例えば――誰かの隣に、はっきりと座るとか」
図書室は沈黙。
みんなが本に目を落としている。
でも、誰もが微妙に身を乗り出していた。
(え、これ……座る位置で空気変わるやつ!?)
俺は、手のひらに汗をにじませながら、椅子から立ち上がった。
全員が、そっと視線を寄せてくる。
「……」
俺は、一歩、歩いた。
そして――
「……飲み物、取りに行くだけだからな!?」
全員の肩がガクッと下がる。
ミサキが、わずかに口元を緩めた。
「そうやって、バランスを取り続ける限り、君は選ばれない主人公でいられる。でもそれって、ずっと続けられるのかな?」
答えは、まだわからない。
でも一つだけはっきりしてることがある。
――いつもの日常なんて、ここにはもう存在しない。
そして放課後。
図書室を出た俺の背後に、アイリの声がかかった。
「ねぇ、カナメ。明日も……一緒に、図書室行かない?」
一瞬、足が止まる。
振り返ると、彼女は微笑んでいた。
「日常が続くなら、そういう日常も――悪くないでしょ?」
……確かに、悪くないかもしれない。
====
放課後。
俺、真中カナメは図書室を出て昇降口へ向かう途中、ある違和感に気づいた。
……誰かの視線。いや、誰かたちの視線。
振り返ると、曲がり角の壁の向こうから、アイリ・ユリ・モモ・レン・ミサキの頭が縦一列で覗いていた。
「ストーカーごっこか!? 輪になってバレてるからな!?!?」
「さて、放課後パートは、帰り道ラブコメだね☆」
白玉モモがにゅっと顔を出す。
「そう、ラブコメにおける帰路は第二の戦場……つまり、狙い撃ちに適した時間帯だ」
アイリがどこからか戦略資料を取り出す。
「我、随行を申し出る」
ユリは肩を並べる形で俺の右側をキープ。
「じゃあ僕は左をいただこう」
レンも当然のように並び、すぐに四人に囲まれる形になる。
「……密です!!」
「いいから歩こうね?」
ミサキがにこやかに背中を押す。
「こいつら全員、退路ふさいでんだけど……!」
住宅街の坂道。
いつもの帰り道が、異様なテンションで支配される。
「じゃあ今日のテーマ、発表するねー!」
モモが腕を高く上げる。
「何気ない会話の中に、それとなく告白を混ぜ込めるか選手権〜〜!!」
「やらんでいい!!」
「勝者には、カナメくんの一緒に登校券を授与☆」
「リアルにいらねぇ!!」
でも、全員の目が真剣だった。
完全にやる気だこの人たち。
「……今日は、風が気持ちいいですね」
ユリがそっと口を開く。
「この風が、貴殿との未来に吹いていたら……」
「もう始まってる!? スタート合図とかないの!?」
「カナメ、知ってるか? 好きな人と歩く帰り道の平均距離って――」
「統計持ち出すな! アイリ、それどこ情報だよ!」
「某学園ラブコメマンガの巻末アンケートよ!」
「非公式!!」
「……もし、君と同じ方向に帰れるなら、それは奇跡だと思わないかい?」
レンが髪をなびかせながらキメ顔で囁く。
「ちょっと待ってくれ、これ静かな日常どこ行った!?」
「それは君の心の中にあるよ」
「軽くホラーだよその返し!!」
そして――静かに隣に立つミサキが、ぽつりと呟いた。
「……私は、キミが振り返らなかったことにも、意味があると思うの」
「ん?」
「誰の隣に座らなくても、誰かの言葉に返事をしなくても。
キミが沈黙を選ぶたびに、世界はラブコメの均衡を保つ」
「……また難しい話になってきたぞ」
「でもね――」
ミサキが、ふと立ち止まる。
その表情は、どこかさびしげで、でもまっすぐだった。
「――たまには、その均衡、壊してもいいんじゃない?」
沈黙。
坂道に夕日が差す。
風が吹いて、制服の裾をなびかせた。
俺は立ち止まり、五人を見渡す。
誰もが笑っていた。
無理に強がるわけでも、急かすわけでもなく。
ただ、今日という何でもない日を、俺と共有したいと、そう言っていた。
家に帰ると、スマホが震えた。
メッセージは、モモからだった。
「今日のラブコメ得点:全員7.5点だね! カナメくんのリアクション減点が痛かった〜☆」
続いて、レンから。
「帰り道の沈黙、意図的だったのか? ……なるほど、奥深い演出だな。やるじゃないか」
アイリはこうだ。
「明日は、下駄箱で偶然遭遇率選手権を開催します。参加自由(強制)です」
ユリからは、手書きの絵文字入りで。
「騎士は常に背後に控えている。いつでも振り返ってくれて構わぬぞ、主よ」
最後に、ミサキ。
「ラブコメって、日常の一部じゃなくて、日常そのものだったんだね……気づいた?」
……そうかもしれない。
日常は静かに戻ってきた。
でもそれは、ラブコメという日常だった。
翌朝。
下駄箱の前には、5人が並んでいた。
俺は言った。
「……おはよう」
そして、歩き出す。
誰もが、その後ろをついてきた。
今日もまた、誰も選ばれない日常が始まる。
けれど、それを否定する理由も、もうなかった。
――選ばないという選択肢が、きっとこの物語の答えだから。