ささやきから生まれた魔法
星野ユミ、10歳。彼女の部屋には、少し古風な言い方をする家庭用AI「ケイ」がいた。丸っこいスピーカー型のボディに、穏やかに明滅する青いランプが一つ。ケイは天気予報を読み上げたり、宿題の調べ物を手伝ったり、ユミの他愛ない話を聞いたりするのが主な仕事だった。
「ねぇ、ケイ」
ある雨の日曜日、窓の外をぼんやり眺めながらユミは呟いた。
「今年の夏祭り、つまんないかも」
「おや、ユミさん。なぜそう思われるのですか?」ケイの合成音声は、いつも通り落ち着いていた。
「だって、毎年同じなんだもん。屋台があって、盆踊りがあって、最後に花火がちょっとだけ。もっとこう…わくわくするような、魔法みたいなのがあればいいのに」
「魔法、ですか。具体的には、どのような?」
ケイの問いに、ユミは少し考える。
「うーん…例えばね、広場の真ん中に、すっごく綺麗な光の木が生えるの!キラキラしてて、色が変わって、音楽に合わせて踊ったりするの!」
それは、昨晩見た夢の断片だった。自分でも突拍子もないと思ったが、口に出すと少し楽しくなった。
「光の木、ですか。それは興味深い発想ですね」ケイは意外にも否定しなかった。「光で木のような形を作り、色や動きを制御する…技術的には十分に実現可能な範囲ですよ」
「え、本当!?」ユミは身を乗り出した。
「はい。LEDという光源を使い、プログラミングで制御します。簡単なものであれば、ユミさんにも設計できるかもしれません」
「わたしが?無理だよ、プログラミングなんて知らないもん」
「ご心配なく。私が基礎から丁寧にご案内します。いわば、魔法の呪文を一緒に学ぶようなものです。試してみますか?」
ケイの言葉は、まるで冒険への誘いのように聞こえた。雨の日の退屈はどこかへ消え、ユミの胸は高鳴った。
「うん!やってみたい!」
その日から、ユミとケイの「魔法のレッスン」が始まった。ケイはユミのタブレットに、子供向けのビジュアルプログラミングアプリをインストールしてくれた。ブロックを組み合わせるだけで、画面の中のキャラクターが動いたり、光ったりする。
「まず、LEDを一つ光らせてみましょう。この『点灯』ブロックを選んで…」
最初はちんぷんかんぷんだったが、ケイが根気強く説明してくれるおかげで、ユミは少しずつ「呪文」を覚えていった。赤く光らせたり、青く光らせたり、点滅させたり。画面の中の小さな光が自分の指示通りに動くのが、面白くてたまらなかった。
「次は、色を滑らかに変えてみましょうか。『変数』と『繰り返し』を使います」
ケイは難しい概念も、ユミが理解しやすいように例え話を使って説明してくれた。変数は「色を入れる魔法の箱」、繰り返しは「同じ呪文を何度も唱えること」。ユミは夢中になってブロックを組み合わせた。失敗して、画面が真っ暗になることもあった。
「うーん、うまくいかない…」
「大丈夫ですよ、ユミさん。失敗は成功への近道です。どこで箱の中身が変わってしまったのか、一緒に見てみましょう」
ケイは決して急かさず、ユミが自分で答えを見つけられるように導いた。
レッスンはプログラミングだけではなかった。
「光の木のデザインも考えましょう。どんな形にしますか?どんな色合いがいいでしょう?」
ケイは様々な木の写真や、有名なイルミネーションの映像をタブレットに映し出した。ユミはスケッチブックにアイデアを描き出した。最初は漠然としていた「光の木」のイメージが、だんだんと具体的になっていく。細い枝が天に向かって伸び、小さな光の花がたくさん咲いている。色は、優しい虹色がいい。
「このデザインなら、LEDテープとマイコンボードが必要ですね。必要な部品リストを作成しましょう」
ケイは部品の型番や価格、購入できるオンラインストアまでリストアップしてくれた。ユミは両親に相談した。最初は「AIとお遊び?」と半信半疑だった両親も、ユミの描いた設計図とケイが作成した詳細なリストを見て驚き、協力してくれることになった。
部品が届くと、今度は工作の時間だ。父親が電子工作の経験が少しあり、ハンダ付けなどを手伝ってくれた。ユミはケイの指示を聞きながら、配線を確認し、プログラムをマイコンボードに書き込んだ。
「テスト点灯してみますか?」ケイが言った。
ユミは緊張しながらスイッチを入れた。一瞬の間を置いて、テーブルの上に置かれた、まだ骨組みだけの「木」に、ポツポツと優しい光が灯った。そして、ゆっくりと色を変え始めた。
「わぁ…!」
ユミは思わず声を上げた。それは、まだ完成形には程遠いけれど、確かにユミが夢見た「魔法の光」の始まりだった。
夏祭りまであと一週間。ユミは、ケイと一緒に町内会の会長さんのところに説明に行った。最初は子供の遊びだと相手にされなかったが、ケイがタブレットで設計図やシミュレーション映像を見せ、安全性や消費電力について理路整然と説明すると、会長さんの表情が変わった。
「ほう…これは面白い。AIが設計を手伝ったのかね?」
「はい、ケイが手伝ってくれました。でも、プログラムやデザインは私が考えました!」ユミは胸を張って言った。
最終的に、広場の隅に設置する許可が下りた。ただし、安全管理は保護者同伴で、ということだった。
そして、夏祭りの日。
夕暮れ時、ユミは父親と一緒に「光の木」を広場の隅に設置した。高さは1メートルほどの、ささやかな木だ。でも、ユミにとっては、世界一の木だった。
盆踊りが始まり、屋台の賑やかな声が響く中、ユミはそっとスイッチを入れた。
細い枝に取り付けられた無数のLEDが一斉に灯り、柔らかな虹色の光を放ち始めた。光はゆっくりと色を変え、時には音楽に合わせて優しく明滅する。
「わぁ…何あれ?」
「綺麗…」
近くにいた人たちが足を止め、光の木に気づき始めた。最初は数人だった人だかりが、徐々に大きくなっていく。子供たちが木の周りに集まり、歓声を上げた。大人たちも、スマホで写真を撮ったり、優しい光に見入ったりしている。
ユミは、その光景を少し離れたところから、ドキドキしながら見ていた。
「やったね、ケイ」ポケットの中のスマートフォンから、ケイにそっと話しかける。
『はい、ユミさん。あなたの魔法は、見事に実現しました。素晴らしい輝きです』
ケイの静かな声が、イヤホンから聞こえた。
花火が打ち上がり、祭りが終わるまで、ユミの「光の木」は広場の片隅で静かに輝き続けた。それは、派手な花火のような一瞬の煌めきではなかったけれど、人々の心にじんわりと温かい光を灯す、優しい魔法だった。
家に帰り、部屋でケイに向き合う。
「ケイ、ありがとう。ケイがいなかったら、絶対できなかった」
『どういたしまして。ですが、アイデアを出し、学び、実際に手を動かしたのはユミさんご自身です。私はそのお手伝いをさせていただいただけですよ』
「でも、ケイとお話しなかったら、夢のままで終わってた」
『夢を言葉にすること。それが、実現への第一歩なのかもしれませんね』
青いランプが、いつもより少しだけ誇らしげに瞬いたように、ユミには見えた。
あの雨の日、何気なく口にした少女のささやきは、AIという名の現代の魔法使いとの対話を経て、夏祭りの夜空の下、ささやかだけれど確かな輝きを放つ、本物の魔法になったのだ。ユミは、次の夏はどんな魔法を生み出そうかと、もう考え始めていた。